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苺大福の形

 玄関を出て、俺は皇の姿を探す。

 流石にこれだけ待たせてしまったのだ。もうとっくに帰ってしまったかもしれない。

 一瞬そんな思考が頭をよぎるが、すぐにそれはないなと首を振る。

 もしこれが一ノ瀬であれば、もうすでに学校にはいないだろう。それどころか明日には俺がこの世にいないかもしれない。一ノ瀬でなくとも、俺だってこれだけ待たされたら嫌になってすぐに帰る。

 けれど、皇は違う。

 思い出す。ただ二人、たった二人の連絡先を入手できただけで涙を流して喜ぶその姿を。初めてできた友達に、感動のあまりその荒々しくも気高い生きざまで俺達ファンの心を奮い立たせたあの男と同じ死にざまを体現しそうになったその姿を。

 きっと皇は待っている。今日一日の付き合いだが、待っていてくれと言った友達を置いて帰るようなことを皇は絶対にしない。それだけは言い切れる。それどころか、もし俺が探さないでそのまま帰ったらいつまでもいつまでも、皇は俺を待ち続けることだろう。


「……やべえ」


 駆られる焦燥感に自然と俺の足取りは速くなる。


「すめらぎー、どこだ~。ごめんな~、待たせちまって~」


 …………。


 返事はない。自分でも思ったよりも大きな声が出ていて驚いた。放課後とはいえ未だに周囲には人もいる。さっきまで走り回っていたかと思ったら突然大声でわめきだした俺を、彼らは怪訝な目で見てくる。中には笑っている奴までいる。……おのれ、モブ共め。

 とても恥ずかしいが、それよりも今は皇を見つけなければ。いくらなんでも友達になってその日に嫌われたくはないからな。

 いつもなら絶対にこんなことしないが、俺はそんな周囲の視線も気にすることなくもう一度大声で皇を呼ぶ。


「お~い、皇~。帰っちまったのか~。お~い………キララちゃ~ん。どこだ~」



「……さん……やめ……つくも……」


 やはり返事はない。だが、それでも俺はやめない。ここでやめるわけにはいかない。


「キララちゃ~ん。どこだ~キラキラネームのキララちゃ~ん。キラーキラーキラキラキラキラキ――」


 バァンッ‼


「やめてくださいって言ってるじゃないですか~‼」


 突如。俺の腹部を強烈な痛みが襲ったのと、耳を劈くような大声が聞こえたのは同時だった。


「さっきからキラキラキラキラ……っ、周りが見えていないんですか⁉  門の前で寒い中、周りの人たちに好機の視線を向けられて。それでも初めての友達との登下校だからって楽しみに待っていたら、玄関の方から私のことを呼ぶ大声が聞こえてくるじゃありませんか⁉ だからきっと私を待たせてしまったことに焦っている九十九さんが必死で探してくれているんだろうなって。そう思って私も少し、さっきまでからかわれ続けた分、おかえしで意地悪してやろうって思ったんです! こっそり隠れて九十九さんが走り回っている姿を見ていたんです! そしたら、だんだんその声が適当になってきて、嫌な予感がするなと思ったらやっぱりでした! こんな公衆の面前でキラキラキラキラ、……うう……ぐす…ううう」


 腹を押さえてうずくまる俺の傍で、顔を真っ赤にして早口でまくし立てる皇。言い終わる頃にはその目の端に大粒の涙を浮かべていた。

 そんな俺たちに、周囲の生徒たちはこれ以上ないほど好機の視線を向けてくる。きっと痴話げんかだとでも思われているんだろうな。さっきから部活動が終わって帰るところなのだろう。集団で駄弁(だべ)っている野球部の男子たちの怨念のこもった視線が辛い。


「わ、分かった。悪かったな、皇。ちょっと甘地先生と話してたら遅くなってしまってな。急いできたんだけどお前の姿が見えなかったから慌ててたんだ。帰ってないことは分かってたんだけど、女の子が一人だから急いで見つけないとと思って。それで大声出してたんだよ」

「分かってます、分かっていますよ、そんなことは! 私が言っているのはそうじゃなくて……うう……」

「いや、キラキラ言ってたのは、……その方がお前に分かりやすいかと思たったんだよ。そう、決して途中から面倒くさくなってきたわけではない。うん。きっと、多分、Maybe」

