魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑩
ちゃんと休まずに出掛けるとはなにごとだ、と叱るつもりでいた。帰宅するまでは。
昨夜もほぼ徹夜をしたシフリーナは、今朝、理論師室を訪れたニケによって家に帰されたが、早々に出掛けるという連絡が来た。
二日間ろくに寝ていないのはウーシェダも同じではあるが、基礎体力が違う。
日頃から食の細い彼女が、ほぼ徹夜で魔法陣に向き合った。拉致された時と状況が違うとはいえ、また寝こんでしまうのではと気が気ではない。
腰を痛めたマーサに代わり、エントランスで出迎えてくれたのはダリアンだった。
シフリーナはといえば、薬草師の店から帰って以降は部屋でおとなしくしているらしい。さすがに寝ているかもしれない、と思い、音を立てないように慎重に夫婦の寝室の扉を開けたウーシェダの目に飛びこんできたのは、テーブルに紙を広げ、ペンを走らせるシフリーナの姿だった。
「シフル?」
「あ、シェダ様。おかえりなさいませ」
歩み寄ってテーブルの上に置かれた魔法陣に目を瞠る。持ち出しを禁じた、あの魔法陣だ。
「シフル……これは、持ち出したわけではない、な?」
理論師室を退出する時、鍵の掛かる執務机に仕舞ってきたのは間違いない。
なによりも、あれよりも大きな紙に描かれており、まだインクが充分に乾いていないようにも見えた。
「えーと……すみません。覚えちゃいました」
シフリーナはあの魔法陣にひたすら向き合い、分解と再構築をくり返していた。しかも実際に手を動かし、書き写してのことだ。
シフリーナは、あの魔力を封じる魔法陣も、既に何も見ずに描くことができる。あまりにそれを自然にやっていたのと、塔の中での出来事だったので後日報告がてら上げればいいかと思っていたが、持ち出しを禁ずると念押しされた魔法陣をこうして描いてしまうのは間違いなくまずい。
アグリに報告をあげる必要があるな、と思いながら、ウーシェダは「ダリアンが食事の準備ができているから降りてくるように言っていた。悪いがそれは燃やすぞ?」と告げる。
「せっかく描いたのに……後でまた使うので、取っておいたら駄目ですか?」
上目遣いに訴えてくる姿は可愛らしいが、ここで許可すればまた徹夜になりかねない。
「持ち出し禁止の魔法陣を、他所で描いてしまったら意味がないだろう」
「わかりました」
不本意そうに差しだしてくる紙を受け取って、その場で魔法で燃やしてしまう。
「わ! 燃えかす出ないんですね」
「この程度ならな」
「証拠湮滅、ですね」
いつもなら目の前の魔法にもっとはしゃぎそうなものだが、今日のシフリーナは目を伏せて微笑むだけだ。やはり疲れているのだろう。
夕食も、あまり食が進まないシフリーナに、ダリアンが果物や蜂蜜入りのヨーグルトを追加で出すと、それらはどうにか完食する。
「シフル。一緒に湯浴みするか」
「…………え?」
寝室に向かう階段でそう声を掛けると、シフリーナが足を止める。
その腰を抱いて歩くように促すと「お風呂に、一緒に入るんですか?」と本気でそんなことを言っているのかという顔つきで尋ねてくるので、ウーシェダは大真面目な顔で頷いた。
「そうだ。夫婦なら当たり前なんだが、知らなかったか?」
「知りませんでした。……え、お父様とお母様が一緒にお風呂に……あれ? どうだったんでしょう」
ウーシェダは笑いを堪えて「入っていたはずだと思うぞ」と出任せを言う。
「でも、これまでそんな話、してませんでしたよね?」
さすがに簡単には信じないシフリーナの頬に口づけたウーシェダは「遠慮してたんだ」と囁いた。
「君は嫌なのかと思っていたんだが……その様子では知らなかったんだな」
