最高峰魔法師に、とけない魔法をかけられました。①
「不思議です。ここに住んでいたのは一ヶ月半くらいなのに、帰ってきたんだなぁって思います」
シフリーナがそう言うと、マーサが嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ええ、ええ。ここはシフリーナ様のおうちですからね、本当に、おかえりなさいませ」
「ただいまです」
先ほどエントランスでした帰宅の挨拶を砕けた言葉でくり返したシフリーナは、向かいに座るウーシェダにも笑みを向ける。
拍子抜けするほどあっさりと帰還を許されたシフリーナだが、そこから本当に魔法塔を出られるまでは十日という時間を要した。
シフリーナの警護や魔法塔との連絡用の人員を配するためだ。
当初は常駐する話もあったようだが、最終的には魔法塔への行き来には竜を使うこと、それ以外の外出には事前に魔法塔へ申請と護衛の手配が義務づけられはしたものの、これまでの生活とさして変わることはないらしい。
唯一の違いは、ウーシェダが出仕する時には、シフリーナも同行を許されたことだ。魔法塔ではこれまで通り、書庫と図書館、それにウーシェダの執務室を自由に出入りしていいそうだ。
それを示す翼のブローチが、今シフリーナの胸元にある。
魔法師たちにローブ留めとして支給される白銀のそれとは違い、ピンクゴールドのブローチだ。
「これでいつでも遊びにおいでって、メルさんがくれました」
ウーシェダにそう報告すると「君を邸に籠もらせない気だな」と苦笑された。
「私が付いて行くの、邪魔ですよね」
心配になって尋ねると、すかさず「まさか」と返る。
「邪魔どころか、君は魔法塔に行けば、図書館や書庫に籠もって出てこなくなるんじゃないか?」
確かにウーシェダの出仕に付いて行くなら、執務室にいるよりも図書館や書庫に行きたくなりそうだ。書庫に行けばメルカトルだけでなく七賢人にも会えるだろうし、彼らの知見を得られるのは魅力的だ。
「確かに。……付いて行かないほうがいいですか?」
「シフル。前にも言ったと思うが、君が何かをしたいと思った時に、危険がない限りは俺の許可はとらなくていい。俺が君を学校から連れ出したのは、閉じ込めるためじゃない」
「はい」
「でも……相談は、してくれると嬉しい」
シフリーナはもう一度「はい」と頷いた。
「シェダ様、私、シェダ様に渡したいものがあるんです」
持ち帰った荷物から、小箱を渡す。
ウーシェダの瞳の色と同じ、蒼いリボンのかかった小箱だ。
「これは……ブレスレットか」
「はい。婚約のプレゼント、貰うだけでお返ししてなかったので」
婚約が本物になってすぐ、ウーシェダからはペンが贈られた。
シフリーナの瞳の色と同じ紫水晶と、ウーシェダの瞳の色と同じブルーサファイヤが品良く配されたデザインで、なにより書き心地が滑らかなのが気に入ったシフリーナは、最近ペンを使う時にはそれしか使っていない。
「この魔法陣は……」
ウーシェダに贈ったのは、白銀のシンプルなブレスレットだ。小さなプレートがついていて、そこにはシフリーナの考案した魔法陣が三つ刻まれている。
二つは、あの魔力封じの魔法陣を感知して無効化するもの。もう一つは害意ある魔法を変異させ、それを振るった相手の頭上を光らせる魔法陣だ。
シフリーナはウーシェダを守りたいと願っているけれど、同時に魔力さえ封じられなければ、彼が危機に瀕することなどそうそうないと思っている。
だからこそ、魔力封じの魔法陣への対抗だけは二つ刻んでもらった。魔法陣は、一度起動してしまえば、消失してしまうからだ。
そのため、今シフリーナが研究しているのは、起動しても消えない魔法陣だ。
メルカトルはもちろんのこと、他の七賢人からも「面白いがくれぐれも口外しないように」と言い含められている。
