1.
茜色に染まる夕暮れの草原に、忠は一人取り残されていた。
周囲を見回して他者を求めても、ざあざあと風が吹き抜けるだけ。
慣れ親しんだはずの孤独は、今となっては耐え難い苦痛をもたらす。
ふと、過去を思い出した。
祖父が亡くなって、独り部屋の中に閉じこもっていたことを。
人間の死を目の当たりにして、何が起こったのか分からなかった。
ただ、取り残されたという事実が悲しくて、ずっと泣いていた。
明憲が手を引いて、外へ連れ出してくれなければ、いつまでもそうしていただろう。
あれから十二年。忠は間違いなく変わった。
博孝という目標を見付け、がむしゃらに前へ進んで来た。
そして、仮想の世界で戦い続けて、今に至る。
(ここは、<クロスガイア>なのか?)
現実感のない情景に疑問を抱く。
忠が立っている草原は、初めて見るエリアだ。第一、自分がどうやってこの場所に辿り着いたのか、全く覚えていない。
忠の操るシウスは、央都の<図書館>で攻略情報を纏めていたはずなのである。それが何故、未開のエリアに飛ばされなければならないのか。
「システムウィンドウ……開かない?」
忠は音声認識でメニュー画面を呼び出そうとするも、禁止エリアなのか失敗した。転移が使えない以上、拠点には徒歩で戻ることになる。
「どれだけ時間がかかるのやら」と嘆息して、ブレードを手に――
「って、出ない!?」
思考操作の不発に、今度こそ驚いた。
これでは、武器もアイテムもなしに移動することになる。
一応、体術の心得はあるが、忠の本領は剣術だ。丸腰など御免である。
(本格的に不味いな。死に戻りに賭けるか?)
拠点への帰還が難しくなり、半ば諦めかけた、その時。
草原の彼方に、小さな人影を見た。
敵か味方か判別がつかないため、忠は慎重に接近することを選ぶ。
自生する草を踏みしめて、ゆっくりと前へ。茜色の世界で、影は姿形を露わとした。
――それは、幼少期の忠に、とても良く似ていた。
短い黒髪に無表情。双眸だけが奇妙なまでに鋭い。
服装は、忠の好きな紺色を基調とした涼しげなものだった。
「……俺と話したがっていたのは、お前か」
かつての自分を真似たアバターを認め、忠は現状を理解した。
眼前の少年――黒幕に意識のみを召喚されたのだろう、と。
「――――」
少年の口元が動き、何事かを訴えている。
しかし、忠には彼が言っていることが一つも分からない。
(こうして接触できた以上、脳波は近づいているはずだが……俺の成長が足りないんだろうな)
以前より、忠と黒幕は夢という形で意識を交錯させて来た。
忠が攻略を進めて、成長を遂げた結果、対面が可能となったようだが、対話が可能となるまでには至っていないらしい。
「俺達が言葉を交わせるようになった時が、デスゲームの終わりか」
「――――?」
少年も、忠の言っていることが分からないのか首をひねる。
(メールは日本語で送って来るのに……もどかしい)
忠は苦笑いを浮かべて天を仰いだ。茜色の雲が風を受けて、静かに形を変えていく。
自分と少年の境遇は似ているため、他人事とは思えなかった。
生まれた世界が現実か、仮想か。ただ、それだけの違い。
しかし、その違いこそが致命的だった。
(こいつは自分が何をやらかしたのか分かってない。無邪気さ故の残酷さって奴か)
おそらく、少年は孤独が嫌でプレイヤーをサーバに閉じ込めたのだ。
デスゲームの通知は状況を分かりやすく説明するための手段、あるいは単なるサプライズでしかない。
復活の解禁も、遅かれ早かれ為されていたことだろう。少年は共に在るプレイヤーへの気遣いを欠かさないのだから。
(……誤解もここまで来ると清々しいな。人間への理解が足りていれば、こんな事件を起こすこともなかっただろうに)
忠は内心で嘆息しつつ、少年の姿をした黒幕へ視線を戻した。
彼とプレイヤーの架け橋になり、互いの齟齬を埋める。
そして、デスゲームの抑止手段を実行すれば、万事解決である。
現実において、死人が出ている可能性を考えると、ハッピーエンドとは言えないが、仲間達は無事に帰還できる。忠としては最良の未来だ。
