第四話
講師の任期も予定の半分を過ぎた。
今日の午前中は一年生の授業だ。実習のため、魔法陣の起動が許可された専用教室、その片隅でひとり嬉々としてページを繰るシフリーナを視界の端に捕らえ、ウーシェダは笑いを噛み殺す。
実習に参加できない生徒には、通常その実習に関するレポートを課す。けれど、二年生のプリントをすらすらと解く彼女にはあまりに簡単過ぎるだろうと、好きな本を持ってきて読んでいるようにと事前に指示していた。
案の定ウーシェダの貸した本を持参したシフリーナは、先ほどから食い入るように読んでいる。
かなりページ数のある本だが、既に半分を超えているらしい。学生には難しすぎる内容で、意味などろくに理解できないだろうに、それでも子どもが読めない絵本を繰るように、シフリーナは楽しそうに紙面に視線を落としていた。
自分にもあんな頃があった、とウーシェダは思う。もっと幼い頃、魔法がおもちゃ箱に見えていた頃、人の振るう魔法に目を輝かせ、どうしたらそれができるのか教えて欲しいとよくねだっていた。
魔力のない彼女は、あの本の向こうに何を見るんだろうか。
魔力なしにとっては、どれほど良くできた魔法とて、絵空事でしかないだろうに。
それでも、あの年齢で、しかも魔力もない彼女が、目を輝かせ魔法が好きだと言い切るのがウーシェダは少しだけ羨ましくも思えた。
そんな彼女こそが、今のところ例の魔法陣の主に繋がるかもしれない確かな手がかりだが、問い詰めたところできっと彼女は本当のことは言わないだろう。
どうしたものかと思っていたが、ここにきて二人、気になる生徒が見つかった。どちらも三年生だ。
まずは彼らを呼び出して話を聞くのが最優先だ。
そうして迎えた昼休み。ウーシェダが向かったのは、この時間生徒たちが集まる食堂だった。
講師に来てからというもの、昼食は職員控え室で教員たちと共に摂っていたので、ウーシェダが食堂に来るのは初めてのことだ。
魔法塔の食堂とは比べるべくもないが、それにしてもざっと二百人ほどを収容できる食堂はそれなりの広さだ。
笑いさざめく声に満たされたそこで、ウーシェダは注目されるのを気にも留めず、目当ての生徒を探すべく視線を巡らす。
やがて、奥の長テーブルに目当ての生徒を見つけた。しかも、ふたりに加え、シフリーナの姿もある。
シフリーナは、ウーシェダが用のある男子生徒にちょっかいをかけられているらしい。
「魔力なしが随分偉そうな本を持ってるじゃないか」
「本に偉いも偉くないもないのでは?」
正論で返すシフリーナの声が耳に入り、ウーシェダはクッと笑いがこみ上げる。
同時に、あれでは火に油だろうな、とも思いながら足を速めた。
「万年一年生が読むような本じゃないだろ」
「この本は年齢制限はないですよ? たぶん」
ウーシェダの本を大事に膝に抱えているらしいシフリーナは、掌をそっと自身の服で拭うと本の表紙を指で辿って確かめている。
およそ令嬢らしからぬ振る舞いではあるが、彼女なりに本を汚さない配慮なのだろう。それならば食事の席になど持ち込むべきではないのだが、片時も離さずに持ち歩いて読んでいるのかと思えば、注意するのも憚られる。
「お前、僕を馬鹿にしているのか!?」
激高して立ち上がった生徒に、ウーシェダが声を掛けた。
「食事中申し訳ない。ギルデ・カリマ」
ハッとしたように佇まいを正した男子生徒は、はい、と殊勝な声で返事をする。
シフリーナは、この隙に、とでも言うようにすかさず腰をあげて、まだ随分と残っていた食事を切り上げて立ち去ってしまった。
「昨日提出したプリント、よくできていた。講師控え室で少し話を聞きたいんだが、このあと時間を貰えるだろうか?」
ウーシェダがそう言うと、ギルデは誇らしげに顔をあげて「もちろんですっ」と弾んだ声を上げた。
それに頷きを返し、シフリーナの向かいに座っていたロミーナにも声を掛ける。
「君も……、あー、時間が足りないな。ロミーナは放課後に講師控え室に……いや、談話室にしよう。森側の談話室に放課後。都合は悪くないか?」
講師控え室に女生徒を呼び出して二人きりはさすがに外聞が悪い。
ウーシェダはそう考えて、生徒たちも自由に行き来するオープンスペース──談話室での約束を取り付ける。
初日に三年生に課したプリントは、学生では解けなくても不思議のない問題だった。
学校を卒業した見習い魔法師が一人前に差し掛かる頃に、ようやくあの理論体系を一通り会得する。
ならば学生では歯が立たないかといえばそうでもない。魔法属性の基本が頭に入っていれば、正解は書けないまでも、間違っている箇所の指摘はできる。
三年生の中であの問題の主旨を正しく理解して解答したのは、このふたりだけだった。
「はい、大丈夫です」
頬を赤らめて答えたロミーナにも頷きを返した。
