魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑧
翌朝。出仕してきたオルセに、ウーシェダは口の前に人差し指を立てて、ソファーの方を指し示す。
そこには、先ほど少し休憩するようにと促したシフリーナが、すやすやと寝息をたてていた。
「いっそ、専用の仮眠室も貰ったらいかがですか?」
「そんな場所できてみろ。なにかあるたびに泊まると言い出すに決まっている」
「なくても言い出してるじゃないですか。こちら、おふたりの着替えと朝食も預かってきました。解析は終わったんですか?」
抑えた声音で言いながら作業机を見遣るオルセに、ウーシェダは「まだだ」と首を振った。
「すごいですね」
作業机の上には、昨夜シフリーナが書き散らしたメモや魔法陣の描かれた紙が散乱している。それらを眺めたオルセは「趣旨すらわからないですね」と苦笑を浮かべた。
「俺にもわからない。ただ、シフルなりに系統立てて置いてあるらしいから、触るなよ?」
「系統、ですか」
オルセのそれは、感心とも呆れとも取れる声音だった。
件の魔法陣を眺めてはペンを走らせていた昨夜のシフリーナの姿を思い返す。
時折顔をあげて、彼女の投げてくる質問に答えてやるくらいしかできないのをもどかしく感じながら、ウーシェダはその真剣な姿を見つめ続けた。
シフリーナは口を半開きにして寝入っており、当面起きることはなさそうに思えたが、突然目を開けて身を起こした。
彼女が寝付いたのは、日が昇ってからだ。まだそれほど休めていないだろう。
ぼんやりとしたシフリーナに「おはよう」と声を掛けると、ゆっくりとこちらを向いた。
「大丈夫か? もう少し休んだほうが……」
「……シェダ様。魔力を使い果たしたらどうなりますか? 死んでしまいますか?」
寝ていたとも思えない質問を口にしたシフリーナは、ゆらりと立ち上がると作業机に向かい、再び魔法陣に視線を落とした。
「死にはしない。そもそもそこまで魔力を使えば、死ぬ前に倒れる。……ついでに言うと、君もこのまま行くと倒れそうだな。オルセ、悪いがその朝食を、シフルの机に出してやってくれるか?」
「かしこまりました」
「シフル。とりあえず座って朝食だ。それから続きをやれ」
ぼんやりとしたシフリーナに「シフル?」と重ねて呼びかけると、緩慢にこちらを向いた紫水晶の瞳がゆっくりと瞬きをして「シェダ様? あ、オルセ様も。おはようございます」とようやく正気づいたように挨拶する。
その間にオルセが、シフリーナの執務机にスープと小さなサンドイッチ、一口サイズにカットされた果物を並べた。
「シフリーナ様、飲み物はお茶でいいですか? それとも珈琲でもいれましょうか?」
「冷たいお水をお願いします」
寝不足ではいつにも増して多くは食べられないだろうが、このまま作業を再開させれば本当に倒れるまで没頭しそうだ。とにかく座らせて、いったん切り替えた方がいい。
そんなウーシェダの思惑など知るよしもないシフリーナは、もそもそと食べ物を口に運びながら、再び宙を見つめている。頭の中はあの魔法陣でいっぱいなのだろう。
「シフリーナ様。食事が済んだら、あの魔法陣について説明していただいてもよろしいですか? 周りに散らばっている書き付けを見ても、私にはさっぱりです」
「あ、はい。まだわからないことのほうが多いんですけど」
シフリーナは話しかけると受け答えに気が向くようで、ウーシェダも自身の執務机の上にオルセの持ってきてくれた朝食を広げながら会話に加わる。
「あの魔法陣は、既存理論からはずれた特殊なものなのか?」
「理論そのものは既存理論です。……たぶん。ただ、組み合わせがすごく意図的に見えるんですが、何をしたかったのかが読み切れないというか」
「普通に考えれば、魔法師見習いが昇格試験に受かるために魔力を増やす、安定させる、あとは属性の追加、ですか」
「はい。中級に上がるには二属性以上の行使、ですよね。ですから、一属性しか使えない魔法師が、もう一属性使えるようにしたかったのかなって思ったんですけど」
そこで言葉を切ったシフリーナは、果物を口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼してから「亡くなった方が、試験前と後とで使えるようになった属性に変化があったか、確認できますか?」と尋ねた。
「記録があるでしょうから、借りてきます」
「お願いします」
「承知しました。その間にシフリーナ様は食事を済ませて、よろしければお着替えください」
そう言い残して部屋を出て行ったオルセは、シフリーナが着替えを終えて作業机へと移動するのを見計らったようなタイミングで、ファイルを手に戻ってきた。
オルセのやや険しい顔つきに「何かあったか?」と尋ねると、オルセは既に作業机で魔法陣を見つめるシフリーナをちらりと見てから「少し」と苦笑する。
「理論師室が、なんで魔法陣以外の情報が必要なんだと一悶着ありまして。アグリ様のお名前をお借りしてしまいました」
魔法理論師や理論師室ができたことは周知されていても、恐らくは漠然と『魔力のない者が魔法陣を描く、読み解く』としかわかっていない者が多いのが現状だろう。
魔力がない者は魔法理論を本当には理解できないと信じ込んでいる者もいれば、単純に魔法師でない者が塔に入れることを快く思っていない者もいる。
結局は、実績を上げて、その存在意義を示していくしかない。
「朝から悪かったな」
短く労うと、オルセは「次はメルカトル様のお名前をお借りしましょうか」と笑いながらファイルを開いた。
「シフリーナ様。四人の属性についてわかったので読み上げてもよろしいですか?」
「お願いします」
オルセの報告は、四人が行使していた属性も、昇格試験時に新たに発現して見せた属性も全員バラバラだというものだった。
