魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑲
魔法塔の中講堂に集まってきた魔法師たちは、入り口で求められた誓約に皆一様に眉を寄せた。
今日、この中講堂内で見聞きした内容の一切を漏らすことのないように求める誓約だ。しかも、その相手は、長老と七賢人全員。
魔法塔の魔法師が誓約を求められることはあっても、大抵は所属の局長と直轄の七賢人の誰かひとりを相手とするものだ。局長自身ならば、直轄の七賢人ともうひとりがせいぜい。それを今回は上層部たる八人全員が誓約相手なため「大袈裟だろう」「特級と言っても魔力はないんだったよな?」などとひそひそと話す声も聞こえてくる。
それでも声高に異を唱える者がいないのは、前方の演者が立つスペース、向かって左側に既にメルカトルを筆頭に七賢人たちが座席側を向いて座っているからだろう。
会場で人の配置や誘導に立ち回るのは、ティナックの直轄する危険術式研究局の上級魔法師たちだ。
二列目までは各局の局長たちが、それ以降には参加を許された上級魔法師たちが座席を埋めていく。
シフリーナはといえば、前方の右側に並べられた椅子に座り、今日の講演内容が書かれた紙の束を読み返しながら、隣に座るオルセと何事か言葉を交わしていた。
「揃いました。始めていただいて大丈夫です」
進行を請け負うウーシェダの元に、危険術式研究局の魔法師が報告に来た。ウーシェダは会場を見渡し、口を開いた。
「本日はお忙しい中、理論師室の報告説明会にお集まりいただき、ありがとうございます。質疑応答時間は最後に設けますので、スムーズな進行にご協力をお願いします。では、シフリーナ。始めてくれ」
「ひゃいっ」
シフリーナのひっくり返った声が、講堂内に響いた。
緊張を顔いっぱいに貼り付けている姿は少々心許ないが、ウーシェダはそこまで不安視していない。
始まってしまえば、彼女の独壇場なのは間違いないからだ。
ウーシェダが空中に指を滑らせると、黒板の上の壁に大きく魔法陣が映し出される。
会場の一部がざわりと揺れる。
そこに映し出されたのは、塔の上層部以外は危険術式研究局と拘束管理局にしか閲覧を許されない、ウーシェダの魔力を封じた魔法陣だった。
「新しい魔法陣を、考えて欲しいんだ」
そんな言葉でメルカトルがシフリーナに課したのは、魔力を封じる魔法陣だった。
元の魔法陣を、なるべく原型を残さずに、まったく違う枠組で一から作るという課題だ。
「それでシフリーナ。日程を決めたいんだけど、新しい魔法陣を作るの、どのくらいかかりそう?」
三人が見守る中で、少し考えたシフリーナは「二日……うーん、三日くらい、ですかね」と答えた。
シフリーナの返事に、メルカトルが目を見張った。
「待って待って、シフリーナ。三日? ……本当に?」
「えーとですね。実は、あの魔法陣、どうしたら破れなくできるかな、とか、いっそ新しくできないかな、とかいろいろ考えて描いてみてたんです。ですよね?」
同意を求めるシフリーナに頷いて見せてから、ウーシェダは「実は」とメルカトルに向き直った。
理論師室が始動したとはいえ、ルエラの魔法陣が持ち込まれるまでは、理論師であるシフリーナがやらなければいけないことというのはそう多くはなかった。
それに引き換え、ウーシェダとオルセは時折古巣からも問い合わせが舞い込んだり、新部署の立ち上げ時ならではの書類作成などに追われて、自然、シフリーナがひとりで研究や解析をする時間がそれなりにあったのだ。
その間、彼女が取り組んだのがあの魔法陣の解析だ。
特段の期限もなかったため、まるで暇つぶしにとでも言うように、いくつかのパターンを描いては改善できないかと研究していた。
それが、こんなに早く役に立とうとは思いも寄らなかった。
「あの魔法陣、アグリから渡されてたの?」
「えーと……覚えちゃってました」
誤魔化すように笑ったシフリーナに、「そっちもか。君は本当におもしろいね」とメルカトルがなかば呆れたように笑った。
