魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。⑦
「お、来たか。研究日に悪いな」
理論師室に入ると、作業机を挟んでアグリとシェダとが向かい合わせに座っていた。
机の上には掌サイズの紙が置かれている。いくつもの折り目がついているので、小さく畳んであったのだろうことがわかる。
「シフル。とりあえず座ろうか」
「あ、はい」
ウーシェダに促され、彼の隣に腰を下ろしても、視線は紙面の魔法陣に釘付けだ。
「触ってもいいですか?」
「もちろん」
アグリが頷くのを確認してから、シフリーナは紙に手を伸ばす。
ふと、よく知る匂いがした気がしたが、それよりも魔法陣だ。
少し神経質な印象を受ける描き方だ。細かくて几帳面で、そして──似ている。
「これ、あの時の魔法陣に似ていますね」
零れた呟きを拾うように、ウーシェダが「あの時? いつのだ?」と問う。
「攫われた時の。魔力を吸い取る魔法陣に」
「……いや、よく見てくれ。あれとは全然違うだろう?」
苦笑するアグリに、シフリーナは首を振った。
確かに記述内容は違う。でも、考え方が似ているのだ。
「魔力を吸い上げようとするコンセプトが、とても似ています。ただ……」
シフリーナはもう一度魔法陣に視線を落とすと、その構成を分解して考え始めた。
あの時の魔法陣は、吸い上げた魔力を循環させて、魔法陣の外円ともう少し離れた周囲の外周に壁を作っていた。
ただ壁を作っていただけではない。術者の交代時にも途切れず魔力を満たし続けるよう、敢えて複数回の循環が行われるように記述されていた。
目の前の紙に描かれた魔法陣は、あの時の魔法陣を髣髴とさせる。
術者から魔力を吸い上げている。それはわかる。魔法陣に力を行き渡らせて、循環させている。しかも、やけにくり返して折り返させている。
「これ……おかしいです。終わりがないです」
「得体が知れないんじゃ、試しに起動してみるわけにもいかないな」
ウーシェダの言葉に、シフリーナは「絶対駄目です」と急いで告げた。
「まだこの魔法陣が原因とは限らないが、理論師殿がそこまで言うくらいだ。奥方を未亡人にしたくなければ、やめておくべきだな」
「これを今回亡くなった魔法師が所持していた、と? また見習いから中級へ昇格した魔法師ですか?」
「ああ。検死にあたった救護局が見つけて持ってきたものだ。二人目までは過労が原因だと周囲も決めてかかっていた節があるからな。そこまで突き詰めての検死は行われていなかったんだ。だから、同じ魔法陣を所持していたかは不明だ」
「三人目はどうだったんですか?」
オルセが全員にお茶を配しながら尋ねると、アグリは「なかった」と答えた。
「ただ、今、人をやって、過去三人の所持品をもう一度あたらせている。一緒に火葬されちまっていれば見つけようもないが、探してみんことにはなんとも言えん」
会話を聞きながらも、シフリーナは魔法陣の記述をくり返し追いかける。
魔力を吸い上げて何をしたいのか。
起きた事象だけで考えれば、見習い魔法師が昇格するための魔力の増幅だ。それが目的だと仮定すれば、折りたたんで重ねて術者に戻すためとも考えられる。けれど、明確に、増幅させたいという意図とは違う記述がある。しかも、この魔法陣は、それこそがメインなのではとも思えるのだ。
「あの……。魔法師の魔力は訓練で増やせるって認識で合ってますか?」
シフリーナが尋ねた。
理論はわかる。けれど、魔法師が体感していることは、シフリーナにはわからない。
以前ウーシェダは『魔力量や扱う安定性は訓練でどうにかできる部分もあるが、扱える属性は生まれ付きの部分が大きいからな』と言っていたが、訓練次第でどの程度増やせるものなのか。
シフリーナの問いに、三人は顔を見合わせた。僅かな沈黙の後、口を開いたのはアグリだった。
「増やせるが、短期間じゃ無理だな。限界まで魔力を使うというのは、体力的に並大抵じゃない。それを何度も何年もくり返すことで……なんて説明すりゃいいか……容積だな、容積が増える」