「面倒くさくなってるじゃないですか! ううう、私はずっと言われた通り九十九さんを待っていたのに」

「うっ、……分かったよ。悪かったよ、ほんと。アイス奢るから、な? 許してくれ。頼むよ」

「アイス⁉ ……しっ、仕方ありません。今回は特別にそれで許してあげます。……絶対ですよ? 私二百円以上でないと認めませんよ?」

「ああ、任せておけ。友達なら放課後に寄り道して奢りあうことだってあるだろ? バーゲンナッツだろうがカリカリ君だろうがキラキラちゃんだろうが、なんだってこい!」

「エヘヘ~、私、家族以外の誰かに何かを奢ってもらうのなんて初めてです。ずっと待ち続けた甲斐がありました」


 先ほどまで涙で目を腫らしていた皇は、今は嬉しそうにニヤニヤしている。

 機嫌が直ったようで何よりだ。

 これ以上目立つのは恥ずかしいので俺たちは少し急いで門を出た。確か駅の中にコンビニがあったはずだ。


 何気に俺も家族以外に何かを奢るなんて初めてのことだな。俺は基本家から出ないし、出かけるのは大抵まなみの荷物持ちとしてだ。休日の度にまなみは俺を連れてどこかに出かける。遊園地や水族館を回った回数はここ一~ニ年で二桁に迫るほどだ。そしてその度にまなみは俺にお菓子やアイスをねだってくる。しかもそれどこのキャバクラのお姉さんですか?ってくらい上手に。愛しの妹に可愛くおねだりされてはもちろん俺に断れるわけもなく、あれもこれもと言われるがまま金を出しているうちに気づけば俺のお財布事情は火の車。カチカチ山の狸さん並みに万年金欠だ。俺が狸なら差し詰めまなみはウサギさんと言ったところだろうか。うん、やはり可愛い。


 フフフ、ああ、そうさ。何を隠そう、令和のミツグ君とは俺のことだ!


 そんなことを考えてふと思う。

 ……そういえば俺の財布の中身って三百円だったな。



 *



 駅ナカ争奪戦なんてものが繰り広げられるほど駅中ビジネスは活発化している現在、都市部ともなるとその駅内部はもはやある種の娯楽施設と言って過言でないほどにぎわっている。

 そしてその中でも必ずと言っていいほど設置されているのが、コンビニエンスストアだ。元はアメリカの氷を専門に販売していた企業、『サウス・アイス社』が日用雑貨や食用品を取り扱うようになったのが起源の業態なのだが、ガラケー同様日本で独自の発展を遂げ、POSシステムなどを世界に拡大していった。二十四時間営業、年中無休、幅広い品ぞろえに加えて今ではインターネットを利用した様々なサービスの導入など、その利便性はまさに名前の通りだ。中でも日本のコンビニは外国人が天国だと評するほど優れている。


 と、適当にネットで調べた知識を語ったが、もはやコンビニは今では生活になくてはならないものと言っても過言ではないほど身近なものであり、コンビニさえあれば生きていくことができるというのは言い過ぎでも何でもない。数年前の芥川賞以降、コンビニ人間なんて言葉が広がったのも記憶に新しいだろう。

 そんなコンビニだが、その中でも俺が最も驚かされるのが、コンビニ弁当やコンビニスイーツの品質だ。昔はコンビニの売りはあくまでもその利便性。そこに重点を置いており、品質は二の次だった

 だが、今はどうだろう。日本でコンビニの需要が高まるにつれ、様々な企業が誕生した。そのことによっておこるのは自然、品質競争。あの硬いゴムのようだったお弁当のカツは、今ではしっかりと味のしみ込んだ柔らかくジューシーなものへと変わり、どこの米だか分からない硬くぱさぱさだった米が、今は甘くしっとりとしたものへと変わっている。下手に料理するよりもコンビニ弁当のほうがよっぽどおいしいと考える人は多いのではないだろうか。更に、それに加えて野菜や魚、肉などの生鮮食品までも販売しているコンビニが誕生しているほどだ。

 ただでさえ便利なコンビニの品質がこれほどまでに高まってしまった今、専門店やスーパーマーケット、飲食店などの必要性さえ薄れてしまうのはもはや時間の問題だろう。地方ではコンビニができたことで商店街の衰退が加速しているなんて話も聞く。

