魔法が使えない令嬢ですが、最高峰魔法師の妻になって理論師として難事件に挑みます。③
「理論研究そのものよりも、当面枠組みを作るばかりになりそうですね」
そう言ったオルセは、理論師育成のための素案をまとめた書類を手渡してくる。
ウーシェダは、今日は主のいないシフリーナの執務机に視線を投げてから、その書類を受け取った。
「そうだな。さすがに次の九月は難しいかもしれないが、来年の新学期にはヴァンリンドゥと、もういくつかの学校で理論師コースが始められるようにするのが当面メインの取り組みになるだろうな」
「そうなるとシフリーナ様が塔入りしたのが本当によかったのか、悩ましいところですね。以前ほど研究時間もとれていらっしゃらないのでは?」
理論師室が開設されて最初の一週間を終え、ウーシェダも同じことを懸念していた。
好きな時間に好きなだけ書庫に籠もり、気が向くままに理論を組み立て魔法陣を描く。塔に部屋を与えられた部署の一員となれば、そこまでの自由はない。
けれど、当のシフリーナは毎朝嬉々として竜に跨がる。まだ新生活が始まったばかりでさほど気にならないのかもしれないが、本来彼女が一番に取り組むべきは既存の魔法理論、それと彼女自身の独自理論のほうだ。
「そのために俺たちがいる。……まあ他局との連携がどの程度増えるかにもよるが、多くなければ研究日を増やしてやればいい」
「他局との連携、ですか。それについて一点ご相談があるのですが」
机の前に立つオルセは、佇まいを正し、少し思案してから口を開いた。
「先週、シフリーナ様に塔内を案内した時、驚くほど時間がかかりまして」
オルセの言葉に、ウーシェダはこの国に初めて彼女を連れてきた日のことを思い出す。
入国してそのまま塔へと連れてきたところ、シフリーナは目にするすべてが物珍しく、何かを見つける度に足を止めるものだから階下まで降りるのに恐ろしく時間を要した。
塔全体を案内するとなれば、相当の時間がかかるのは想定の範囲だ。
「まあ俺たちが初めて魔法塔に入った時ですら、見るものすべてが新鮮ではあったからな。シフルならなおさらだろう」
「シフリーナ様が興味を持たれて足を止めるならいいんです。それをじっくり見ていただくための案内でしたから。そうではなくて、声を掛けられるんですよ」
「声? 誰に?」
「『魔法理論師』の力量を量りたい暇人たちに」
相手のことを『暇人』などと称したくなるほどだったのだと、オルセのげんなりとした顔つきが示している。
「案内を理論院から始めたのは失敗でした。廊下でシフリーナ様を見つけると挨拶の態で話しかけてきまして。で、魔法理論をふっかけてくるんですが、相手は高度なつもりでも、シフリーナ様には楽しい話題でしかないわけですよ」
「だろうな」
ウーシェダは、そういえば、と思い返す。
夕食の席で、いろんな魔法師と魔法理論の話ができて楽しいとシフリーナがはしゃいで話してくれたことがある。その時は、顔の広いオルセが知り合いにでも紹介して話が弾んだのだろうと思いながら話を聞いていたが、そういうことだったのかと合点がいった。
「しまいには試そうとしていた相手がシフリーナ様の話についていけなくなって黙り込んでも、シフリーナ様のほうが嬉々として話し続けるものだから、私のほうでそれとなく話を打ち切る方向に持って行く羽目になるわけですよ。毎度毎度!」
その光景を想像して、ウーシェダが笑いを漏らすと「笑いごとではありません」とオルセが抗議の声をあげるので、急いで咳払いをする。
「シフリーナ様の性格も考慮して、塔の案内は午後だけでも三日ほどを予定していたんです。それだって相当余裕を見たスケジュールのはずが、結局まだ全部は終わっておりません」
「急ぎの何かがあるわけではないから今週も案内に使って構わんが……そんなにか? 各局の局長に挨拶に行った時には、誰も話しかけてこなかったぞ?」
初日の午後、シフリーナの顔つなぎのため、彼女を伴い局長たちには挨拶して回ったのだ。歓談はまた後日場を設けようという話になった先もあるにはあったが、歩いていて話しかけられるということはなかった。
「それは、貴方が大層嫉妬深くて、奥方を夜も寝かさないほど可愛がっているという噂のせいですよ、きっと」
「くだらん噂も役に立つものだな。なんにせよ、シフルの実力は明示する必要があるだろう。理論師室の立ち上げが落ち着いたら、いったん場を設ける。他局と連携するにしても、こちらの実力は示しておく必要があるだろうからな」
魔法理論師、しかもその特級であるシフリーナがどれほどのものなのか。一度きちんと周知せねば、依頼する側も基準すらわからないに違いない。
そうは言っても塔の全員を集めるわけにもいかないし、公表できる理論や魔法陣に制限もある以上、事前に七賢人たちと相談する必要がある。
