↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/158

苺大福の形

 玄関を出て、皇の姿を探す。

 流石にこれだけ待たせてしまったのだ。もうとっくに帰ってしまったかもしれない。

 一瞬そんな思考が頭をよぎるが、すぐにそれはないなと首を振る。

 もしこれが一ノ瀬であれば、もうすでに学校にはいないだろう。それどころか明日には俺がこの世にいないかもしれない。一ノ瀬でなくとも、俺だってこれだけ待たされれば嫌になってすぐに帰る。

 けれど、皇は違う。

 思い出す。ただ二人、たった二人の連絡先を入手できただけで涙を流して喜ぶその姿を。初めてできた友達に、感動のあまりその荒々しくも気高い生きざまで俺達ファンの心を奮い立たせたあの男と同じ死にざまを体現しそうになったその姿を。

 きっと皇は待っている。今日一日の付き合いだが、待っていてくれと言った友達を置いて帰るようなことを皇は絶対にしない。それだけは言い切れる。それどころか、もし俺が探さないでそのまま帰ったらいつまでもいつまでも、皇は俺を待ち続けることだろう。


「……やべえ」


 駆られる焦燥感に自然と俺の足取りは速くなる。


「すめらぎー、どこだ~。ごめんなー、待たせちまって」


 …………。

 返事はない。自分でも思ったよりも大きな声が出ていて驚いた。放課後とはいえ未だに周囲には人もいる。さっきまで走り回っていたかと思ったら突然大声でわめきだした俺を、彼らは怪訝な目で見てくる。中には笑っている奴までいる。……おのれ、モブ共め。

 とても恥ずかしいが、それよりも今は皇を見つけなければ。いくらなんでも友達になってその日に嫌われたくはないからな。

 俺はそんな周囲の視線も気にすることなくもう一度大声で皇を呼ぶ。


「お~い、皇~。帰ったのか~。お~い………キララちゃ~ん。どこだ~」

「……さん……やめ……つくも……」


 やはり返事はない。だが、それでも俺はやめない。ここでやめるわけにはいかない。


「キララちゃ~ん。どこだ~、キラキラネームのキララちゃ~ん。……キ~ラキ~ラ、キ~ラ~ラ~、キ~ラキ~ラ、キ~ラ――」


 バァンッ‼


「やめてくださいって言ってるじゃないですか~‼」


 突如。俺の腹部に学校カバンの鋭利な角が激突したのと、耳を劈くような大声が聞こえたのは同時だった。


「さっきからキラキラキラキラ……ッ、周りが見えていないんですか⁉  門の前で寒い中、周りの人たちに好奇の目を向けられて。それでも初めての友達との登下校だからって楽しみに待っていたら、玄関の方から私のことを呼ぶ大声が聞こえてくるじゃありませんか⁉ だからきっと、私を待たせてしまったことに焦っている九十九さんが必死で探してくれているんだろうなって。そう思って、私も少し、さっきまでからかわれ続けた分、おかえしで意地悪してやろうって思ったんです! こっそり隠れて九十九さんが走り回っている姿を見ていたんです! そしたら、だんだんその声が適当になってきて、嫌な予感がするなと思ったらやっぱりでした! こんな公衆の面前でキラキラキラキラ、……うう……ぐす…ううう」


 腹を押さえてうずくまる俺の傍で、顔を真っ赤にして早口でまくし立てる皇。言い終わる頃にはその目の端に大粒の涙を浮かべていた。

 そんな俺たちに、周囲の生徒たちはこれ以上ないほど好奇の目を向けてくる。きっと痴話げんかだとでも思われているのだろう。部活帰りの集団で駄弁(だべ)っている野球部の男子たちの怨念のこもった視線が辛い。


「わ、分かった。悪かったな、皇。ちょっと甘地先生と話してたら遅くなってしまって。急いできたんだけどお前の姿が見えなかったから慌ててたんだ。帰ってないことは分かってたんだけど、女の子が一人だから急いで見つけないとと思って。それで大声出してたんだよ」

