2.
四角錐の青い屋根の下、悠久の歴史を奏でて来た鐘楼は、赤レンガの高みから街並みを見守っている。
透き通った海水の流れる水路の上には、ゆるやかな曲線を描く石造りの橋が架かり、街の中枢である<都庁>には、豪奢な宮殿のようなゴシック風のアーチが連なる。
観光名所の如き優麗な風景は、南海に現れた新たな拠点のものだった。
その景色を目にも留めず、路地を駆ける人影が一つ。鴉のような黒装束を纏った金髪の少女が、息を切らして走っていた。
「はぁ……はぁ……」
少女は鐘楼の立つ広場に到着すると、苦しげな表情で周囲を見回す。
現在、この拠点に他のプレイヤーは二人しかいない。しかも、つい先程彼らを――仲間を置き去りにして来たのだ。
すぐに追いつかれるはずはないが、それでも不安だった。
今だけは、どうしても独りになりたかったのだ。
「どうして、こんな……」
目をぎゅっと閉じて、両の拳を握りしめる。
そこに、謎めいた風体の占術師・ゼフィラはいない。ロールプレイヤーの少女・沙上絣がいるだけだ。
<海上都市パルマ・ロッサ>に到着したゼフィラ達は、昼食を取った後、拠点の施設を確認する予定だった。
ところが、ユーニスタのフリードから驚くべき連絡が入る。ゼフィラ達の戦果を掠め取って、ギルドの人員を集める卑劣なプレイヤーが現れたというのだ。
そして、設立されたギルドの名は<ギガントマキア>。
四か月前、サービスを終了したVRMMO<ラビリンス・ファンタジア>の二大ギルドの一つであり――
(私のギルドの名前を勝手に使うなんて……!)
<ギガントマキア>は絣が小学生の時に設立したギルドだ。
始めは弱小ギルドに過ぎなかったが、絣の演じる<聖騎士>ヘカテーに惹かれたプレイヤーが徐々に集まり、勢力を拡大していった。
最終的には、<青枝の騎士団>と肩を並べるまでに至ったのである。
ギルドマスターの絣からしてみれば青天の霹靂だったが、多くのプレイヤーが自分を慕ってくれるのは、純粋に嬉しかった。
現実の絣はあまり目立つタイプの人間ではない。その自分が大勢の仲間を率いて<青枝>と雌雄を決しようというのだから、実に痛快だった。
しかし、LFのデータは消失してしまった。
ヘカテーのアバターデータも、<ギガントマキア>も水泡に帰した。
絣はLF時代、素性不明のプレイヤーで通していたため、仲間と連絡先を交換していなかった。
だから、散り散りになった仲間を探してギルドを再結成し、他のゲームに移ろうと、捨てアカウントを取得して複数のVRMMOにダイブした。
その最中、<クロスガイア>のデスゲームに巻き込まれたのである。
突然の凶報に、とりあえず情報収集をしようと<図書館>に入った絣は希望を見つけた。
昔、LFの大規模PvPで一度だけ戦った剣士だ。
アバターは現実の成長に合わせて調整されていたが、基本的な造形と配色は変わりなかった。
彼がいきなり女子トイレに突入した時は焦ったが、あれは運営の配慮を調べるためだったのだろう。
そして、剣士が狩人と共に攻略を進めるのを盗み見て、彼にならば命運を賭せると感じた絣は、アルベルトの一件を利用して己を演出し、仲間に加わったのである。
(それがバレたら終わりなのに、偽物の<ギガント>が……)
<ギガントマキア>の名前を勝手に使われるのは業腹だ。それが卑怯なプレイヤー集団ならば、なおさら不愉快である。
しかし、現状では対処の仕様がない。<占術師>ゼフィラと<聖騎士>ヘカテーのイメージは真逆だ。
捨てアカウントの美少女アバターで「私が<聖騎士>ヘカテーです」と言ったところで、説得力は皆無である。笑われるのがオチだ。
そして、仮に自分がヘカテーだと認められても、今度はシウス――LF出身のプレイヤーが問題になる。素性を隠して仲間に加わった理由を問い詰められれば、絣の歪んだ人格が白日の下に晒されてしまうのだ。
(どっちも最悪……どうしてこうなったの……)
前門の虎、後門の狼とは絣の置かれた状況そのものである。
<ギガントマキア>の栄光に固執したのは大間違いだった。
ブログや掲示板でギルド解散を宣言しておけば、こんなことにはならなかったはずだ。
(シウス君、気付いてないよね……。口調が全然違うんだから)
古めかしい言葉遣いのロールプレイはシウスへの対策である。
ただ、<ダイダロス攻防戦>の話が出て、思わず反応してしまったのは失敗だった。
それに、<ボマー・ストラス>との戦いで、シウスが高所から落下したことを「二度目」と言ってしまった。ノイエの言では事実二度目だったらしいが、ゼフィラがそれを知っているはずはないのである。
あれは<ダイダロス攻防戦>の降下強襲と合わせて二度目という意味だ。
LFのことを知らない設定のゼフィラが、話に聞いただけの事柄を、さも目の前で見ていたかのように語るのもおかしい。
――このままでは、いつ決定的なボロを出すか分からない――
「――ゼフィラさん?」
「し……軍師か。驚かせるでない」
意中の人に背後から声をかけられて、危うく地が出るところだった。
冷静になるよう心がけつつ、振り返る。
自分を追って、この広場に到着したのだろう。シウスとノイエは不思議そうにこちらを見ていた。
ゼフィラはフリードの連絡を受けた途端にパーティーを離れたのだ。
不審に思われても仕方がない。
「もしかして、トイレを探してたんですか?」
「女性にそういうことを訊きますか、あなたは……」
青年剣士のデリカシーに欠ける発言に、白衣の少女が突っ込む。
いつも通りのやり取りに、ゼフィラは思わずほっとしてしまった。
やはり、シウスは自分の正体に気付いていない。このまま蠱惑的な少女を演じ切ってしまえばいい。
「ゴンドラは見えませんけど、この街のモチーフってベネチアですよね。
だったら、公衆トイレも有料なんでしょうか?」
「はぁ……ベネチアの道はこれほど広くありません。人工島の貴重な土地を無駄遣いしないために、路地の幅は狭くなっているのです。
車の乗り入れができないことは、承知しているでしょう?」
ため息を隠せないノイエは、気持ちを落ち着けるように語った。
おそらく、現実のベネチアを訪れたことがある彼女は、パルマ・ロッサとの相違点を肌で感じたのだ。
(いいなぁ、ノイエちゃん……ここから脱出したら、私も行けるのかな)
絣は日本から出たことがなかった。
仮想の世界に閉じ込められて、はや一か月が経過しようとしている。
未だクリアは見えて来ないが、現実への帰還が叶った暁には、海外旅行もいいかもしれない。
「とにかく、拠点の探索をしないことには始まりません。
手分けして調査しましょう」
「うむ、魔弾の射手に賛成だ。軍師よ、集合までの時間は?」
「結構広そうですから……30分後にここで落ち合いましょう」
しかし、今は攻略に取り組むべき時である。
取らぬ狸の皮算用をしている暇はないのだ。
ノイエの提案を皮切りに、三人は当初の予定通り<海上都市パルマ・ロッサ>の調査を開始した。




