魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑭
寝室のベッドに腰掛けていたシフリーナは、そのまま後ろに体を倒した。
ぽすんと痛みのない衝撃を背中に感じながら、息を吐き出す。
日中は、例の魔法陣を停止する記述を描き続けた。
連日長時間ペンを手にしているせいか、ペンに当たる指の側面が少し硬くなってきている。そこを指先で触りながら目を閉じる。
魔法陣を止めるための記述は、どうにか描き上がった。一部読み解けていない場所もあるから少々不安ではあるが、恐らくはあれで魔法陣は止まる。
けれど、いくらそれを描き上げたところで、起動中に持ってきてくれなくては意味をなさない。
シフリーナは目を開けて天井を見つめながら、再び深く息を吐いた。
軽いノックがして身を起こすと、湯浴みを終えたウーシェダがトレイを手に戻ってきた。トレイに並ぶのは茶器のセットだ。
「寝ないんですか?」
テーブルに茶器を配していくのを見て、シフリーナは首を傾げた。
ここ最近、ウーシェダには折りにつけ、ちゃんと食べるように、きちんと寝るようにと言われることが多かった。だから、今日も速やかに寝るか、もしくは睦み合って過ごすのだろうと思っていたのだ。
「ミルクティーをいれてきた」
「ありがとうございます」
ベッドを降りてテーブルに向かう。
立ち上る湯気から香るのは、チョコレートの香り。シフリーナのお気に入りの紅茶だ。
「砂糖はふたつか?」
「はい」
向かいに腰を下ろしたウーシェダが指先を弾くと、シュガーポットの中からゆらりとクラゲが浮かび上がった。
ふわりふわりと空中を泳いできたそれは、目の前のカップまで来ると、ゆっくりとミルクティーの中に沈んで溶けていく。
初めて見る魔法だ。けれど、沈む心で見るそれは、いつもほどにはシフリーナの心を浮き立たせることはなかった。
「……可愛いですね。初めて見ました。クラゲ以外もできるんですか?」
「……更に甘くしていいなら、見せてやるぞ?」
さすがにそれは多そうだ。
シフリーナは苦笑を浮かべて、ゆるりと首を振った。
「疲れたか?」
「大丈夫です」
「今日も、泊まると言うかと思った」
あの魔法陣を消すための記述は終わらせた。最初に見つかった魔法陣と、それから後から見つかった魔法陣の両方ともだ。
特に、後から見つかった魔法陣は外周が燃やされていて加筆ができない状態だった。同じ状態のものが持ち込まれることも考えて、すべて陣の内側への加筆で完結へと導けるようにしてきた。
これ以上は、起動中の魔法陣が見つかるまで、出来ることもない。
ただ、それらは次善策でしかない。
どうしても一カ所、読み切れない場所がある。意図の予想はできていても、こればかりは描いた本人に確認しないと本当の答えはわからない。
シフリーナの予想通りなら、違う記述で止める方法もある。けれどそれは、あの魔法陣が間違っている、という場合だ。シフリーナの読みのほうが間違っている可能性もある以上、一番確実で、安全な策をとるしかない。
それが、考え抜いた末の、現時点での結論だった。
ふうふうと息を吹きかけてから、カップに口をつける。
口の中に広がる甘さに、ほんの少し張り詰めたものが緩む気がした。
シフリーナは、ウーシェダの問いには答えることなく「甘くておいしいです」と溶けたクラゲを探すように、カップに視線を落とした。
「……話したいこと、ないか?」
深く静かな声音だった。視線をやらなくてもわかる。あの綺麗な蒼い目はきっと、こちらにじっと向けられているのだ。
顔を上げられないまま、シフリーナは「話したいこと、ですか?」と返す。
「そうですね。今日帰りに乗った赤い竜は、初めての子だったな、とか、早くローブの色を決めないといけないな、とか。夕飯のデザートのプリンはおいしかったな、とか、それから……」
何か話していなければ見透かされてしまいそうな気がして、シフリーナはウーシェダを見ることができないままに、一生懸命言葉を綴る。
この不安を口にして、確認してしまうのが怖かった。
ひとりで勝手に考えているうちは、それはただの空想で片付けられる。
