1.
西暦2105年4月23日、午前11時30分。
ごつごつとした岩場は雨に濡れ、濁った水たまりが周辺に散在する。
曇天は、未だ晴れる兆しがなく、ともすれば、再び豪雨が降り始めても全く不思議はなかった。ただでさえ、山の天気は変わりやすい。
大陸中央から西へ25キロメートル。<ヴァーリ山脈>の中腹で二つの影が向かい合っていた。
「こんなところに呼び出して、一体何の御用ですか?」
茶髪と白いマントが特徴的な青年――<ギガントマキア>のギルドマスター、<剣士>クリスは、怪訝な表情を隠さない。
<ヴァーリ山脈>を踏破して、新たな拠点<山麓都市サルデニア>に到達したはいいが、その直後、メンバーの一人に「話がしたい」と呼び出されたのである。
クリスは多忙だ。拠点の周辺調査・ギルドメンバーのレベリング・今後の方針を決めるための会議など、やるべきことはいくらでもある。
たった一人の相談事に時間を割いている余裕はなかった。
「……見当くらい付いているんでしょう? 討伐ボーナスのことよ」
クリスを半ば強引に連れ出した女性プレイヤー、<魔法使い>キルケは、三角帽子の位置を調節しつつ、不機嫌そうに低い声を発した。
それを聞いたクリスは「心底呆れた」とでも言いたげな雰囲気で、首を横に振る。
「その件に関しては、結論が出たはずですよ。ヴァーリのエリアボスには初めから討伐ボーナスが設定されていなかった。だから、討伐ボーナスを通知するメールは来ない――これが、皆の意見を集約した結果です」
「常識的に考えればそうなる、というだけの話。そんな理屈、あたしには通用しないわ」
キルケの態度は、あからさまに刺々しい。少なくともギルドマスターに向けるものではなかった。
クリスは「知らぬ間に彼女の機嫌を損なうようなことをしたのかな」と予想を立てて、問いかける。
「……私、貴方に何か無礼を働きましたか?」
「あたしに、ってわけじゃない。あんたが無礼を働いたのは別の人」
「そうでしたか……。それでは、その方に謝らなければなりませんね」
クリスは頬を掻いて苦笑いを浮かべる。
そんな青年に、<魔法使い>は冷めきった視線をやった。
「無理よ。あのお方は――<聖騎士>ヘカテーは、この世界にはいないから」
「…………」
キルケの一言に、クリスは返事に窮してしまう。
ここで、ヘカテーの名前が出て来るということの意味は明白だった。
――キルケは、クリスが偽物のギルドマスターだと看破している。
「どうして分かった、とでも言いたげね。<世界樹の木陰>のフリードに、まんまと引っ掛けられたことにも気付いてないんでしょ?」
「世界樹……?」
「やっぱり、あの廃人集団のことも知らないんだ。
そんな体たらくでよくもまあ、<ギガントマキア>を騙ろうなんて考えたわね」
一呼吸おいて、三角帽子の<魔法使い>が続ける。
「あんたに<ギガントマキア>は汚させない。そんなことは、ヘカテーの側近たるあたしが、絶対に許さない」
明確な怒りを含んだ声に、クリスは顔を歪めた。
「……最初から私を疑って、監視のために潜り込んだというわけですか」
本物の<ギガントマキア>のメンバーが乗り込んで来るとは、運が無い。おみくじで大凶を引くよりも、よほど低い確率だろう。
「ええ。あんたがここのボスにとどめを刺す時、メニューを開いて、何か細工してたところもばっちり見てたわ。討伐ボーナスが通知されない原因は、あんたでしょ」
「困った人だ……気は進みませんが、こうなってしまっては仕方がない。
貴方には少々おとなしくしてもらいましょう。今はまだ、我々のことを明かす時期ではないのでね」
茶髪の剣士が、インベントリからレイピアを取り出す。
キルケはそれに応じるように、職業専用装備の魔本を開いた。
「前衛職の援護無しでは、後衛職の貴方に勝ち目はありませんよ」
「そんなの、やってみなければ分からないわ」
「心意気は買いますが――」
皆まで言わず、クリスがキルケに肉薄した。
レイピアの先制攻撃が、<魔法使い>の右肩に深々と突き刺さる。
「うあっ……!?」
「発動体勢を崩してしまえば、魔法スキルは使えない。
攻撃速度に優れる刺突剣と、<魔法使い>である貴方の相性は、語るまでもなく最悪です」
聞き分けのない子供に諭すように、クリスは説明を行った。
彼の言う通り、ただでさえ不利な一対一なのに、武装の特性がキルケをさらに不利にする。
「申しわけありませんが、貴方の意地に付き合う時間が惜しい。
殺しはしませんから、貴方はもう、休みなさい」
「ふざけないで……! あたしはあんたなんかに負けない!」
往生際悪く、魔本を構え直す三角帽子の<魔法使い>。
それを見たクリスは、大仰にため息をついて返答する。
「これは勝ち負けの問題ではなく、八千人近くの人間が生きるか死ぬかの問題です。感情論で私の邪魔をしないで頂きたい」
「だからって、みんなを騙していいの!?
