2.
西暦2105年4月23日、午前10時18分。
強い雨風に顔を歪めながら、シウスは傘を片手に歩き続ける。
新たな拠点・リムノレイアの日本庭園の如き街並みも、この悪天候では寂びた美しさを損なっていた。
天を仰げば、雷鳴こそ聞こえないが、時たま青白い閃光が走っている。アバターに雷が落ちるかどうかは分からないが、プレイヤーは心理的に、探索を控えるはず。
(再現度が高すぎるのも問題だな。……台風のシーズンじゃないが)
向かい合う日本家屋の間を通り抜け、目指すのは<武具屋>だ。
拠点の景観が和風であることから、<剣士>の専用装備である居合刀の販売が期待できる。個人的には、あまり良い思い出がない武器だが、好き嫌いを言っていられる状況ではなくなった。
出し惜しみをして探索が長期化し、仲間に追い付かれては目も当てられないのである。
ハルは昨夜から<工房>でアイテム作成にいそしんでいた。
仲間を脱出させるため、攻略の準備を行っている錬金術師に応えるため、ここで装備を強化する。
(しっかし、アバターの反応が明らかに遅れてるのがなぁ……)
居合刀の仕様がどうなっているのかは判明していない。だが、ショートブレードや両手剣に比べれば扱い難い武器だろう。不調のアバターでどこまで使いこなせることやら。
<ファントム・ユニコーン>との戦いで、スキルに頼る場面が多かったのは反応の遅れを誤魔化すためだ。神経伝達速度まで狂っているとなると先が思いやられる。アバターに神経は通っていないのだが。
やくたいもないことを考えている内に、抜身の日本刀を描いた看板が目に入って来た。その向かい側には、薬草らしき植物の描かれた看板。
おそらく、<武具屋>と<アイテムショップ>だ。
「ここが、商業地区?」
周囲をぐるりと見回して訝しむ。
地方の商店街を連想させる通りは、アウレリアで言えば東地区に相当するが、活気がまるで存在しない。
天候の悪さも手伝って不穏な雰囲気を醸し出している。
あたかもホラームービーの一幕が、目の前に現れたかのようだった。
(まるでゴーストタウンだな……)
傘を持たぬ手で<武具屋>の引き戸を開く。店内は薄暗く、棚には武具らしきものが何一つとして存在しない。ショップとして機能しているのか甚だ疑問である。
シウスは現実における商店街の衰退を思い起こす。とはいえ、仮想空間には大型の商業施設のような外的要因も、後継者問題のような内的要因もありはしない。
それなのに、<武具屋>はあたかも開店休業中なのである。
店番のNPCすらいないとは、一体、どうなっているのか。
「在庫がなくなってしまったんですよ」
「――――えっ?」
背後から掛けられた声に振り返ると、墨染めの着物を纏った中年の男が朱色の和傘をさして、シウスの方を見ていた。
ぼさぼさの髪を掻きながら、男は申し訳なさそうに言葉を続ける。
「昨日、仕様の更新があったでしょう? それと同時に、ここの在庫だけ綺麗さっぱり消えたんです」
「貴方は?」
「<アイテムショップ>のNPCです。ここの店員は、原因を探すためにNPCルーム――低級のGMルームみたいなものに入ってます。本当は、流通の管理なんかに使うものなんですが、場合が場合なので……」
向かい側の店を親指で示し、無精髭の中年男性は説明した。
<武具屋>のNPCに、客が来た場合の応対を頼まれたのだろう。
「逆に、うちの品揃えは良くなったんですがね。見て行きませんか?」
シウスは最新のメールを顧みる。内容は確か、<アイテムショップ>の在庫拡張と、<工房>で作成可能なアイテムの増加だった。
まさか、その代わりに<武具屋>が打撃を被ったとでもいうのか。
デスゲーム開始からずっとではあるが、黒幕の考えることは意味不明だ。
(今更、武器の在庫を引き払って、何を狙っている……?)
