魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑰
朝の食卓。シフリーナの前に置かれているのは、ホットミルクだ。
シュガーポットから飛び出した小さなウサギが二羽、戯れるようにテーブルの上を駆ける。最後にカップの周りをくるりと一周した彼らは、飛び上がってミルクの中に飛び込んだ。
それらを目で追うシフリーナは、微笑みながらカップの中を覗き込む。
あの魔法陣の作者──ルエラが捕まってから、一週間が過ぎた。
あの日、いったん邸へと帰ったウーシェダとシフリーナは、昼になって出仕した。
「私は呼ばれなかったんですが?」とジトリとした視線を寄越すオルセを宥めるウーシェダを横目に、執務机につくやいなや治安局から連絡が来た。
魔法陣の所持者、その最後のひとりがルエラの供述で判明したとのことで、シフリーナはすぐにもうひとつ魔法陣を描き上げた。
「クラゲから始まって、小鳥、犬、猫、ウサギ……なんでもできるんですね」
指を折って数えてから、ホットミルクに口をつける。
ここしばらく食欲のなかったシフリーナは、ホットミルクとほんの少しの果物を口にするような日々だった。
そんなシフリーナのために、ウーシェダは食卓で小さな魔法を見せてくれるようになった。
「まあ、これは幻魔法だからな。俺が想像できる範囲なら、大抵できる」
「それならお砂糖一個を一匹ずつ、違うのを見せてくれたらいいのに」
「……それはまた次のお楽しみだ」
昨日、理論師室に、ルエラの夫・シノラスが訪ねてきた。
拘束管理局に所属するシノラスは、魔法陣が描かれた書類を誤って自宅に持ち帰り、それをルエラに見せてしまったことがすべての発端だったと憔悴した顔で語った。
ウーシェダの魔力を封じた魔法陣。あの拉致事件よりも一年以上前のことではあったが、それを目にしたルエラが、魔力は魔法陣を使って取り出せるものなのだと知るきっかけとなった。
シノラスは、塔を辞すること、ルエラの残した薬や調合レシピがあるため、当面の間、薬草店は彼が引き継いで営業を続けるつもりであることをぽつぽつと語った。
そして、ルエラがシフリーナのために作り置きしていた薬草茶と調合薬、その薬の調合レシピが書かれた紙を差し出した。
レシピには必要な薬草や分量などが書かれているだけでなく、いつ収穫された薬草の効果が高いか、乾燥の期間、調合時の注意点などがびっしりと記され、ルエラの調合薬がなぜ他よりも効果が高かったのか、その理由が理解できた。
定期的に通っていた客の多くの薬が、常よりも多めに調合され、レシピも細かく書き込まれたものが準備されていたことから、ルエラ自身、近い将来こうなることをわかっていたのだと思う、とシノラスは力なく語っていた。
ルエラのしたことは到底許されないことだ。確かにそう思うのに、やっぱり薬草師としての彼女は素晴らしかったとシフリーナは感じてしまう。
彼女と魔法理論の話をたくさんしてみたかった。一緒に魔法陣を編み上げることができたら、どんなに楽しかっただろう。
そんなことを考えてしまうたびに、心は塞ぐばかりだ。
塔に出仕し、理論師室の扉を開けると、メルカトルがまるで毎朝そこにいるような顔でカップを傾けていた。
「おはよう、シフリーナ」
あの夜が思い出されて思わず後ずさったシフリーナの背が、後ろにいたウーシェダに支えられた。
「おはようございます、長老。何かありましたか?」
「いいや。ローブの色の案が決まったんだって? アポ希望が入ったって聞いたから。シフリーナは大丈夫? なんか痩せてない?」
「大丈夫です」
「長老。以前上げていた公開説明会については……」
「そうそう、その件も決めたくてさ。ティナックに任せるつもりだったんだけど、ここはやっぱり僕かなって」
シフリーナがメルカトルの向かいに座ると、オルセが珈琲の注がれたカップと、シュガーポット、それにミルクピッチャーを置いてくれた。
「ありがとうございます。あ、おはようございます」
「おはようございます。ファイルもお持ちしますね」
そう言って、執務机に置いてあった布の色見本ファイルを、カップとは少し離れた場所に置いてくれた。
「ありがとうございます」
シフリーナは、シュガーポットに手を伸ばしかけ、メルカトルの隣に腰を下ろしたウーシェダに視線を送る。それに気づいたウーシェダは、息を零すように笑った。
シュガーポットから、ひょこりと顔を出したのは、白いアヒルだ。後ろには黄色い雛が続く。よちよちとシフリーナのカップまで歩いてきたそれは、ぽちゃりと珈琲へと飛び込んだ。
