第一話
「あのぉ、先生。それで、今日は何を?」
「言っただろう? シフル。『先生』でなく『シェダ』だ」
馬車で向かいに座る特級魔法師が婚約者。その事実に未だ慣れないシフリーナは、呻くように「はあ」と返事を返した。
婚約を決めてからのウーシェダは早かった。
アイトリア家に挨拶に行く日程のお伺いをたてるための魔法書簡を送り、タリデッテを始めとした教師たちに、実はシフリーナはウーシェダの婚約者なのだと公表した。
『今回講師を引き受けたのも、彼女がいた学校だからです』
ウーシェダのそんな出任せを、教師たちはなるほどと信じた。
シフリーナの父と面識のあるタリデッテだけは、『講師に来た魔法師が女生徒に手を出すなど前代未聞ですよ』と苦虫を噛み潰したような顔で事態を正しく把握していたようではあったが、シフリーナがこのまま退学してウーシェダについて行くことを彼が止めるはずもなかった。
シフリーナはこの数日、表向き、騒ぎを起こしたことでの謹慎処分として、寮の自室からほとんど出ることなく過ごした。実際は、校内の安全性について、ウーシェダが憂慮したためだ。
学校側が他の生徒に発表したのは、ギルデとシフリーナ双方を謹慎処分にするというもの。
ウーシェダはこれに抗議したが、学校は退学予定の魔力のない生徒よりも、今後も在籍するギルデの将来を取ったのかもしれない。
ただ、今回の件をアイトリア家に報告しないでほしいという願いは聞き届けられた。それに、君の名誉を守りたかったんだが、とウーシェダが言ってくれたから、シフリーナからしてみると、もうそれだけで充分な気がしていた。
そのギルデはといえば、タリデッテにみっちり説教された後、保護者の呼び出しと面談、反省文と罰の清掃一ヶ月が課されたのだとロミーナが教えてくれた。
シフリーナが部屋から出るのを禁じられている間、食事などを運んでくれたロミーナにも、偽装婚約などという本当のことを話せるはずもない。運命の出会いだったのね、と微笑む友人に少しだけ後ろめたさを覚えながらも退学を伝えると、この学校で唯一彼女だけが、それを心から残念がってくれた。
ウーシェダはシフリーナに会いに来ることはなかったものの、処分が決まってすぐに、学校を出るまで寝る時にも絶対にはずさないようにと言い含めて、ペンダントをくれた。彼の守護魔法がかかっているらしい。
ネームタグのようなシルバーのそれは、今もシフリーナの胸元に揺れている。
昨日で講師の任期を終えたウーシェダと共に、すぐにアイトリア家に向かうものと思っていたシフリーナは、実家ではなく町へと向かう馬車に首を傾げた。
「シェダ先生?」
「先生をつけずにもう一度」
「シェダ……様?」
「……いったんはそれでいいか。シフル、俺たちは婚約者同士だ」
「まあ、まだお父様の許可は下りていませんが、一応そうですね」
「許可は取る。今日はその為に必要な装備を揃える」
装備、とオウム返しに呟くと、向かいに座ったウーシェダは大仰に頷いた。
「君、この学校の入学式には何を着たんだ?」
「ドレスですよ。部屋に置いておくには邪魔なので、実家に送り返してしまいましたが」
「なるほど。スカートもほとんどなかったな? 嫌いか?」
「最初に持ってきたのはスカートが多かったんですが、あれだと走ったり樹に登ったりするには邪魔なので。兄にお願いして、おさがりを送ってもらったんです」
校則の服装規定は、授業に支障のないもの、としか書かれていない。
だから、それがどんどん男子生徒のようなものになっていっても、誰に咎められることもなかった。
なるほど、と再び答えたウーシェダの声は幾分低くなっている。
不興を買ったかとそっと窺い見ると、すぐに気づいた特級魔法師は「別に君に怒ってるわけじゃない」と苦笑した。
「念のため尋ねるが、その短い髪の毛は入学の頃からか?」
「これはですね、牧羊犬を見習ってみました」
「は?」
「先生、ご存知ですか? 牧羊犬は赤ん坊の時に尻尾を切ってしまうんです」
意味がわからない、という表情のウーシェダは、それでも「先生じゃないだろう? 言い直せ」と訂正を求めるのを忘れない。
「シェダ様」
「ああ。それで君の髪の長さと牧羊犬になんの関係がある」
「牛や羊の群れを追うのに踏まれて危ないから、犬種によっては尾を切って、危険回避をするんですよ」
「つまり、入学してから長い髪が危険だから短く切った、という理解でいいか?」
「はい。遠目に男の子に紛れられる上に、咄嗟に掴まれる心配もないので」
入学前は腰まであった髪にハサミを入れるのは多少勇気を要した。
