魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑨
「疲れた顔をしてるわね」
爽やかな香りのするお茶を出してくれたルエラは、そう言って目を眇めた。
ルエラの店のカウンターの奥、薬草を調合するスペースに招かれ、リネッタと三人で卓を囲んでいる。
「ほら、シフリーナ様。だから言ったじゃないですか。今日はゆっくりしたほうがいいって」
気遣わしげなリネッタに「少し外を歩くほうが気分転換にもなるかなって。マーサの薬も欲しかったですし」と誤魔化すように笑みを向けたシフリーナは、湯気を吸い込むようにカップに顔を近づけた。
「これは何のお茶ですか?」
「オラジャよ。ちょうど生花が手に入ったから。乾燥させてもいいのだけれど、私は生花で淹れるお茶のほうが好きなの。……なんの効能もないのだけれど」
「いい香りで気分がよくなるのも、効能だと思います」
あまり表情の変わらないルエラが、シフリーナの言葉にほんの少し口角をあげた。
あの魔法陣の解析を始めて、三日目。
もう一日だけと言い張り、ウーシェダを巻き込んで理論師室で二度目の夜を明かした。
解析は完全に行き詰まり、今朝様子を見に来たニケに「七賢人命令です」と言われ、シフリーナだけが帰された。
あの魔法陣については、間違いが起きないよう、解析できていない一部を黒塗りして局長たちにのみ開示された。その上で、先月の昇格試験受験者と魔法師見習いたちは、各局で局長面談が行われることに決まったらしい。
これで魔法陣の所持を新たに名乗り出る魔法師が出てくれば、同じ魔法陣が出回っているのか、属性に合わせた違う形式のものも存在するのかを確かめることもできるのだが、ウーシェダやオルセの予測では、持っていても名乗り出ないだろう、とのことだった。
命に関わるのだからひとりやふたり名乗り出そうなものだけれど、実害を感じていないうえに、昇格取り消しもあり得るとなれば、恐らくは口を噤む者のほうが多いに違いないという見立てだ。
「シフリーナ様?」
「あ、はい。なんでしょう」
「薬を買いに来たのでしょう? 腰痛と言っていたわよね」
塔から帰ってみると、よろよろと歩くマーサが出迎えてくれた。
訊けば腰を痛めてしまったとのことで、手持ちの痛み止めも残りが少ないとのことだった。
いったんは寝室に向かったシフリーナだったが、眠気はまったく訪れず、それならばとリネッタを伴ってルエラの店にやってきたのだ。
「あ、はい。元々時々痛みが出ていたので魔法薬を飲んでいたそうです。昔一度重い物を持った時に痛めてしまったそうで」
「魔法薬でなくていいの?」
「魔法薬じゃないと駄目そうですか?」
尋ね返すとルエラは軽く目を伏せて「そういう意味じゃないわ」と首を振った。
「この前書いた調査票? あの項目は覚えている範囲で聞いてきました」
マーサに訊いたメモを差しだすと「ありがと」と受け取ったルエラは、それに目を通すと、すぐに塗り薬や飲み薬を用意してくれた。
「本人を診たわけじゃないから、痛み止めは一般的なものにしておいた。三日経っても痛みがひかなかったら、ちゃんと診てもらったほうがいいわ」
「わかりました。その時は一緒に連れてきますね」
シフリーナが答えると、無表情のはずの薬草師が再び口角をあげて頷いた。
「それと。こないだは、ありがとう」
薬と一緒にクッキーも出してくれたルエラは、再び椅子に座るとぽつりとお礼を口にした。
「こないだ?」
「治安局の魔法師が来た時」
「あぁ……私は特になにもしてないです。リネッタさんが駆け込んで来たのはびっくりしましたけど」
微笑んで、出されたクッキーを摘まみ上げる。そっと歯を立ててみると、ほろりと崩れ、香草の香りが鼻腔に抜ける。あまり甘くない、軽食代わりにもなりそうなそれはウーシェダも好みそうな味だ。
「魔法塔の魔法師だろうことはわかったんですが、少し物々しい雰囲気だったので念のため……デートのお邪魔をしてすみませんでした」
「いえいえ。大丈夫です」
「ローディス様に注意されてしまいました。もっと素早くさりげなく行けって。……あの時のウーシェダ様、素敵でしたね。仕事のできる魔法師って感じがしました」
褒められて、シフリーナは嬉しくなる。
話題はそのまま結婚式で描いた魔法陣へと移っていった。
