第九章、風刺の刃と、左手の逆襲 「言葉で、絵で、この閉塞感をぶち殺す。それだけだろ」
二〇二〇年。世界的な大不況が画面の外の実社会を覆い尽くすなか、ネットのタイムラインは、社会の不条理を鋭く切り取る短い風刺詩の連載という社会現象で埋め尽くされていた。この大衆の鬱屈としたエネルギーの波に乗り、北尾政演が放った痛烈な風刺イラスト集のデータは、人々の心を完全に掌握し、空前のダウンロード数を記録する。表現の飢餓は、時に不屈の執念を生む。
大手制作サークルを束ねるチーフ、勝川春好が、突然の病によって絵師の命である右手の自由を失ったとき、周囲は彼の表現者としての終わりを囁いた。しかし、春好は不敵に笑い、左手だけでプロ用のペンタブレットを握る血の滲むような訓練を開始する。彼は志を同じくする若き門弟、勝川春英と共に、キャラクターの顔面だけを画面いっぱいに超クローズアップで描く、かつてない強烈な構図を開発した。
「五体満足じゃなきゃ描けねえなんてよ、誰が決めたんだ?」
この四角い画面から飛び出すような顔面の視覚的暴力は、表現の去勢に退屈していたネット民の脳髄を一瞬でシビれさせた。
同時期、喜多川歌麿が放った、息を呑むほどに美しいフルカラーイラストの三部作データがネット上を震撼させる。光と色彩を魔術師のように操るその圧倒的な絵は、歌麿の不動の出世作となり、彼はデジタルアート界における「美」の絶対的な支配者へと名乗りを上げた。
新世代の暴走を液晶画面の向こうで横目に、かつて一世を風靡した重鎮、勝川春章は、すでにデジタルツールを一切捨てていた。生身の筆跡だけをキャンバスに叩きつける数千万円の高額なアナログ肉筆画を闇の富裕層向けに発表し、実社会の富を独占する静かな隠居生活を送っていた。




