魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑬
ルエラは週に一回、メイン通りで行われる市へと薬草の仕入れに行く。
乾燥させた薬草ならば数ヶ月もつものも多いが『ちょうどいいタイミングの薬草』を仕入れようとすれば、やはりこまめに市に足を運ぶしかない。
ヴァンリンドゥは魔法師以外は自由に入国はできないが、商人を含む一部の人間には許可証が発行され、外壁を守る魔法師の同行により入国が可能だ。その許可証にも取り決め事項が多く、そうやすやすとは発行されない。
裏を返せば、ヴァンリンドゥへの立ち入りを許される商人たちはある程度信頼に足る人間とも言えた。
暦は五月。春の終わりに差し掛かっている。日差しの強い日には、夏を待たずに暑気あたりを起こす者も出始めるし、来月の雨期には頭痛を訴える者も増える。例年ならば、それに備えた薬草もいくつか仕入れ始める時期だ。
仕入れる必要が、あるだろうか。
「ルエラさん」
呼ばれたほうを向くと、注意深く周囲を見回しながら女が近づいてくる。塔の魔法師だ。
「こんにちは」
挨拶をするルエラの腕を掴んだ女は、そのままぐいぐいと引っ張って、建物の間の路地へと引き込んだ。
途端に市の喧噪が遠くなる。日差しの届かない、細く暗い道で、女はルエラの両腕を正面から強く掴んだ。
「ねえ、私死んじゃうの!?」
ルエラは息を呑み、必死の形相でこちらを見る女の顔を見つめた。
「死んじゃったのは、少し無理して、過労が、だから……違うわよね!?」
端からは、女の物言いは支離滅裂に聞こえるだろう。
けれど、強く腕を揺さぶられながら、ルエラは正しく女の言いたいことを理解できた。
「……痛いです」
ルエラが顔を顰めて視線で腕を示すと、女は我に返ったように指先から力を抜いた。
だらりと両手を下ろした女は、それでもルエラに縋るような視線を向けたままだ。
「あ、あ、……ごめんなさい。ねえ、どうなの? こ、これ、魔法陣は……」
痛みの残る腕をさすりながら、視線を逸らした。
「カッツェもスペイも死んでしまったのよ。知ってるでしょう? あ、あんなに元気だったのに、受かってよかったねって……それなのに!」
女はルエラの前にくしゃくしゃになった紙を掲げ見せた。
「ねえ! これのせいでしょう!? 止めてよ! や、破れないの、燃やせもしないのよ!」
「……私じゃありません」
「はあ!? あんたが寄越したんじゃないの!」
「その魔法陣を動かしてるのはあなたで、私じゃないです」
「な、ならなんで止まらないのよ!!」
ほんの一ヶ月前は、ありがとうと微笑んでいた女が、敵を見るような目でこちらを見ている。
ルエラには、魔法陣を起動するという感覚がわからない。
確かなことは、その紙に描かれた魔法陣を起動したのは、目の前の魔法師であるということだけだ。
「……私には魔力がありません。知ってるじゃないですか」
止める必要のない魔法陣だ。だから、最初からそんな想定はしていない。
ただ、考えて、工夫して描き上げたその魔法陣は、ルエラの期待に反し、いくら念じてみてもうんともすんとも言わなかった。
「知ってるわよ。だから協力してあげたんじゃない!」
『協力してあげた』
上から目線なその言葉が、胸の奥に降り積もった澱をひどく刺激した。
魔法薬でないわりにはよく効くね。
魔法師でもないのに詳しいね。
魔力もないのに空想でこんなに描けるのはすごいと思うな。
魔法に憧れた。魔法師になりたかった。だからヴァンリンドゥに住むことに焦がれたのだ。
けれど、与えられる褒め言葉はいつも『魔法より劣るはず』『魔法師よりも下なのに』という微かな毒を孕んで聞こえた。
「……試したいと言ったのはあなたじゃないですか。魔力が増えるかもしれないなら、藁にだって縋るって」
その藁は、つまりは魔力なしの描いた、嘘とも本当ともつかない魔法陣だ。
「そういう効果はあるかもしれないけれど、試してないからわかりませんよって言いましたよね」
「それ、は……」
「起動もできない私が、止め方なんて知るわけないじゃないですか。あなたは魔法師なんでしょう? 魔力なしの私にどうしろって言うんですか」
魔力なし。ふいに、同じ魔力なしの女の顔が過る。
自分では起動できない魔法陣を嬉々として描き、役にも立たない鯨を飛ばす。それを楽しいと笑う。
なんで笑えるんだろう、とルエラには不思議だった。
『シェダ様は、それも私の魔法だって言ってくれたので』
綺麗事だ、と思う。
便利な道具を、自分では使えないそれを、ただ指を咥えて見ていることしかできない。それがどれほど悔しいことか。
「……本当に、止められないの?」
魔法師の瞳が頼りなく揺れる。
ルエラはいたたまれなくなって目を逸らした。
最初に死人が出た時には、気の毒に思った。あんなに喜んでいたのに、と。
二人目が死んだ時には、まさかと思い、三人目が死んだ時、これは本当にそうかもしれない、と震えた。
きっと、成功はしていたのだ。でも、描き方がまずかったのかもしれない。二倍ずつでは早すぎたのかもしれない。そう考えて、もう少し緩やかなペースで循環するように描き換えた。
それなのに、死んだ。
どこをどう直すのが正解なのか、ルエラにはもうわからなかった。
闇雲に描いては消すことを繰り返し、もう何をどうしていいのかわからないのだ。
考え出した当の本人が止められないものを、他の誰かがどうこうできるはずもない。
──あの理論師にだって、きっと止められない。
止められないものだったのだと、仕方なかったのだと証明してほしい。
「……特級理論師にでも、お願いしてみたらいいんじゃないですか?」
ルエラの呟きに、魔法師は目を見開いた。