「分かっています、分かっていますよ、そんなことは! 私が言っているのはそうじゃなくて……うう……」

「いや、キラキラ言ってたのは、……その方がお前に分かりやすいかと思ったんだよ。そう、決して途中から面倒くさくなってきたわけではない。うん。きっと、多分、Maybe」

「面倒くさくなってるじゃないですか! ううう、私はずっと言われた通り九十九さんを待っていたのに」

「うっ……分かったよ。悪かったよ、ほんと。アイス奢るから、な? 許してくれ。頼む」

「アイス⁉ ……しっ、仕方ありません。今回は特別にそれで許してあげます。……絶対ですよ? 私、二百円以上でないと認めませんよ?」

「ああ、任せておけ。友達なら放課後に寄り道して奢りあうことだってあるだろ? バーゲンナッツだろうがカリカリ君だろうがキラキラちゃんだろうが、なんだってこい!」

「エヘヘ~、私、家族以外の誰かに何かを奢ってもらうのなんて初めてです。ずっと待ち続けた甲斐がありました」


 先ほどまで涙で目を腫らしていた皇は、今は嬉しそうにニヤニヤしている。

 機嫌が直ったようで何よりだ。

 これ以上目立つのは避けたいので、俺たちは若干急ぎ足で門を出た。確か駅の中にコンビニがあったはずだ。

 何気に俺も家族以外に何かを奢るなんて初めてのことだな。俺は基本家から出ないし、出かけるのは大抵まなみの荷物持ちとしてだ。そしてその度にそれどこのキャバクラのお姉さんですか? ってくらい上手におねだりされ、言われるがまま金を出しているうちに気づけば俺のお財布事情は火の車。カチカチ山の狸さん並みに万年金欠だ。俺が狸なら差し詰めまなみはウサギさんと言ったところだろうか。うん、やはり可愛い。


 フフフ、ああそうさ。何を隠そう、令和のミツグ君とは俺のことだ!


 そんなことを考えて、ふと思う。

 ……そういえば俺の財布の中身って三百円だったな。



 *



 駅内に当たり前のようにあるコンビニエンスストア。

 ここ数年のコンビニの進歩にはお客様視点で目を見張るものがあるが、俺としてはコンビニスイーツが驚くほど美味しくなってくれたことが一番ありがたい。俺も好きだし、何よりうちの女神たちのご機嫌取りにはスイーツが一番だ。俺はいつ彼女らの逆鱗に触れても無事でいられるよう、いつもポケットに五百円玉と飴玉を常備している。財布の中身はいつも小銭しかないが、今までこのワンコインで数々の修羅場を乗り切ってきたのだ。

 そして今、俺の隣で、

「夢にまで見た友達との下校です……エヘヘ……しあわせ~」

 と、頭からヒヨコでも飛び出してくるんじゃないかってくらいぽわぽわとご機嫌な皇にもこの手は通じたようだ。


「さあ、何でも好きなものを一つ選べ。ちなみに俺のおすすめは苺大福だぞ。それだったら二つまで買ってやってもいい」

「……なぜアイスを買いに来て大福を勧めるんですか。確かに苺大福は美味しいですけど。……しかし二つというのは捨てがたいですね。量をとるかアイスをとるか。うう~~、どちらにしましょう。悩みます。すごく、すごく悩みます」


 言いながら、皇は真剣に考えている。その瞳にはもはや俺は映っておらず、ただ目の前のスイーツたちにのみに向けられていた。

 アイスや大福でそこまで真剣に悩まれると、もういっそのこと両方買ってあげたい気持ちになるが、残念ながら俺にそんな甲斐性はない。甲斐性もなければお金もないのだ。……ほんと俺なんも持ってないな。

 皇が悩めば悩むほど俺の財布の軽さが際立つようで、自分の不甲斐なさに軽く落ち込む。


「決めました! 九十九さん。やっぱり私は苺大福にします! アイスの気分でしたが、ここは質より量です! すみません、お待たせしました」

「そ、そうか。別にいいんだぞ? 無理に俺のおすすめにしなくても。これは皇への贖罪なんだからお前の好きなものじゃなきゃ意味がない」

「しょくざい? ……ああ、食材! いえ、私も苺大福好きなんです。アイスもいいですけど、今日は少し寒いですし。それになによりアイスは一つだけですけど苺大福は二つです。どうせお腹に入れば変わらないのですから、たくさん食べられた方がお得です!」