「そうですね。なるべく早めにお願いします」
「ああ。決まり次第……」
頷きかけたウーシェダの視界の端、窓の向こうに伝令の小鳥が映る。キャラメル色のそれは、ウーシェダの邸からのものだ。
窓を開け放って掌を差しだしてやると、小鳥は霧散し、空中に文字が浮かび上がる。
「シフリーナ様に何かありましたか?」
「いや……体調が回復したので、町に買い物に出るそうだ」
「回復されたならよかったですね」
そうだな、と頷きはしたものの、今朝ほどのシフリーナの顔色を思い出すに、買い物になど出て大丈夫だろうか、と心配になる。
護衛二人がついているし、マーサが外出を許したのだから大丈夫だろうとは思いつつも、今日はなるべく早く帰ろうとウーシェダはひっそり決意した。
「シフリーナ様も張り切りすぎるきらいがありますからね」
「まあ、没頭しだすと寝食を忘れるタイプではあるな」
答えた途端、オルセが笑いを漏らす。
「何がおかしい?」
「いいえ。シェダ様もどちらかといえばそのタイプでしたが、シフリーナ様の世話を焼くおかげで、貴方のほうは節度ある生活ができるようになったのだなと感心しただけです」
さも楽しそうに目を細める部下から目を逸らしたウーシェダは、身に覚えがあるだけに「まあな」と短く答えるに留めた。
「本当に体調管理には気をつけていただきませんと。実務院のほうで、また一人、見習いから昇格したばかりの中級が亡くなったそうですよ」
「また?」
「ええ。今回は試験に臨んだ人数も昇格出来た者も多かったそうですが……昇格者を抱える局には、業務量管理の徹底が通達されたようです」
オルセは人脈が広く、情報が早い。くだらない噂話から有用な情報まで幅広く得てくるから、彼が補佐についてからのこの五年、それに助けられる場面が度々あった。それにしても、塔の通達を室長であるウーシェダよりも先に得てくるのは連絡系統に不安を覚えるが、昇格者が在籍しているわけでもない理論室は元々この通達の対象外なのだろう。
「明日は、シフルは様子を見て研究日の振り替えにさせてもいいが、塔の見学が済んでいないなら、それに当てるか」
「急ぎのことは今のところ何もございませんから、シフリーナ様の体調で決めていただいて結構です。お休みされるようであれば、私は引き続き学校関連の書類を進めますし」
「わかった。いったんこれを確認する」
ウーシェダはそう言って、先ほどオルセに渡された書類に目を通し始めた。
「おかえりなさいませ」
夕刻、塔から帰ってきたウーシェダが邸の庭に竜を下ろすと、外の見回りをしていたらしいローディスが恭しく頭を下げた。
ローディスは、局の業務を兼任する騎士も多い中、専任で騎士をしている上級魔法師だ。現在は見習いであるリネッタの教育係についているが、細身で柔和な雰囲気に似合わず、次期団長と目されている実力者だ。
「今日は急に買い物に付き合わせたとか。申し訳ありません」
「今回の護衛は、行動制限などは何もないと承っております。いつでもお好きにお出かけいただいて構いません。むしろ、リネッタにもいろいろな場を経験させられるので……、あ、私が責任を持ってフォローはできるようにしておりますが」
急いで言い募るローディスに、ウーシェダはゆるりと首を振る。
国賓でもなく、また差し当たってヴァンリンドゥから出るわけでもない対象の護衛は、見習いに経験を積ませるには丁度いいのだろうということはウーシェダも理解はできた。
なにより、年の近い同性のリネッタならば、シフリーナも気安く過ごしやすい。
「シフルはまだヴァンリンドゥに親しく話せる友達もいないので、仕事とはいえリネッタさんが近くに控えてくれるのは嬉しいようです」
「窮屈に感じていらっしゃらないならよかったです。当面護衛が必要になった際には、私とリネッタが当たる予定です。またいつでもお申し付けください」
ローディスが折り目正しく頭を下げていると、邸の扉が開き、シフリーナとリネッタが外に出てきた。
「こら、リネッタ。今の場合、お前が先に屋外に出ろ。いつでも待ち伏せは想定して動け」
すかさずローディスが窘めると、シフリーナとリネッタが口を揃えてすみませんと謝った。
「シェダ様が見えたので、私が先に出てしまいました。申し訳ありません」
シフリーナに謝られるとは思っていなかったのだろう。ローディスがほんの少し狼狽えたように、いえ、と顔の前で手を振った。
「体調は大丈夫か?」
「はい、もう大丈夫です」
微笑むシフリーナの顔つきは、今朝と違って活気を取り戻していた。
ホッとしながら再度ローディスとリネッタに礼を言ったウーシェダは、竜を還し、シフリーナと共に邸の扉を潜った。