 このままでは日本の店が全てコンビニで埋め尽くされる時代も遠くないな。

 (遠い)



 まあ、俺としてはコンビニスイーツが驚くほど美味しくなってくれたことが一番ありがたい。俺も好きだし、何よりうちの女神たちのご機嫌取りにはスイーツが一番だ。俺はいつ彼女らの逆鱗に触れても無事でいられるよう、いつもポケットに五百円玉と飴玉を常備している。財布の中身はいつも小銭しかないが、今までこのワンコインで数々の修羅場を乗り切ってきたのだ。

 そして今、俺の隣で、

「夢にまで見た友達との下校です……エヘヘ……しあわせ~」

 と頭からヒヨコでも飛び出してくるんじゃないかってくらいぽわぽわとご機嫌な皇にもこの手は通じたようだ。


「さあ、何でも好きなものを一つ選べ。ちなみに俺のおすすめは苺大福だぞ。それだったら二つまで買ってやってもいい」

「……なぜアイスを買いに来て大福を勧めるんですか。確かに苺大福は美味しいですけど。……しかし二つというのは捨てがたいですね。量をとるかアイスをとるか。うう~~、どちらにしましょう。悩みます。すごく、すごく悩みます」


 言いながら、皇は真剣に考えている。その瞳にはもはや俺は映っておらず、ただ目の前のスイーツたちにのみに向けられていた。

 アイスや大福でそこまで真剣に悩まれると、もういっそのこと両方買ってあげたい気持ちになるが、残念ながら俺にそんな甲斐性はない。甲斐性もなければお金もないのだ。……ほんと俺なんも持ってないな。


 皇が悩めば悩むほど俺の財布の軽さが際立つようで、自分の不甲斐なさに軽く落ち込む。

 しかし、そんな俺の心情など皇には関係ない。未だに皇は苺大福とアイスを交互に見て「う~ん………う~ん」と首を傾げて悩んでいる。


「す、すめらぎ。も、もういいんじゃないか? もう遅いし早く選んでかえ――」

「決めました! 九十九さん。やっぱり私は苺大福にします! アイスの気分でしたがここは質より量です! すみません、お待たせしました」

「そ、そうか。別にいいんだぞ? 無理に俺のおすすめにしなくても。これは皇への贖罪なんだからお前の好きなものじゃなきゃ意味がない」

「しょくざい? ……ああ、食材! いえ、私も苺大福好きなんです。アイスもいいですけど今日は少し寒いですし。それになによりアイスは一つだけですけど苺大福は二つです。どうせお腹に入れば変わらないのですから、たくさん食べられた方がお得です!」


 しょくざい……。皇の成績がよく分かった気がする。というかお腹に入れば同じなんて元も子もないな。俺は昔それを家族で行った高級レストランで言って厨房の方からいかついおっさんたちに物凄い目で睨まれたことを思い出した。あの頃は俺もまだまだ若かった。


「まあそれならいいが。……じゃあ、会計してくるから先出ててくれ」

「はい、ではまた。ありがとうございます。九十九さん。」


 言って皇は俺に苺大福を二つ渡すと出口へと向かった。

 それにしても、まなみや母さん以外から「ありがとう」なんて言われたのは随分と久しぶりだ。


「悪くないな」

「えっ⁉ そ、それはどうも……」

「え? ……あっ、い、いえ、違います。独り言です。すみません」


 俺がポロリと漏らした声が聞こえていたらしい店員のお姉さんが、何を勘違いしたのか頬を染めて礼を言う。やべえ、今の言葉、他の人が聞いたら絶対勘違いするじゃん。これでは俺はナンパ漢だ。これは不味い。最近ではナンパもセクハラ扱いされるらしいからな。

 俺は慌てて謝罪し、なんとか誤解を解くと急いでコンビニを出た。

 最後に見たお姉さんの顔は何故だか少し残念そうに見えた。



 *



「ほらこれ。苺大福とレモンティーだ」


 コンビニから出た俺たちは駅の隅のベンチに腰かけて、慌ただしく行きかう人々の往来を眺めていた。時刻はもうすぐ七時。帰宅するサラリーマンや部活帰りの生徒などで駅の中は喧騒に包まれている。


