3.
西暦2105年4月22日、午後4時30分。
時に追従するかのように、仮想の陽光は西へ傾く。
春の日差しを遮るのは、うっそうと生い茂った木立。薄暗い空間を埋め尽くす枝葉は、踏みしめる度に乾いた音を立てて砕ける。
央都に自然の恵みを与えるエリア<エポナ大森林>は、アウレリアから20キロメートルほど北へ進んだ地点を入り口としていた。
(ふう。結構歩いたな……15キロ行くか、行かないか)
水分補給のためミネラルウォーターを飲みながら、青年は木の幹を背に座っていた。透明なペットボトルは、ファンタジーにそぐわないこと甚だしい。
剣士は大陸の中央部を全速力で離れ、その勢いのまま樹海に突入した。
道中、遭難を警戒してスピードを落としたが、順調に来ていると言って良いだろう。
大森林入り口の転移ポイントに戻るような失敗はしたくない。慎重かつ迅速にエリアを踏破しなければ。
シウスはオズマを切り捨て、己の都合を優先させたのだ。せめて、攻略を進めなければ申しわけが立たない。
――要するに、自己満足の代償行為である。
「はぁ……」
疲れ切った自分自身のため息に、一層気分が落ち込む。
最近は、何もかもが上手くいかない。アバターの反応は微妙に遅いし、感覚異常に関しては言うまでもない。
まるで、誰かに祟られているかのようだ。
自分を恨んでいる人物に心当たりがあるので、余計に性質が悪い。
海中宮殿で別れた後、ノイエとゼフィラは何をしているのだろう。
フリードと合流してパーティー会議を行っているのか、手分けして情報収集にあたっているのか。
(みんなに心配かけてるよな……)
シウスは仲間に事情も告げず、いきなり失踪したのだ。非凡極まりない才媛二人は、異常に感づいていた節があるのだが。
彼らをデスゲームから脱出させるまでは、隠し通そうと決意したのに、一体どこからばれたのやら。全くもって、女性という生き物は理解不能である。
「アバターが治れば……」
ペットボトルをインベントリに収納し、地に敷き積もった木の葉を一枚拾い上げる。
右の掌でそれを握りしめると、ボロボロになって崩れ落ちた。
左手で軽く残片を払う。感覚は明らかにおかしかった。
(やっぱり、音がしない)
聴覚は相変わらず部分的に欠けている。味覚も回復する気配はない。
ミネラルウォーターに味があるなど、ついぞ意識したこともなかった。
日々の食事だってそうだ。シウスは栄養と形を真似ただけのレーションを、毎日食べ続けるような苦境に陥っている。
このままストレスが蓄積されていけば、きっと耐えられなくなる。
その時が、忠の最期になるかもしれない。
「発狂死とか、嫌すぎるぞ……」
アルベルトの一味が絶叫したのも頷ける話だ。
視覚・触覚・嗅覚はまだ生きているが、いつまで持つかは分からない。
あるいは、ヘレン・ケラーの如き三重苦に見舞われることも、覚悟しておかなければならないだろう。
(それよりは、死んだ方がマシか。
みんなに迷惑をかけるより、攻略の中で果てるべきだ)
ノイエもフリードもゼフィラも、アン・サリヴァンではないのだ。
仲間の手を煩わせて生き延び、現実に帰還するよりは、命を対価に探索を行い、彼らを脱出させた方が、ずっと爽快なはず。
しかし、博孝に謝れないのは残念だ。死後、逝き着く場所も違うので、二度と会えないのである。
五年前からずっと、シウスは彼を追いかけている。
<世界樹の木陰>のギルドマスターは現代に蘇った賢者のように、才気煥発だった。格好良さに憧れて、少しでも近づこうと、馬鹿みたいに剣を振り回して特訓に明け暮れた。
<ダイダロス攻防戦>で一躍有名になり、<青枝の騎士団>に席を用意されても、シウスは<木陰>に留まり続けた。
<青枝>のギルドマスター・マキロイの苦笑を顧みる。
「敢えて正道を外れるか……それも良かろう。
気が変わったならば、いつでも俺の下へ来るがいい」
そして、<外道剣士>シウスは生まれた。
四年という短くも長い間、かけがえのない日々を送ることができた。
――どれもこれも、仲間達のおかげだ。
大石明憲が碓氷忠を<ラビリンス・ファンタジア>に導いてくれた。
木塚博孝がシウスを<世界樹の木陰>に受け入れてくれた。
仲間がいたから、今の自分がここに在る。
一億五千万人の中で生まれた絆は、言わば現代に舞い降りた奇跡。
(<クロスガイア>にダイブしてからも……)
一月の間に、多くの出会いがあった。
白銀の妖精は、木漏れ日に包まれて微笑んでいる。
彼女の決意が、シウスをここまで突き動かす原動力になった。
赤毛の青年は、整理整頓された工房でハンマーを振るう。
気心の知れた友人の存在に、どれほど助けられたことだろう。
黒金の悪魔は、謎めいた笑みでこちらを覗き込む。
無償の信頼に秘めたその真意は、未だ不明のままである。
仮想の世界には、分かり合えた人も、そうでない人もいる。
それでも、シウスは恵まれていて――
「俺は――こんなにも幸せだった」
口に出して、想いを再確認する。
彼らと一緒に歩むことはできないが、心だけは届けたい。
だから、行動で示すのだ。完全攻略という確かな結果が、それを伝える最上の手段となる。
腰を上げて、尻を軽く払う。ズボンに付着した砂がぱらぱらと落ちた。
休息はもう十分だ。シウスは探索を続けなければならない。
大切な仲間のため、己の生命を賭けて――
――瞬間、森の奥に何者かの気配がした。
(誰かいる……それも、複数?)