扉を閉めてすぐシフリーナの唇に口づけを落とす。目元を染め、くすぐったそうに笑う彼女の額にも口づけ、抱き締める。それだけで一日の疲れが吹き飛ぶのだから、どんな魔法薬よりも効果てきめんだ。
「おかえりなさいませ」
マーサの声に、シフリーナは急いで腕の中から逃げ出していく。
名残惜しくはあるものの、いつまでもエントランスで抱き合っているわけにもいかないのだから、よかったといえばよかったのだろう。
いったん部屋に戻って着替えを済ませ、食堂に向かうと、シフリーナは既に席に着いていた。
大きな塊肉のシチューとパン。フリッターや野菜のグリルなどが食卓に並ぶ。
シフリーナはサンドイッチ以外も多少食べられるようになってきてはいるものの、食欲がいつもよりも落ちているせいか、先ほどからシチューだけを口に運んでいる。
話題はもっぱら今日シフリーナが訪れたという薬草師の店のことだ。
「聞いたことがあるな。腕のいい薬草師がいて、応用魔法研究局がかなり意識している、とな」
「一緒に研究できないんですか? 効果の高い調合薬に、更に魔法で後押しできたら凄そうなのに」
ことりと首を傾げて尋ねるシフリーナに、ウーシェダは苦笑を返す。
シフリーナのように柔軟に考える魔法師も少ないわけではないが、自分たちの魔法にプライドを持ち、それによる調合こそを信じる魔法師も一定数いる。魔力なしが薬草だけで調合する薬など、と下に見る者もいるのだ。
それを伝えると「もったいないですねぇ」と呟いたシフリーナは、そういえば、と思い出したように口を開いた。
「ウーシェダ様。子どもは欲しいですか?」
「──っ、ゴホッ、……っ」
口に含んだワインにむせるウーシェダに、シフリーナが慌てて腰を浮かしかける。それを手で制したウーシェダはひとしきりゴホゴホと咳き込んだ。
マーサの持ってきた水を飲み、ようやく人心地ついたウーシェダは「大丈夫ですか」と心配そうにこちらを見るシフリーナをまじまじと見つめた。
子ども。
夫婦の時間を持ち、特段何の策も講じていないのだから、この先当然そういう可能性はあるだろう。
それにしても、言い出したタイミングが随分と唐突だ。
「子どもが欲しいか、だったか。……シフルはどうだ?」
「実は、あんまり考えてみたことがなくて。今日ルエラさん……薬草師の方に、作りたくなければ、そういう薬もあると言われて。いったんシェダ様と相談してみようと思ったんです」
「……君に似た子どもなら、さぞや可愛いだろうな」
そんな言葉が思わず口を衝いた。
特段子どもが欲しいと思ったことはない。かといって、いらないと思っているわけでもない。ただ、シフリーナとの子どもならば、さぞや可愛く愛しいだろうと思った。
同時に、理論師室のことが頭の隅を過る。シフリーナは唯一の理論師だ。その彼女が妊娠すれば、理論師室の業務そのものが滞りかねない。
なにより、シフリーナ自身、妊娠すれば存分に理論師室の仕事に取り組むことも、研究に時間を費やすこともできなくなる。それは果たして彼女の望むことだろうか。
ウーシェダの見つめる先で、シフリーナは嬉しそうに微笑んだ。
「私は、シェダ様に似た子どものほうがいいなと思います。小さい頃のシェダ様は、女の子みたいに可愛らしかったって聞きました」
「誰情報だ、それは」
「イシュカさ、……お義母様情報です」
顔を顰めたウーシェダなど気にも留めず、シフリーナがはにかむ。その表情が可愛くて、やっぱり子どもはシフリーナに似て欲しいとウーシェダは思った。
出産は代わってやることはできないが、生まれた後ならばいくらでも代われることもあるだろう。
理論師室を立ち上げたばかりで早々にシフリーナが妊娠すれば、口さがない者たちにより中傷も飛び交いかねないが、泥なら自分が被ればいいことだ。
「俺は、子は自然に任せればいいと思う。君はどうだ?」
「私も、それでいいかなって思います」
食事を再開したシフリーナには、安堵が透け見える。その姿に、ウーシェダも肩の力が抜けていく心地がした。
それにしても、随分と踏み込んだことを訊く薬草師だ、と思う。
新婚の女性相手に、取りようによっては、子どもを作りたくないなら協力するとも取れる物言いだ。
「薬草師の店には定期的に通うのか?」
「はい。いったん二週間分の薬草茶を買ってきたんですが、それとは別に、その……月のモノに効く薬を調合してもらうことになっていて。材料が足りないそうで、二週間後に受け取りに行くことになりました」
「だったらその時は一緒に行ってもいいか? 俺もその店に行ってみたい」
「はい。……そのシェダ様。その時、もしも時間があれば、またあのチョコの香りの紅茶が飲めるカフェに行きたいです」
「そのくらいの時間、いつでも作るぞ?」
請け負うウーシェダに、シフリーナはまた嬉しそうに目を細めた。




