1.
西暦2105年6月25日、午前10時00分。
デスゲームの開始より、はや三か月が経過した。プレイヤーは仮想空間での生活に慣れ始め、光陰矢の如く、ただ時間だけが過ぎ去っていく。
しかし、二か月前を境に、<クロスガイア>の情勢は多大な変貌を遂げていた。とあるプレイヤー集団が運営チームを発見し、運営とデスゲームは無関係だと、大陸全土に公表させたためだ。
プレイヤーの反応は、三つに大別される。
運営の証言が信用できない。あるいは、溜まったフラストレーションを発散するため、声高に運営の排斥を唱える<強硬派>。
運営が事実を隠匿したのは仕方がない。あるいは、脱出のために運営の助力は必要なので、ここは割り切ろうという<穏健派>。
何が起こっているのか理解できない。あるいは、情報をじっくりと吟味した後、己の立ち位置を決定するつもりの<中立派>。
現在は<穏健派>の最大手ギルド<アルゴノーツ>が、運営を保護・監視下に置くことで、<強硬派>から守ると同時に再度の暴走を抑止している。
<クロスガイア>のパワーバランスは、三つの勢力による微妙な均衡の上に成り立っていた。
◆
「ここまでは、軍師の思惑通りといったところかの」
鴉を連想させる黒い衣装の少女は、窓の傍に立ち、外を眺める。
はめ込まれた厚いガラスに人差し指を這わせれば、ひやりとした感触が返って来た。
宿屋の歓談スペースに備え付けられた暖炉の薪は、ぱちぱちと火の粉を上げる。窓の外では、初夏にもかかわらず、粉雪が舞っていた。
<央都アウレリア>の遥か北。大森林を、大社を越えた、さらに先。
<霜花都市ガラティア>は、寒冷な気候と風土の中、脱出を目指す多くのプレイヤーを暖かく抱擁していた。
「ほぼプラン通りですね。二人が咄嗟に同調してくれたんで、スムーズに事が運びました。ありがとうございます」
紺碧のサマーコートに身を包んだ青年は、ソファーに腰かけた状態で、深々と頭を下げる。
対面側の席に座る白い衣装の少女は、ため息を一つ吐いて、非難の声を漏らした。
「意図的に対立構図を作るつもりならば、先にそう仰って下さい」
二か月前、青年が運営チームのトップに弄した策は、仮初の世界の有り様を一変させた。彼はそれほどの策に、仲間をアドリブで同調させたのである。
「どういうことだ?」
普段とはうって変わって厚着をした、赤毛の青年が首をひねる。
当時、央都で待機していたため、事情が上手く呑み込めないのだ。
隣の席に目をやって訊けば、答えはあっさり提示された。
「要するに、<クロスガイア>は停滞してたんだよ。自分は全然関係ない、きっと誰かが攻略してくれる……そんな甘えが充満してたのさ」
<堕剣士>シウスは、二か月前の央都を回顧する。
拠点復活が解禁され、緊張感を失ったプレイヤーの群れ。いっそ、復活が廃止されたままの方が良かったのではないか、と憤ったものだ。
(恐怖政治っていう手段が取り難くなったからな)
路傍の石に例えられる存在を、いちいち精神崩壊させて殺すなど、手間と時間がかかりすぎる。首を飛ばした方がずっと早い。
シウスが恐ろしい思考に浸っていると、後方から靴音が近づいて来た。
彼の鋭敏な触覚と聴覚は、その持ち主を容易に教えてくれる。
首だけで振り向くと、紫のリボンで束ねられた黒髪が目に入る。
表情に乏しい<錬金術師>は、小さな唇で言葉を紡いだ。
「だから、刺激を与えた?」
「ええ。自分で考え、行動を起こさなければ、置いて行かれる。そういう危機感を持たないことには、大半の日本人は腰を上げないでしょう?」
「めんどくさい国民性……」
ハルの愚痴に頷いて、テーブル上のカップに手を伸ばす。
口を付けると、熱いコーヒーが喉を通過し、体を温めてくれた。
間違った前提から正しい結論を導くのは、基本的に不可能だ。シウスは事実を公にして、プレイヤーに選択の機会を与えたのである。
結果、多くのプレイヤーが行動を始めたが、そうならなかった場合は、手間を惜しまず、無気力な者を殺害して回るつもりだった。
阿鼻叫喚の地獄絵図は、紙一重で回避されたのだ。
シウスは<穏健派>最大手と目される千人規模のギルド<アルゴノーツ>の一員として行動を始めている。ANとも呼ばれるこのギルドのマスターは、調整能力に秀でた<忍者>ヤマセ。サブマスターは、上級職<守護者>に転職した、皆の兄貴分・エーギルである。
