カサンドラの後悔①
「僕が君を愛することは絶対にない。分かるよね?」
わたくしの夫になった男は初対面でそんな言葉を投げつけてきた。
何それ? 結婚初日の新妻に対してかけるべき言葉ではないわよ!
「何様のつもり? 正式な妻であるわたくしを蔑ろにして許されるとでも?」
反論すると、夫は目を見開いて驚いた。
「え? 君、よくそんな台詞が吐けるね? 自分が何をして、ここに来たのか分かっていないの?」
何をして、ですって? 知らないわよ、そんなの!
王宮から帰るとすぐに部屋に監禁され、そう日が経たないうちにここへ嫁に出されたんだもの!
「ふーん、まあいいや。君がどう思おうと、君の役割は変わらないからさ」
「役割? 役割って何よ?」
「仕事をしてもらう。ただそれだけさ。あ、女主人の仕事とかじゃないからね? 社交も家政も一切やらなくていいよ。やってもらうのは書類仕事だけ。他は何もしなくていい。というよりも、仕事量が多いから他に時間も割けないと思うしね」
「はあ!? 馬鹿言わないで! 女主人の仕事はしなくていいですって!? 社交もしない貴族夫人なんて有り得ないわよ!」
馬鹿にしているわ! 社交で人脈を作るのは貴族夫人として大切なことよ。
それすら知らないなんて……これだから田舎貴族は嫌なのよ!
「だって君、国を乱した『悪女』としてこっちでも有名だよ? そんな女と親睦を深めたい人がいると思うの?」
悪女ですって!? 違うわ! わたくしは悪役令嬢よ!
ヒロインと攻略対象に陥れられる運命の哀れな少女なの!
恋路の邪魔をする、というだけで悪役扱いされてしまうのよ!
「あー……全然罪悪感を抱いていないんだね? うん、まあ、そっちの方が都合がいいや。こっちも何の罪悪感を抱かずに君を利用できるから」
田舎貴族風情が、わたくしになんて無礼な……!
わたくしは怒りのままその男の頬をひっぱたいてやろうとして、腕を振り上げたところをメイドによって阻まれた。
「貴女のようなはしたなくてふしだらな女を買ってやった旦那様を害そうとするなど、何のつもりですか。……躾のなっていない雌猫ですこと」
冷めた声のメイドはわたくしの腕をそのまま捻り上げた。あまりの痛さに悲鳴をあげるが誰も助けてくれない。
なんで……なんでよ!
どうして高貴なわたくしがこんな目に合わなくちゃいけないのよ!!
*
ここは乙女ゲームの世界だということをわたくしは知っている。
そのゲームのタイトルは忘れてしまったが、内容はよく覚えている。
平民のヒロインが王太子含む様々な攻略対象と恋に落ちるというありがちなものだ。
そしてわたくしはその王太子の婚約者、カサンドラ・スピナー公爵令嬢として生を受けた。
ヒロインと王太子の恋の当て馬であり、断罪され国外追放される運命にある少女に。
あんまりだと思う。
別に好きで婚約者になったわけではないのに、勝手に恋のスパイスとして使い捨てられるなんて……。
破滅の未来しかないのなら、いっそ婚約なんて破棄してしまいたい。
でもきっと無理。だって婚約者に相応しいのはわたくししかいない、とゲームのキャラクター設定にあったもの。
なら、やることは一つしかない。断罪回避のために、積極的に行動しないと!
カサンドラは高慢で近寄りがたい雰囲気を持った美少女だったから、それとは正反対の性格を目指そう。幸いにも前世のわたくしは明るくて親しみやすい性格だったし。
しかし、元のカサンドラの人格がそんなわたくしの努力をことごとく妨害してきた。
誰彼構わず気さくに話しかけようとすると「気安く他人に声をかけないで!」と頭の中に甲高い声が響き、前世の知識を元に事業でも始めようかと思えば「淑女にそんなことは必要ない!」と抵抗する。
特に困ったのは、わたくしが婚約者の王太子に会うことを避けていることを激しく叱責することだ。
どうせ彼は将来私を断罪する。なら交流を深めても無駄じゃないか。
だが、元のカサンドラはそれを否定する。
「殿下はそんな非道な御方じゃないわ!」
「せっかく婚約者になれたのよ? 彼に好かれるように振る舞いなさい! 積極的に交流して仲を深めるの!」
わたくしの心の中で、泣きながらそう訴えるカサンドラを哀れに思った。
そういえば、ゲームの中でも彼女は王太子に夢中だった。王太子のほうはしつこく付きまとうカサンドラを嫌っていたというのに。
可哀想だからそれだけは言わないでおいてあげようとしたのに、カサンドラがあまりにもしつこいからつい口にしてしまった。
「王太子はアンタのことを嫌っているわよ? 男なんてアンタみたいな高圧的な女よりも、親しみやすい女を好むものなのよ!」
そう、ヒロインみたいな……と言う前に、私の中にいたカサンドラの人格が消えた。
まるで煙のように、それまで本当に彼女がいたという痕跡すら残さずあっさりと。
「あらまあ……よほどショックだったみたいね?」
あんなに五月蠅くしつこく、わたくしを叱責し続けていた気の強い彼女の声が消えた。
王太子から嫌われていると言われた途端に、ぷつりと。
消える寸前に彼女は「え……? 嘘……嘘よ!」と取り乱していたようだった。
そんなにショックだったろうか、好きな人に嫌われているという事実が。
「まあ……まだ嫌われてはいないんだけどね」
カサンドラがしつこく付き纏うことで、王太子は彼女を嫌う。
まだそれをしていないので嫌われてはいないだろう、多分。
まあ何でもいい。これでようやく邪魔者が消えた。やっと自分の好きにやれる。そう思うと清々しい解放感でいっぱいだ。