 しょくざい……。皇の成績がよく分かった気がする。というかお腹に入れば同じなんて元も子もないな。俺は昔それを家族で行った高級レストランで言って、厨房の方からいかついおっさんたちに睨まれたぞ。あの頃は俺もまだまだ若かった。


「まあそれならいいが。……じゃあ、会計してくるから先出ててくれ」

「はい、ではまた。ありがとうございます。九十九さん。」


 言って皇は俺に苺大福を二つ渡すと出口へと向かった。

 それにしても、まなみや母さん以外から「ありがとう」なんて言われたのは随分と久しぶりだ。



 *



「ほらこれ。苺大福とレモンティーだ」


 コンビニから出た俺たちは駅の隅のベンチに腰かけて、慌ただしく行きかう人々の往来を眺める。時刻はもうすぐ十九時。帰宅するサラリーマンや部活帰りの学生など、駅の中は喧騒に包まれている。


「ど、どうも。ありがとうございます。……あれ? レモンティー?」

「ああ、ついでだから飲み物も買っておいた。大福を食べたらのどが渇くからな。レモンティーで良かったか?」

「え、えと、はい、大丈夫です。すみません。ありがとうございます。……あ、待ってください。今お金出しますね」

「いや、別にいいぞ。それくらい」

「いえ、苺大福は奢ってもらう約束でしたけど、飲み物は違います。お金は大切です。いくらお友達でもそこまで甘えるわけにはいきません」

「で、でも、たかが百円ちょとだぞ? 別にそれくらい大したことじゃないって」

「いいえ、お金にルーズな人は必ず大切なものを失くします。それが友人同士ならばなおさらです。……と、ネットに書いてありました。私は友人は欲しいですが、利用しあうような関係はいりません。ですので約束は守りますし、一方的に甘えるようなことはしたくありません。大切な人とは常に対等でありたいんです」


 すごいな。やはりグルグル先生は何でも教えてくれるな。


「そう言われると困るが。……じゃあ、それもおまけだ。お詫びと、あと、今日は俺たちが初めて友達になった記念すべき日だからな。そのお祝いだ。それならいいだろ?」

「――っ! お、お祝い。……ふふ、分かりました。それなら仕方ありませんね。では次は私が何か奢ります。その時はお祝いなので、九十九さんも受け取ってくださいね?」


 言って皇は優しく微笑んだ。

 その言葉から察するに、また今日のようにどこかに寄り道して共に下校する日があるようだ。


「……ああ。もう十分すぎるだ」

「?」


 こぼした俺のつぶやきに皇が首を傾げるが、それに俺は何でもないと首を振った。


「ふふ。では、はい。これをどうぞ」

「ん?」


 袋から買ってきた苺大福を二つ取り出した皇は、スマホのカメラ機能でパシャリとそれを撮影した後、しばらく二つの大きさを確認し、比較的小さいサイズの方を俺に差し出す。


「どうしたんだ? 賞味期限でも切れてたか? 流石の俺も期限切れの食い物は遠慮したいんだが」

「ち、違います! そんなわけないじゃないですか‼ まったくもう!」

「それじゃあこれは何なんだ? 木下藤吉郎みたいに背中に入れて温めとけばいいのか? 残念だが九十九万才はお腹で温めるぞ。それで一度温めだしたら三十時間は取り出せない。明日になってもいいなら別にそれでもいいが」

「だから、違うって言ってるじゃないですか‼ というかキノシタフジキチ? 何を言っているのかもわかりませんよ! ……そうではなくて、せっかく二つあるのですから一つは九十九さんが食べてくださいって、そう言いたかったんです」

「ああ、そういうことか。あと、木下藤吉郎だ。豊臣秀吉の若い頃の名前だな。まあそれはどうでもいいんだけど。……いいのか? 俺にくれて。これは皇に買ったものだぞ?」

「ええ。九十九さんが私に買ってくださったのですから、私がこれを誰とどう食べようと自由ですよね? 私はあなたと一緒に食べたいんです。そのために二つの大福を選びましたから」


