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魔法が使えない令嬢ですが、私の描いた魔法陣を最高峰魔法師が発動してしまいました。ー最高峰魔法師×魔力0令嬢、ただし魔法理論最強。ー  作者: 稀葉
【後日談】

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初夜の心得

 夫婦の寝室を設えたのは、結婚式の前夜だ。

 シフリーナの使っていた部屋から書斎を挟んだ向こう側──ウーシェダが使っていた部屋に手を加え、調度品を入れ替えた。

 ベッドの大きさに驚きながらも「明日からは一緒に寝るんですね」と頬を赤らめていた彼女をそのままベッドに連れ込まなかったのは、マーサが目を光らせていたのとウーシェダの理性の賜物だ。

 

 偽装だった婚約を本物にしてから、結婚式までの四ヶ月、特に直前一ヶ月は目まぐるしかった。

 式の準備はもちろんのこと、魔法理論師制定に関する会議に呼ばれたのは一度や二度ではなかったし、それに伴う異動準備で結婚式前の一週間など、夕食の時間をとうに過ぎた頃にようやく塔を出るような日々だった。

 シフリーナにしても、事前に来賓の顔と名前を覚え、パーティーの装飾を担当者と相談し、お披露目する魔法陣の検討をするなどそれなりに忙しく過ごしていた。

 

 シフリーナは、今日、普段なら考えられないほどに多くの人と話し、大勢から祝福だけでなく称賛を向けられた。もしかしたら彼女にとっては、シフリーナ・ファートになったことよりも、正式に魔法塔の一員として認められたことのほうが特別で幸せなことだったのではないかと思う。

 

 そんな幸せを夜には二人きりで分かち合う。そう思っていた。

 ところが。

 式を終えた夜、ベッドの上でウーシェダを出迎えたのは、既に寝息をたてるシフリーナだった。


「……シフル?」


 どう見ても熟睡してはいるが、そっと呼びかけてみる。

 彼女の腕の中には、今日メルカトルから授与されたローズピンクのローブ──特級魔法理論師の証。

 小さな子どもがお気に入りのぬいぐるみをベッドに持ち込むように、ローブをきゅっと握りしめて鼻先を埋める様は微笑ましくはあるものの、今日だけはその姿にほんの少しだけ落胆してしまう。


「抱き締める相手が違うんじゃないか?」


 恨み言は、それでも起こさないように小さく囁くに留める。

 ウーシェダはシフルの腕の中のローブを取りあげ、ハンガーにかけた。それでもシフリーナは目を覚まさない。

 式の後も、夕食の席でもはしゃぎ続けていた姿を思い返す。

 

 昼間、花飾りに彩られていたキャラメル色の髪をそっと撫でる。

 起きるかもしれないなどと淡い期待を挟む余地もない寝入りように苦笑を浮かべたウーシェダは、薄掛けをシフリーナの肩まで引き上げてやってから自身もその隣へと寝そべる。

 途端にウーシェダの胸にすり寄るようにくっついてきたシフリーナを息を詰めて見下ろしたものの、健やかな寝息はそのままだ。

 彼女のこめかみに唇を落として「明日覚えておけよ」とささやかな恨み言を口にはするものの、その声音は自分でも驚くほどに甘かった。

 

 

 

 今朝は随分と暖かい。

 春とはいえ、まだ朝起きる頃には少しだけひんやりと感じることもあったのに。

 そう思いながらもぞりと動くと、薄掛けが引き上げられて肩が包まれ、シフリーナはピタリと動きを止めた。


「……え?」


 瞼を押しあげると、すぐ間近、横向きに寝そべって頬杖をつくウーシェダと目が合った。


「あれ?」


 寝起きで混乱の最中にいるシフリーナにお構いなしに、ウーシェダの手が伸びてきて顔にかかる髪をはらってくれた。そのまま額に口づけられて、事態が飲み込めないままに顔が熱くなる。


