3.
大陸のほぼ中央に位置する<央都アウレリア>より南に10キロ。
広がる景色は、実にのどかな湿原だった。
色鮮やかな緑色の苔が一面に広がり、ノンアクティブのモブ――タンチョウやハクセキレイが、水辺に留まっている。
弁当・水筒を持参し、ピクニック、あるいはバードウォッチと洒落込むには、これ以上ないロケーションだ。
そんなエリア、<クルト湿原地帯>のど真ん中から、黒い靄が巨大な円柱状に立ち上っていた。
まるで、その一画だけを隔離するような魔法の力は、エリアボスとの戦闘を示すサインに他ならない。戦っているのは、三人のプレイヤーだ。
「軍師っ! かの九頭竜も、このように強かったのか!?」
「大体こんな感じでしたよ! ――ノイエさん上っ!」
「デルタ……狙いが定まらない……!」
切羽詰まった様子で二人の少女と青年が言葉を交わす。
浮遊する水晶球を掌に浮かべた黒衣の少女は、汗で頬に張り付いた金髪を煩わしそうに払い除ける。
空に向けてロングボウを構えた白衣の少女は、銀色の長髪を乱して焦りの叫びを上げた。
チェインシャツに紺色の上着の青年は、大剣を構えて強襲に備える。その表情に、普段の穏やかさは欠片も残っていない。
三人共、HPバーは半分を切っていた。HPポットを使わないのは、既にインベントリ内のそれを使い切ってしまったからである。
「要塞の次は戦闘機かよ……運営め、いい趣味してやがる……!」
「言っている場合ですか!? ――また来ます!」
ノイエの警告通り、湿原の上空から漆黒のシルエットが急降下して来る。シウスは両手剣を下段に構え、カウンターの体勢を取った。
超高速で垂直落下したのは、鳥類の巨体だった。
両爪の代替に湾曲した剣を三本ずつ付け、目元は鮮血のように赤い。
造形こそ鴉のそれだが、金属質の腹部は白く、対照的に翼は黒い。
そもそも、全長10メートル、翼開長20メートルもある鴉は存在しない。
エリアボス<ボマー・ストラス>は、まさに天空の覇者だった。
「<レイジングソード>!」
黒い彗星が繰り出す爪と、2メートル級の大剣が激突する。
――瞬間、シウスは紙風船のように軽々と弾き飛ばされた。
湿原を転がってどうにかダメージを受け流したが、スキルが相手に全く通用しないことに歯噛みする。完全な力負けだ。
(ちいっ! まともに剣を振ることすら……!)
内心で舌打ちをしつつ、ゆるい足元を確認する。
苔の生い茂った大地は柔らかすぎて、全力で踏み込んで斬撃を放つことが不可能だ。威力の減衰した剣が、エリアボスの脅威になることはない。
現状、シウスは囮くらいにしかなっていない。足場を気にせずに戦える後衛の二人に期待したいところだが――
「<デルタスナイプ>!」
「<フレイムスフィア>!」
三本の速射と赤熱する火球が<ボマー・ストラス>に追いすがる。
しかし、怪鳥は鋭い旋回であっさりそれらを振り切り、反撃に移行した。
ばさり、と羽ばたきが一つ。
それだけで、大量の黒い羽根が驟雨の如く地上に降り注ぐ。
「――――躱せ!」
シウスは礼儀をかなぐり捨てて、パーティーメンバーに命じた。
即時、百近い破砕音が連続で鳴り響く。
鉄の羽根は地表に触れた直後、一つ一つが必殺の破壊をまき散らした。
それは、爆撃機による空襲そのものである。
「くっ……攻撃範囲が広すぎる……!」
剣士の合図で回避に専念した後衛陣は、完全に回避するには至らず、さらにHPバーを減らしていた。
このまま戦い続けれは、初の拠点復活を味わうことになりかねない。
PKと違って装備は失われないが、インベントリの中身とクレジットの半減は避けたいペナルティだ。
<クロスガイア>には、未だアイテム倉庫も金融機関も発見されていないのだから。
「――<ブルームシュート>!」
シウスが考えている間に、敵の速度に目が慣れたのか、狩人のスキルが遂に空中の<ボマー・ストラス>を射抜いた。
装甲はさほど堅牢ではないのか、敵のHPバーが一気に半分を切る。
「それでこそ魔弾の射手よ! このまま我が仕留めてくれる!」
ゼフィラは追撃の魔法スキルを発動しようと水晶球を天に掲げた。
収束する魔力が徐々に高まり、明確な攻撃性を帯びて行く。
――それと同時に、異形の大鴉は姿を消した。
「なっ……! いずこへ――」
