私の婚約
ミスティ侯爵家の娘として生を受けた私、レオナが婚約を結んだのは12の年。
お相手はロバス公爵家の嫡男クリスフォード様。私より2つ年上の理知的な方だった。
恋のときめきは感じられないものの、互いに尊重し合える関係になれたらいいなと思ったことは今でも覚えている。
最初の顔合わせは何の問題もなかった。互いにぎこちなくも挨拶を交わし、会話を楽しんだものだ。
その後も手紙を交わしたり、互いの邸を訪問したりと何の問題もなく交流を深めていった。
それがおかしくなり始めたのはクリスフォード様が15になり、学園に通い始めた頃である。
「スピナー公爵令嬢と学園でこんな話をしたんだ」
「スピナー公爵令嬢と課外授業でこんなことをしてな……」
やたらとカサンドラ・スピナー公爵令嬢に心酔するようになり、会話も手紙の内容もほぼ彼女一色となった。婚約者の口から別の女性を語られることを不快に思ったが、特にそれを指摘はしない。
下手な事を言って嫉妬だと揶揄われるのは嫌だった。
それにクリスフォード様がいくらスピナー嬢に心惹かれても、彼女は王太子殿下の婚約者。
友人を超えて男女の仲になることなど常識的に考えれば有り得ない。そんな前提があったからこそ、彼の口からスピナー嬢の話が出ても耐えられた。
所詮は単なる憧れだろうと。
だが、とある出来事がきっかけで、そのことが耐えられなくなってしまった……。
*
その日は珍しくクリスフォード様から観劇に誘われ、私は浮かれていた。彼はそういったことに興味がなさそうだったから。喜んで向かった私を待っていたのは予想も出来ない光景だった。
待ち合わせ場所の劇場付近で待つクリスフォード様が私に向かって軽く手を振る。
そのとき、彼の隣に黒髪の美しい令嬢がいるのに気づいた。
「え……? クリスフォード様、そちらの方は……?」
淑女らしからぬ唖然とした表情を隠しもせず、私は彼にそう尋ねた。こんな顔を礼儀作法に厳しい母に知られたらお叱りを受けてしまう。だが、この時ばかりは仕方ないのではないか。
婚約者が見知らぬ令嬢を侍らせて待っていたら、誰だって驚くと思う。
「ああ、紹介するよ。彼女はスピナー公爵家のカサンドラ様だ。今日の観劇の話をしたらカサンドラ様も行きたいと仰ってね。だからこうして一緒に来たというわけさ」
何が「というわけさ」なのだろう――――。
何故、婚約者同士の逢瀬に部外者の令嬢がついてくるのか。意味が分からない。
しかもスピナー公爵令嬢と私は面識がない。
面識がない人間を、私に断りもなくいきなり連れてくるなどあまりにも失礼ではないか。
「ごめんなさいね、レオナさん。わたくしがクリスに無理を言って連れてきてもらったの」
え? 今、スピナー公爵令嬢は私のことを名前で呼んだだろうか?
しかもクリフォード様を愛称で呼んだ……?
「あ、もう始まるみたいだ。急ごうレオナ」
そう言ってクリスフォード様はスピナー公爵令嬢を連れてさっさと劇場内に入ってしまった。
私はあまりの情報量に脳が処理をしきれず、何も言葉が出てこない。
そのまま家に帰ってしまえばよかったのだろうが、この時の私は彼等の言動の異常さに衝撃を受け、頭が真っ白になっていた。
気づけば劇場の客席に腰を下ろしていた。隣では、婚約者とスピナー公爵令嬢が仲睦まじく観劇を楽しんでいる。その姿が否応なく目に入った。
よく婚約者の目の前で堂々と浮気が出来るものね……。
呆けた頭に浮かんだのはそんな感想だ。彼等の行為は浮気と呼ぶに相応しい。
それを指摘すれば色々言い訳を述べてくるだろうが、婚約者以外の女性と嬉しそうに触れ合うことが浮気じゃないと言えるのか。彼等が否定しても世間はそうは見ないだろう。
ふと、周囲を見渡せば、好奇な視線があちらこちらから注がれている。
そして「あれは王太子殿下の婚約者のスピナー公爵令嬢では?」という小さな囁き声がそこら中から聞こえてきた。
「隣にいるのは誰かしら? 王太子殿下ではないようね?」
「あれはロバス公爵家のご子息よ! 婚約者でもない殿方とあんなに親し気に……はしたないこと」
「いやだわ。こんな場所で堂々と不貞を働くだなんて……不潔よ」
いたたまれなくなり、私はすぐに席を立った。
このままここにいて、不貞と噂されている彼等と関係があると知られたくない。
挨拶もせずに席を立ち、その場を去るなど礼を欠いた行動であるが、先に失礼極まりない行為をしたのは彼等だ。無礼な相手にこちらが礼を返す義理はない。
逃げるようにその場を去り、そのまま屋敷へと帰った。
*
早すぎる帰宅に両親が驚いて理由を聞いてきたので、私は劇場での出来事をそのまま伝える。
すると両親の顔は見る見るうちに赤くなり、話が終わる頃には母の扇子が彼女の手の中でボキリと折れた。
「婚約者との逢瀬に部外者が……? しかもそれが王太子殿下の婚約者だというの……!?」
「信じられん……なんと失礼で非常識な行動なのか。クリスフォード君も何を考えているんだ!」
「しかもスピナー公爵令嬢はクリスフォード様を愛称で呼んでいらっしゃいました。お二人が幼い頃からのお付き合いならそういう呼び方も分かりますけど、そうではありませんし……驚いてしまいましたわ」
例えば二人が幼馴染という間柄であるならそれも分かる。だがクリスフォード様とスピナー公爵令嬢が知り合ったのは学園に入学してからだ。しかも、まだ入学して一年も経っていない。
なのにあそこまで親密になるなんて……。
「愛称だって!? 王太子殿下の婚約者が他家の令息を愛称で? 信じられん……なんてはしたないんだ……」
「まあ……スピナー家では娘にどういう教育をしてらっしゃるのかしら? 王太子殿下の婚約者ならば、なによりも貞淑さを求められるというのに……。婚約者がいる子息と親密になるなんて非常識にも程があるわ……!」
あまりにも失礼で非常識な行動に激高した両親は、すぐにロバス公爵家へと先触れを出した。
その書状には『お宅の息子、うちの娘とのデートに別の女連れてきましたけど? しかもそれ、王太子殿下の婚約者ですけど?』という内容を丁寧にしたため、当家で一番足の速い馬を使い、最速で届ける。
すると書状の返事ではなく、ロバス公爵夫妻がその日のうちに直接当家まで訪れた。
不貞腐れた顔のクリスフォード様を連れて。
「レオナ嬢、此度は当家の馬鹿息子がとんだ失礼を……!」
「レオナさん、本当にごめんなさい……。婚約者との逢瀬に部外者を連れてくるなんて……お詫びのしようもないわ!」
格上にもかかわらず、深く頭を下げて謝罪をしてくれる公爵夫妻。なのに当事者であるクリスフォード様はずっと不貞腐れた顔のまま。
親がここまで頭を下げているのに、この人は何とも思わないの?