「おはよう。よく眠れたか?」


「おは、よう、ございます?」


 室内が明るい。ほんの先ほどまで夜だったはずだ。湯浴みを終えて、ウーシェダが戻ってくるのを待って、楽しかった一日を振り返って。

 けれど、室内の明るさは、どう見ても朝のそれだった。


「私……寝ちゃいました、ね?」


「まあ、そうだな」


 初夜に夫を待たずに寝落ちするなど大失敗だ。

 

「すみません」


 すぐに謝ると、大きな掌が髪をかき混ぜるように撫でてくれる。

 こんな時なのに、それが気持ちよくて思わず目を閉じそうになったシフリーナに、ウーシェダが喉の奥で笑った。


「さすがに昨日はくたびれただろ? その前から準備やら忙しかったしな」

 

 忙しかったのはどう考えてもウーシェダの方だ。

 今日から二週間、彼は婚姻休暇に入る。そのため、いろいろと前倒しで片付けておく必要があるとのことで、連日帰宅も遅かった。

 そのウーシェダを差し置いて、早々に寝落ちるなど花嫁にあるまじき行為だろう。


「……すみませっ」


 再び謝罪しようとした唇をキスで塞がれ、すぐに離れた。遅れて反応したシフリーナの鼓動だけが、名残のように耳元で響く。


「謝らなくて大丈夫だ。まあ、今夜は、起きててくれると嬉しい」


「はい、それはもちろん」


 頷くと、ウーシェダが目を細める。なんだか恥ずかしくなって目を逸らすと、再び唇を塞がれた。


「さて、起きるか。でないと、ベッドから出してやれなくなりそうだ」


「え!?」


「俺はこのまま初夜でも構わないが?」


 艶めいた声音に、シフリーナはすかさず身を起こす。

 こんな明るい中で初夜などとんでもないことだ。


「い、今は朝なのでっ! 起きますっ! 起きましょう!」


 ベッドに座り、寝そべったままのウーシェダを見下ろすと、蒼い目がますます楽しげに細められた。


「それは残念だな」


 少しも残念そうでない声で言ったウーシェダは身を起こすと、シフリーナの頬に口づけ、耳元で「今夜、楽しみにしている」などと囁いた。

 シフリーナは真っ赤な顔で、ただこくこくと頷くばかりだった。

 

 

 いつもより少しだけ遅めの朝食を済ませたシフリーナは、食後のお茶を飲むウーシェダを食堂に残して、早々に邸の書庫へと向かった。

 初夜について調べるためだ。

 調べる、といっても、シフリーナとて何をするかはわかっている。

 貴族令嬢としての閨教育は、世間一般からすると大幅に省かれていたような気はするけれど、学生時代、主に最初の一年生の時にはそれなりに女友達もいたし、そういう話題になることもあったからだ。

 なにやらとても痛くて、それなのに気持ちよくなるらしい。その行為が痛いのはなんとなく想像がつくけれど、気持ちよくなるというのがよくわからない。

 母には「夫となる殿方にお任せしていればよいのです」としか教えて貰っていなかったけれど、既婚の姉を持つ級友は「男性に任せるばかりの女は飽きられてしまうそうよ」と訳知り顔で語り、皆それについてなるほどと頷いていた。

 だいたいウーシェダの前で裸になると考えただけでいっぱいいっぱいなのに、飽きられないように何をどうするのが正しいというのか。

 実家には確か閨教育の本があった覚えがある。当時はそんなものには目もくれず、魔法書ばかりを読み漁っていたから、じっくり読まずに過ごしてしまった。

 せめて一度くらいは読んでおくべきだったと後悔しても先には立たない。


『今夜、楽しみにしている』


 今朝ほどのウーシェダの言葉を思い返す。

 昨夜は寝落ちという大失態をしてしまった以上、今夜は期待に応えなくてはいけない。

 こんなことなら結婚式の前からもっと調べておけばよかった、と思う。

 けれど、式の前は空いている時間ができるとどんな魔法陣を描いたら来賓が愉しんでくれるだろうか、と考えてばかりいたから、正直初夜についてはまったくもって考えていなかったのだ。