「なに、君たち毎回そんなことしてるの? じゃあ、シフリーナ。ミルクも入れる?」
メルカトルの言葉に期待を込めて「はい」と頷くと、ミルクピッチャーから白い雲が湧き上がった。雲はふよふよとシフリーナのカップの上へと移動すると、ミルクの雨を降らせる。
「ストップかけてね」
「わわ、ストップです!」
図らずも二つも魔法が見られた。得した気分になって「ありがとうございます」とふたりに感謝を伝える。
オルセがシフリーナの隣に腰を下ろすのを待って、メルカトルが「じゃ、始めようか」と口火を切った。
メルカトルの手にあるのは、先日シフリーナが書いた書類だ。
「特級はローズピンク、上級が橙黄、中級が若草で、理論師が水色。あとは、見習いがローズブラウン。いいんだけどさ、特級は僕が最初にローズピンクにしたからって、そのままにしなくてもいいんだよ? あれはほら、お披露目のためとはいえ、仮置きでもあったからさ」
結婚式の日。皆が見守る中で授与されたローズピンクのローブ。それは特級魔法理論師の証だった。
多くの人に祝福されたあの日に、更なる幸せをくれたそれをシフリーナは変えたくはない。
「いえ。そのままがいいです」
「そう? どれもいいと思うけど……これは何か意味があってこの色なの?」
「そう、ですね。……土から空へと伸びて、若葉が出て、花が咲いて、実が成るのをイメージしました」
あまり暗い色は入れたくないと思った。だから、最初の土色も、特級のローズピンクと対になるような色を置いた。空へと伸びていく水色。若草色の中級になれば、十年の期限はなくなる。そこから明るい橙黄の花を咲かせて、いつかは実を結ぶ。
理論師が、そうあるといいというシフリーナの願いだ。
「なるほどねぇ。……でもさ、花が咲くどころか、芽も出ないこともあるかもしれないよ?」
メルカトルは両の掌を組み、そこに顎を乗せてシフリーナをじっと見つめてくる。
シフリーナはその眼差しをまっすぐ見つめ返した。
「今回、『魔法師』は生まれつきの制約がとても多いんだなって知りました。そもそも魔力がなければ魔法師にはなれませんし、属性をいくつ持っているかも生まれ持ってのものですよね。魔力の量も、いくら訓練しても最初の量に左右されちゃう」
「そうだね」
「理論師のいい所は、努力でどうにかできるところだと思います」
「特級の君が言うと、ちょっと他の人には当てはまらなそうじゃない?」
特級理論師に求められるのは、既存理論の枠を超えた独自理論の構築だ。そのレベルには届かない人は確かにいるかもしれない。
でも。
「塔入りした見習いや理論師が、十年後も塔に残るには魔法師と同じく中級になる必要があります。中級理論師は、従来の魔法理論の理解と、それに基づく魔法陣設計なので、絶対に手が届かないというほどではないと思います」
中級魔法師に求められるのは、二属性以上の魔法を、魔法陣なしで使えることだ。生まれつき一属性しか持っていなければ、どれほど努力を重ねても手が届かない。
それに比べれば、理論師は努力で補える部分が多いはずだ。
「そうだね。そこはそうかもしれない」
「……出来れば、魔力がある人にも理論師の道を開けたらいいなって思います」
シフリーナはメルカトルを見つめたまま、この一週間ずっと考えていたことを口にした。
「魔力がない私みたいな人のために、理論師制度ができたんだと思います。でも、魔法師の中にも、魔法学校にも、魔力が少ないとか、魔法が得意でないけれど、理論なら得意だっていう人がきっといます。だから、……今度は、間に合うように」
ルエラは、今更と言った。「今更遅いのよ」と。
ならば、制度ができないほうがよかっただろうか。
そんなわけはない。間に合わなかった人はいる。それでも、これから間に合わせることはできる。
「魔法師を、理論師に、ね。そういう制度設計の考案も、特級理論師の仕事だよ」
「はい。頑張ります」
決意を込めて頷くと「ひとりで抱え込む必要はないぞ。そのために俺がいる」とウーシェダが頷く。
「そこはそのための理論師室だって言っていただけませんか」とぼやくようにオルセが続いた。
「じゃあ、理論師の階級の色はこれで決まり。ローブの見本の手配、よろしくね」
「かしこまりました」
オルセの返事に頷いたメルカトルは、空中で指を滑らせると、一枚の紙を取り出した。魔法だろうか、淡く発光している。
じっと見つめる視線の先で、メルカトルはにこりと微笑んだ。
「じゃあ、シフリーナ。次の話を始める前に、僕と将来を誓おうか」