 なるほど。迷っていたのはそういうことだったのか。


「そうか。……悪いな。それじゃあ、ありがたくいただく」

「はい。わたし、友達に何かを奢ってもらうのも初めてですけど、友達と何かを一緒に食べるのも初めてです。今日は初めてのことばかりでとても楽しいですね!」


 言葉通り楽しそうな皇の声を聞きながら、俺は受け取った苺大福を開けて口に運ぶ。甘いもっちりとした触感と共に、つぶあんの嫌みの無いさっぱりとした甘味、苺の酸味とその果汁が続く。うん、やはり最高だ。

 しかし、何故だろう? 今日はいつもより断然甘く感じる。いつものはいつもので好きだが、今日のは特に美味いな。やはり夕食前で腹が減っているからだろうか。今度からなるべくお腹を空かせてから食べることにしよう。


「そうだな、俺も今日は初めてのことばかりだ。部活に入ったのも初めてだし、友達ができたのも初めて。連絡先を交換したのもそうだ。もちろん今のこの状況もな」

「ええ、そうでしょうね。九十九さんにこれまでそんな経験なんてあるわけないですし」

「おい、それはその通りだが人に言われると複雑な気分だな。まあいいけど」

「フフ、でも楽しいでしょう?」

「……まあな。一ノ瀬は相変わらず辛辣だし、皇は話せば話すほどアホの子なんだなって分かって辛いけど、今日はきっと俺の人生で一番楽しい日だ。ほんとありがとうな」

「誰がアホの子ですか誰が! それにお礼を言うのは私の方です。私も今日はこれまでの人生で一番と言ってもいいくらい楽しかったですよ。これまで友人どころか、人と話すことさえあまりありませんでしたから」


 言って皇は食べかけだった苺大福をその小さな口に放り込むと、俺がやったレモンティーで流し込む。そんな皇の言葉に、俺は一つ引っかかりを覚えた。


「そういえば、ずっと気になっていたんだが、なんでお前はそんなに友達がいないんだ? 一ノ瀬はともかく、皇は俺たちの中じゃちょっとアホなところ以外は全然常識人みたいだし、俺みたいに何をやらかしたってわけでもないんだろ? 高校でもだが、少なくとも小学校・中学校の頃は友達くらいいたんじゃないか?」

「っ……」


 途端、皇の表情が曇った。

 やべえ、地雷踏んじゃったかな? いくら友達になったからと言っても、所詮、皇とは知り合ってまだ数時間しか経っていない。お互いに相手の知らないことの方が多い仲だ。

 皇のその様子から察するに、あまり言いたいことではないのだろう。


「いや、言いたくないのなら別に無理にとは言わないが。ただ少し不思議に思っただけだ」

「い、いえ、特に言いたくないわけではないのですが、その……」


 そうは言ったものの、その表情はどうみても話すことを躊躇っている。どうして言いたくないのか気にはなるが、これ以上踏み込むのは悪い。


「まあ、そのうち気が向いたら話してくれ。どうせこれから長い付き合いになるんだからな」

「っ…はい。……そうですね、いつか話すかもしれません。これからも長いですし」


 そう言う皇の声は弱弱しく、苦し気だ。罪悪感でも抱かせてしまっただろうか。

 とりあえず、ここは話題を変えて場を和ませる作戦で行こう。


「そういえば皇、今日は一ノ瀬に一体何を相談していたんだ? プライベートだって言ってたが、お前と一ノ瀬って知り合いだったのか?」


 まあ、それはないだろうがな。どう見ても今日、皇が部室を訪れた時の彼女らの様子は初対面のそれだった。


「ええと、それは……」


 あれ? ……あ。皇の言いにくそうな様子を見て気づく。

 またやってしまった。相談内容を俺が知らないのは、皇が俺に聞かれるのを避けたからだ。


「わ、わるい、今のなしだ。ええと、それじゃあ別の話題、別の話題……」

「いえ、あの、そんなに気を遣っていただかなくて大丈夫ですよ? それほど重い話というわけではありませんので」

「そ、そうか? けど」

「はい。それに特に隠すようなことでもありませんし。今日、一ノ瀬さんに相談したのは、ある方のいる所を教えていただきたかったからです。とても大切な方なのですが、今はどこにいるのか分からなくて。それでその居場所を知っている一ノ瀬さんに今どこにいるのか教えてほしいという依頼をした、というわけです」