 昨夜は昨夜で、初夜について少しは考えていたけれど、思考はついつい『魔法理論師として正式に魔法塔に入塔できる』という方に流れてしまったし、初夜についてはウーシェダに任せておけば大丈夫なような気になっていた。

 けれど、楽しみにしている、とまで言われるならば、きっとウーシェダ任せではいけない作法がなにかしらあるに違いない。

 どうにか事前に調べてから臨みたい。 

 そう思って先ほどから書庫を端から見て回っているが、それらしい本は一向に見つからなかった。


「何を探しているんだ?」


 背後から声がかかり、シフリーナは「ひゃいっ」と声をあげて肩をはねさせた。

 振り返ると食堂でお茶を飲んでいたはずのウーシェダが立っていた。


「戻ってこないから様子を見に来たんだ。……風属性魔法について調べているのか?」


 ちょうどシフリーナが立ち尽くした棚に視線を走らせたウーシェダが問う。

 初夜の作法について調べています、などと言えるはずもないシフリーナは「いえ……」と曖昧に答える。


「属性が、あるような、ないような……」


「属性に由来しない魔法か? 具体的に調べたいことを教えて貰えれば手伝えると思うぞ?」


「いえ、……あ、ざっと見た感じでは、ないような」


「ない、か。まあ塔の図書館には到底かなわないからな」


「あ、魔法書じゃなくて」


 さすがに閨の作法に関する本が、魔法塔の図書館にあるとも思えない。

 シフリーナが頭を振ると、ウーシェダは「珍しいな」と眉を上げた。


「魔法書じゃないのか。……タイトルはわかるか?」


 なんというタイトルだったか。たしか、淑女とか月の女神の使わす天使とかそんなタイトルだっただろうか。いや、それは表紙の絵なだけで、もっと全然違うタイトルだったか。


「わかりません」


「どんな内容だ?」


「内容!? あー……いえ、内容は……えーと……どうでしょう?」


「わからずに探しているのか?」


「いえ、その、見ればわかるかなぁと」


「なるほど、見たことがある本なのか。なら……本屋にでも行ってみるか?」


 ウーシェダの提案に、シフリーナは二つ返事で頷いた。

 

 

 

 邸を出る時には必ず魔法塔に連絡をし、護衛を要請すること。

 それが魔法塔からシフリーナを連れ帰った時の取り決めだった。ましてや、魔法理論師制定を発表した今となっては、彼女自身がターゲットになる危険性も格段に高まった。

 メルカトルから、昼夜問わず人員を配せる体制だから気兼ねはいらないと聞いていたので、ウーシェダは書店に行くことを決めてすぐ、塔に伝令を放った。

 鳥の姿で飛び去った伝令は、外出の支度を終える前には戻り、ほどなくして二人の魔法師が邸を訪ねてきた。

 護衛と言ってもずっとすぐ傍にいるわけではない。ウーシェダがシフリーナに付いている以上、その必要がないからだ。とはいえ、その自信をあっけなく崩された経験から、ウーシェダはシフリーナに貰ったブレスレットは必ずつけるようにしているし、シフリーナにも守護魔法のかかったものを持たせることに余念がない。

 護衛は、シフリーナが気を遣わない程度には距離を取り、万が一の時にはウーシェダの援護や魔法塔への連絡をする取り決めとなっていた。


 書店に行くならば馬車が早いが、ウーシェダとシフリーナ揃って馬車にはいい思い出がない。馬を出してもいいが、そうなると護衛の二人にも馬の準備がいる。

 幸い天気もよく、春のほどよく暖かな陽射しの下で歩くのも悪くはないかと徒歩で向かうことにした。

 シフリーナは、よほど読みたい本なのかいつもよりも歩調が早い。

 彼女が魔法書以外を読みたがるのも珍しいが、なにより、それを言い出したこと自体、唐突にも感じる。これまでは式の準備などに追われていて、そんな暇がなかったからだろうか。それとも、ふと思い出して読みたくなったのか。