けれど、切ってみると頭は軽いし、毎朝髪を編む手間もかからない。これはこれでなかなかに合理的だったとシフリーナは思っているが、ウーシェダはすぐに眉間に皺を寄せた。
「えーと……ダメそうでしょうか? その『装備』的に」
「君のお父上がどう思うかはわからないが、俺の好みがそうだということにしておくか。万が一訊かれたら、俺に切るように言われたと言えばいい」
「わかりました」
シフリーナが顎を引くと、馬車が止まった。
「着いたな。……では姫君、まいりましょうか?」
馬車を降りて、芝居がかった台詞で手を差しだす魔法師の姿がおかしくて、シフリーナは「はい、先生」とその手を取る。
「やり直し」とすぐに訂正を求められ「シェダ様」と言い直して、馬車を降りた。
店内に入ると、たくさんのトルソーが並び、様々なドレスが飾られていた。
「予約していたウーシェダ・ファートだ」
「ファート様、お待ちしておりました」
出迎えた淡緑色のドレスの女性は、丁寧に頭を下げて微笑んだ。
「そちらが婚約者様でいらっしゃいますね?」
男の子のような長さの髪に、ズボンにシャツ姿で『婚約者』と呼ばれることに少しだけ怯んだシフリーナは、なんとなくウーシェダの服の裾をひいて、その顔を見上げた。
「ああ。彼女にドレスを贈りたいのだが……」
「かしこまりました。では早速似合いそうなものをいくつかお持ちいたします」
「いや。まずは彼女の好みに合う物があるか確認させてもらえるだろうか。俺の物は昨日伝えた通りでいい。……どうした、シフル?」
「いえ」
裾を掴んだ手を取られ、そのまま指先に口づけられる。
講師をしていた時とはあまりの違いように目を白黒させていると、喉の奥で笑ったウーシェダは「まずはいろいろ見せてもらうといい。本当ならオーダーして作ってやりたいところだが、今回は時間がない。悪いが既製品で我慢してくれるか?」と言って、シフリーナの手をそっと解放した。
「すごいですね、先せ……」
「……」
「……シェダ様」
「いいからドレスだ。俺は女のドレスなどてんでわからん。彼女をお願いしても?」
「ええ、もちろんです。ではお嬢様。こちらでいくつか合わせてみましょう」
店員に促され、ドレス選びが始まった。
入学前、シフリーナも普段はドレスを着て過ごしていた。
家では、時折訪れる担当者が採寸し、気づけばワードローブの中が増えたり減ったりしていた。色や型を指定したことはないから、恐らくはシフリーナの母が選んでくれていたのかもしれない。
シフリーナが社交の場に参加したのは、そう多くはない。アイトリア家で主催したものなら挨拶くらいはして回ったが、魔力なしの娘を当主である父親があまり表に出したがらなかったこともあり、他所のパーティに参加した回数など片手の指以下だ。
だから今、こうして色とりどり、様々な型のドレスを前に、どれが好みかと訊かれてもまったくもってわからず、シフリーナはただ立ち尽くしてしまう。
これが魔法書なら系統や目的にあわせて手に取ればいいけれど、ドレスなど何を基準にしたらいいものか。
「申し訳ありません。私はドレスについてよくわからなくて。どうやって選んだらいいかもわからないので、教えていただけますでしょうか?」
シフリーナが丁寧に申し出ると、軽く目を瞠った女性は、すぐににっこりと微笑んだ。
「もちろんでございます。まず、お連れ様のお召し物は正装と承っておりますが、お嬢様のドレスも普段使いのものではなくそのような用途でよろしいですか?」
「はい。婚約の挨拶? お願い? で着る物です」
「まあ! ならば気合いを入れて選ばねばなりませんね。お好きな色はございますか?」
好きな色。そう訊かれて考えたシフリーナの脳裏に、あの日のピンクの鯨が跳ねた。
「ピンク……ですかね」
「ピンクでございますね。今回お連れ様のお召し物は深紫色なのです。ピンクならば並んだ時に一体感があっていいかもしれません。いくつかお持ちしますね」
すぐに十着ほどのドレスがトルソーに着せかけられて並べられた。
一番端に置かれたのは魔法師の正装のローブ。それも特級魔法師にのみ許された深紫色のものだ。
一口にピンクのドレスといっても、色味も型も様々だ。
「なかなか壮観だな」
ウーシェダの声を耳にしつつ、シフリーナは丹念にドレスを見比べる。
胸元の大きく開いたものは、貧相な体つきでは着こなせないに違いない。
ベビーピンクは可愛いけれど、さすがに少し子どもっぽい。
「色は置いておいて、いったんお好みの型を決めてしまいましょうか。全部着てみてもいいですが、この中にお召しになられてみたいものはございますか?」
シフリーナはその中の一着に目を留める。