「ど、どうも。ありがとうございます。……あれ? レモンティー?」

「ああ、ついでだから飲み物も買っておいた。大福を食べたらのどが渇くからな。レモンティーで良かったか?」

「え、えと、はい、大丈夫です。すみません。ありがとうございます。……あ、待ってください。今お金出しますね」

「いや、別にいいよ。それくらい」

「いえ、苺大福は奢ってもらう約束でしたけど飲み物は違います! お金は大切です。いくらお友達でもそこまで甘えるわけにはいきません」

「で、でも、所詮百円ちょとだぞ? 別にそれくらい大したことじゃないって」

「いいえ、お金にルーズな人は必ず大切なものを失くします。それが友人同士ならばなおさらです。……と、ネットに書いてありました。私は友人は欲しいですが、利用しあうような関係はいりません。ですので約束は守りますし、一方的に甘えるようなことはしたくありません。大切な人とは、常に対等でありたいんです」


 すごいな。やはりグルグル先生は何でも教えてくれるな。


「そういわれると困るが。……じゃあ、それもおまけだ。お詫びと、あと、今日は俺たちが初めて友達になった記念すべき日だからな。そのお祝いだ。それならいいだろう?」

「っ⁉ お、お祝い。……ふふ、分かりました。それなら仕方ありませんね。では次は私が何か奢ります。その時はお祝いなので、九十九さんも受け取ってくださいね?」


 言って皇は優しく微笑んだ。

 その言葉から察するに、また今日のようにどこかに寄り道して共に下校する日があるようだ。


「……ああ。もう、十分すぎるほどもらってるよ」

「?」


 こぼした俺のつぶやきに皇が首を傾げるが、それに俺は何でもないと首を振った。

 この笑顔はきっとプライスレスだな。僅か数百円でそれが拝めた俺はこれ以上ないほど大金持ちの幸せ者だ。FX以上の倍率だな。


「ふふ。では、はい。これをどうぞ」

「ん?」


 袋から買ってきた苺大福を二つ取り出した皇はスマホのカメラ機能でパシャリとそれを撮影した後、しばらく二つの大きさを確認し、比較的小さいサイズの方を俺に差し出す。


「どうしたんだ皇? 賞味期限でも切れてたか? 流石の俺も期限切れの食い物は遠慮したいんだが」

「ち、違います! そんなわけないじゃないですか‼ まったくもう!」

「それじゃあこれは何なんだ? 木下藤吉郎みたいに背中に入れて温めとけばいいのか? 残念だが九十九万才はお腹で温めるぞ。それで一度温めだしたら三十時間は取り出せない。明日になってもいいなら別にそれでもいいが」

「だから、違うって言ってるじゃないですか‼ というかキノシタフジキチ? 何を言っているのかもわかりませんよ! ……そうではなくて、せっかく二つあるのですから一つは九十九さんが食べてくださいって、そう言いたかったんです」

「ああ、そういうことか。あと、木下藤吉郎だ。豊臣秀吉の若い頃の名前だな。まあそれはどうでもいいんだけど。……いいのか? 俺にくれて。これは皇に買ったものだぞ?」

「ええ。九十九さんが私に買ってくださったのですから私が誰とどう食べようと自由ですよね? 私は九十九さんと一緒に食べたいんです。そのために二つの大福を選びましたから」

「ああ、迷ってたのはそういうことだったのか……。悪いな。それじゃあ、ありがたくいただく」

「はい。わたし友達に何かを奢ってもらうのも初めてですけど、友達と何かを一緒に食べるのも初めてです。今日は初めてのことばかりでとても楽しいですね」


 言葉通り楽しそうな皇の声を聞きながら俺は受け取った苺大福を開けて口に運ぶ。甘いもっちりとした触感とともにつぶあんの嫌みの無いさっぱりとした甘味、苺の酸味とその果汁が続く。うん、やはり最高だ。

 しかし、何故だろう? 今日はいつもより断然甘く感じる。いつものはいつもので好きだが、今日のは特に美味しいな。やはり夕食前で腹が減っているからだろうか? 今度からなるべくお腹を空かせてから食べることにしよう。