 いずれにせよ、シフリーナが読みたいというその本を、ウーシェダも見てみたいと思っていた。


「シフル」


 呼びかけて手を繋ぐと、途端に視線がうろうろと落ち着きなくなる。


「嫌か?」


「あ、いえ、えと……、手汗、そう、今日暑いから手汗をかいちゃいそうで」


「じゃあ、こうしよう」


 寄り添って腰を抱くと、はくりと何かを言いかけた彼女は何も言わずに口を閉じた。

 嫌がられているという感じでもないが、どうにもぎこちないシフリーナの顔を覗き込む。顔色は悪くなさそうだ。

 

 シフリーナが魔法塔から与えられたのは『魔法理論師』という認定だけではない。『魔法理論師室』という執務室もだ。

 当初はウーシェダの属する基礎魔法研究局に入れるという案もあったけれど、彼女の研究には、ともすれば禁術よりも危うい側面があること、魔力のない彼女をいきなり魔力があって当たり前の環境に置くことへの懸念などから、七賢人直下に新たな部署を設置することとなった。

 シフリーナが魔法塔で寝起きしていた時の部屋がそのまま執務室として与えられ、婚姻休暇明けからは、ウーシェダは魔法理論師室室長に、オルセは魔法理論師補佐役となる。

 そんな話をしながら歩くうち、シフリーナも徐々に楽しげになっていく。


 最初に向かったのは本屋でなく、小さなカフェだ。

 せっかくの外出、それも結婚後の初デートなのだから、まっすぐ書店に行ってすぐに帰宅などしないようにと言い含めてきたマーサの顔は、さながら男女交際を説く母親のようだった。

 フレーバーティーの充実したそこで、シフリーナはチョコレートの香りのするミルクティーを面白がっていたものの、気持ちは書店に向かっているのか、やはりどこかそわそわと落ち着かない。

 マーサには呆れられるかもしれないなと思いつつも、ウーシェダはカフェを出た後はすぐに書店へと足を向けた。


「別行動をしましょう!」

 

 書店に着くとシフリーナが開口一番そう言った。

 三階建てでフロアも広い、大きな書店だ。別行動では目が届かない。とはいえ、ゆっくり本を選ぶなら一人の方がいいという彼女の気持ちもわかるウーシェダは、護衛がきちんと付いてきているのをさりげなく確認し、勝手に店から出ないことだけは約束させて了承した。

 ウーシェダもここしばらくはずっと忙しく、ゆっくりと書店を歩くのは久方ぶりのことだった。

 一番上の棚は少し高いが、シフリーナの手が届かないというほどでもないだろう。そんなことを考えながら、棚の本や平置きの本に視線をやりながら歩く。

 魔法書のコーナーは一階だが、シフリーナは早々に階段を上っていったから、今日は本当に魔法書以外を探しているのだろう。出会ってから今日まで、彼女が魔法書以外を読んでいるのを見たのは、あの絵本の時くらいのものだ。

 いったい何の本を探しているのか。あの様子では、よほど読みたいに違いない。店頭になかったら、本の特徴を伝えれば書店員ならわかるかもしれないし、そうすれば取り寄せという手もとれる。

 ふと、ウーシェダはシフリーナに金を持たせていないことを思い出した。

 幼子ではないのだから、シフリーナとて目当ての本を見つけたらウーシェダを呼びには来るだろうが、先ほどまでの彼女の様子では、それすらせずにその場で読みふけることもありそうだ。

