7/特別な人の、特別な言葉
初めて彼を見た時、悔しいことに私は見惚れてしまった。
その姿の凛としたことに、その言葉の優しいことに。そしてその力の、すさまじいことに。
『関東の……えーっと龍宮城? ってのはアンタか。ずいぶん危ないところだったみたいだな』
『あ……なた、は……いった、い?』
『名前なんざいいだろ、単なるラーメンファンだよ。さ、帰るぜ。アンタは光に置いていく』
悍ましい闇の住人に襲われ、あわや操ばかりか命さえ奪われる寸前だった、去年の秋頃。
助けに入った彼は、気の抜けた声とは裏腹の圧倒的な力を放ちながら現れ、あっという間にすべてを片付けていった。
そして裏社会の闇の奥底にまで沈んだ私を、いとも簡単に拾い掬い上げてみせて。
私を仲間の元に返したかと思ったら、自分だけはすぐにまた、闇の淵にまで潜っていったのだ。
言葉通り、私を。
関東退魔会最強であるこの竜宮院みつきを、まるで雛鳥を助けるように光に置いていったのだ──
「…………岩戸、竜馬」
「みつきお嬢様、またあの者のことですか。もう何度もスカウトしてやっているのに、まるで無礼な反応しかしない輩の名前など」
去年の夏、裏社会の平定のため関東からやってきてすっかり住み慣れた竜宮院の別宅のリビングにて。
ソファにしなだれがかって静かに彼の名をつぶやく私を、従者の眞田が眉をひそめて窘めた。
今日も、彼を誘いに学校帰りに土手まで行った。仕事に誘う名目で、できれば関東退魔会にスカウトしてそのまま私のパートナーになってほしかった。
もう、何度目にもなるだろう? 何回だって同じような声かけをしているけれど、彼は一度だって首を縦に振ることはない。
それが、私はともかく眞田はじめ他の従者や関東退魔会の一部の愚者達には気に入らないようだった。
ことあるごとに陰で彼に突っかかり、その度にあしらわれたり場合によっては──彼の周囲の人物に手を出すようなら──叩きのめされたりもしている。
浅はかなことだ。その後に私や他の幹部達からの粛清すら待ち受けていると言うのに、いやそもそもあの岩戸竜馬に勝てるわけがないのに。
見境なく気に入らないだけで暴れ回って、ものの見事に再起不能にまでされているのだから。眞田に、念のためそのあたり釘を差しておく。
「眞田……」
「はっ」
「これも何回目になるかしら。岩戸竜馬を軽んずるはすなわち、彼に命を救われた私を軽んずるも同じよ。そこで聞きたいのだけれど、あなたは一体どこの誰の従者?」
「……関東退魔会所属陰陽師第一位、誉れ高き竜宮院家の姫君、みつき様の従者にてございます」
「分かっているじゃない。で、あなたは私を軽んじたわけだけど」
「そのようなつもりはございません、決して。ただ、お嬢様にはあのような輩よりずっとふさわしい方がいると忠言しているばかりでございます」
ああ言えばこう言う。無表情のなかにも納得いかなさそうな不満げな様子を覗かせる眞田に、私は目を細めた。
こいつはそれなりに長く側仕えしてくれていたけど、こんな調子ならばもう潮時だろう。飼い主に逆らう犬ならいらない。
しかもずいぶん面白いことを言うわね、私にふさわしい者がいる?
現状そんなの、それこそ岩戸竜馬以外にいないでしょうに。こいつ私が彼に救われたのを知っておきながら、一体何を言い出すのやら。
「……たとえば?」
「同じ関東退魔会のなかだけでも、竜宮院家に匹敵する名家である浦島院家筆頭呪術師、浦島院丸太郎様ですとか。同じく名家の坂田山家の若、坂田山金助氏もおられます。また、山陰陽道におかれては吉備津家の当主、吉備津桃百様など」
「浦島院はシンプルに実力が足りない。坂田山は品性に欠けるわね。吉備津家の当主に至っては50過ぎのオジサマじゃないの、殺すわよ?」
「しかしながら、家の格というものを考えますれば!」
「今もうそんな御時世じゃないわよ、特に裏社会なんて。結局力がすべてのなんでもござれで成り上がる界隈なのだから、そういう意味で言うなら岩戸竜馬以上にふさわしい者はいないわ。なんなら私一人じゃ賄えないくらいまであるわ」
「っ」
「盆暗。いいかげん気づきなさい、岩戸竜馬には関東退魔会の誰をも束にしたとて及ばぬほどの力があるのよ」
それこそ、私を呑み込んでいた闇さえ切り裂き。光に返して自らはまた、闇の奥底に乗り込んでいけてしまうほどの。
……ここまで懇切丁寧に説明してあげたと言うのに、眞田はまるで理解しない。理解しようとしない。
はあ、と一息吐く。
私はそして、力を行使した。
「もう良いわ、眞田。今までご苦労さま」
「!? お、お嬢様────」
「急々如律令、《汝、疾く本家に戻るべし》。あなたの代わりなどいくらでもいるのに、舐めた真似ばかりするなら要らないに決まってるじゃない」
私の言葉は絶対命令。力を込めた言霊に逆らえる者は、少なくとも只人にはいない。
ゆえに眞田はすべての口を噤み、意識を失いただ呆けたように部屋を出ていった。ここから関東の竜宮院本家まで、可能な限りの手段をもって速やかに帰されたのだ。
すぐに次の従者を手配する。眞田の次は寺内。こいつもそれなりに長い、眞田みたいに下らない口を叩かなければいいのだけれど。
ため息を吐きながら、また彼の名を呼ぶ。岩戸竜馬。今はそれだけのことで、ざわめく心が鎮まる心地がしていた。