「よく素でこんなにややこしい魔法陣が描けますね」
シフリーナがペンを置くと、リネッタがそう言って顔を顰めた。その隣に座るルエラは、じっと魔法陣を見つめている。
「ここ、面白いわね」
ルエラが指したのは、跳ね上がった土塊を水しぶきに見立てる記述の部分だ。
太陽光がある時にはその光を反射させて光らせ、太陽光がない時には火属性を発動させる分岐方式で描いた。式の日に陽射しがなくても見栄えがするようにと工夫した部分だったので、そこを見つけてもらえたのが嬉しくて「そうなんです」と答えるシフリーナの声音は自然と弾む。
「曇りでもちゃんと綺麗に見えるようにと思って」
「なるほど。そうよね。屋外ならそういう想定も必要よね。私ならここは最初から花火みたいにするかもしれないわ。弾けて花が咲いたら見栄えがしそうじゃない? この花片が舞う記述をこのまま繋げたら簡単だし」
確かに、とシフリーナはルエラの手元を覗き込む。
「ルエラ詳しい! シフリーナ様は当然としても、ルエラがそんなに詳しいなんて知らなかった。薬草師も魔法理論の知識は使うものなの?」
リネッタが手を叩いて褒めると、ルエラはばつが悪そうに唇を噛んでお茶のカップを手にした。
「夫が塔勤めだから、それで少し聞きかじっただけよ」
「聞きかじり……ルエラはすごいなぁ。私なんて魔法学校でいったん一通り習ったはずなのに、全然わからない」
えへへと笑ったリネッタは「そういえばシフリーナ様は何歳で魔法師になれないって諦めましたか?」と尋ねた。
「ちょっと、リネッタ。失礼よ」
シフリーナよりも早く反応したルエラに「だってぇ」とリネッタがしょんぼりと項垂れた。
「ティオがまだ魔力が発現しないから、気が気じゃないんだもの」
「ティオ……今年で十四歳でしょ?」
「そう。えーと、ティオっていうのは私の弟なんです。父に似たのか魔力の発現がなくて、このままだと魔法学校に入れないし、ちょっと心配で。だから、シフリーナ様はどうだったのかなって」
魔力の発現をいつ諦めたか。
自分としては、魔法学校に上がった十七歳の頃にはだいぶ諦めていたようなつもりだった。
普通は五歳や六歳でその兆しが見え始める。早い子ならば、三歳で魔法を使うと聞くし、実際兄のトルエは三歳で母のお気に入りの花瓶を浮かせ、落としてしまったとも聞いた。
だからなおさら、魔力の発現がないままに十七歳ともなれば、さすがに無理なのではと思っていたのだ。
とはいえ、二十歳になった朝感じた落胆も嘘ではないから、自分で何歳と線を引くのは、なかなかに難しい話だ。
「何歳って言うのは難しいんですけど。魔法学校に入った頃……えっと私の場合は十七歳なんですけど。その頃にはもう駄目そうな気はしつつも、それでももしかしたらとも思っていて。十九歳で発現した例もあるって聞いていましたし……でも、学校の先生はそんな一例は奇跡でしかないって言ってました」
「でも、魔法学校には通わせてもらえたんだからよかったわよね」
「まあ、そうですね。二年ちょっとは」
「どうせなら、卒業してから婚約するんじゃ駄目だったんですか?」
「卒業は無理です。三回目の一年生でしたし」
え、とリネッタたちが声を揃えて固まった。
その姿に、リネッタはともかくとして、ルエラは知らないだろうとシフリーナは補足する。
「魔法学校は、実技ができないと一単位も取れないので、進級できなかったんです」
「でもシフリーナ様。一年生ってたしか属性基礎しかやらないですよね? 相互干渉も二年生に入ってからだったような」
リネッタは卓上の魔法陣とシフリーナの顔とを交互に見ながら、困惑を浮かべた。
リネッタの言うとおり、一年生でやるのは魔法理論入門とでも呼べそうな内容だ。魔法陣についても、火が出る、風を吹かせる、など単体的な内容が主だった。
「そうですね。あ、でも図書館には面白い本がいっぱいありましたよ! たくさん読めて楽しかったです!」
シフリーナの楽しかったという気持ちは、どうにもうまく伝わらなかったようで、ふたりはなんとなく苦い物を食べたような顔でカップに口を付けた。
「シフリーナ様。理論師にはどうやってなるんですか? ティオが気にしてまして」
「今検討しているところです。学校に理論師コースを作るとか、既に試験に受かるレベルの人たちもいるなら学校をスキップする方法も作れないかとか。いろいろ相談中で」
