5.
霞みがかった意識を覚醒させたのは、現実味あふれる空腹だった。
瞼を開くと、高い天井が瞳に飛び込んで来る。
背には木材の硬い感触が付き纏い、寝心地が悪いどころの話ではない。
(背中が痛い……どうして、こんなところに寝てる……)
長い黒髪の少女、<錬金術師>ハルは、内心で己に文句を垂れた。
むくり、と身を起こすと、体にかけられていた服がずり落ちる。少女が着るにはサイズが大きすぎる、紺色の上着。
――そいつから離れろ!――
「あっ……」
鼓膜に残響するのは、焦りを帯びた剣士の叫び。
ハルは徐々に、意識を失う前の状況を思い出す。
新たなエリア<メドラウト大社>に到着し、シウスと雑談をしたこと。
境内にノンアクティブのモブらしき白い狐が現れたこと。
そして、その狐に触れた瞬間――
「…………最悪」
ハルは、思わず片手で額を押さえる。
ものの見事に罠に引っかかったのだから、当然の感想だった。
改めて周囲を確認してみれば、少女の寝かされていた本殿は、壁に大穴が開いていたり、床板が割れていたりと、ひどい有様だ。激しい戦闘が繰り広げられたことは、疑いようがない。
あの青年は、少女が気絶している間、必死に戦っていたのだろう。
悲しいやら情けないやら、よく分からない感情が心で渦巻く。
(今度は私が助けになるって、言ったのに……)
実際は、何もできなかったどころか、足を引っ張ってしまった。
ユーニスタの一件に続いて、二度目の醜態に歯噛みする。
何の為に、この世界で生きているのか。そんな疑問さえ浮かんで来た。
実姉を危険に晒し、兄を思わせる剣士の手を煩わせ、あげくの果てには一人で落ち込んで――現実でも仮想でも、存在意義を見つけることができない。
(私だって、誰かを支えられると思ったのに……)
口下手な自分は、いつも周囲の人間に助けられて生きて来た。それを、在り難いことだと感謝する反面、他者の優しさに嫉妬していた。
シウスが助力を求めてきた時、迷わず協力を決めたのは、恩を返したいと思ったからだが、その影では優越感に浸る自分がいたのである。
あれほど頼り甲斐がある青年が、自分のような人間を必要としている。
常に助けられる側だった自分が、初めて、助ける側に回る。
それらの事実は麻薬のように、くらくらとする快感と甘美な充足をハルに与えてくれた。
(――でも、幻想でしかない)
結局は、綺麗な台詞の裏側で、彼を助ける自分に酔っていただけ。
失敗から何も学ばない己を、誰かが嘲笑しているような錯覚をした。
「全然、進歩してなかったんだ……」
剣士の上着をぎゅっと握りしめる。微かに残る温かみとは裏腹に、心は零下にまで冷え切っていた。
――どんな顔をして、彼に会えばいい。何と言って詫びればいい。
分からぬまま、目尻からこぼれた涙が、紺色の生地にぽつりと染みる。
(苦しい……誰でもいいから助けて……)
喉を掻きむしりたくなるような不快感が襲って来る。
拠点復活が元通りでなければ、いっそ死んでしまいたい。
「具合、悪いんですか」
唐突にかけられた声に、はっとして、少女は顔を上げる。
当然のように、身をかがめた剣士の心配そうな表情が、隣にあった。
おそらくは、本殿の壁に開いた穴から上がって来たのだろう。
外にいたということは、ハルが意識を取り戻すまでの時間を活用して、エリアの調査をしていたのかもしれない。
「エリアボスに取り込まれた上、俺が三分割しちゃいましたからね。
アバターに異常がないか、確認してもらってもいいですか?」
錬金術師の内心を知らず、シウスは言葉を続ける。
口調こそ穏やかだが、内容はひどくえげつない。
よほどの激闘だったのか、体中埃だらけで一見してぼろぼろだ。
加えて、防具を失ったらしく、上半身はシャツ一枚、ズボンはところどころが破れている。
「…………」
感覚異常を抱え、現実への帰還を諦めてまで戦っている仲間。
辛くないはずがないのに、弱音も吐かず、愚直に前へと進んでいる。
しかし、自分は何一つとしてできていない。剣士の想いに応えられず、単に寄生しているようなもの。
ハルの沈黙をどう捉えたか、シウスは訝しげに口を開く。
「あの、やっぱり具合が――」
「――資格がない」
「はい?」
「あなたに心配してもらう資格がない……!」
両の手で顔を覆い、水色の錬金術師は悲痛な声を上げた。
細い指を伝って、とめどなく大粒の水滴がしたたり落ちる。
「ごめっ、役立たずでごめん……!