でも、ウーシェダと一緒に考えたら、後戻りできなくなりそうな気がした。
「それから……」
「シフル」
「……はい」
顔を上げられないまま、叱られるのを待つ子どものように、シフリーナは唇を引き結ぶ。
ウーシェダが立ち上がる気配を感じながら、それでもシフリーナは顔を上げられずに、カップの縁をぎゅっと握りしめた。
「俺はシフルほどには魔法陣を読めない。……でも、君のことは、少しは読めるつもりだ」
傍までやってきたウーシェダは、シフリーナの足元に片膝をつくと、カップを握りしめた両手を包み込むようにして、手の中のそれを取り上げていく。
「言いたくないなら、待っていればいいかと思っていたんだが……」
ウーシェダの大きな手がシフリーナの手をきゅっと握る。
そのまま指先に口づけられて、シフリーナはようやくその蒼い目に視線を向けた。
「それだと君がつらそうだ」
心配そうにこちらを見つめるウーシェダを前に、シフリーナはグッと奥歯を噛みしめてから「シェダ様」と思い切って口を開いた。
「あの結婚式の魔法陣、初めて見て読み解けるのって……魔法塔なら普通ですか?」
「……普通、とまでは言えないな。理論院の上級ならそこそこ読める魔法師はいると思う」
「魔力が……いえ、塔の魔法師でなかったらどうですか?」
「相当理論に強い魔法師だろうな。魔法師の階級は使いこなせる属性の数とその安定性で、理論に精通しているかどうかは実のところあまり重要じゃない。理論がからきしでも、使える属性がそれなりにあれば正直困ることは少ない」
魔法理論が物を言うのは、魔法陣を描くときだ。自身の持たない属性を、魔法陣で発動できるからだ。
けれど、シフリーナの訊きたかったのは『魔法師』に限らない。
「……魔法師で、なかったら? 魔力なしで、もしもそんな人がいたら、それって理論師になれるレベルですか?」
ウーシェダの蒼い瞳をまっすぐに見つめる。何かを探すように僅かに眇められたその目は、シフリーナをまっすぐ捉える。
「なれるレベルだろうな。ヴァンリンドゥの住人ならば、町の図書館でも魔法書には触れられる。ただ、独学で理論師レベルまで身につけるのは、さすがに簡単ではないと思うが……」
不可能ではきっとない。実際シフリーナとて、独学で学んだ部分が多い。
ただ、それが容易なことではないことも実感としてわかる。相応の時間を費やして、基礎を身につけ、応用に進み、そうしてようやく独自の考えを差し挟む余力が生まれてくるのだ。
そうまでして理論を学ぶ魔力なしが、どれほどいるだろうか。
──彼女は、それをしたんだろうか。『自分の魔法』のために。
「……あの魔法陣を、描いてもいいですか」
「今それが、必要なんだな?」
「はい」
「なら、許す。室長許可を出す」
殊更に軽い調子で言ったウーシェダが立ち上がり、紙やペンを用意してくれる。
シフリーナは、すぐにあのふたつの魔法陣を描き上げた。
「こっちが今日新たに見つかったほうだな?」
「はい。多少書き換わってますが、基本のコンセプトはそのままです。ただ、こちらは二倍で束ねていましたが、今日見つかったほうは1.5倍ずつに束ねてます」
「緩やかにしたんだな」
「はい。それから、属性の付与を三つに絞っています」
「……待て。属性の付与? 魔力の濃縮だけでなく、属性そのものを付与しているのか?」
「そうしたかったんだと思います。……シェダ様。この魔法陣はたぶん、魔力を強くするための魔法陣じゃなくて、魔力なしを魔法師にするための魔法陣です」
「な……」
声を失ったウーシェダとともに、魔法陣を見下ろす。
ふと、階下で人の立ち動く声がする。バタバタと階段を駆け上がってくる足音がして、ノックが響いた。
「ウーシェダ様。魔法塔からの緊急招集だそうで、ローディス様がお見えです。竜も連れて来ています。シフリーナ様もご一緒にとのことでございます」
やってきたダリアンに「すぐに行く」と頷いたウーシェダは「シフル、急いで着替えてくれ」と卓上の魔法陣を燃やす。そして「この時間の騎竜はさすがに冷える。上着も羽織れ」と釘を刺すのも忘れなかった。