「魔法陣を所持していた魔法師は、元々発現済みが木属性、試験時に新たに発現していたのが火属性か」
シフリーナは作業机の上に視線を落とすと、いくつかの紙の束をまとめて端に避けた。
「分けておいたんじゃないのか?」
「属性の変換を仮定して書いたものなので。木属性から火属性への変換仮定以外は、いったん除外して考えようと思います」
「全部を仮定していたのか」
そんなことをしていたのかとなかば感嘆しながら尋ねると、「はい。でもなんか違う感じがするんですけど」とシフリーナは眉を下げた。
「それと、一個気になるんですけど。この紙からサニルの香りがします」
「サニル? 薬草だよな?」
「はい。匂い袋に入れたり、リラックスとか安眠とか、たしかそんな感じです」
シフルがそう言うと、オルセが「ああ、それなら」と頷いた。
「元々は丈夫な方だったようなんですが、試験前からしばらくは胃痛が酷かったようです。周りには隠して調合薬を常に持ち歩いていたようだと記録がありました」
「なんで隠してたんですか? 魔法塔にも救護室があるし、行けば魔法薬を貰えるって聞きましたよ?」
「ご家族からの聴取によると、十年目のプレッシャーと、それを気にしていることを周囲に知られたくなかったんじゃないか、と。実際試験に合格した後は、すっかり体調もよくなっていたみたいですね」
今回の昇格試験受験者は、先日の健康診断でも真っ先に対象になっていた。特段の記録がないのならば、そこでも異常はなかったのだろう。
「……シェダ様。他にもこの魔法陣を持っている人、探すことはできないんでしょうか?」
「調査局なり治安局なりが既に動いているとは思うが……どうした?」
「昇格試験に受かったということは、亡くなった方たちは魔力が増えたとか、属性が増えたとか、なにかしらの作用があったってことじゃないですか」
「もしもこの魔法陣が原因なら、そういうことになるな」
「ですよね。……まだ、何がどうなってそうなったかはよくわからないんですけど。この魔法陣、不完全なんです。終わりがないです」
「終わりがないと、昨日も言っていたな」
「はい。そこが、あの魔力をなくしてしまう魔法陣に似ていると思ったんですが……」
シフリーナは魔法陣を凝視して、首を傾げる。そうして、説明を始めた。
「この魔法陣が、魔力を吸い上げている。そこはあの魔法陣と同じです。描き方が違うので、魔力を吸い上げたかったのか、何かの属性に狙いを定めているのか、そこはまだわかりません。ただ、吸い上げて、束ねて、何かに変換しようとして……そうして術者に戻したかったんだろうというところまではわかりました」
「つまり、木属性を火属性へ変換して戻しているということですか?」
「この記述では木属性を火属性へ変換しているとまでは読み取れないです。もう少し考えてみます。変換がメインに見えるんですけど、そこを除外して考えてみたら……いえ、うーん……」
言いかけて、シフリーナは再び考え込む。口の中でぶつぶつと呟きながら、しまいには眉間に皺を刻む。
「話すだけ話してみろ。変換を除外するとどうなる?」
「吸い上げたものを倍になるまで束ねて、それから術者に戻しているんです。でも、魔力には限りがあるなら、どこかのタイミングで束ねることができなくなります。魔力を十しか持っていない人なら、一を二、二を四、四を八に束ねることはできても、八を十六には束ねられないです」
「すみません、シフリーナ様。束ねるというのは、増やすという意味ですか?」
「いえ……えーと。重ねる? 濃縮する?」
「一の魔力を束ねることで出力を上げるという意味か? 一ずつなら十回分あったものが、二ずつなら五回分になる」
「そうですそうです! ここの記述ですね、循環させて、後から合流した魔力を倍になるまでここで回して、それから術者に戻しているんだと思います。元の総量が十しかなければ、四を八になるまで回しておくことはできても、八はいくら回していても十六にはならないです」
「十しかなければ、そこが限界ですからね」
オルセが言うと、シフリーナはすぐに頷いた。
「あの事件の時の魔法陣は、恐らく誰かを捕まえておくのが目的のものなので、魔力がある間だけ壁が維持されたらよかったんです。実際、魔力がなくなった場合についてちゃんと仮定されていたし、私がやった書き換えも、そこを誤認させて、停止後の魔法陣を維持するのでなく、光の雨を降らせて消失させる方向に持って行ったので」
ハイレベルなことをさらりと言ったシフリーナは、そこで一度言葉を切り、確かめるように視線で魔法陣を辿ってから、再び口を開く。
「そういうストッパーが、この魔法陣にはありません。足りない時が仮定されていない上に、途中でやめるという想定がありません……でも、例えば魔力が枯渇しても、死ぬことはないはずなんですよね?」
「ない。魔力を使い果たせば疲労で倒れる。そこで出力は止まるし、魔法陣の起動維持そのものができなくなる」
「ですよね。……魔法陣が止まらないから術者が死んでしまうのか、何かに変換しているせいなのか、そこがわかりません。だから、ストッパーがないことよりも、この変換を意図してそうな記述の部分が一番重要なんじゃないかなって。この魔法陣を皆さんに公表できないのはわかるんですけど、もしも今もこの魔法陣を走らせている人がいたら、危ないなって思います」
いったい何人が今この魔法陣を走らせているのか。本当に昇格試験を受けた者だけが対象なのか。
今倒れていない者は、問題が起きないわけでなく、単にまだ限界に達してないだけだとしたら。そして、もしも全員が同じ末路を辿るとしたら、その被害人数すら現時点では読めない。
「メルカトル様のところへ行ってくる。オルセはシフルを頼む」
ウーシェダはアポイントの過程を飛ばして、急ぎ長老室へと向かった。