「なあ、お前がギルマスになった方が良かったんじゃねーか?」
<鍛冶師>フリードは、シウスがギルドマスターの座に拘らなかったのが不思議でならなかった。ギルド設立を提案したのは彼なのに、一般のメンバーに混じって行動する意図が分からない。
シウスは隣の友人に苦笑いしつつ、カップをかちゃりと置く。
「確かに権力の大きさは魅力的だが、その分、責任も大きい。役職なしの場合、権力は皆無だが身動きは取り易い。まあ、一長一短だな」
シウスの目的は、プレイヤー間で正しい情報を共有することで、権力を得ることではなかった。
権力を得た場合、クリス達が要らぬ懸念を抱くのでは、というある種の心遣いもあった。シウスとしては、攻略を志す者が増えればそれでいい。
「されど、真の黒幕とやらが見つかる保証はあるのか? 我らは、何一つ手がかりを見出せておらぬのだぞ」
「それは、今後の探索に期待ということで」
上級職<星詠師>に転職したゼフィラの問いに、曖昧な笑みを返す。
黒幕の正体に目星は付いているが、仲間には知らせていない。
奇天烈な憶測である上、正鵠を射ているならば、デスゲームの打開と共にシウスは現実へ回帰できなくなるからである。
アバターの感覚異常さえ根本的な解決には至っていないのに、シウスが命を捨てるつもりだと判明すれば、またノイエを泣かせてしまう。
ハルには口止めをしたが、詰問されて白状してしまう可能性は残る。
プレイヤーの肉体面を考慮しても、攻略は急いだ方がいい。
(攻略を進めていけば、あいつと接触できるはずだ。多分、俺とあいつの脳波は限りなく近付いている。意識を乗っ取ってデスゲームをやめさせることも……)
取らぬ狸の皮算用に、周囲に悟られぬよう内心で嘆息する。
シウスの目論見は狂気の沙汰だ。他人の意識に入り込んで、自分の目的を果たそうというのだから。
それはEEGR――エレクトロエンス・ホログラム・リーダーが開発された経緯と重なるものがある。
22世紀の今となってはVR機器として馴染み深いEEGRだが、そのベースは軍事目的で開発された脳波変換機である。
自分の脳波を他人のそれに変換し、脳内に送信することで、他人に成り代わる。そんなスパイアクション染みた発想は、完全に失敗したが、培われた技術を娯楽に転用したのが、西暦2083年にリリースされた、世界初のVRMMO<パラレルワールド・オンライン>なのである。
EEGRの違法改造など、多くの問題を引き起こしたタイトルだが、既存のMMOの概念を打ち破った功績は、誰もが認めるだろう。
VRMMO<クロスガイア>とて、その延長線上にあるのだから。
――そこまで考えたところで、ある可能性に辿り着く。
(それなら、CGのデスゲームを終わらせても、第二、第三のデスゲームが起こるかもしれないってことか!?)
あまりにも気付くのが遅すぎた。VRMMOのタイトルが乱発される時代にあって、デスゲームがこれで最後になるだろうか。
今回の事件は偶発的な事態だが、デスゲームが科学的に可能だと実証してしまった。
つまり、デスゲームがサイバーテロの手段として確立される未来さえ、生み出してしまったことになる。
シウスは、この事件で日本製のVR機器・オンラインゲームに風評被害が発生することは承知していた。如何に内需主導とはいえ、当然、経済にも少なからぬ悪影響が出るだろう。
だが、政治的・軍事的な面での考察は、すっかり忘れていたのだ。
現実へ戻った仲間達が安全に暮らせなければ、デスゲームを終わらせる意義が薄れてしまう。
(デスゲームを抑止する手段が必要だな。今後、EEGRは改良されるはずだが……)
今回の事件を受けて、VR機器の安全性は議論されるだろう。
同時に、生還者の証言に基づいた法整備にも期待していい。
シウスには、特異な成長を続ける自我という切り札がある。それを活用した長期的な戦略を立てておくのが、今後の課題だ。
「……シウスさん、どうかしましたか?」
難しい顔で考え込み始めたシウスに、上級職<狙撃手>に転職を果たしたノイエが心配そうに声をかける。
「何でもない」と安心させるように返事をして、シウスは再びカップを手に取るのだった。