 いったん一声かけておくかとシフリーナを探すことにした。

 広いフロアに隈無く視線をやりながら歩く。図鑑だろうか、小説だろうか。あたりを付けながら歩くウーシェダがシフリーナの姿を見つけたのは、三階の奥まったスペースだった。

 真剣に棚を見て、手に取ってはぱらぱらと見て、慌てたように棚に戻す。普段書庫や図書館で見る彼女とはまったく異なる振る舞いに、つい足を止めて観察してしまう。

 動きもぎこちないし、なにより少し顔が赤い。やはり体調が悪いのではないだろうかと心配になってくる。

 それにしても、彼女の周りに男性が多くないだろうか。彼らは彼女にちらちらと視線を送り、それらすべてが声を掛けたそうな素振りに見えてくる。

 確かにシフリーナは可愛らしい。左手の薬指には厳重に守護魔法をかけた人妻の証があるが、それも功を奏していないように見える。彼女のリクエストにあわせてシンプルな指輪にしたけれど、やはりもう少しきっちり存在を主張するようなデザインにするべきだったのではないだろうか。

 ウーシェダは足早に彼女の元に向かい、声を掛けかけて、固まった。

 シフリーナはウーシェダが来たことに気づかないほどに、集中して棚の背表紙に視線を走らせては本に手を伸ばす。けれど、そのどれもこれもが、いわゆるいかがわしい本だ。

 シフリーナの様子を見れば、たまたまこの棚に迷い込んだわけではないのは、一目瞭然だ。

 男女の営みをメインにしたそれらを、いっそ悲壮感すら漂わせて凝視する彼女に、ウーシェダの眉間にも皺が寄る。

 年頃の娘がこんな棚で熱心に本を手にしていれば、それは男たちの目を引いて当然だろう。あわよくば、などと下心を持って近くにいる輩もいるに違いない。そんな輩の視界に入れることすら腹立たしくて、ウーシェダはシフリーナに声を掛けた。