「そうだな、俺も今日は初めてのことばかりだ。部活に入ったのも初めてだし友達ができたのも初めて。連絡先を交換したのもそうだ。もちろん今のこの状況もな」

「ええ、そうでしょうね。九十九さんにこれまでそんな経験なんてあるわけないですし」

「おい、それはその通りだが人に言われると複雑な気分だな。まあいいけど」

「フフ、でも楽しいでしょう?」

「……まあな。一ノ瀬は相変わらず辛辣だし、皇は話せば話すほどアホの子なんだなって分かって辛いけど、今日はきっと俺の人生で一番楽しい日だ。ほんとありがとうな」

「誰がアホの子ですか誰が! それにお礼を言うのは私の方です。私も今日はこれまでの人生で一番と言ってもいいくらい楽しかったですよ。これまで友人どころか人と話すことさえあまりありませんでしたから」


 言って皇は食べかけだった苺大福をその小さな口に放り込むと、俺がやったレモンティーで流し込む。そんな皇の言葉に俺は一つ引っかかりを覚えた。


「そういえばずっと気になってたんだが、なんで皇はそんなに友達がいないんだ? 一ノ瀬はともかく、皇は俺たちの中じゃちょっとアホなところ以外は全然常識人みたいだし、俺みたいに何をやらかしたわけでもないんだろう? 高校でもだが、少なくとも小学校・中学校の頃は友達くらいいたんじゃないか?」


「っ……」


 途端、皇の表情が曇った。

 やべえ、地雷踏んじゃったかな? いくら友達になったからと言っても所詮、皇とは知り合ってまだ数時間しか経っていない。お互いに相手の知らないことの方が多い仲だ。

 皇のその様子から察するにあまり言いたいことではないのだろう。


「いや、言いたくないんなら別に無理にとは言わないが。ただ少し不思議に思っただけだ」

「い、いえ、特に言いたくないわけではないのですが、その……」


 そうは言ったものの、その表情はどうみても話すことを躊躇っている。どうして言いたくないのか気にはなるが、これ以上踏み込むのは悪い。


「まあ、そのうち気が向いたら話してくれ。どうせこれから長い付き合いになるんだからな」

「っ! は、はい。……そうですね、いつか話すかもしれません。これからも長いですし」


 そう言う皇の声は弱弱しく、何故だかとても辛そうだ。特に傷つけるようなことを言った覚えはないが、やはり先ほどの俺の質問が原因だろう。しかしこの場合俺が謝って終わりとはならない。きっとその質問の内容に答えられないことこそ彼女が悲しげな表情を浮かべている原因なのだから。

 当然ながら俺はこんな時どうすればいいのか全く分からない。きっと俺はホストにはなれないな。

 仕方ない、ここは話題を変えて場を和ませる作戦で行こう。


「そういえば皇、今日は一ノ瀬に一体何を相談してたんだ? プライベートだって言ってたがお前と一ノ瀬って知り合いだったのか?」


 まあ、それはないだろうがな。どう見ても今日皇が部室を訪れた時の彼女らの様子は初対面のそれだった。


「ええと、それは……」


 あれ? ……あ。

 皇の言いにくそうな様子を見て気づく。

 やべえ、またやっちまった。そういえば今日部室に相談に来てたはずなのにその内容を俺が知らないのって皇が俺に聞かれるのを避けたからじゃん! どうしていいのか分からない状況に気が動転していて、すっかり頭から抜け落ちていた。あれだけ気の利く紳士を演出していたのに今ので台無しだ。


「わ、わるい、今のなしだ。ええと、それじゃあ別の話題、別の話題……」

「い、いえ、あの、そんなに気を遣っていただかなくて大丈夫ですよ? それほど重い話と言うわけではありませんので」

「そ、そうか? けど」

「はい。それに特に隠すようなことでもありませんし。今日一ノ瀬さんに相談したのはある方のいる場所を教えていただきたかったからです。とても大切な方なのですが、今はどこにいるのか分からなくて。それでその居場所を知っている一ノ瀬さんに今どこにいるのか教えてほしいという依頼をした、というわけです」

「ある方? なんだ皇。友達はいないのに恋人はいたのか? 甘地先生が知ったら嫉妬しそうだな」

「何故そこで甘地先生が出てくるのかはわかりませんが……。しかしそうですね。まあ、最愛の人と言う意味ではその表現も間違っていないかもしれませんね。もっとも、愛憎と言った方が近いかもしれませんが」