「いつの間に?」
「昨日です。メルさんと一緒に、お買い物してきました」
「……ありがとう。嬉しいよ」
「はい。いつも付けておいてくれると、私も嬉しいです」
「それはもちろん。……ところで、こんな小さなプレートにここまで細かく刻んであるのは、魔法で?」
「そうなんです。私が描くとなるとかなり大きなプレートでないと無理なので、魔法でやってもらいました」
シフリーナの描く魔法陣は、ごく一部の関係者以外話すことも見せることも禁じられている。そのため、職人に依頼することもできない。必然的に、それを頼める相手は限られた。
「メルさんが張り切って、守護魔法もつけとくね、ってやってくれました。長老の守護魔法付きなら、ますます安心ですよね」
「……。……そうだね。そうすると、もしかして君のそのペンダントも長老が守護魔法を?」
シフリーナの胸元に揺れるのは、学校でウーシェダがくれた物だ。ドレスを買った時に一緒に贈られたものも素敵だけれど、普段使いにはシルバーのこれのほうが気安くつけられる。
何より、ウーシェダが初めてくれたものだから、やっぱり他より特別に感じてしまう。
「これ、忘れちゃいました? シェダ様がくれたのに」
「それは覚えている。そうではなくて、メルカトル様に、守護魔法をかけていただいたのか?」
「……? シェダ様がかけてくれてるんだから、いらないですよね?」
メルカトルにも訊かれたのだ。「それにも守護魔法をかけようか?」と。シフリーナが「シェダ様がかけてくれたから大丈夫です」と答えると、なぜかメルカトルは「ご馳走様」と苦笑した。
そのやりとりをウーシェダに話したシフリーナは「どうしてご馳走様と言われたんでしょうか。何も差し上げてないんですけど」と小首を傾げる。
「それは、まあ、うん……」
ウーシェダがほんのり赤い顔で要領の得ない返事をするものだから、シフリーナはますます首を傾げることとなった。
その後、書庫へと足を運んだシフリーナは、すっかり様変わりしたそこに歓声をあげた。歓声をあげたのは、書庫だけではない。自室の空っぽだった本棚に、一冊だけ置かれた本を見つけた時もだ。
『まほうつかいのおひめさま』
シフリーナが子どもの頃からお気に入りの絵本だ。
魔法が使えない女の子が、魔法の花を探しに行く物語だ。
途中友達になった竜の協力を得て、旅をする。最後に化け物だらけの山の頂上でついに魔法の花を手にして、魔法が使えるようになるのだ。
そうして竜にキスをすると、呪いが解ける。竜の正体は魔法国の王子様で、女の子はお姫様になり、幸せに暮らす。そんなお話だ。
「君の兄上に訊いたんだ。これであってたか?」
「はいっ! 嬉しい……ありがとうございます!」
ここにあるのは新品だけれど、アイトリア邸にあったものは、背表紙がはずれそうになるほどくり返し読んで、ぼろぼろになっていた。
「アイトリア邸を出た時に、約束したからな」
子どもの頃は、もしも魔法の花があるのなら、絶対に摘みに行くのに、と思った。
竜がいなくても、化け物だらけの山でも、どうにかしてたどり着いて手に入れるのに、と。
大きくなって、そんな花は世界中のどこにも咲いていないとわかっても、それでもシフリーナはどうしても魔法を諦められなかった。
叶わない思いを魔法陣に託して、ずっと描き続けてきた。
シフリーナがどれほど魔法を好きでも、魔法はシフリーナを好きではない。そう思ってきた。
それなのに今自分はヴァンリンドゥに立ち、魔法塔への出入りも許されている。それこそまるで魔法のようだ。
ウーシェダがそっと顔を寄せてくる。
目を閉じて唇に柔らかな熱を感じながら、これで魔法がとけてしまったらどうしよう、と心配になる。
目を開けると、とけない魔法をかけた魔法師が微笑んでいた。