「君いったい何の本を探しているんだ?」


 途端に小さな肩が跳ねる。

 そうしてゆっくりとウーシェダを見るシフリーナは、心底困ったという顔をしている。

「どうしましょう、シェダ様」


「どうした?」


 彼女の手にするいかがわしい本をそっと取りあげて棚に戻してやりながら、答えると、シフリーナはしょんぼりと眉を下げる。


「どれもこれも、私には難しそうです……」


「……は?」


 難しい。

 魔法理論をなんなく読み解く彼女が、突然解けない課題を出された学生の顔で途方に暮れている。けれど、ここはそんな学術書が並ぶコーナーではない。


「あー……その、違っていたら本当に申し訳ないんだが」


 ウーシェダは前置きをした上で殊更に声を抑えて「今夜に備えて、か?」と尋ねる。

 シフリーナはじわじわと頬を紅潮させながら、そっと顎を引く。

 周囲の男たちの視線を感じ、ウーシェダはシフリーナの手を取って歩き出した。

 こんな会話をこんな場所でできるはずもない。ではどこならできるかと言えば、先ほどのカフェとて難しそうだ。

 とりあえず無言で階段を降り、店の外まで連れ出す。

 春の穏やかな陽射しが石畳を照らす。行き交う人たちも、まさか今ウーシェダたちがそんな話をしようとしているとは考えもしないであろうほどに、うららかな景色だ。

 引かれて歩く牛のように無言でついてくるシフリーナは、赤い顔のまま黙っている。

 仮にも貴族令嬢なのだから、当然そういう教育は受けているものと思っていたが、もしやそうでもないのだろうか。

 しかし、まったく知識がないのならば、逆にあっけらかんとしていそうなものだが、彼女のこの様子では何をするかくらいは分かっていそうにも見える。

 だからといって「君、閨事についてどこまで知っている?」などと訊けるはずもなくて、ウーシェダは掌を口に当てながら言葉を探した。


「シフル……その、恐らく君が探しているような本は、あの棚にはなかったと思う」


「そうですね。初心者向けではなさそうでした。……あ、それともあれくらいでも初心者向けなんでしょうか?」


 彼女の言う『あれくらい』がどのくらいなのかわからず、ウーシェダは答えに困った。

 少なくとも『ああいう本』は娯楽向けで、初心者が学んだり確かめたりする用途ではないことは確かだろう。

 ウーシェダは「初心者向けではないから安心していい」と言って聞かせた。

 昼間からこんな屋外で、いったいなんの話をしているのか。そう思わなくもないが、今はシフリーナを安心させるのが最優先課題だ。

 令嬢たちが閨のあれこれを知るための本というものが存在すると聞いたことはあるが、姉妹のいないウーシェダは、ファート邸でそんなものを目にしたことがない。

 ならば自身がどうだったかと振り返れば、父親や兄からそれとなく聞かされ、あとは学校で級友たちと話したくらいだっただろうか。

 書店で相談すれば取り寄せはできるかもしれないが、そんなことをすれば初夜がどんどん遠のいていく。さすがにそれは許容したくない。


「その、念のため言っておくと、君が思うよりも遥かに本は役に立たない」


「え!? 本が役に立たないんですか?」


 本を信頼しすぎだろう、とため息をつきたくなるが、その本を手立てにあれだけの魔法理論を組み上げたシフリーナだ。本に寄せる信頼が絶大なのも理解できないことではない。

 目を丸くする彼女に、ウーシェダは頷きを返した。


「まったく役に立たないとは言わないが……いやでも、たぶんあまり役に立たないな」


「どうしましょう……」


 しおしおと項垂れる彼女に、ウーシェダは言葉を選びながら口を開く。


「その、何をするかくらいは知っているんだよな?」


「何をするかは知っていると思うんですが、それがどうしてそうなるかと、技能面に不安があります」


 まるで何かの実験や実技のように答えるシフリーナに、ウーシェダは首を傾げた。

 

 技能、とは?


 まさか、あんな本に書かれていそうな内容を実行するつもりだろうか。


 ウーシェダとて、愛しい妻が積極的なのは歓迎するところだが、どうもシフリーナの様子ではそういうのとは少し違うようにも感じる。

 そういう経験がなければ技能がないのは当然だし、そういうことにやたらと詳しい彼女というのも想像がつかない。

 黙って考えるウーシェダに何を思ったのか、シフリーナが「……お任せするだけの女は飽きられてしまうと聞きました」とぽつりと言った。

 すかさず足を止めて振り向くと、眉を寄せて俯く彼女が上目遣いにこちらを見てくる。

「俺が君に飽きるなんて日は来ないから安心していていい」


 そうは言ってやっても、シフリーナが不安に感じる気持ちもわかる。

 例えば、娘のいるニケあたりと話せば少しは不安もやわらぐかもしれないけれど、今からニケとの面会を取り付けることから始めれば確実に今夜には間に合わない。なにより、せっかくの休日に魔法塔に足を運ぶのも気が進まない。

 確かめるまでもなく、足は自然と家路に向かう。


「とりあえず、マーサに訊いてみるのがいいんじゃないか?」

 

 同性のマーサならば、きっとウーシェダよりももっとシフリーナに寄り添った助言ができるに違いない。

 ウーシェダの言葉に、シフリーナはどこかホッとした顔で顎を引いた。




 昨夜の失敗を踏まえ、今日はウーシェダに先に湯浴みをしてもらった。

 シフリーナは扉の前に立ち、大きく深呼吸する。

 この扉の向こうは夫婦の寝室であり、つまりはここが初夜への入口だ。

 意を決してドアノブに手を掛けようとした途端に扉が開かれて、シフリーナは一瞬魔法かと思って目を瞬かせた。


「シフル?」


 開いた先にはウーシェダがいた。魔法ではなかったらしい。

 なんでわかったんだろうか、と不思議な心地で蒼い目を見つめると「気配だけして一向に入ってこなかったから」と苦笑された。


「おいで」


 差しだされた掌に手を重ねる。

 ウーシェダと手を繋ぐなどもう幾度もしてきたことだというのに、たったそれだけのことで鼓動が煩いくらいに鳴り出す。


「何か飲むか?」

 