「ある方? なんだ皇。友達はいないのに恋人はいたのか? 甘地先生が知ったら嫉妬しそうだな」

「何故そこで甘地先生が出てくるのかはわかりませんが……。しかしそうですね。まあ、最愛の人と言う意味ではその表現も間違っていないかもしれませんね。もっとも、()()と言った方が近いかもしれませんが」

「――ッ」


 いつもと変わらぬ口調で言う彼女の目はここではないどこか遠くを見ているようで、その言葉の意味を推し量ることは俺にはとてもできない。

 ――しかし、今重要なのはそこではない。まさか、まさかあの皇が愛憎なんて言葉を知っていたとは。


「お、おまえ……、本当に皇か? 愛憎なんて言葉、アホの子のお前が知っているはずがない。はっ、さてはお前、皇のふりをした偽物だろう⁉」

「なっ⁉ し、失礼ですね! 私だってそれくらい知っていますよ‼ 何ですか。せっかく頑張って難しそうな言葉を使ってみたのに。少しくらいほめてくれたっていいじゃないですか!」


 ……フム、理解した。この反応は間違いなく皇だ。しかし愛憎ってそんなに難しい言葉か? 中学生くらいでも普通に使っているはずだが。

 まあ、皇だしな。俺はこれ以上考えるのを放棄した。


「悪かったな、皇。ああ、お前は間違いなく皇流星だ。うん。愛憎なんて難しい言葉よく知ってたな。偉いぞ。なでなでしてやろうか?」

「なでなではいりません‼ あと、何故か九十九さんから悪意を感じます」


 やはり同じ手は二度も通じないか。名前、連絡先と来たのでそろそろ行けるかと思ったが、生憎とまだ騙されなかったみたいだ。


「さっきはこの手で通じたのに成長したな皇。お父さんは嬉しいぞ」

「ではお父さん、もう一つ苺大福を食べたいのでお小遣いを下さい」


 たくましくなったものだ。あの純粋な皇をこの短時間で一体だれがこんな風にしてしまったのだろう? 永遠の謎(フェアリーテイル)だな。


「まあまた今度な。それにしても愛憎なんて。皇はヤンデレヒロインだったのか?」

「ええ、そうかもしれませんね。九十九さんも気を付けてください。私、浮気なんてされたらとても耐えられません。きっと次の日の新聞に載ることになりますので」


 その微笑みを見て、俺の背筋をゾッとするほどの寒気が襲った。この胸の高鳴りは以前、まなみと行った、遊園地で日本一怖いと言われるジェットコースターに乗った時以来だ。


「ふふ、冗談です」


 俺が震えていると、皇が楽しそうにそんなことを言う。けれどあの目を見てしまった俺としては、とてもじゃないがそれが冗談には聞こえないのだが。


「お前の将来の旦那さんは大変だな」

「フフフ、そういえば私が将来売れ残ったら九十九さんがもらってくれるんでしたよね? もしもの時はよろしくお願いしますね?」

「ハハハハハハハ」


 言葉は刃物。一度口に出した言葉は変えられない。コナン君はやっぱり正しかったな。

 冗談もほどほどにしなければそのうち取り返しがつかないことになりそうだ。


「けど、なんで一ノ瀬はそのお前の合いたい人とやらの居場所を知っているんだ? お前らって初対面だよな?」

「……一応クラスメイトなのですが。まあ、初対面と言えば初対面ですね。話をしたのは今日が初めてですし」

「だよな? でも、だったらなんでお前は一ノ瀬がそのある方とやらの居場所を知っているって知っているんだ?」

「ええとそれは……、すみません。やはり今は言えません。強いて言えるなら家庭の事情です」


 なるほど。これはなかなか彼女らにとって重要なことらしい。あまり人様の家庭に首を突っ込むわけにもいかない。言えないと言うのなら聞かない、触れない、関わらない。それが俺だ。


