魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑫
朝、シフリーナが起こされた時には、ウーシェダはすっかり身仕度を調えていた。
いつもよりも随分と早い。
シフリーナの支度が調い次第、朝食も邸では済ませずに持参して出仕すると、理論師室には待ちかねたような顔でアグリが座っていた。
「おはようございます」
「おはよう。昨日はニケに返されたと聞いた。体調は大丈夫か?」
「はい。たくさん寝ましたから大丈夫です」
「アグリ様。差し支えなければ、私だけお話を承って、彼女には朝食を摂らせようと思いますがいかがでしょうか?」
ウーシェダが尋ねると、アグリは一度シフリーナの顔を見てから「そのほうがいいな」と頷いた。
「お話の後に朝食でも大丈夫ですよ?」
「話を聞いたら、食事どころじゃない気がしてならない。昨日だって結局ろくに食べていないだろう」
ウーシェダの言葉に同意の頷きを返したのはアグリだった。
「よし。俺の執務室で話そう。シフリーナはここで朝食を食べて待機だ」
「すぐに戻る。俺が戻る前にオリが来たら、何も話さずに待つよう伝えてくれ」
シフリーナの頭をひと撫でしたウーシェダは、アグリについて理論師室を出て行ってしまう。
シフリーナは仕方なく自分の執務机に持参した朝食を広げる。
リゾットやフルーツヨーグルト、それに甘いジャムを巻いたクレープだ。リゾットは魔法石の保温により、まだほかほかと湯気を立てていた。
食べている途中にやって来たオルセにウーシェダからの伝言を伝えると、温かいお茶を淹れてくれた。
「何も話さずに、って、何かあったんですか?」
尋ねると、オルセは「それ込みでの伝言だったと思いますので。シェダ様が戻ったら順番に話しましょう」と笑みが返った。
「そういえばシフリーナ様。ローブの色は決まりましたか?」
「いえ、まだ考え中です。あの……魔法師のように落ち着いた色にしなくてはいけないとか、決まりはないんですか?」
急ぎではないからゆっくり考えていい、と言われていた理論師の階級を示すローブの色を、シフリーナはまだ決めかねていた。
そのまま今回の魔法陣の解析を始めたものだから、実質まったく進んでいない。
「特段取り決めはないはずですよ。しいて言うなら、一目で見分けがつかないような似た色は避けることくらいです。魔法師見習いが灰色なのは雑務が多いから汚れが目立たないように、と聞いたことはございますが、それも本当かどうか。まあ七月までに決まっていれば問題はないですよ」
「七月? 何かあるんですか?」
「六月に魔法学校を卒業した見習いたちの第一陣が、七月から塔に研修を受けに来ます。その時に、理論師についての説明や講義を行いますので、ローブの色についてもそこで周知する予定です。今年の研修生たちは、シフリーナ様の同級生なのでは?」
「そうですね。たしかに……」
頷いていると、入口のドアが開きウーシェダが戻ってきた。
シフリーナは急いで残りのクレープを口に押し込んだ。
「おはようございます」
「ああ、オリ。おはよう。シフルは、食べ終わったか?」
口の中のクレープを飲み込めないままコクコクと頷くと「こっちで話そう」とウーシェダは作業机の席についた。
シフリーナがウーシェダの隣に座ると、オルセは三人分のお茶を机に置き、シフリーナの向かいに腰をおろす。
「まず、シフル。昨日、新たに二人の魔法師が死んだ。今回は、先月試験を受けたわけではない魔法師見習いだ」
「二人……」
これで亡くなったのは全部で六人。事態の異常性を改めて感じたシフリーナは小さく息を呑んだ。
「今回亡くなった魔法師の自宅で、これが見つかったそうだ」
ウーシェダが手にしていた丸い紙を卓上に置いた。
掌サイズのそれは、あの魔法陣によく似ているが、少しだけ記述が違っていた。
「燃やそうとしたんでしょうか」
魔法陣をまじまじと見つめたオルセの問いに、ウーシェダが頷いた。
「らしいな。痕跡もあったそうだ。起動中の魔法陣を消すことはできない。基本中の基本のはずだが」
「命が懸かっているとわかって、足掻いたといったところでしょうか」
「あの……今更なんですが。この魔法陣、今なら燃やすことはできると思いますか?」
通常起動中の魔法陣は破損できない。そして、指定した事象を完結させた魔法陣は消失する。消失せずに残る魔法陣は、現在も起動中か、魔力の供給が中途で途絶えたかのいずれかだ。
この魔法陣はどちらだろうか。
「起動中か確かめたい、という意味ならできるぞ。治安局でも確認済みのはずだ」
ウーシェダが空中に指を滑らす。
現れたのは、以前学校の図書館で見たのと同じ蒼い蝶だ。
蝶は丸い魔法陣の上をひらひらと舞う。
「これ、前にも見ましたが、何をするための魔法なんですか?」
「魔力痕跡を追うための魔法だ。魔法陣を描いた者や、魔法陣を起動している術士を辿れる──生きていればな」
「描いただけの人を辿れるんですか?」
「辿れる。魔力がある者が魔法陣を描けば、どうしたって僅かに魔力を帯びるからな」
シフリーナの眼前を蝶が舞う。どこに行くでもなく、魔法陣の上を彷徨う。
「どこにも、行かなそうですね」
「少なくとも起動中ではないな」
ウーシェダがそう言って再び空中に指を滑らせると、蒼い蝶は霧散した。
「この魔法陣を描いたのが死んだ魔法師でないならば、蝶はその人のところに飛んでいくんですか?」
「そうだな。より強い魔力の痕跡を追う。普通は、起動中ならその術士に、起動していなければ魔法陣を描いた者が対象になるだろうな」
あの夜。図書館で見た蝶は、ペーパーナイフの周りを舞うばかりで、魔法陣を描いたシフリーナの元には来なかった。
シフリーナは乾いた唇を嘗めてから「なら、魔法陣を描いたのが、魔力なしだったら?」と尋ねる。
ウーシェダは軽く目を見張って、ゆっくりと魔法陣に視線を落とした。
「……魔力のない人間が描いたとしたら、蝶は飛んでいかない。君がすぐに読み解けないほどの魔法陣を描く魔力なしは、そうそういないだろうけどな」
シフリーナは曖昧に笑って見せてから、魔法陣を手に取る。
描き方を変えている箇所がいくつかあるが、基本の構成は以前のままだ。
前回の魔法陣は、魔力を吸い取り、一を二に、二を四にと二倍に束ねていた。
この魔法陣はそれが緩やかになっていて、1.5倍ずつに束ねているから、限界までの時間は少し伸びたかもしれないが、ストッパーがないという問題点は直されていない。
殺すのが目的なら、こんな描き方はしないだろう。魔法陣の構成からも、そこは読み取れる。
実際、魔法陣を所持していた魔法師が死んでなお、魔法陣は消失していない以上、対象者の魔力を搾り取って殺すのが目的でないことは間違いないはずだ。
だからこそ、疑問は残る。
これで本当に、相手を死なせることなく循環させられると考えたんだろうか。
ストッパーがないままでは、遅かれ早かれ限界はくるのに。
「その後、魔法陣を持ってるって名乗り出た人はいないですか?」
「今のところいないな」
「そうですか……。いったんこの魔法陣を止めるための記述を考えます。名乗り出る人がいたら、すぐに教えてほしいです」
シフリーナは手近な紙を引き寄せて、ペンを走らせる。
もうこれ以上、犠牲者を出したくはない。
この魔法陣でしたかったのは、誰かの命を奪うことじゃない。そう思いたい。
きっと──願っただけなのだ。