「そもそも理論師って何をするの?」
「……実は、それも考え中です」
ウーシェダに出会うまで、シフリーナにとっての魔法理論は空想の遊び場だった。
それが魔法理論師という明確な資格となり、塔に出仕し、対価を得るように変わった。
魔法師も魔法陣は描ける。むしろこれまでそれは彼らの専売特許だった。
ならば理論師とは、どうあるべきなんだろうか。
「今のところは、既存理論や新理論の研究や分析をする専門師、ですかね」
「でも、いくら魔法陣を考えたって、起動するのは魔法師なんでしょう?」
「そうですね。魔力がないと起動できないので」
そうよね、と頷いたルエラは、手の中のカップを軽く振るようにして弄んだ後、探るような視線を寄越した。
シフリーナはなんとなく背筋を伸ばし、彼女の真っ黒な目を見つめ返す。
「シフリーナさんが魔法師と結婚したのは、ヴァンリンドゥに来るため?」
「え、と」
「先に言うけど、私はそうよ。魔法師なら誰でもよかった。ううん、塔の魔法師なら、かな。ヴァンリンドゥに来たかったの」
ルエラの声には、深刻さも好戦的な色もない。ただ、ごく当たり前のことを話す調子でそう言うと、あなたはどうなの、と言わんばかりに見つめられる。
「ちょっと! 結婚への夢を壊すような話、やめてくださいよ」
情けない声をあげて天井を仰いだリネッタに、ルエラは「あら、ティオだって魔法師と結婚すればずっとこの国にいられるわよ?」と軽い調子で応じる。
「えー……でもシフリーナ様とウーシェダ様は相思相愛に見えますけど」
違うと言って欲しいという懇願を滲ませるリネッタの言葉に、シフリーナは迷いながら口を開いた。
「そう、だったんですけど」
えぇ……と情けない声をあげて、リネッタが卓に突っ伏した。
シフリーナは慌てて「今は違います!」と付け足した。
「今は、ちゃんと好き、です。だから結婚しました」
よかったです、誰も信じられなくなるところでした、と笑うリネッタの隣で、ルエラは「そう」とひどくつまらなそうな顔をする。
「ねえ。どうしてこれだけの魔法陣が描けるのに、役に立たない研究をしているの? 鯨を飛ばしたって、それだけで終わりじゃない」
「役には、立たないかも知れないんですけど、楽しいので。あ、でも仕事なので、楽しいだけじゃ駄目ですよね」
「魔法を、自分で使いたいとは思わないの? そのほうが楽しいじゃない」
「それはずっと思ってますよ」
考えるまでもなく口を突いた。
ずっと思っている。願ってきた。魔法が使えたら。魔法師になれたら、と。
けれど、魔力がない以上、それはどうやっても叶わない話だ。
「なら、なんで使えるようにすることを考えないの? 鯨を飛ばすより、よっぽどよくない? 魔力を作り出して、そうして魔法師になりたいって思わないの?」
突きつけるような物言いに、リネッタが不安そうに「ルエラ?」と呼びかける。けれどルエラはそちらを一瞥もせずに、シフリーナをひたと見つめてくる。
「考えてみたこともあるんですけど。それよりも、いろんな魔法を組み合わせたりするほうが楽しくて」
シフリーナの中では、魔法はずっと空想でしかなかった。
これを組み合わせたら面白いんじゃないか。これを変えられたら綺麗なんじゃないか。そんな空想遊びは、既存の理論の枠にも、魔力がないという現実にも縛られることなく、どこまでも伸びやかで自由だった。
そこには、自分が魔法を使えるか使えないか、ということは関係がなく、ただ、その魔法陣が紡ぎ出すであろう魔法の姿だけがあった。
「……そう。理解できないわ。どうしてあなたがそれで満足できるのか」
ルエラの声にはただ落胆だけがあった。それでシフリーナは理解してしまう。彼女は魔法師になりたかったのだ。ヴァンリンドゥに漠然と憧れていたのではなく、ただその場に身を置きたかったわけでもなく、自分自身の魔法を、切望していた。
「……私が使えなくても、魔法は綺麗で楽しいです。それが自分が描いた魔法陣なら、なお楽しいです。シェダ様は、それも私の魔法だって言ってくれたので」
言葉を紡ぎながらも、きっとルエラには届かないと思った。
自身が魔力を使いたい。その切望は、シフリーナにも理解できてしまうからだ。
「自分でできないなら、それは私の魔法じゃないわ」
ルエラの声はどこまでも平坦なのに、まるで泣き出しそうな子どもの声に聞こえた。