プレイヤー間の争いを誘発するならば、初日からそうするのが自然だ。
しかし、ノイエの調査では、ショップの在庫が切れることも、値段上昇もないという話だった。
首をひねる青年剣士に、和装を着崩したNPCは嘆息すると、呆れを隠さない視線をやった。
「分かりませんか、相手の意図が。
……あなたは、つくづく自分のことには疎いんですね」
「はい?」
「現状、リムノレイアに到達したのは、シウス殿とハル殿の二人。
そして、戦闘職はあなただけです。間違いなく、デスゲームの開催者はあなたの探索を妨害しようとしている。これは一種の警告でしょう」
男の発言に、シウスは目を点にした。いちプレイヤーを邪魔するためにそこまでやるとは思わなかったのだ。
「俺は、開催者から敵視されていると?」
「NPCの大半は、そう考えていますよ。これはノイエ殿やフリード殿、ゼフィラ殿にも言えることですが」
「…………」
「あなたが何故、パーティーを離脱したのか……それは問いません。
ですが、できる限り早く合流したほうがいい。彼女らに危害が及ばぬとは言い切れませんので」
NPCはシウスを諌めるような口調で話した。格好はひどくだらしないが、言葉そのものは正論である。
デスゲームの開催者――黒幕が、MAS社を貶めるために今回の事件を起こしたとすれば、迅速な攻略活動を行う人間など目障りでしかない。
時間が経てば経つほど、現実で昏睡状態に陥っているであろう被害者達が、死亡するリスクは高まるのだ。
黒幕は、仮初の世界において神に等しい権限を持つ。
それを悪用して、シウス達を排除しようとする可能性は否定できない。
(だが、俺に何ができる? アバターが回復したところで、プレイヤーと開催者の間にはシステムという絶対的な壁がある。力ずくでみんなを解放させるのは無理だ。交渉しようにも材料がなければ……)
このままシウスが攻略を続ければ、武具の消去という迂遠な手段に止まらず、直接的な行為に出て来るかもしれない。
それまでにゲームマスターと接触し、味方に引き入れることが、事態の打開に必要な絶対条件――
「――まあ、私はそこまで心配してないんですけどね」
「はあ?」
真剣な話題を振っておきながら、いきなり軽い調子になった中年男性に素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
「シウス殿の今までの戦いぶりからすると、開催者ごときに負けるところなんて想像できませんから。期待してますよ?」
「そりゃ過大評価ですよ。俺は普通のVRMMOプレイヤーなんで」
デスゲーム攻略の先駆者、などという周囲の不相応な評価には、辟易としてしまう。忠はどこにでもいる大学生なのだ。決して、万能のヒーローではない。
ノイエの決意に便乗しなければ、動くことすらできなかった臆病者。
アルベルトを生贄にしなければ、モラルの確保を為し得なかった無能。
VRMMOに依存しなければ、自分を保っていられない歪んだ人格。
それが、偽らざる碓氷忠という男の正体だ。
NPC一同の期待は、正直に言って重すぎる。
「――あなたの言う普通って何?」
不意に響いた涼やかな声は、おそらくは、雨音を切り裂くような鋭さを含んでいたことだろう。
いつの間にか、水色のローブを纏った小さな体躯が、通りの彼方から姿を現していた。透明なビニール傘から覗く黒髪は、普段と違ってそのまま下ろされている。
「ハルさん。<工房>にいたんじゃ……」
「アイテム生成は終わった。これ、渡しておく」
錬金術師の少女は空間投影ディスプレイを展開すると、簡素な効果音と共に、何らかのアイテムを青年へ譲渡した。
反射的にメニュー画面を開き、<アイテムインベントリ>を確かめる。
(<ガイアの結晶片>?)