あんた達の行為が正当化されるとでも!?」
「いずれ、私達は裁きを受けなければならないでしょう。しかし、それは全てのプレイヤーを脱出させてからの話です」
剣士は冷静さを保ったまま、いつ訪れるか分からない未来を持ち出す。
魔法使いはとてもではないが納得ができず、返答に咬みついた。
「美麗字句で誤魔化したって、あんたが攻略を妨害した事実は……!」
「妨害ではありません。長期的な観点から見て、必要なことでした」
お喋りはもう終わりだと、クリスが刺突剣を突きつける。
キルケは苦渋を露わにして白マントの青年を睨むが、互いの相性を覆す材料にはならなかった。
「マスター……ごめんなさい……」
――あなたの名誉を回復することは、叶いませんでした――
キルケが瞳を閉じると、屈辱の証が一粒、頬を伝った。
レイピアが血肉を食い破る不気味な音が、エリアに残響する。
◆
「何を謝ることがある。そなたの想いは、間違いなくヘカテーとやらにも届いたであろうよ」
古めかしい言葉遣いが、キルケの双眸を開かせる。
闇をそのまま纏ったような暗色の衣服に、肩までの金糸の髪が輝いた。
突如として姿を現した少女は、クリスのレイピアを素手で掴んで止めていた。両手からは、絶えず白色の光が零れ落ち、HPバーが少しずつ減少を始める。
「あ……なたは……!?」
「ゼフィラという。覚えておくが良い」
見知らぬプレイヤーの救援という事態に、<魔法使い>は着いていけない様子だ。他方、<剣士>は思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。
「このタイミングで貴方が現れるとは……!」
クリスは呻くような調子でこぼしながら、後退して距離を取る。
白マントの剣士は、ゼフィラに最大級の警戒を抱いていた。
彼女は真実、<ボマー・ストラス>を倒したパーティーの一員なのだ。その実力は推して知るべしである。
「ここは我に任せよ。そなたはアウレリアに退避するのだ」
「は、はいっ!」
キルケは自分でも驚くほど従順に、ゼフィラの指示を履行する。
「システムウィンドウ」と呟いて、テレポートから<央都アウレリア>を選択すれば、あっという間に三角帽子は<ヴァーリ山脈>を後にした。
黒衣の少女はそれを見送ると、思考操作でポットを使い、両手の傷を治療した。宝石の如く赤く、透き通った眼がクリスを射抜く。
「我らの戦果を奪い、数多のプレイヤーを謀った報い――受けてもらおうか」
静かな怒りを湛えた声が、山間に響き渡る。
輝く金糸の髪を風に靡かせ、占術師は自らの得物たる水晶球を掌に浮かべた。
魔力の収束を見て取り、スキルを発動させてなるものか、とクリスが走る。
思考操作で取り出したレイピアを腰だめに構え、勢い良く突きを放った。
「<フラッシュピアス>!」
純白のマントが翻り、防具に守られていない首筋を穿たんと、鋼の牙が迫り来る。
ゼフィラは瞳をすっと細めた。鴉を連想させる黒装束がふわりと舞う。
「どこを狙うておる」
「…………!?」
剣士のスキルは、掠りもせずに空を裂く。黒衣の少女は、素早く身をかがめることで悠々と刺突を回避していた。
魔法の発動準備は既に完了している。水晶球をクリスの腹部にあてがい、ゼフィラはスキル名を宣言した。
「<フレイムスフィア>!」