「この魔法陣は、魔法師の魔力を奪うものです。一部の局でしか閲覧できない魔法陣だと聞いたので、見たことのない方も多いと思います。この魔法陣は、通常犯罪者の護送などに使われるそうですが、シェダ様が……あ、いえ、えっと理論師室室長が、この魔法陣で魔力を奪われるということがありました」
シフリーナの言葉に、今度は会場全体がざわめいた。
ウーシェダとシフリーナが拉致された事件は、公表されていない。知っているのは関係者と関係局のみだ。
「お静かに願います」
ウーシェダが声を掛けると、ざわめきは少しトーンダウンした。
今日、このことをこの場で明かすことは、拘束管理局の失態を明らかにすることにも等しい。けれど、参加者全員が誓約を交わしているため拘束管理局のメンツは保たれる。
その上でシフリーナが、この魔法陣をいかにして無効化したのかを詳らかにすることに意味があった。
最初はこの魔法陣の基本構成を、続いて、どういう手順でこれを読み解き、最終的に無効化したかと淀みなく説明する。
事前に十分打ち合わせていたお陰で、シフリーナしか理解できない理論の飛躍は最小限に抑えられたはずだ。
それでも、会場を見渡せば十分には理解できていなそうな顔をしている魔法師も散見するが、危険術式研究局を筆頭に、多くが引き込まれたようにシフリーナの説明に耳を傾け、前方に映し出された、シフリーナが外周に加筆した魔法陣に見入っていた。
「今回、この魔法陣を皆さんにお見せするにあたって、この魔法陣の業務での利用は終了します。新しい魔法陣はこの会の後に関係者のみに知らされるそうなので、そちらで確認してください」
シフリーナは魔力封じの魔法陣を、本当に三日で描き上げた。しかも、四パターンを考案、そのうちの二つが採用されることとなった。
新しい魔法陣は、描き換えの難易度が格段に上がったものだ。それに加え、どちらの魔法陣も、起動した場合、必ず魔法塔が起動と起動された方位を検知できるようにした。特定の外部干渉で魔法陣の無効化ができるようにも組んだため、検知方法と干渉方法の存在を秘匿しておけば、万が一悪用されることがあっても、手が打てる仕様となっていた。
「次に、先日の事件に関する魔法陣について解説します」
話はルエラの魔法陣へと移る。
これも、最終的に立体の魔法陣が映し出され、会場は大きく揺れた。
それはそうだろう、と思う。既存理論を熟知していてなお、魔法陣を立体で組むという発想ができる魔法師は、おそらくこの会場にはひとりとしていないはずだ。
「以上で、私からの説明は終わります」
シフリーナの締めくくりで、会は質疑応答へと移る。
属性干渉、基本理論との違いなど、高度な質問が次々と投げかけられる。
それらすべてに回答し、時にはシフリーナが質問の前提が間違っていることを指摘する場面もあった。
やがて、いよいよ質問が尽きたように思われたタイミングで、ひとりの魔法師が挙手をして立ち上がった。
「今回この事件でなんの罪もない魔法師が六人も犠牲になっています。同じ魔力なしとして、責任を感じますか?」
シフリーナの様子次第では、すぐにフォローに入るつもりだったウーシェダの視線の先で、彼女は少し考えてから「感じません」ときっぱりと口にした。
「あの魔法陣を考案したのは私ではないですし、制作に関わったわけでもないです。私がしたのは、解析して、起動中のものを終了させただけです」
「魔力もないのに魔法師気取りで魔法陣に触れる人間が増えることで、こういうリスクが増えるのでは?」
男はなおも食い下がる。もはやシフリーナをやり込めることが目的としか思えない言いがかりだ。
「そんなことが起きたら、また私が助けます。そうできるように頑張ります。もちろん助けるのは私じゃなくて、あなたでもいいと思います。今回のは、魔法陣の設計思考さえわかればそこまで難しいものでもなかったですし、先ほど説明した通り、設計思考がわからない段階でも対処魔法陣は描ける程度だったので」
