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交錯のクロスガイア  作者: 青島喜一
八章「天壌の約束」
42/49

6.

 獲物を目前にして奪われた狼は、怒りの形相でシウスの背中を襲う。

 瞬時に紺碧のサマーコートがひるがえり、両足首の魔力が肥大化。悪魔じみた双翼が、怪物の勢いを相殺すべく交差した。


 ――分厚い岩盤が粉々に打ち砕かれるような衝撃音。


 しかし、シウスは文字通り動じない。背後を振り向くこともせず、足元より伸びる羽根だけで、敵の攻撃をあっさり防御していた。

 その事実に自尊心を傷つけられたのか、怪物はさらに片目を血走らせる。



「グオオォォォ――!」


「……やかましい。少し黙ってろ」



 大音量の咆哮は、ひどく耳障りだった。感情を含まぬ低い声での呟きに刃のような鋭さが見え隠れする。

 巨体との戦いは、<アーマード・ヒュドラ>で経験済みだ。如何な異形が相手でも、恐怖を覚えることはない。


 シウスは抱きかかえたままの白い少女を、そっと地に下ろした。

 エリアボスよりも、ノイエの容態の方が心配なのである。



「傷の具合は?」


「大丈夫です。現実ならば、弓を引けなくなるところでしたが……」



 ノイエは苦笑いをしつつ、思考操作でHPポットを使用する。

 仮想空間なので当然だが、痛みもなく、右肩の穴はすぐに塞がった。


 とはいえ、エリアボスが目と鼻の先にいるというのに、まるで無関心な青年には呆れてしまう。空を飛んで現れたことといい、人間離れした抜刀術といい、相変わらず型破りなことばかりする。


 これだけ絶好調ならば、アバターの問題は解決したはずだ。

 戦力の大幅増は、確定したも同然である。



「ときに、敵の情報は必要ですか?」



 ノイエは、双翼の守りを突破しようと必死な狼の頭を指差す。

 表情一つ動かさないシウスとの対比は、実にシュールだ。彼方の仲間も異様な光景にどよめいている。


 青年は、ユウナギから連絡を受けたハルに、サルデニアの異常を教えてもらっただけで、ろくに状況を把握していない。在り難い申し出に、即座に頷くと、少女は長い銀髪を弄びながら話し始めた。



「その生首は、<ヴァーリ山脈>のエリアボスが、何らかの要因で変異したものと思われます。北欧神話において、ヴァーリという名の神は二柱登場しますが、おそらく、ロキとシギュンの子を示しているのでしょう」



 シウスは説明に聞き入る。神話知識でノイエの右に出る者は、そうそういない。それは、彼とて例外ではないのである。



「ヴァーリはロキへの戒めの一環として、狼に姿を変えられます。

 これだけ聞くと、そのボスがヴァーリそのものに思えますが……」



 シウスの肩越しに怪物を眺め、ノイエはかぶりを振った。



「それでは、法則性が崩れます。蛇を意味する<アスプ古代遺跡>のボスがヒュドラなのに、<ヴァーリ山脈>のボスがヴァーリでは不自然です」


「まあ、確かに。エポナは馬の守護神ですから、ボスがユニコーンで納得ですけど……<クルト湿原地帯>のクルトって何ですか?」



 よもやクルトンの亜種かと、シウスが眉間にしわを寄せる。

 スープの浮き実と<ボマー・ストラス>の関連性は、全く見出せない。


 的外れな思索を汲み取り、ノイエはくすりと笑みをこぼす。



「クルトはインド神話に記述される聖鳥・ガルーダの別名です。

 ストラスは鳥の姿をした、ソロモン七十二柱の悪魔ですね」


(……そりゃ食べ物じゃないわなぁ)



 シウスは解説に得心するも、ある事実に思い至り、首だけで振り向く。


 どす黒い魔力を血飛沫のように噴出する異形の獣は、注意深く観察しても、正体を看破できない。犬や狼の魔物は、いくつも存在するのだ。



(多頭のケルベロスとオルトロスを除くとしても、ガルムにフェンリル、ティンダロスの猟犬。ソロモン七十二柱なら、マルコシアスにグラシャラボラス――無理だ。候補の数が多すぎる……)


「このボスは十中八九、フェンリルでしょう」

 


