17/その優しさと甘さが、私を闇から引き上げた
やってしまった。一番避けるべき、そして一番恐れるべき事態をよりによってこの私が、竜宮院みつきが引き起こしてしまった。
眼前で静かに、しかし猛烈な怒りを浮かべた視線を向けてくる岩戸竜馬に、私は取り返しのつかなくなる予感と危機感を強烈に覚えて、慌てて喉を引きつらせながら謝罪の言葉を発した。
「ぁ……す、すみません! 無礼が過ぎました。たしかに私に彼らを、とやかく言う権利はありませんでしたわ!」
「別にどっちの味方でも敵でもねえんだけどな、あんまり土足で踏み込んで一方的なこと言うもんじゃねえよ──おう、邪魔して悪かったなカルテット。俺らは帰るからあとは頑張れ無理すんなよ」
「な、あ」
「行くぜ、関東の。ちょっと腹割って話そうや」
普段の私を知る、たとえば従者や関東退魔会の者達が見たらあるいは卒倒しただろう。この私が、関東最強の術者たる竜宮院みつきが遮二無二許しを請うて頭を下げ、懺悔の言葉を吐いているのだから。
けれど私自身はそこに、屈辱や憎悪を欠片とて抱きはしない……あるのはたった一つ、恐怖のみ。
この、目の前の異次元の魔人の不興を買い。
あまつさえ私のことをもはや近くにいることさえ煩わしいと思われてしまうことへの恐怖。それだけなのだ。
呆気に取られる四人組を尻目に去っていく、岩戸くんに呼ばれて後ろを付いて歩く。こんなふうに、この人の後ろ三歩を付いて歩きたいと思っていたけど、こんな気持ちでは喜びなどどこにもない。
校舎を出、西クォーツ高校の敷地を出るまでひたすらに無言。
そうして帰路の土手にまで来たあたりで、彼は不意に立ち止まり、こちらを振り向いた。
「まあ、なんだ。アンタの言うことも芯のところは間違っちゃいねえんだろうよ。あの四人が首突っ込むにゃ、さすがに俺等の領域の案件ではあるからなあ」
「…………岩戸くん」
「だがよ、アンタがあそこで言って良い筋合いでもないと思ったから俺は止めた。それだけだ。おたくにもおたくの筋合いがあるのは承知の上だが、一応は俺のテリトリーとやらなんだろ。だからだよ」
「そ、その……ごめんなさい、軽率でした。私から言った話ですのに、私が誰より先にそれを破ってしまって。返す言葉もありません」
予想のなかでも最悪を想定していた、それよりははるかに救いのある温かな声色。見れば、岩戸くんもどこか気まずそうに鼻をかいてそっぽを向いていた。
そして語られる、彼の心情。たしかにあの場面、私がわざわざあの四人をああまで痛罵して良い道理はなかった。彼らも彼らなりの事情があったのだし、何より西クォーツ高校は岩戸くんのテリトリー。私は外部協力の外様なのだと、他ならぬ私自身が言っていたのに。
それを、瞬間的な苛立ちで忘れてしまった。あまつさえ裏社会で生きるにあたって一番大切な、冷静さを欠いて何も知らない生意気なだけの子供らを詰ってしまった。
……テリトリーの主であるはずの岩戸くんに無許可でだ。そう定義づけておいて、何をしているのか私は。今さらながら羞恥と情けなさで涙が出そうになる。
けれどそれだけは竜宮院の誇りにかけてぐっと堪えて、私は次いで、岩戸くんに問いかけた。
「あの。その、私に、関東に帰れというのは」
「この話し合いでまだ納得いかねえんなら仕方ねえし帰ってくれって程度の話だよ。そうでなくともおたくはホントは関東さんお抱えなんだからそら、関東に戻るのが筋だろ。いつまでも呑気に関西を物見遊山なんてしてるから変なもん見るんだと思うぜ、俺は」
「そうなの、ね。だけど……関東退魔会の正式な許可を得て私はこの地に滞在しているの。他ならぬあなたに、業務上のことでもプライベートでのことでもお近づきになりたいと、思ってる」
「そこがもうおかしいんだよなあ、もう……山陰陽といい、見る目養ったほうが良いんちゃいますかったら、ったく」
よかった。私はギリギリのところでラインを越えることは避けられたみたいだ。危うく、これ以上彼の機嫌を損ねるべきではないと泣く泣く関東に一旦帰らなくてはならないところだった。
やはり彼は優しい、むしろ甘いまである。あの日、大した縁のない私のために深淵にまで迎えに来てくれた時のように、岩戸竜馬という人は目の前の誰かを見捨てられないのだ。
ぼやきながらまた、歩き出す彼の背を追う形で歩きながら、考える。今しがた、彼は山陰陽の名を出した。
予想通り、山陰陽道の者達も彼に接触しているのか。それも私同様、彼を自陣に引き入れるべく距離を詰めているみたいだ。
危なかった……これで私だけ関東に戻っていたら、その隙に山陰陽の連中は彼のスカウトに全力を出すだろうことは想像に容易い。
「はあ、ラーメンでも食いに行きてえけどリリィが待ってるかあ。直帰だなこりゃ」
「リリィ……会椿さんね。いつもお夕飯は、彼女が?」
「負担かけるから別にいらんつってんだけどな。そいでも正直ありがたいのはたしかだし、まあなんやかや世話になっちまってるよ」
「なる、ほど」
複数勢力による、岩戸竜馬を巡る暗躍など意にも介さず。
当人は呑気に空腹を訴え、しかし帰れば幼馴染の会椿さんの料理が待つと気怠く話している。
あまりに日常、平常的な彼の姿。それもまた絶対強者の特権なのだろうと、私は歩きながらも彼の背と、その先にある夕陽を眺めていた。