いったん映し出された立体魔法陣に視線をやったシフリーナは、こともなげに答える。
シフリーナがそう言うと、まるで今回彼女の描いた魔法陣が易しかったのかと誤認しそうになるが、説明をきちんと聞いていた者ならば、けっしてそうでないことは理解できたはずだ。
彼女の物言いが、逆に彼女のレベルの高さを物語ることとなり、会場はシンと静まった。
「念のため補足すると、私の魔力を封じて、私と彼女を拉致したのは塔の魔法師です。同じ魔法師として、責任を感じますか?」
ウーシェダが尋ねると、魔法師はばつが悪そうに席に着いた。
「ふはっ、いいね。この際、理論師に不満がある人、手をあげて意見を言ってみたら?」
それまで黙って様子を見ていたメルカトルがそう言って会場を見渡す。
多くの魔法師は、長老と目が合わないように手元に視線を落とした。
「あれ? いないの? 僕たちのところにも、噂はそこそこ届いてるよ? いい機会だから言っていいよ。ただし、時間は限られてる。最低限、道理にかなってるって自信を持って言える意見にしてくれると助かるな」
再び会場を見渡したメルカトルは「えー、ないの?」とどこかつまらなそうに口先を尖らせた。
「そのほか質問は?」
「はい!」
手を上げたのはシフリーナだった。
質問が途絶えたところで終了することにはしていたが、シフリーナが挙手をするなど打ち合わせにない展開だ。
ウーシェダがさりげなくオルセを見ると、オルセは緩く首を振った。
「シフリーナ。なんだ?」
「はい。質問ではないのですが……。私は、魔力がないです。なので自分で魔法陣の起動はできません。だから、魔法が使える魔法師の方々がすごく羨ましいし、尊敬しています」
シフリーナ自身も用意してきた言葉ではないようで、会場を見渡し、考えながら話しているように見えた。
「魔力があったらよかったとは思いますが、もしも魔力があったら、私は今こんなふうに魔法理論をたくさん勉強して、ここまで魔法陣を描けるようになっていたかわかりません。魔法は、綺麗で、楽しくて……シェダ様がお茶に入れる砂糖をウサギにして走らせてくれるだけで幸せな気持ちになれちゃうので、私が魔法を使えても、きっとそんなことだけして満足していたと思いますし」
へにょりと笑うシフリーナは可愛らしく、砂糖一つで幸せな気持ちになれるなら、そんなことはこれからだってずっとしてやる、と思う。
同時に、座席のあちこちから妙に生温かい視線を向けられるのを感じながら、ウーシェダはシフリーナがいったい何を伝えたいのかと続きに耳を傾ける。
「私が魔法陣を描いても、起動してくださる魔法師がいなければどうにもならないです。その代わり、私の魔法陣がなくてはどうにもならない、っていつかそうなりたいと思います。理論師には魔力はないけれど、誰にも負けない理論がある、そうやって認めていただけるように……魔法師と対等に協力していけるようにしていきたいです。これから皆さんのお力を貸していただけたらって思います。私もお役に立てるように頑張ります。よろしくお願いします」
シフリーナはぺこりと頭を下げた。
まばらな拍手が起き、それが波のように広がっていく。やがて会場中が拍手に包まれた。
対等だなんて、と内心認めていない魔法師もいるだろう。けれど、この説明会で、彼女の魔法理論の理解度や独自性は、多くの魔法師に伝わったはずだ。
会場が暖かな雰囲気に包まれる中、オルセが挙手した。
「今後、理論師室への依頼は所属なさっている局の局長経由で、塔上層部を通していただくようお願いいたします。なお、理論師への質問はお受けしますが、そちらに関しては、私か室長を通していただくよう各局局員への周知をお願いいたします」
暖かな雰囲気を気にも留めない事務的な発言は、けれど、確かに必要なものだった。
この会の翌日から、理論師室への問い合わせや質問の文書が、執務机に山と積まれるようになった。