「そうか。まあ、それなら仕方ないよな」

「あ……あの、別にあなたが信用できないとかそういったことではないのですよ? そうではなくて、これは一ノ瀬さんのことも関係するので、今ここで私が勝手に口にするわけにはいかないんです。ですのでその、私があなたを信じていないとかそういうわけでは」

「あ、ああ、分かった。分かったから」


 心配そうに言う皇の目は不安そうだ。俺が拒絶されたと思わないか気を遣っているのだろう。

 だが、そんな心配はもちろんいらない。俺は拒絶されることには慣れ切っているし、皇がそんなことしないってことくらい分かっている。むしろこういう時に他人の個人情報まで気を配れるのは好印象だ。


「まあ、また今度、一ノ瀬がいるときにでも大丈夫そうなら教えてくれると嬉しい。別に嫌ならいいけどな」

「は、はい。その時はまたお話しするかもしれません」


 皇の表情には安心の色が見えた。


「それにしても、今日は本当に九十九さんと知り合えて良かったです。おかげでやっと一ノ瀬さんに相談しに行くことができました」

「ん? やっとってことはこれまでは行けなかったのか?」

「はい。何度か部室に足を運んだのですが、やはり一人だと緊張してしまい。いつもドアをノックする前にあきらめて帰っていました」

「まあ、確かに一人であの一ノ瀬に話しかけるのは結構勇気いるもんな」

「そうっ! そうなんですよっ! 教室で話しかけようとしてもいつも授業が終わればすぐにどこかへ行ってしまいますし、噂を頼りに先生に聞いた部活動でならと思ったのですが、それもだめで」

「ああ。だからお前、あんなに一ノ瀬のことや部のことに詳しかったのか」

「はい、二か月近く彼女を観察し続けましたから。……けれど今日まで結果は出ませんでした」

「それは、……なかなか大変だったな」


 いくら何でもそれはかかりすぎだと思うが。まあ、こいつらそろいもそろって重度のコミュ障だからな(棚上げ、ぼた餅、美味しいな)。それを考えれば納得か。


「はい。ですが今日、お昼休みに九十九さんに出会って、やっと彼女に話しかけることができました。なのであなたにはとても感謝しています」

「なるほどな、理解した。今日俺がお前に話しかけたのは全くの偶然……ではないが。教室の中で一番周りに人のいない奴に話しかけたらたまたまそれがお前だっただけだが、それでも友達の役に立てたなら良かったよ」

「なんだかとても複雑な気分ですね。まあ、いいですけど……」


 言葉通り複雑そうな表情をしている皇だが、友達だと言われてやはりどこか嬉しそうだ。

 ……友達と言っておけば何でもしそうだな、こいつ。変なメールが届いたら必ず俺に確認するようによく言って聞かせなければ。



 *



「さて、そろそろ帰らないと家の人が心配するだろ? 皇、お前の家はどっちだ?」


 時刻は既に十九時半を回っていた。女の子をあまり遅く返すわけにもいかない。


「私はここからちょうど一駅下ったところですね。そこからは十分ほど歩きます」

「そうか。なら俺も同じ電車だな。どうせ帰り道だから送っていくぞ?」

「いえ、もう遅いですし、あまり迷惑をかけるわけには……」

「皇。俺たちは友達だろ? 友達を送っていくのが迷惑なわけない」

「九十九さん……。で、では、よろしくお願いします」

「ああ、任せておけ。送り狼とは俺のことだ!」

「……やっぱり遠慮したいのですが」


 さっきまで嬉しそうにしていた皇だが、今は無表情だ。

 おかしいな? 送り狼って紳士的ってことじゃないのか?


 家の近所まで皇を送った俺は、そのまま帰路につく。

 今日は本当に長い一日だったな。これほど一日が長く感じたのは初めてだ。これまで俺がどれだけの時間を無為に過ごしてきたのかよく分かった。

 温かい時間というのは心に余裕を作るらしい。きっと昔の俺なら考えられなかったことだ。

 見上げた夜空の中心で、一際明るく周囲を照らす月の周りには、いつもより多くの星々が輝いているように見える。

 二カ月。通い慣れた帰路。

 けれど今日は、不思議と世界の色が変わって見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。