何もしてあげられなくてごめん……!」
これほどまでに感情を露わにする少女を見たのは初めてで、剣士はどう応じるべきか判別がつかず、戸惑ってしまう。
「そんなことは、決して――」
「嘘ばっかり……! いっそのこと罵ってよ!
お前なんかいらないって、はっきり言ってよ!」
口をついて出た、苦し紛れの慰めは、余計にハルをみじめにさせた。
激情に流されて、みっともなく大声で喚き散らす。
「…………」
しばしの思索の後、シウスはズボンのポケットに左手を入れた。
そして、泣きじゃくる少女へ返答すべく、口を開く。
「システムウィンドウ」
メニュー画面が呼び出され、<アイテムインベントリ>が展開する。
シウスはハルの隣に座りながら、空間投影ディスプレイを指差した。
「これ、見て下さい」
「…………」
「ハルさん」
促されて、錬金術師はおずおずと、透き通った画面を確認する。
ブレードに両手剣、各種ポット、上級転職章、野営道具、水と食糧。
そして、見慣れない居合刀らしき武器が一振り。
「……<小狐丸>?」
「……それはエリアボスのドロップアイテムです」
重要なのはそこではないらしく、嘆息が返って来た。
シウスは「三条宗近なんて、知らないよなぁ」などとこぼしつつ、仕方なさそうに少女へヒントを与える。
「ここに、あるべきものが無いとは思いませんか」
「……あるべき、もの?」
ハルは再度、インベントリを一瞥した。
特別変わったものといえば、上級転職章くらいしか存在しない画面。
――アイテム生成は終わった。これ、渡しておく――
「あ……」
不意に、自分自身の言葉を思い出す。
冷静になってみれば、シウスの問いは実に簡単なものだった。
「ガイアの……結晶片……」
今朝、リムノレイアの<工房>で作成して、シウスに渡したはずの蘇生アイテムが見当たらないのだ。
ハルの理解に、シウスは頷くことで肯定の意を返す。
「あれは、所有者のHPがゼロになった時、一度だけ、HP半分の状態で蘇生させる効果がありましたよね」
「うん……相打ち狙いでも使えると思って、渡しておいた……」
「ええ。貴方の言う通り、エリアボスとの相打ちに使いました。
<ガイアの結晶片>があったから、俺は負けずに済んだわけです」
そこまで言って立ち上がると、シウスはハルに手を差し伸べた。
家族の如く暖かな視線が、涙を宿す紫色の瞳と交差する。
「貴方は役立たずじゃないし、俺は貴方を必要としています。
嫌かもしれませんけど、俺としては、これからも力を貸して欲しい」
「…………」
ハルは、喜び勇んで剣士の手を取ろうとして――触れる寸前で止めた。
ゆっくりと手を下ろす。シウスはあからさまに暗い表情をしていた。
だが、安易に仲間の優しさにすがれば、二度と立ち直れないような気がした。一方的に寄り掛かるだけの関係になるのは、絶対に嫌だった。
「……やっぱり、駄目ですか?」
「……駄目じゃない。むしろ、大歓迎」
故に、少女は自らの力で立ち上がった。
今度は、青年の手を煩わせぬように。もっと強く在れるように。
「迷惑かけてばっかりだけど……頑張るから、見てて」
ごしごしと乱暴に涙をぬぐい、前を向く。
滲む視界には、シウスの明るい笑みが映った。
剣士は、思考操作でポケットに移動させた結晶片を、そっと握る。
少女が優しい嘘に気付かぬよう、努めて平静を装いながら。
◆
『FROM 運営チーム
TITLE 仕様の更新のお知らせ
この度は、<クロスガイア>をプレイしていただき、誠にありがとうございます。
以下の日時において、仕様の更新がなされたことを報告させていただきます。
更新日時
2105年4月23日(木)11:46
更新内容
・システムウィンドウの機能拡張
メニュー画面から<クラスチェンジ(転職)>が可能になりました。
また、一定の条件を満たすことで、上級職への転職も可能です。
なお、これは<メドラウト大社>のエリアボス<トランス・ダーキニー>の討伐によるボーナスです。
今後とも、<クロスガイア>をよろしくお願いいたします』