「――ゼフィラさん!」
シウスは黒衣の少女を強引に脇に抱え、横っ飛びに跳躍した。
突風と共に、直前まで彼女のいた地点に六本の裂傷が刻まれる。
すると、<ボマー・ストラス>は突如として上空に再出現した。
「な、何が起こったのですか!?」
原理不明の怪奇現象にノイエは動揺を隠せない。
ゼフィラを地上に下ろすと、シウスは空を睨み付けた。
漆黒の怪鳥は、憎たらしいほど悠々とパーティーを見下ろしている。
「ステルス――いや、光学迷彩か。今のは危なかった……」
「そ、そなた……どうやって……」
青年は苦虫を噛み潰したような口調で呟く。
一方、金糸の髪を持つ少女は三重の意味で驚いていた。
剣士が了承も取らずに自分を抱きかかえたこと。
エリアボスが姿を消して攻撃して来たこと。
そして、剣士が初見にもかかわらず、不可視の一撃を察知したこと。
シウスは顔をしかめて返答した。
「あいつが低空飛行する時には風の流れが乱れます。
<クロスガイア>の再現度に助けられた形ですね」
「は?」
「……何を言っているのか、さっぱり分かりません」
二人の少女は目を点にした。
<ボマー・ストラス>の高速機動は、上空にいる時でさえ地上の大気を激しくかき乱しているのだ。
先程シウスがやってのけたのは、暴風雨にまぎれた一滴の砂糖水を感知するが如き難題である。
率直に言って、人間にはほぼ不可能だ。
剣士の鋭敏な感性は、もはや計算機じみた水準に達している。
「――なれば、起死回生の一手がある。耳を貸すがよい」
ゼフィラは姿勢を正すと、二人を近くに呼び寄せた。
◆
大空を自由自在に翔る異形の大鴉は、その姿を風景と同化させた。
もう一度、急降下からの見えざる爪撃を繰り出すつもりだろう。
エリアボスが光学迷彩を発動するや否や、占術師は魔法の準備に移る。
黒衣に映える金髪が、風に靡いて揺れている。
地上の空気は相変わらず乱れっぱなしだった。
「……来るぞ!」
しかし、剣士は微かな大気振動の変化から、不可視の攻撃を知る。
その合図と時を同じくして、赤い瞳の少女はスキルを発動させた。
「<フローズンスフィア>!」
高密度の冷気が凝縮された水晶球が、湿原の一画を飛び回る。
――飛び回るのは良いが、ゼフィラには敵を感知する術がない。
<ボマー・ストラス>に魔法が当たることは、あり得なかった。
漆黒の怪鳥は、意にも介さず重力加速して地上のパーティーに襲い来る。
「もう、見えてるっての」
シウスは両手剣を正眼に構えると、足場を確かめた。
<フローズンスフィア>によって凍結し、全力での踏み込みに耐え得る強度を手に入れた、新緑の大地を。
そして、己の感覚を頼りに、姿を隠した臆病者に向かって飛び出した。
「<アーマーブレイカー>!」
凍りついた苔を踏み砕いての、全身全霊を込めた突きが火花を散らす。
柄から伝わる手応えと、破れた光学迷彩が、全てを物語った。
大剣は、深々とエリアボスの胴体に突き刺さっていた。
それ故に、シウスは<ボマー・ストラス>の勢いに巻き込まれ、遥か上空へさらわれる。
眼下のパーティーメンバーは、一瞬で米粒程度の大きさに変わった。
(このデカブツ、どんな馬力してやがる……!)
強烈な風圧に晒されて、目を開けることすら困難だった。
怪鳥は自分を串刺しにしているシウスを振りほどこうと、必死で体を回転させる。大剣の柄を掴む握力だけでは、そう長くは耐えられない。
――だが、それも織り込み済みだ。
シウスは思考操作で、武装を両手剣からショートブレードに変更した。
大剣がインベントリに収容され、支えを失った体は大地に引かれる。
剣士にとっては、宙に浮いたその一瞬が、千載一遇の好機だった。
「落ちやがれぇぇええ!」
神速のショートブレードが、大鴉の片翼を切り落とした。
バランスを取れなくなったエリアボスの巨体は、もはや空中の棺桶である。
きりもみ回転しながら、一人と一柱は雲海に飲み込まれた。
それは、父・ダイダロスの忠告を忘れて高く飛び過ぎたがために。
太陽の光に蝋で固めた羽根を溶かされ、海へ墜落したイカロスの姿。
「<ブルームシュート>!」
そして、落下するだけの標的を白衣の狩人が射落とせないわけがない。
瞬間――薄紅色の一矢が重力に逆らいつつ、蒼天を駆け抜けた。