 ふるふると首を振って答える。声がうまく出せない気がした。

 怖い、とも違う。嬉しい、ともやっぱり違う。シフリーナの中にあるのは、ただただ未知への緊張ばかりだ。


「まだ濡れてるな」


 軽く髪に触れたウーシェダが呟いて、シフリーナをベッドの端に座らせる。

 ふわりと温かな風を感じ、目の前に掌サイズのピンクの鯨が跳ねた。


「わ」


 掴まえようと思わず手を伸ばすと、鯨はすぐに消えてしまう。

 

「乾いたな」


 隣に立つウーシェダがくすりと笑いながらシフリーナの髪を確かめるように撫でる。魔法で乾かしてくれたらしい。

 ウーシェダがそのまま肩が触れそうな距離に腰を下ろすと、ベッドのスプリングが僅かに沈んで、シフリーナの体が少しだけ彼の方へと傾いた。


「……マーサには訊いてみたんだろ? 教えて貰えたか?」


 書店から帰ってすぐにマーサの元に向かうと、彼女は「もうお帰りになられたんですか」と目を丸くした。それでも、思い詰めたように口を開くシフリーナの言葉に、すぐに真摯に耳を傾けてくれた。けれど。


「母と同じことを言われました」


 マーサは一通り話を聞いた後で「ウーシェダ様にお任せすれば大丈夫ですよ」と笑みを深めた。

 しょんぼりと報告したのに、すぐにウーシェダがクっと笑う気配がしたものだから、シフリーナはついつい恨みがましい目を向けてしまう。


「悪い。でも、君にはたぶんそれで合ってると思うぞ」


「それだと何ひとつ解決していないんですが」


「まあそれもそうなんだが。本を読むより経験するほうが早いと思うぞ?」


「そういうものですか?」


「そういうものだ」


 大仰に頷いたウーシェダが、そっとシフリーナの顎を取り、そのまま唇を重ねてくる。

 いつもなら触れるだけで離れるそれが、唇を食むように動き、やがて舌まで入ってくるので、シフリーナは息を詰めて無意識にウーシェダの服をぎゅっと握りしめた。

 やがて唇が離れると、軽く喘ぐようにして空気を取り込んだシフリーナを、ウーシェダが窺うように見つめてくる。

 これは感想を求められているのだろうか。

 やっぱり『正しい振る舞い』がわからない、と思いながら、シフリーナは口を開いた。


「一個分かりました。こういうキスも気持ちいいです」


 恥ずかしさを堪えながら告げると、なぜかウーシェダが軽く頬を赤らめる。


「……俺は今、煽られてるのか?」


「はい?」


「いいや。なら、この先も試してみるか?」


 ウーシェダの腕がシフリーナの背にまわる。

 ゆっくりと押し倒されながら「大好きです」と囁くと、「俺もだ」と愛おしげな声が返った。


 その後は熱と波と羞恥心とが入り乱れるまま、気づけば窓の外が白み始めていた。次にシフリーナが目を覚ますと、既に昼を過ぎていた。

 世の女性はこんなことでどうやって家事や仕事をするのだろう、と真剣に悩むシフリーナは、ウーシェダの休暇が明けたら魔法塔でニケに相談してみようとひっそり心に決めていた。

 

 

 休暇明け、ニケに相談すると、すぐにウーシェダがニケに呼び出された。

 どこかげんなりとした顔で戻ってきたウーシェダを、シフリーナは小首を傾げながら出迎えた。


読んでくださってありがとうございました!


後日、魔法理論師となったシフリーナたちのお話しを書いていく予定です。

また読んでいただけたら嬉しいです。

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