「例えば十しか入らなかったコップを、二十入るように変えていくという意味でしょうか」
「概ねそうだな。ただ、訓練で倍まで増やせた例は聞いたことがない。元が十なら、せいぜい十五。それだって、相当追い込んだ訓練を何度も重ねて、やっと届くかどうかってところだ。ただし、元が十あるのに一しか使えないってなら話は違う。コツさえ掴めば、すぐに十にできる」
コツコツと努力さえすれば、際限なく増やせるものではないらしい。しかも、生まれつきに左右される部分も大きい。その二つが理解できたシフリーナは、少し思案してから更に尋ねた。
「では、属性もそうですか? 火属性と水属性と風属性を持っている方が、火属性と水属性とを一ずつ使えるけれど、風属性は適性はあってもうまく使えない、という場合は、どのように風属性を育てるのでしょうか?」
「それもコツさえ掴めば、だな。むしろ魔力量よりも天賦の才といえる。逆に、火属性と水属性と風属性しか持たない魔法師は、どう頑張っても地属性は得られない」
「火属性と水属性と風属性しかないと思ったら、実は地属性もあった、というケースもありそうですね」
シフリーナの言葉に、アグリが愉しそうに目を細めた。
「あるだろうな。ただし、それは地属性が発現して初めてわかることで、発現しなければないと思い込んだままで終わる話だ。……これはその魔法陣に関連する話か?」
「わかりません。よく考えてみます」
「悪いが頼む。……ああ、念のため言っておくが、その魔法陣は塔から持ち出してくれるなよ? 押しつけるようで悪いが、後は頼む。今日明日は長老もいるから、何かあればそっちに話を持って行ってくれていい」
「持ち出し不可……じゃあ、泊まっていってもいいですか?」
もう夕方に差し掛かろうという時間だ。持ち出せないのでは、じっくり考えられる時間はあまりに少ない。
シフリーナが尋ねると、アグリはすぐにウーシェダを見た。
「それは夫婦で話し合ってくれ。じゃ、頼んだぞ」
そう言ってアグリは部屋を出て行った。
ウーシェダの渋い顔に、訊くまでもなく答えがわかる気がして、シフリーナは先に「泊まるのは駄目だとは言われませんでした」と主張した。
吹き出したオルセに、ウーシェダがすかさず不機嫌な視線を送る。
片付けますね、とアグリのカップを下げるために立ち上がったオルセの肩は、心なしかふるふると震えているように見えた。
「シフル。これからこういう解析は、それなりの頻度で入るようになると思っていい。その度に塔に泊まるつもりか?」
「駄目ですか?」
じっと見つめて訴えると「一晩でどうにかできそうか?」と訊かれる。
一晩。それはさすがに難しい気がする。
けれど。
「このまま帰っても、絶対に眠れない自信があります」
「どんな自信だ」
今度はウーシェダが吹き出した。
笑われたことがなんとなく不本意で、シフリーナは口を尖らせる。
「真剣に話してるのに」
ややして、ウーシェダがため息を落とした。
「オリ。今日はもうあがっていい」
「残らなくていいんですか?」
「ああ。ふたりで残ったところで、できることもないからな。その代わり、悪いが明日出仕の時に、俺の邸に寄って着替えを持ってきてくれ。マーサに言えば渡してくれる」
話の流れで、泊まれることがわかったシフリーナは思わず顔がにやけそうになる。
これでじっくりこの魔法陣に没頭できる。
腰を据えて魔法陣に取り掛かろうと、紙とペンを用意し始めたシフリーナにウーシェダが、待て、と声を掛けた。
「取り掛かる前に、先に食堂で夕食を済ませる」
「まだ食べなくて大丈夫です」
そんなことよりも、早くじっくりこの魔法陣に取り組みたい。
「そうやってこのまま朝になるのは目に見えてるからな。食事しないなら、泊まりは許可できない。どうする?」
「……わかりました」
シフリーナが渋々頷くと、ウーシェダは「よろしい」と室長の顔で頷いた。