「……っ」


 いつもと変わらぬ口調で言う彼女の視線はここではないどこか遠くを見ているようで、その言葉の意味を推し量ることは俺にはとてもできない。

 その瞳はどこを映しているのだろう? とても気になる。

 ――しかし、今重要なのはそこではない。まさか、まさかあの皇が愛憎なんて言葉を知っていたとは。


「お、おまえ……、本当に皇か? 愛憎なんて言葉、アホの子のお前が知っているはずがない。はっ、さてはお前、皇のふりをした偽物だろう⁉」

「なっ⁉ し、失礼ですね! 私だってそれくらい知っていますよ‼ 何ですか⁉ せっかく頑張って難しそうな言葉を使ってみたのに! 少しくらいほめてくれたっていいじゃないですか!」


 ……フム、理解した。この反応は間違いなく皇だ。しかし愛憎ってそんなに難しい言葉か? 中学生くらいでも普通に使っているはずだが。

 まあ、皇だしな。

 俺はこれ以上考えるのを放棄した。


「悪かったな、皇。ああ、お前は間違いなく皇流星だ。うん。愛憎なんて難しい言葉よく知ってたな。偉いぞ。なでなでしてやろうか?」

「なでなではいりません‼ あと、何故か九十九さんから悪意を感じます」


 やはり同じ手は二度も通じないか。名前、連絡先と来たのでそろそろ行けるかと思ったが、生憎とまだ騙されなかったみたいだ。


「さっきはこの手で通じたのに成長したな皇。お父さんは嬉しいぞ」

「ではお父さん、もう一つ苺大福を食べたいのでお小遣いを下さい」


 たくましくなったものだ。あの純粋な皇をこの短時間で一体だれがこんな風にしてしまったのだろう? フェアリーテイルだな。


「まあまた今度な。それにしても愛憎なんて。皇はヤンデレヒロインだったのか?」

「ええ、そうかもしれませんね。九十九さんも気を付けてください。私、浮気なんてされたらとても耐えられません。きっと次の日の新聞に載ることになりますので」


 ヒュッ。俺のムスコがこれ以上ないほど悲鳴を上げていた。この胸の高鳴りはまなみと行った遊園地で日本一怖いと言われるジェットコースターに乗った時以来だな。


「ふふ、冗談です」


 俺が震えていると、皇が楽しそうにそんなことを言う。けれどあの目を見てしまった俺としては、とてもじゃないがそれが冗談には聞こえないのだが。


「お前の将来の旦那さんは大変だな」

「フフフ、そういえば私が将来売れ残ったら九十九さんがもらってくれるんでしたよね? もしもの時はよろしくお願いしますね?」

「ハハハハハハハ」


 言葉は刃物。一度口に出した言葉は変えられない。コナン君はやっぱり正しかったな。

 冗談もほどほどにしなければそのうち取り返しがつかないことになりそうだ。


「けどなんで一ノ瀬はそのお前の合いたい人とやらの居場所を知ってるんだ? お前らって初対面だよな?」

「……一応クラスメイトなのですが。まあ、初対面と言えば初対面ですね。話をしたのは今日が初めてですし」

「だよな? でもだったらなんでお前は一ノ瀬がそのある方とやらの居場所を知ってるって知ってるんだ?」

「ええと、それは……、すみません。やはり今は言えません。強いて言えるなら家庭の事情です」


 なるほど。これはなかなか彼女らにとって重要なことらしい。あまり人様の家庭に首を突っ込むわけにもいかない。言えないと言うのなら聞かない、触れない、関わらない。それが俺だ。


「そうか。まあ、それなら仕方ないよな」

「あ、あの、別にあなたが信用できないとかそういったことではないのですよ? そうではなくて、これは一ノ瀬さんのことも関係するので今ここで私が勝手に口にするわけにはいかないんです。ですのでその、私があなたを信じていないとかそういうわけでは」

「あ、ああ、分かった。分かったから」


 心配そうに言う皇の目は不安そうだ。俺が拒絶されたと思わないか気を遣っているのだろう。

 だが、そんな心配はもちろんいらない。俺は拒絶されることには慣れ切っているし、皇がそんなことしないってことくらい分かっている。むしろこういう時むやみに他人の個人情報をばらさないのは好印象だ。