聴覚は鈍っていても、シウスの触覚は鋭敏さを保っている。
剣士は木立の向こう側を油断なく睨み付けた。
薄暗い樹海の静寂は、底のない奈落を連想させる。
(今まで気付けなかったってことは、相当遠くにいるな。
いきなり存在感が増したのは、戦闘態勢を取ったからか?)
モブに遭遇しただけならば、放っておいても問題はないが、エリアボスとの戦闘ならば話は別だ。
<ヒュドラ>も<ストラス>も、とてつもない敵だった。
場合によっては助太刀しなければ――
(目撃されることになるのに? そりゃ下策だろ……)
アバターは死亡しても拠点で復活する。
倉庫が解禁された以上、アイテム・クレジットの喪失も抑えられる。
ここは無視して、<エポナ大森林>を抜けてしまうのが得策だ。
仲間に目撃証言を与えてまで、赤の他人を助けることはない。
「…………」
だが、シウスはしばし逡巡してしまう。
こんな情けない自分を見たら、仲間はどう思うことか。
それが理にかなった行動だと、褒め称えてくれるだろうか。
――素晴らしい仲間達に、決して恥じない人間で在りたい――
綺麗事でしかなくても、今は無性に正道を歩きたい気分だった。
「ひどい変節だな、おい」
自嘲の嘆息も、足を止めるには至らない。
心の赴くままに、青年は森林の奥へと駆け出した。
◆
「……何なの、こいつ」
樹海の大地に膝をつき、呆然とする。
目の前の暴虐に気力は完全に消え失せ、どうしたらいいか分からない。
<工房>で作成した攻撃アイテムを使い切ったのに、エリアボスのHPバーはほとんど減っていなかった。
如何に強力な錬金アイテムも、当たらなければ意味がない。
<錬金術師>ハルは、眼前の敵を見据える。
青粕毛のシルエットは不気味に揺らめいた。その額には、螺旋状の筋が入った角が一本。
体高1.6メートル程度の一角馬は、分裂するようにその数を増すと、水色の衣を纏った少女をあっという間に取り囲む。
十数頭の内、一つだけが本物で、あとは実体のない幻影だ。
あまりにも数が多すぎて、どれが本物か判別できない。
<エポナ大森林>のエリアボス<ファントム・ユニコーン>は、忍者を思わせる魔法の遣い手だった。
(<テレポート>が使えなくなるなんて、聞いてない……)
ポットや攻撃アイテムの素材となる薬草を採取しようと、欲張った結果がこれだ。生産職の直接戦闘能力は低く、単独では勝ち目がない。
姉とその恋人に気を遣って、一人で来たのが間違いだった。
せっかく集めた薬草も、半分は消失してしまうだろう。
「…………」
だが、自分の見通しが甘すぎたのだ。仕方なく結果を受け入れる。
「ひと思いに殺せ」と目を閉じると、エリアボスの動く気配がした。
「<ソードブーメラン>」
突如、第三者の声がハルの鼓膜を震わせる。
いつか、どこかで聞いたことのある、強い意志をはらんだ声は――
「――――!?」
思わず向けた視線の先から、2メートル級の刃が飛来した。
横方向にスピンをかけられた両手剣は、回転ノコギリの如き様相で灰色の馬を直撃する。
―― 十数頭の幻影をものともせず、たった一つの実体に。
スキルの威力でエリアボスは弾け飛び、幻影を保てなくなる。
初めてもらったクリーンヒットに勢いよく倒れ込むが、一角馬は四本足で器用に身を起こした。
茂みの間より姿を現した青年は、戻って来た大剣を上手くキャッチする。
エリアボスを無表情で眺めると、今度は背後を確認し始めた。
「あの靄、一方通行なのか。初めて知ったぞ……」
何やらよく分からないことを呟く剣士の装備は、かつてとは違う。
チェインシャツに紺色の上着。革製の鎧に比べると似合っていた。
「って、貴方はユーニスタの!?
何でこんなところにいるんですか!」
「……反応が遅い。あと、久しぶり。
この前は、助けてくれてありがとう」
青年はハルにようやく気付いたのか、驚愕の叫びを上げる。
十二日ぶりの再会は、互いに予期せぬものだった。




