元婚約者の来訪
それからまもなくして、エリナ様から贈り物が届いた。包みを開けると、以前話題に上った隣国の恋愛小説が入っていた。目に飛び込んできたのは思わず見惚れてしまうほど美しい装丁。いったいどんな物語なのだろうと心が躍る。
さっそく読み始めようとしたその時、不意に誰かが叫ぶような声が聞こえた。
「……騒々しいわね。どうしたのかしら?」
「なんでしょうか? ちょっと様子を見てきますので、お嬢様は部屋から出ないでくださいね」
なにやら危険を感じたサリーが様子を見るために部屋を出た。
しばらくして戻ってきた彼女の顔には嫌悪と怒りが浮かんでいる。
「どうしたのサリー? 何があったの?」
「それがですね……また来たんですよ。お嬢様の元婚約者が……」
「あら、ここしばらく来ないと思ったらまた来たのね?」
「そうなんですよー……。しかも今日はしつこくて『お嬢様に会うまで帰らないー!』と地面に座り込んじゃったみたいです」
「まあ! あの気位の高い方が地面に!?」
「ええ、そこまでされると門番たちもどかせないしで困ってます。腐っても公爵家の人間ですし、無闇に触れるわけにもいかず……」
「それじゃ仕方ないわね。今回だけは会ってあげましょう」
「え!? いいんですかお嬢様?」
「ええ、ただし今回だけよ。次はないわ」
エリナ様と話したことで彼がどんな人間かがよく分かった。
それまでは理解不能で気味が悪くて、二度と言葉を交わしたくなかったが、今は違う。
「応接室に案内して。それと室内には護衛騎士を数人配置してちょうだい」
万が一彼が激高してこちらに襲い掛かってきた時の保険は用意しておかねば。
あちらの方が爵位はまだ上であるものの、防衛のためならば騎士は制圧しても不敬には問われない。
「ああ、それとお茶は用意しなくていいわ。もちろんわたくしの分もね」
さっさと済ませて本の続きを読もう。私は本を仕舞い、応接室へと向かった。
*
久しぶりに会ったクリスフォード様は随分とくたびれた姿をしていた。
髪も肌も荒れていて、以前の貴公子めいた彼は何処に行ったのやらという風体だ。
「さて、お久しぶりですわね、ロバス子息。本日はどういったご用で?」
低く、威圧を込めた私の物言いにクリスフォード様は随分と驚いている。
それもそうだろう。婚約時代から私にこんな声で話しかけられたことなどないのだから。
「レオナ……そんな冷たい言い方はよしてくれ。私達の仲じゃないか?」
「まあ、どんな仲ですの? 親し気に言葉を交わすような間柄ではなかった、と記憶しておりますけど。 それと質問に答えていただけます? 本日はどのようなご用件があって当家へいらしたのですか?」
淡々と矢継ぎ早に質問する私と、私の後ろに控える護衛騎士達に物々しい雰囲気を感じたのか彼は呆然としたままだ。
「何も話さないのでしたらお帰りいただけます? わたくしも暇ではないのですよ」
「……待ってくれ! レオナ、どうして急にそんな冷たい態度を……」
「どうして? それは貴方に礼を尽くす理由が一切ないからですよ。いいですか? わたくしは今、善意で貴方の話を聞こうとしているのです。それなのに、貴方はいつまで経っても用件を話そうとしない。一体どういうおつもりですか?」
「なっ……!? なんだその言い方は! たかが侯爵家風情が生意気な……!」
「左様ですか。ではお帰りください。ロバス子息がお帰りよ、玄関まで見送って差し上げて!」
背後にいる護衛騎士にそう命じると、彼等はすぐさまクリスフォード様の両隣りに回った。
すると彼は近くにまで来た護衛に驚き、慌てて弁解を始める。
「いや、待ってくれ! 分かった! 話すから!」
彼がそう叫ぶと護衛騎士達はまた私の背後に戻った。
彼等の目は常より鋭くなっており、睨みつけるようにクリスフォード様を見据えている。
その眼力にビクッと体を震わせたクリスフォード様が小声で話し始める。
「実は……このままだと家を追い出されてしまうんだ! 父上は跡継ぎを妹に変えると言うし、そうなると私が邪魔だからどこかへ働きに出すと……」
「ふうん。そうなのですか」
興味なさげに応える私にクリスフォード様は信じられない者を見るような目を向けた。
そんな目を向けるということは、彼は私が同情するとでも思っていたのだろうか。