「はい……知りませんでした……。え、本当に?」
「うちの両親は少なくとも週に二日はそうしていた」
週に二日……とどこか呆然とするように呟いたシフリーナは、わかりました、と頷いた。
ウーシェダとて、それが世間一般ではないことは知ってはいたが、両親がそうしていたことは嘘ではないし、そのうち誘ってみようと思っていたのだ。
もっとも、両親がそうしていたのは、週に、ではなく、月に二回ほどだったが。
いつもならマーサがする風呂支度を、今日はウーシェダがすべて行う。
シフリーナがお気に入りの乳白色の入浴剤を湯船に溶かしこむと、浴室はほんのりと甘い匂いで満たされた。
恥ずかしそうに体の前のタオルを手放さない姿は非常に眼福ではあったものの、今日はさすがに邪なことなどできるはずもない。
最初こそ、羞恥に身を固くしていたシフリーナも、たっぷりと泡立てた洗髪剤で髪を洗ってやるうちに、徐々に体の力が抜けてきた。
目を閉じて、温かな湯を浴びているせいだろう。眠気が勝ってきたのか、話しかけても反応が鈍い。
キャラメル色の髪に丹念に花油を馴染ませてやってから、抱えるようにして湯船に入る。
ウーシェダの胸に背中を預ける無防備な姿は扇情的で、不埒なことのひとつやふたつしたくなるところだが、今日はこのまま一刻も早く寝かしつけなくてはならない。
背後から顔を覗き込むと、シフリーナはほとんど寝かけていた。
のぼせないうちにお湯から引き上げ、手早く魔法で乾かして夜着を着せていく。
横抱きで寝室に戻ってベッドに下ろすと、シフリーナはぱちりと目を開いた。
「ありがとうございます。シェダ様」
「どういたしまして」
「なんかすっきりして元気出たので、少しだけ魔法陣を……」
「待て」
ベッドを降りていこうとするシフリーナの手首を掴んだウーシェダは、そのまま引き寄せて腕の中に抱き込んだ。
首筋に唇を寄せると、入浴剤の甘い香りが漂う。チュッと音を立てて口づけると、シフリーナは目元を染めて身をよじった。
「少しくらいは夫婦の時間を持つべきだと思わないか?」
「えーと……今、一緒にお風呂に入りました、よね?」
「そうだな」
ウーシェダは頷いてごろりと寝そべり、掌でマットレスを叩いてシフリーナも横になるように促した。
おずおずと横たわったシフリーナの腰の辺りまで、薄掛けを引き上げてやる。
そのまま彼女の背中に腕を回したウーシェダは、ゆったりとしたペースで規則正しくその背を叩き始めた。
「今日は、私が帰った後は何をしたんですか?」
「今日か? 今日は……」
魔法師が、また死んだ。しかも、今度はふたり立て続けにだ。例の魔法陣は今のところ見つかっていない。
もっとも今そんな話をすれば、既に落ちかけた瞼を押し上げて、シフリーナは起き出してしまうに違いない。
「いつも通りだな。オリが持ってきた書類を片付けていた」
抑えた声音で囁くように答えると、しばらく間があいてから「書類、ですか」と返った。
どう考えても、シフリーナの体力は限界のはずだ。二日にわたる睡眠不足だけでも大概なのに、歩いて町に買い物に出た。帰宅してからは再び魔法陣を描き、ペンを片手に考え続けていたに違いない。
「ああ、書類だ」
トン、トンと優しく背を叩き続ける。
「……魔法が」
「うん?」
何か言いかけたシフリーナは、そのまま寝息を立て始める。
「……おやすみ」
額に口づけたウーシェダも、部屋の照明を落とす。
次に一緒に入浴する時は、シフリーナが万全の日、それも休みの前日にすべきだな、と考えながらウーシェダも瞼を閉じた。
翌早朝、塔から伝令の小鳥が飛んできた。
新たな魔法陣が見つかったので、可能な限り早く出仕するようにとの連絡だった。