 シウスの内心を悟ったノイエが、妙にきっぱりと断言した。

 不思議に思い、すぐさま根拠を問う。



「何故、そう言い切れるんです? フェンリルがロキの子だから?」


「それも理由の一つですが、決め手は能力です。プレイヤーを捕食し、HPを吸収する――これは、オーディンを飲み込んだラグナロクの再現と推察されますので」


「…………!」



 それを聞いて、やっとシウスは<ギガントマキア>のメンバー、ひいてはオズマの姿が認められない理由を知る。拠点ごと食らい尽くされてしまえば、VRMMO初心者だろうがベテランだろうが、関係なく即死なのだ。


 生存者がいないのは、<テレポート>を封じられたためか。

 元より嫌な予感はしていたが、全速力で飛んで来て正解だった。



(<トランス・ダーキニー>の能力と似てるな。多人数で戦う場合、こいつのほうが厄介そうだが……)



 いい加減、異形の唸り声が鬱陶うっとうしくなり、シウスは思考操作で大剣を抜き放ち、下段に構えた。左足を軸に旋回し、遠心力のみならず、双翼の推進力を込めた切り上げを、眼前の狼に見舞う。



「<レイジングソード>」



 ――静かな宣告とは裏腹に、山麓に轟音が奏でられた。


 両手剣の斬撃と同時に地表はめくれ上がり、怪物の巨体はきりもみ回転しながら大地を一直線に削り取る。

 

 さしもの異形も体勢を立て直すまで、しばらくの時間を要した。

 ただ一振りでこの威力。尋常でないパワーに、ノイエは目を丸くする。


 遠巻きに見物しているプレイヤー達は、完全に引いていた。ゼフィラは頭を抱えているし、キルケは腹部を押さえて真っ青になっている。

 エーギルはツボに嵌まったのか、一人で大笑いだ。



「ヴィーザルですか、あなたは……」


「いや、素手でフェンリルを引き千切ったりはできませんよ。

 上級職の性能あってのことですし」



 シウスはさらりと言ってのけるが、上級職は公に確認されていない。

 転職の解禁を告げるメールにも、詳細な条件は載っていなかった。



「上級職への転職条件を見つけたのですか?」


「えっと、ノイエさんも上級転職章、持ってるでしょう?

 <イヴァン海中宮殿>でドロップしたじゃないですか」


「はい?」



 予想外の返答に、ノイエの口から間抜けな声が漏れた。

 シウスは構わず言葉を続ける。



「俺の場合――<堕剣士>への転職は、<剣士>LV40以上とエリアボスの討伐経験も必要でした。ノイエさんとゼフィラさんも、上級職になれると思いますよ。LVは1に戻っちゃいますけど」


「……なるほど。合流が遅れたのは、レベリングのためですか」



 ノイエは納得と共にメニュー画面を開き、<パーティー>に触れる。

 メンバーの編成を行えば、実際に、彼は<剣士>でなくなっていた。



『ノイエ  <狩人>   LV47

 ゼフィラ <占術師>  LV45

 キルケ  <魔法使い> LV36

 シウス  <堕剣士>  LV22』



 少女の推測通り、シウスは素材集めも兼ねて、<エポナ大森林>にこもって蜘蛛型のモブ・ヴェノムスパイダーを狩り続けていた。入手した魔力糸をハルに加工してもらったのが、現在装備している<破毒の衣>である。



「――話に花を咲かせるのも良いが、今は戦闘中ぞ。そろそろ構えよ」



 忠告は、近寄って来た<占術師>のそれだ。

 ゼフィラは深紅の瞳に多大な呆れを含ませて、片手を腰に当てる。


 シウスとノイエは一度顔を見合わせて、敵に視線をやった。

 他のプレイヤー達は、首より下が存在しない狼と交戦している。


 休憩はもう終わりだ。二人も戦線に加わらなければならない。



「なんだか、三人揃って戦うのが懐かしいですよ」


「はい。ドッペルゲンガー以来ですね」


「パーティー戦となれば、ユーニスタ以来かの。では、参るとしよう」



 白と黒の少女が駆け出すと同時に、シウスは両足首から伸びる羽根状の魔力で空をかける。


 空気抵抗をまるで感じさせない、風と同化するかの如き加速。

 重力に逆らい向かう先は、怪物の真上だ。



「<ソードブーメラン>!」



 大剣を振り被り、一息に投擲する。

 縦方向にスピンのかかった2メートル級の刃は、ギロチンのように狼を切り裂く。もっとも、既に体はついていないが。



「シウス君! そのまま飛翔を妨害してくれ!