パゴダスリーブで、肘のあたりの蔦柄が優美だ。スカートの裾のフラウンスは二段でシルエットが可愛らしい。
ただ、果たしてこれが似合うかと言われれば、どうだろうかと尻込みしてしまう。
「こちら、お召しになられてみますか?」
「うぅ……はい。お願いします」
頷くと、奥のフィッティングルームへと連れて行かれた。
「コルセットは……いらなそうですね」
支度を手伝ってくれる女性に貧相だと言われているような気になり、シフリーナは「すみません」と眉を下げた。
「ああ、いえ。そのままで綺麗に着ていただけそうだという意味ですよ。少し御髪なども整えさせていただいてよろしいですか?」
「お願いします」
鏡の前の椅子に座ると、店員は丁寧に髪をとかし、いくつかの髪飾りをあてた中から小花が並んだバレッタを選ぶと、横の髪をまとめて留めてくれた。
「では、お連れ様にも見ていただきましょうか?」
「はい」
脚に裾の当たる感触が懐かしい。
これではとても全速力では走れそうにないと考えながら、ウーシェダの元に戻る。
手帳に視線を落とす彼に「先生、どうでしょうか」と声を掛けると「だから先生では」と顔をあげたウーシェダは、そのまま言葉を切って固まった。
「えーと……」
「綺麗だ」
そう言って目を細めるウーシェダを前に、シフリーナはなんとなく居たたまれない心地になる。
ドレスは確かに綺麗だけれど、中身が自分では台無しではないだろうか。
「……やっぱり似合うものを選んでもらって、それにするほうがいいんじゃないでしょうか」
裾を見下ろしてから、店員とウーシェダの顔を交互に見ると、店員は「とてもお似合いですよ」と頷いた。
「でも、さすがにこのピンクだと少し子どもっぽいかなって」
「ああ、それでしたら」
店員が空中に指を滑らすと、途端にドレスの色が淡いピンクから落ち着いたローズピンクへと塗り変わる。
「え! 魔法!」
声をあげたシフリーナに、ウーシェダが喉の奥で笑った。
「お色は調整可能でございます。いかがですか?」
「魔法見たさに延々試すんじゃないぞ」
すかさず釘を刺されて「はい」としょんぼり返事をすると、今度は店員の女性が小さく笑う。
「このくらいならいくらでもお付き合いいたします。でも、お急ぎとのことですから、まずは決めてしまいましょう。他のドレスも着てみてはいかがですか?」
促されてシフリーナはドレスを見渡す。
それでも、今着ているこれが一番好きだと思った。
「先せ……シェダ様はどう思いますか?」
「シフルはそれが一番好きなんじゃないのか?」
「それは……はい、そうです」
「俺はとても似合っていると思う。色は、そうだな、さっきのよりこの色の方がいいと思うが」
「私もそう思います」
ここで決めてしまっては、もう魔法が見られない。
決断を先延ばしにしようか迷うシフリーナに苦笑して、ウーシェダが口を開いた。
「シフル。婚約して君が住むのはどこだ?」
「魔法塔?」
「そうだな。魔法塔に行けば、魔法なんて飽きるくらい日常的に見られるぞ」
「そうですね」
「ドレスはこれに決めるか?」
「はい、これがいいです」
そう答えると、ウーシェダはドレスに合う靴や小物類を見繕うように店員に依頼する。
魔法好きのシフリーナのために、女性はいくつかの魔法を見せてくれながら、コーディネイトを一通り整えてくれた。
最後にシフリーナの瞳に合う紫水晶がヘッドについたネックレスを提案されて、今つけているシルバーのネックレスを指先で撫でる。
「アクセサリーはこれだと駄目ですか?」
「なにか思い入れがおありなんですか?」
「これは、せ、シェダ様がくださって」
「まあ、贈り物だったのですね」
頷いてからウーシェダを見ると「そのドレスには合わないだろ」と苦笑交じりに言われてしまう。
「でも、これ魔法がかかっている特別製ですし」
「そっちか」
笑み含んだ声で言われて、シフリーナは「そっちとは?」と首を傾げた。
「新しく買うものにもかけてやるから、そっちの新しいのにしておけ」
「はい」
素直に頷くシフリーナに、ウーシェダは再び苦笑を浮かべた。
魔法塔に行けば、魔法なんて飽きるくらい日常的に見られる。
ウーシェダの言葉は、あの父に会わなくてはいけない、と沈みそうになるシフリーナを奮い立たせるには充分だった。
その日々を得るには、まず婚約の了承を勝ち取る必要がある。
シフリーナは、鏡に映る文字通り魔法を掛けられたドレス姿の自分を前に、ぎゅうと掌を握りしめた。
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