――例え、そこに自分がいないとしても。
「意識をシウスに戻してくれ。今の俺じゃ、お前と話せない」
「――――」
少年は、忠の要望は理解できずとも、埒が明かない現状は理解した。
小さな体躯が、あっという間に草原の向こうへ遠ざかっていく。
刹那、忠の視界は茜色から暗色へと変遷した。
一度、瞼を伏せて、時が過ぎるのを待てば、次の瞬間には――
◆
眼前の空間投影ディスプレイに、自作のマップが映っていた。
シウスは内心で驚きつつ、視線のみを動かして密かに周囲を窺う。
林立する本棚。カウンターには、眼鏡をかけた知的な風貌のNPC。
自分が座っているのは読書エリアの一席で、テーブルの上には紙媒体の資料が乱雑に置かれている。
周囲にはシウスと同じような作業をしているプレイヤーが散見した。
攻略ギルドのメンバーだろうか、と当たりを付けて席に座り直す。
(……無事に戻って来たみたいだな。気絶でもしていたら大事だったが)
騒ぎにならなかったことに安堵して、ディスプレイを切り替える。
メニュー画面で日時を確認すると、6月28日の午後3時過ぎだった。
(時間は経過していない。アバターも正常、と)
確認を終えて、メニュー画面を消す。
黒幕に意識を召喚されていたのは、ほんの一瞬だったらしい。
だが、極めて重要な一瞬であったことは間違いない。黒幕の正体と彼がデスゲームを開催した動機が確定されたのだ。
(あとは俺の成長だけだ。必ず終わらせてやる)
彼の孤独を厭う気持ちがこの事件を引き起こしたのならば、シウスにはそれを取り払う手段がある。
彼の意識をEEGRを経由して『碓氷忠の脳』に移動させればいいのだ。
互いの脳波――特定パターンの電気信号――が近付いている現状では、無理難題というわけでもない。肉体との脳波通信さえ回復すれば、黒幕と入れ替わるのは容易だろう。
シウスは意識をサーバから外部ネットワークへ移動させ、デスゲームを抑止するプログラムとなればいい。自我が残るかどうか分からないため、バックアップを取っておく必要はあるが。
(今後の方針はこれで決まりっと。さっさと攻略を進めないとな)
先の見通しが立ち、明るい気分で手元の資料に目を落とす。
それは、素材アイテムの採取ポイントに関する最新情報を纏めたもの。
エリアの拡張と同時に敵の強さは増している。装備の強化は急務だ。
そのためには、良質な素材アイテムを集めなければならない。
資料が正しければ、大陸西方面の<アグラヴェイン大砂漠>・地下迷宮でレアな素材が発見されたようである。可能であれば、すぐにでも採取に赴きたいところだ。
しかし、そうは問屋が卸さない。
大陸西方面は<強硬派>の最大手ギルド<オラトリオ・アライアンス>が幅を利かせており、<穏健派>は足を運びづらいのである。
かのギルドの前身は、運営の設立した偽者の<ギガントマキア>であり、大多数のメンバーが運営を毛嫌いしている。
騙されただけに止まらず、エリアボスのデータを調査しても事態を打開する目処が立たなかったのだから、当たり前だ。
(そういえば、なんでイタリア語と英語が混ざってるんだ?)
<オラトリオ・アライアンス>、略してOTLにしたかったからだろうか、などと阿呆らしいことを考え、即座に却下。強引に思考の方向性を元に戻す。
現状、<穏健派>が大っぴらに西方面へ赴くことははばかられる。
先のPK騒動のように少人数を派遣して、波風を立てないように採取を行うのがベストだろう。
シウスはわりかし顔が売れているため、潜入に向いていない。
見目麗しいノイエやゼフィラは、絶対に無理である。フリードとハルは戦闘能力に不安が残る。
(……俺達の出番はなさそうだな。ヤマセさんあたりに人選を任せて前線に戻ろう)
シウスは資料を掻き集め、インベントリに放り込んで席を立った。
カウンター越しに司書へ会釈をすると、恭しい一礼が応じる。
NPCに見送られて<図書館>を出たシウスは、ヤマセかエーギルの在室を願ってギルドルームへ向かった。
――予定が大幅に狂うことなど、欠片も想像せずに。