 地上戦に持ち込めば、十分勝負ができる!」


「了解!」



 手元に回帰する大剣を上手く掴み、ヤマセの要望に応じる。


 飛行能力を持つ味方を得て、地上の前衛陣は攻勢を強めた。

 「空中に逃げられても、彼が撃墜してくれる」と、ある意味開き直ったのである。


 異形の獣は再び魔力の弾丸を生成し、むやみやたらに発射する。天と地の連携が原因で狙いは甘くなるが、数を撃てば当たるものだ。



「うおっ!?」


「ちっ! なりふり構わなくなって来たな……!」



 複数の爆音が生じ、数名のプレイヤーが吹き飛ばされる。

 それに対して、後衛陣の一人が錫杖を掲げ、スキルを発動させた。



「<ヒールサークル>!」



 地面に描かれた幾何学模様の魔法陣より、暖かな光が天へ立ち上る。

 ユウナギの範囲魔法が、ダメージを受けたプレイヤーを完治させた。


 回復スキルは敵の専売特許ではない。飛行能力と治癒能力――狼の頭が保有する二つのアドバンテージは、もはや失われた。


 追い打ちをかけるように、黒衣の少女は水晶球を掌に浮かべる。

 極限まで収束した魔力は渦巻く電撃に変わり、解放の時を今か今かと待ちわびていた。



「魔弾の射手っ!」


「――<ヘビースナイプ>!」



 ゼフィラの合図で、ノイエは狙い澄ました一矢を放つ。

 ひゅう、と矢羽が大気を裂き、射は前衛陣をすり抜けるようにして、怪物の眉間に着弾した。狼の頭はスキルの特性で強制的に仰け反る。


 瞬間、シウスの周囲で青白い稲妻が走った。

 大技の前兆を肌で感じ、蝙蝠に似た羽根で、その場を緊急離脱する。

 彼同様、前衛陣も慌てて退避を完了させた。


 そして、力強い言霊が山麓に木霊こだまする。



「<ケラウノスコール>!」



 怪物の真上に召喚された無数の稲妻が、勢いを増して降り注ぐ。

 大出力の神雷は、光の速さを以て異形の獣を貫通した。


 ゼウスの裁断を思わせる魔法が大地を焼き焦がし、クレーターを穿つ。

 異形の獣は捕食したプレイヤーのHPを吸収して対抗するが、次々に体を直撃する神雷に、大量の生命力を奪われていく。


 ――しかし、エリアボスは倒れない。アバターを排出しつつ、HPバーを徐々に回復させる。



「あれでも駄目なの……!?」



 驚異的な耐久力に、キルケが三角帽子を拾うのも忘れてうめいた。

 このままでは、攻撃と回復の無限ループが続くだけである。



「――そいつはどうかな」



 否定の意を返し、口角をつり上げたエーギルが、上方をあごで示す。

 空を足場にして立つのは、かの<堕剣士>に相違なかった。

 

 紺碧の影は、禍々しい双翼で羽ばたき、<小狐丸>の鯉口を切る。狼の頭までは、3秒とかからなかった。



「<サタニックブレード・ウロボロス>!」



 敵対者の名を冠した神速の剣閃――全身全霊の居合は、遺伝子にも似た双蛇の螺旋を纏う。嵐の如き乱舞に、異形の獣は堪らず回復を試みるが、シウスはそれを無視して刀を振るい続ける。


 薄っぺらいガラスのように、拮抗は一瞬にして破れ、怪物のHPバーは、じりじりと減少を始めた。



「なっ――回復が追い付いていない!?」


「軍師の攻撃が勝っておる……!」



 白と黒の少女の驚嘆を余所よそに、青年はさらに速度を上げた。

 目にも止まらぬ抜刀術が、エリアボスのHPをがりがりと削っていく。



「うおおおぉぉぉぉ!」


「オオオォォォ……!」



 互いに雄叫びを上げるも、その性質は全く異なっていた。

 シウスの声は、純粋な殺意。怪物の声は、無自覚な恐怖。


 精神面の勝敗は、やがて肉体面に表れる。プレイヤーを吸収することでストックしたHPを使い切り、狼の頭が崩れ落ちる。

 なおも止まらぬ居合の嵐に、己のHPさえ底をついた。

 


「――――消えろ!」



 怖気のする声でシウスが言う。サマーコートが翻り、<小狐丸>が最後の弧を宙に描けば、異形の獣は泥人形のように弾け飛び、淡い粒子と化して溶け消えた。


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