「食事の邪魔をして申し訳なかった。では後ほど」
踵を返したウーシェダの視線の先では、シフリーナが本を大事そうに胸に抱えて食堂を出て行くところだ。
ふと、シフリーナならばあの三年生に課した問題を解けただろうか、と考えて、すぐにそれはさすがに酷だと苦笑する。
あれは基礎を理解するだけでなく、自身で魔法陣に魔力を流し、発動させてみて理解を深める理論だ。魔法には、そういうものがたくさんある。
あれほど魔法への興味があれば、もしも魔力があったらさぞや将来有望だったことだろう。もっとも、魔力がないからこそ、いつまでも魔法に憧れていられるのかもしれないが。
ウーシェダはままならないものだなと思いながら、食堂を後にした。
◇ ◇ ◇
放課後を迎え、ロミーナを呼んだ談話室に来ると、大きなガラス窓の前の椅子に腰を下ろした。
森側の談話室は三階の廊下の一画にある。窓の向こう、眼下には森が広がる。
木々の途絶えた一画。先日ウーシェダが鯨を飛ばしたのは、あの辺りだろうか。
あの日の光景を脳裏に再現させながら、ウーシェダは息を吐く。
昼休みに呼び出した男子生徒──ギルデは、率直にいえば空振りだった。
彼の提出したプリントを前に、なぜそう考えたのかを話すところまでは悪くなかったが、実際の魔法陣の記述については自分で書いておきながら理論が理解できていない。
言語化できないだけかもしれないと考え、ウーシェダが誤っている場所を指摘してやりながら、なぜそれでは駄目なのかを説明してやったが、おそらく半分も理解できないのが見て取れた。
誰かに訊いたのかを尋ねても、自分で考えたの一点張りだったが、そうでないのは明白だった。
これから来るロミーナはどうだろうか。
あまり期待はしないほうがいいだろうと自身に言い聞かせたウーシェダは、ロミーナの描いた魔法陣に視線を落とす。
こちらはギルデと違い、すべてが綺麗に連鎖する魔法陣として成立している。正解だ。
ロミーナが、あの魔法陣の作者だろうか。このプリントだけでは判断できない。
「遅くなって申し訳ありません」
顔を上げると、軽く息を弾ませたロミーナが立っていた。
「いや。こちらこそ放課後に申し訳ない。そこに座ってくれ」
ウーシェダが丸テーブルを挟んだ向かいの席を指し示すと、ロミーナは緊張した面持ちで腰を下ろした。
オープンスペースなだけに、授業を終えた生徒が近くを通り過ぎていく。
視線が気になるのか、それとも何を言われるのかと身構えているのか、ロミーナはそわそわと落ち着かないように見えた。
「このプリントの魔法陣の記述、よくできていた」
「あ……はい。ありがとうございます」
「それで、この記述の根拠を説明してもらいたい」
「……はい。まず、この三つの魔法陣は春を再現させるものだと考えました」
ロミーナは、ギルデが言ったのと同じ表現で語る。
『春を再現させるもの』
間違ってはいない。花片が舞い、暖かな風を吹かせる。暖かな風は、気温作用の魔法陣と、風を吹かせる魔法陣、それらの相互作用を計算に入れる必要がある。
風の魔法陣には、敢えて間違えた記述を織り交ぜた。
ロミーナはその間違いを正しく修正し、どの魔法陣が何をするためのものかの捕捉説明も記述してあった。その記述を読めば論拠はわかるが、それを本人が理解できているかはまた別の話だ。
ウーシェダは丁寧に論拠を尋ね、ロミーナはしどろもどろになりながらもどうにか説明を続ける。
詰まったのは、風の魔法陣と気温作用の魔法陣の相互干渉についてだ。
「風の魔法陣で、この記述を書き直したのはなんでだ?」
「そこは……そうしないと、流れが止まってしまうからです」
間違いではない。ただ、ロミーナは視線が泳ぎ、これ以上訊いてくれるなと言っているようにしか見えない。
「その通りだ。流れが止まる。……なぜ?」
「そ、れは……」
「疑うようなことを訊いて申し訳ないんだが、これは自分で考えたのか?」
ロミーナは小さく息を呑んだ。視線を膝に落とし、肩を縮める。怒られると思っているのだろう。
「先に種明かしをすると、これは君たち三年生でも解けなくて不思議はない。だからできなかったことを恥じる必要はないし、それで大幅に点数が落ちるわけでもない。ただ、これを解くことができた生徒が誰なのか知りたい」
ロミーナは顔をあげると、何かを確かめるようにウーシェダの顔をじっと見つめてくる。やがて、そっと口を開いた。
「シフルです。シフルに教えてもらいました」
「シフルって……シフリーナか?」
「はい。シフルは」
ロミーナがなおも言い募ろうとした時、廊下の空気がざわりと揺れた。
行き交う生徒が「おい!」「なんだ」と次々と窓辺に寄って、森を指差す。
ウーシェダも視線をやると、森で煙が上がり、赤い炎がわずかに覗く。
途端に、けたたましい非常ベルの音が響き渡った。