それが、シウスのインベントリ内に移動したアイテムの名称だった。
デスゲーム初日に、図書館で確認した記述によれば、ガイアはCGにおける命の神である。効果は容易に想像がついた。
「蘇生アイテム、ですか? こんな貴重なものを……」
「私も初めて見ました。上級ポットなら今回の更新で並びましたが……」
「別にいい。私が持ってても無用の長物」
シウスもNPCも驚くばかりだが、対するハルは素っ気なく言ってのけると、「それはともかく」と紺色の剣士をじっと見つめた。
艶やかな深い紫色の瞳は、どこか熱を帯びていて、シウスは思わずたじろいでしまう。
「あなたは、誰かのために必死になれる人。それは『普通』なんて一言で片付けられるほど安っぽいことじゃない」
「……手が届く範囲なら、困っている人を助けるのは当然では?」
「それが非凡だと言っている」
目を閉じて、少女はしばし回想にふける。
それは、<錬金術師>ハルこと、江崎千遥が辿って来た道筋。
混乱に満ち満ちたデスゲーム初日の央都。運営を罵倒するプレイヤーを、頼りにならない大人達だと、千遥は内心で侮蔑していた。
姉の悠華――<僧侶>ユウナギと、その恋人の<忍者>ヤマセに同行を願い出たのは、自分はあんな情けない人間とは違うと示したかったから。
そして、アルベルトの一味に捕縛され、多大な迷惑をかけてしまった。
自分の行為は、勇気や正義感から来たものではなく、平静を保つためのポーズに過ぎなかったのだと、嫌というほど思い知らされた。
馬鹿みたいに恐れおののいていたあの大人達と、何ら変わりない自分に気付いたのはその時だ。
しかし、何より衝撃的だったのは、<剣士>シウスの登場だ。
青年は、見返りもなしにハルの救出に協力した。自らを悪役に仕立て上げてまで赤の他人を助けようとした。
無慈悲極まりない仮想の世界で、どうしてそこまで優しく在れるのか、全く理解不能な男。
それは、ハルの理想そのものだった。
「私は、感謝以上に、あなたに嫉妬している。
どうしてそこまで強い? どうすれば、私はあなたになれる?」
「――止めておけ」
いつになく怒りのこもった声で、シウスは言った。
台詞とは裏腹に、双眸は悲しみと諦めが混じった複雑な色をしている。
「VRMMOありきの人間なんて、どう考えても欠陥品です。
貴方は、ご家族を悲しませたいんですか?」
「それなら、シウスにだって――」
「俺に家族はいません。十二年前に、最後の一人も亡くなりました」
「あ……」
――あまりにも、気付くのが遅すぎた。
シウスの我が身を省みない攻略を後押しするもの。
それは、家族がいないという諦観だったのだ。
「貴方には、俺とは違って未来がある。俺になんてならなくていい。
お姉さんと一緒に、生きて現実に帰って下さい」
「でも……でも、シウスは!」
「話したでしょう。俺は、リアルに戻れないかもしれない。
今の不調の原因がアバターではなく、俺の意識そのものにあるとしたらほぼ確定です」
「な――何を言っているんですか!?」
聞き捨てならないシウスの言葉に、墨染めの衣装を着た男が叫ぶ。
驚愕の余り和傘が地面に落ち、NPCは慌ててそれを拾い直した。
「……ああ、そのときは<クロスガイア>で一生を過ごすつもりなので、よろしくお願いしますね」
「デスゲームが終わった後、サーバがどうなるかくらい分かるでしょう!
良くて停止、最悪解体ですよ!? 今の話が本当なら、あなたは確実に死んでしまいます!」
「それは、NPCの皆さんも同じです。俺と一緒に死んで下さい」
悲鳴じみた声への返答は、平然とした調子だった。
故に、二人は狂気めいたものを感じずにはいられない。
シウスは現実への帰還を半ば放棄している。文字通り、決死の覚悟だ。
「どうして……」
錬金術師のかすれた声に、剣士は曖昧な笑みを返す。
口には出さないが、ハルの存在こそシウスにとって最期の救いなのだ。
当たり前だが、死は絶対の恐怖だ。
自分の遺志を受け継ぐ者がいなければ、心に折り合いをつけることなど到底できなかった。
(押し付けだと、分かってはいるが……)
水色の少女に全てを打ち明けたことで、シウスは解放された。
生きた意味を残せたのだと、ある種の納得をしてしまった。
後悔や心残りは数え切れない。それでも、迷いは断ち切ったつもりだ。
「――上級ポットの在庫は大丈夫なんですよね?」
努めて明るい風を装って、剣士は話題を変える。それに対する錬金術師とNPCの沈黙は、筆舌に尽くし難い悲嘆を秘めていた。