「まあ、また今度一ノ瀬がいるときにでも大丈夫そうなら教えてくれると嬉しい。別に嫌ならいいけどな」

「は、はい。その時はまたお話しするかもしれません」


 皇の表情には安心の色が見えた。


「それにしても今日は本当に九十九さんと知り合えて良かったです。おかげでやっと一ノ瀬さんに相談しに行くことができました」

「ん? やっとってことはこれまでは行けなかったのか?」

「はい。何度か部室に足を運んだのですが、やはり一人だと緊張してしまい。いつもドアをノックする前にあきらめて帰っていました」

「まあ、確かに一人であの一ノ瀬に話しかけるのは結構勇気いるもんな」

「そうっ! そうなんですよっ! 教室で話しかけようとしてもいつも授業が終わればすぐにどこかへ行ってしまいますし、噂を頼りに先生に聞いた部活動でならと思ったのですがそれもだめで」

「ああ、だからお前、あんなに一ノ瀬のことや部のことに詳しかったのか」

「はい、二か月近く彼女を観察し続けましたから。……けれど今日まで結果は出ませんでした」

「それは、……なかなか大変だったな」


 いくら何でもそれはかかりすぎだと思うが。まあ、こいつらそろいもそろって重度のコミュ障だからな。もちろん俺もだが。それを考えれば納得か。


「はい。ですが今日、お昼休みに九十九さんに出会って、やっと彼女に話しかけることができました。なのであなたにはとても感謝しています」

「なるほどな、理解した。今日俺がお前に話しかけたのは全くの偶然……ではないが。教室で一人でいる一番周りに人のいないやつに話しかけたらたまたまそれがお前だっただけだが、それでも友達の役に立てたなら良かったよ」

「なんだかとても複雑な気分ですね。まあ、いいですけど……」


 言葉通り複雑そうな表情をしている皇だが友達だと言われて嬉しそうだ。

 ……友達って言っておけば何でもしそうだな、こいつ。変なメールが届いたら必ず俺に確認するようによく言って聞かせなければ。



 *



「さて、そろそろ帰らないと家の人が心配するだろう? 皇、お前の家はどっちだ?」


 時刻は既に七時半を回っていた。女の子をあまり遅く返すわけにもいかない。

 というかいい加減そろそろ帰らないと俺がまなみにどやされてしまう。

 そういえば、帰ったら部活に入ったことを伝えておかなければならないな。これからは毎日帰宅する時間が六時を過ぎるだろう。言っておかなければ晩御飯を姉に食べられてしまう。


「私はここからちょうど一駅下ったところですね。そこからは十分ほど歩きます」

「そうか。なら俺も同じ電車だな。どうせ帰り道だから送っていくぞ?」

「いえ、もう遅いですしあまり迷惑をかけるわけには……」

「皇。俺たちは友達だろ? 友達を送っていくのが迷惑なわけない」

「九十九さん……。で、では、よろしくお願いします」

「ああ、任せておけ。送り狼とは俺のことだ」

「……やっぱり遠慮したいのですが」


 さっきまで嬉しそうにしていた皇だが、今は無表情だ。

 おかしいな? 送り狼って紳士的ってことじゃないのか?

 俺たちは食べ終わった苺大福のごみを袋に入れてごみ箱に捨てると、一緒に電車に乗り込んだ



 家の近所まで皇を送った俺は、そのまま帰路につく。

 今日は本当に長い一日だったな。これほど一日が長く感じたのは初めてだ。これまで俺がどれだけの時間を無為に過ごしてきたのかよく分かった。


 償いのつもりで入部したが、何故だか俺が得をしている。これもまた俺の罪なのだとしたら、俺はそれをずっと背負って生きていこう。その間はきっとあの部にいられるのだ。

 温かい時間というのは心に余裕を作るんだな。きっと昔の俺なら考えられなかったことだ。もしかしたら俺はずっとこんな時間を求めていたのかもしれない。


 ――そんなことを思う俺は変われているのだろうか? あるいは、ただそう演じているだけなのか。


 自分でもまだそれは分からない。けれどきっと、この日常を積み重ねていった先にその答えがある。

 昨日食べたラーメンよりも今日食べた苺大福の方が何倍も満腹になったという嘘でも言い訳でもない事実が、そのことを雄弁に物語っているように感じる。


 見上げた夜空の中心で、一際明るく周囲を照らす月の周りには、いつもより多くの星々が輝いている気がする。


 二カ月。通い慣れた帰路。

 けれど今日は不思議と世界の色が変わって見えた。



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