第51話【夕焼けに向かって】
第51話【夕焼けに向かって】
7月
大病院のVIPルーム。
定期的に鳴る機械音。
視界が白く霞む。
ぼんやりと次第にはっきり。
「・・・さま」
鈍い音がする。
「お嬢様」
この声は。
「・・・じい?」
自分の声だ。懐かしい。
「晴夏お嬢様、おかえりなさいませ」
じいはいつも通りの完璧な姿勢で頭を下げた。
だが、その声は微かに震え、ハンカチを握る指先が白くなっている。
「よくぞご無事で」
じいは涙ぐんでいた。
重い腕を上げる。
自分の手だ。ヒレじゃない。自分の身体だ。
「・・・元に戻ったのね、私」
「ペンギンの死亡が確認されました。お嬢様も一時、心拍停止になりましたが、
突然、急速にバイタルが安定しました」
私は、窓の外を流れる雲をぼんやりと眺めた。
1年前、屋敷の地下でペンギンと目が合った瞬間の絶望。
「慈愛を持て」という理不尽な呪い。
なりふり構わず必死に“生”にしがみつこうと、もがいた日々。
あのペンギンは合格をくれた。
「ねえ、じい」
「はい」
起き上がろうとして、眩暈がする。
自分の身体なのに動かせることが、なんだか新鮮だった。
それよりも。
「あいつ、冬太は?」
「憔悴しています」
「泣いてた?」
「お嬢様のご指示どおり、お手紙をお渡しした際も泣き崩れていましたよ」
胸の奥がチクリと痛む。
「私は死ぬと思っていたもの」
「すぐに神奈月様にご連絡いたしますか?」
晴夏はベッドから降りて立ち上がる。
立ち上がれた。
しかし。
一歩一歩が疲れる。
「・・・まだ、会えないわ」
唇を噛みしめる。
「ダメよ、こんな弱ってる私じゃ!」
「お嬢様」
「こんな弱々しい姿で会うなんて、私のプライドが許さない」
ふと岬や“ポエム”(白瀬みどり)を思い出す。
はやる気持ちを抑え込む。
「再会は最高の私じゃないとダメ。徹底的に準備するわ!」
少し咳き込む。
「急いで最高のパーソナルトレーナーを連れてきなさい」
私は握力のない手で、拳を握りしめた。
その瞳には。
1年前の「退屈なお嬢様」の面影はない。
他人の本気の重い感情を浴びた。
動物のために心をすり減らす冬太と過ごした。
それは。
いつしか共に生きたいと願った「マサオ」の魂そのもの。
「じい、学校にも連絡して手配。あいつの隣の席を確保」
「かしこまりました」
「忙しくなるわ!」
晴夏は夕焼けに向かって、フンっと胸を張って立っていた。
その色で、少しだけ頬が赤く染まっていた。