だとしたら滑稽だ。彼の望む反応をするつもりなぞ、微塵もないというのに。
「え……? 驚かないのか? 公爵家嫡男の私が市井に働きに出るんだぞ?」
「別に驚きませんけど? 婚約を壊し、王太子殿下の婚約者と必要以上に親しくしたような子息には、当然の処置かと」
むしろ毒杯を渡さないだけ優しい方だと思う。貴族間の婚約を壊すという行為はそれだけ罪が重いのだから。だがそれを理解していないクリスフォード様は顔を赤くして喚きだした。
「何が当然なものか! 私はずっと跡継ぎとして……未来の公爵となるべく育てられたんだぞ!? それが奪われた気持ちが君に分かるものか!」
「はあ……。気持ちは分かりませんけど、道理は分かります。わたくし達の婚約と、王太子殿下の婚約を壊したんですから、その処置は妥当かと」
「それは……いや、違う、私が壊したわけでは……」
「ああ、正確には貴方とスピナー公爵令嬢ですね」
「どうしてそこでカサンドラが出てくるんだ!」
「むしろ、どうして関係ないと思うんですかね。それはそうとして、結局貴方はわたくしに何を求めていらっしゃるの? 貴方が跡継ぎの座を失おうと、働きに出ようと、わたくしには関係ございませんよね?」
分かってはいたけど話にならない。エリナ様が言っていた通り、この人は未だに何が悪かったかを理解していない。こんな視野が狭く常識も弁えていない人が婚約者だったのか、とため息をつきたくなる。
「私が何を求めているのか分からないのか? 君は、私のことなど何も分かっていないんだな……!」
「はあ。それは貴方が『私のことはいいだろう』とおっしゃったからですわ。わたくしは貴方を理解したかったのに、貴方はそれを拒絶した。ですので責められる筋合いはありませんわ」
「は……? 言ったか、そんなこと?」
「ええ、茶会の席ではっきりと。貴方が口にすることといえばスピナー公爵令嬢のことばかり。ご自分のことを話さないばかりか、わたくしのことも知ろうとしない。わたくし達は互いのことを何も知らぬまま縁が切れたのです。なのに、わたくしに何かを求めるなど筋違いではありませんこと?」
どう考えても彼は私に何かを求める立場にないというのに、それすらも理解していない。
こんな考え無しの人と夫婦にならなくてよかったとつくづく思う。
「そんな冷たいことを言わないでくれ、レオナ! なあ、頼む……私とやり直してくれ。君さえ頷いてくれたら私も跡継ぎの座に戻れるんだ!」
「あらまあ。跡継ぎの椅子には妹君が座りますので、ご心配されずともよろしいんじゃなくて?」
「馬鹿なことを言うな! 女が当主になれるわけがないだろう!?」
「いいえ、我が国では女性が当主になることを認めておりますのよ? それに妹君は聡明で器の大きい方ですわ。きっと立派な当主となりますよ」
エリナ様を褒めると分かりやすくクリスフォード様の顔が赤く染まり、目を吊り上げる。
その顔を見るに、彼は妹に劣等感を抱いているようだ。実に分かりやすい。
「あんな生意気で頭でっかちの奴が立派な当主だと! ふざけているのか!」
「いえ、これっぽっちもふざけておりません。むしろ婚約者とのお茶会に部外者を連れてきた貴方の方が、よほどふざけておりましてよ」
「はあ!? 昔のことを持ち出すなんて卑怯だぞ!」
「どの辺が卑怯なのか分かりませんが、いい機会ですので教えてください。なぜ、わたくしとの茶会にスピナー公爵令嬢を招待したのです?」
「だからそれはカサンドラが来たいと言ったからだと教えただろう? 忘れたのか?」
「それは覚えています。そうではなく、わたくしへの配慮はなかったのかとお聞きしたいのですよ。来たいと請われようとも、普通は断るものですよね?」
首を傾げる元婚約者に、この人は本当に駄目だなと心底呆れた。
「カサンドラと私は不埒な仲ではないというのに……。君も両親も下衆の勘繰りをして……失礼ではないか!」
「あら? でもロバス子息はスピナー公爵令嬢のことを憎からず思ってらっしゃるのでは? わたくしの目から見ても、お二人はとてもお似合いでしたわよ」
頭にお花畑が咲いているところなんか特にお似合いだ。
両者とも婚約を破棄されたのだから、堂々と恋仲にでもなればいいのに。