高熱を纏う占術師の一撃が、零距離で弾ける。
紅蓮の炎がごうごうと燃え盛り、その熱量を敵へ叩き付けた。
――刹那の衝撃音。
「ぐうっ……!」
魔力の焔はクリスを巻き込みながら直進し、エリアに自生する木に激突してようやく止まった。
一直線状に抉られた大地は、ぱちぱちと火の粉を上げる。
黒衣の少女は、それに沿うようにして悠然と歩を進めた。
「……驚き、ました。後衛職でありながら、素晴らしい反応速度だ」
「そなたの太刀筋は粗雑に過ぎる。軍師とは比べるべくもないわ」
水晶球を手元に戻しつつ、吐き捨てるような口調で言う。
茶髪の剣士は大木の幹に背を預け、どうにか崩れ落ちぬように踏ん張っていた。
<フレイムスフィア>の直撃を受け、クリスのHPバーは風前の灯だ。
もう一度、魔法スキルで攻撃されればひとたまりもないだろう。
「さて、そなたらが何の目的で計略を巡らせたのか、話してもらおうか」
「……それはできません。話したところで、貴方は信じないでしょう」
「人の心を勝手に決めるでない。判断するのは我だ。間違えるな」
苦い表情をする青年に、金髪の少女がぴしゃりと宣言する。
あくまで強気のゼフィラに、クリスは乾いた笑みを浮かべた。
「正直、うらやましいですよ……。
貴方ほどの強さがあれば、私達とて、このような手段は――」
クリスは、どこか悔恨するような様子で話す。
ゼフィラが疑問に思い、問いかけようとした瞬間。
――剣士のアバターが粒子状の光に包まれた。
「なっ!?」
渦を巻く白光――テレポート時特有のエフェクト――に、占術師は驚愕する。
相手はメニュー画面を開きもせずに、転移を発動したのだ。通常ではあり得ない。
「そなた、一体……!?」
「ここは退却させてもらいます。また、お会いしましょう」
捨て台詞を残して、マントを羽織った<剣士>の姿は完全に消失した。
予想外の逃走方法に、黒衣の少女は呆然としてしまう。
<クロスガイア>の<テレポート>は思考操作では発動しない。
それは、誤作動によってプレイヤーがあちこちに飛ばされてしまわないようにという開発陣営の配慮の結果である。
だというのに、クリスは仕様を無視して転移を行った。
考えられる可能性は、いくつかある。
「特殊なスキルか、プログラムの書き換えか、システムのバグか――」
――あるいは、GM権限による強制テレポートか。
最後の選択肢が正解ならば、絶対にクリスを倒さなければならない。
運営はデスゲームを開催し、大勢のユーザーを苦しめた、許されざる敵なのだ。
ゼフィラは厚い雲に覆われた空を仰ぐ。
悪い予感に従って、<ヴァーリ山脈>まで出向いた甲斐があった。
「……決着をつける時が来た、ってことなのかな」
クリスは絣の了承も得ずに、<ギガントマキア>の名前を使い、エリアボスの討伐を騙った。その上、長きに渡ってヘカテーを支えてくれた仲間を傷つけた。
だが、今は私的な恨みを忘れ、次の一戦に集中すべき時だった。
パーティーの最強戦力たるシウスがいないという不安はある。
それでも、退くわけにはいかない。ゼフィラの双肩には、数千人規模のプレイヤーの命運がかかっているかもしれないのだから。
決意を新たに、黒装束の少女は淡い光の渦を放つ。
風雲急を告げる。戦いの幕が、切って落とされようとしていた。