その身勝手な姿に彼への好感度がみるみるうちに下がっていく。
誰の為に公爵夫妻が格下の侯爵家に頭を下げていると思っているのか。
「……頭を上げて下さい閣下、夫人。クリスフォード様、本日はどうしてスピナー公爵令嬢といらっしゃったのですか?」
私がそう尋ねると、彼は眉をひそめた。まるで「君は何を言っているんだ?」とでも言いたげに。
「だから……初めに言ったろう? カサンドラ様も演劇を見たいと……」
「それは聞きました。そうではなく、わたくしがお尋ねしたいのは、何故婚約者との逢瀬に部外者であるスピナー公爵令嬢をわざわざ連れてきたのか、ということですよ」
私の言葉に何故かクリスフォード様は信じられないというような表情を見せた。
信じられない行動をとったのはそちらなのに、何、故私をそんな目で見るのだろうか?
「君とカサンドラ様は友人だろう? それを部外者などと……恥ずかしくないのか!」
「……は? 友人? わたくしとスピナー公爵令嬢が……? 今日、初めて会ったばかりですけど……」
何を訳の分からないことを言っているんだろうと、私だけでなく両親も驚愕の目でクリスフォード様を見た。私とスピナー公爵令嬢は面識もないのに、どうして友人という話になるのか。
「初対面だと……? だがカサンドラ様は君と友人関係だと言っていたぞ。彼女が嘘をついていると言うのか!」
「さあ……? 嘘をついているかどうかは分かりません。ですが、わたくしとスピナー公爵令嬢は本日が間違いなく初対面です。会ったこともない方を友人とは呼べませんよね?」
「だがっ……! 彼女は確かに君を友人だと……!」
「どなたかとお間違えなのではないですか? 仮に友人関係だとしても、婚約者との逢瀬に割り込むなど、無粋で無神経な行動だと思いますよ」
そういえばあの時、スピナー公爵令嬢は私の名前を勝手に呼んでいた。
友人関係であればそれは普通だが、初対面の相手に対してはかなり失礼な行為だ。
王太子殿下の婚約者で、公爵令嬢ともあろう御方がそんなマナー違反をするんど信じられない。
「嘘だっ! 君とは昔からの友人だとカサンドラ様はおっしゃっていたぞ?」
「昔から……? いえ、当家はスピナー公爵家と交流したことはございませんよ? ねえ、お父様、お母様」
この国では令嬢が幼い内は他家の子女と交流する際に必ず親が同伴する。
なので交流相手は親の知り合いに限られることが多い。
「ああ、スピナー公爵家とは所属する派閥も違う。スピナー公爵閣下とも夜会で会う程度で、個人的に屋敷に招いたりもしていない」
「ええ、わたくしもお茶会でスピナー公爵夫人に会うことはありますが、屋敷にお招きしたことはありませんわ。なのでレオナがスピナー公爵令嬢と会う機会などなかったはずですよ」
両親からも否定され、クリスフォード様は下を向いて「そんな……でも……」とぶつぶつ独り言を呟き始めた。
「お話になりませんね。仮にレオナがスピナー公爵令嬢と友人関係だったとしても、婚約者との逢瀬に割り込むなど非常識ではしたない行いじゃありませんこと? ねえロバス公爵夫人もそう思いませんか?」
母からそう投げかけられ、ロバス公爵夫人は苦い顔で頷く。
「……ええ、ミスティ侯爵夫人のおっしゃる通りですわ。クリスフォード、今はスピナー公爵令嬢がレオナさんの友人かどうかなど問うている場合ではないのです。お前はそれを理解していないのですか?」
「ですが……母上、カサンドラ様は……」
「お黙り! お前が優先すべきはスピナー公爵令嬢ではなく、婚約者であるレオナさんです! これ以上当家とミスティ侯爵家に恥をかかせるような真似は許しませんよ!」
公爵夫人の叱責にクリスフォード様は渋々ながらも口を噤んだ。
その子供みたいな態度に私の彼に対する好感度が更に下がったのは仕方のないことだと思う。
婚約者以外の女性と親密になってはいけない。それは貴族も平民も同じこと。相手に誠実に向き合うなら必ずそれを守れるはずなのに。
こんな誠実とはいえない相手とこの先上手くやっていけるだろうか。
この時の私は先行きが不安で仕方がなかった―――。




