魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。④
「ルゥ、まだ寝ないの?」
一階の店舗スペースに降りてきたシノラスは、そう言いながら薬草を煎じるルエラの手元を覗き込んだ。
「ちょうど終わったところよ。あとは一晩冷ましてから続きをやるわ」
「そっか。……そういえば、こないだルゥに調合してもらった頭痛薬、よく効いたって」
そう言いながらシノラスが背後からルエラを抱き締める。
腹に回した手を組んで、ルエラの肩に顎を乗せたシノラスは、ルエラの頬に軽く口づけた。
シノラスは、ルエラの夫だ。少し気弱なところはあるが、結婚して五年経っても少しも変わらず優しいままだ。
「元々飲んでた魔法薬と同じくらい効いたって驚いていたよ」
「……そう」
無意識に指先に力が入ってしまう。誤魔化すように一度きゅっと握ってから開く。
元々飲んでいた薬があったなどという申告はなかったはずだ。魔法薬を飲んでいたなら、もう少しだけ調合を変えたのに。
魔法薬と同じくらいだったなら、それは期待したほど効果がなかったということだろうか。それとも、『魔法がなかったわりには』よく効いたと言いたいのだろうか。
胸に渦巻く思いを表には出さずに、ルエラは夫に軽く寄りかかる。
「喜んでもらえたならよかったわ」
「薬草だけで魔法薬と同じくらいの薬ができるなんて、ルエラはすごいよ」
「……ありがと。ほら、離れて。片付けなくちゃ」
お腹の前にまわされた腕を軽く叩くと、背中のぬくもりはすぐに離れた。
ルエラは薬草を煎じた鍋に蓋をして、広げていた紙類を束ねる。鍋の様子を見る片手間に描いていた魔法陣だ。
後ろから伸びてきた手が、そのうちの一枚を引き抜いていく。
「あ、ちょっと」
「ルエラの描く魔法陣はいつも面白いよね。魔力がないのに空想でこんなに描けるのはすごいと思うな。いっそさ、『ちゃんとした理論』を習って、魔法理論師になったら? ルゥ、魔法が好きだろう?」
「……別に」
「前に僕が持って帰ってきた魔法陣も、楽しそうに見てたじゃない。せっかく魔法理論師が創設されたんだから、ルエラも……」
「……あれは魔法を諦めた負け犬がなるものよ」
「え? 何? 聞こえなかった」
ルエラは、昼間に店を訪れたシフリーナの姿を思い出す。
魔法名家の生まれで、魔力がないのに魔法学校に入学。中退して特級魔法師の妻となり、自身も特級魔法理論師となった女。新聞でそれらの経歴を見た時には才気走った女か、いかにも貴族の生まれらしい令嬢を思い描いていた。
いい家に生まれ、魔力もないのに魔法学校に通わせてもらって、特級魔法師に見いだされた幸せな人生を歩んできた幸運な女。
そう思っていたのに、実際のシフリーナは随分と印象が違った。
『実家に帰れない長期休みは、森で草を摘んで食べてたので』
シフリーナは、ルエラの手元をカウンター越しに身を乗り出して見ていた。
少しでも飲みやすくなるように甘みを加えようとルッカを手にすると、途端に眉間に皺を寄せたので、どうしたのかと尋ねたのだ。
すると、ルッカと間違えてルッケを食べ、大変な目に遭ったことがあるのだと教えてくれた。
ルッカは特段の薬効もない食用だ。対するルッケは下剤として使う。葉の形はよく似ているし、自生している場所も似ている。匂いでの判別もつかないが、唯一ルッカの葉には白い細い線が縦に一本だけ走っている。
採取に慣れない者がよくやらかす好例だ。
それにしても、乾燥させたルッカを正しく見分けていたくらいだから、それなりに知識はありそうだ。
魔法理論だけでなく薬草にまで詳しいのかと少し嫌みに感じながら尋ねると、僅かに言い淀んだ後、シフリーナは学校の裏で食材を集めていたことを教えてくれた。
貴族令嬢ならば、実家に帰ればいくらでもおいしいものが食べられただろうし、お金だって潤沢にあっただろうに。
それなのに、自身で図鑑片手に草を集めて口にする必要があった。
今は改善しているというからあまり掘り下げなかったシフリーナの食生活も、いろいろと事情があったのかもしれないと思いを巡らせながら、取り急ぎの薬草茶だけを渡して見送ったのだ。
「ルゥ? どうかした?」
「ごめん。昼間に来たお客さんが面白かったなって思い出しただけ」
「なにそれ。どんな人?」
「お客様の秘密はお話できません」
そう言うと、シノラスは「えー」とつまらなそうに口を尖らせた。ルエラよりも三つ年上なのに、こんな表情はまるで弟のように見える。
「そういうものでしょ。だいたい、誰だって人に知られたくない秘密のひとつやふたつ、あるでしょう?」
「僕はルエラには秘密はないと思うなぁ。……ルエラは? あるの?」
あけすけなシノラスには、確かに秘密はないかもしれない。
蜂蜜色の瞳が何かを探すようにじっとこちらを見つめてくる。ルエラはそこから逃げるように、片付けのふりで背を向けて「さあ、秘密です」と笑み含んだ声で答えた。
「さ、二階に行って寝る準備しましょ。明日も早いんでしょう?」
「うん」
言わないだけだ。訊かれないから答えない。
でも、きっと──訊かれたって答えない。




