偽装だった婚約を、本物にしたいと思います。⑥
昨日の昼は、緊張して食事どころではなさそうだと言っていたが、扉の向こうにいたシフリーナにそんな様子はなく、七賢人と楽しそうに言葉を交わしていた。
「シェダ様」
こちらに気づいた彼女が、すかさず立ち上がり、入口に立つウーシェダの元へとやって来る。
ウーシェダは七賢人たちに礼を取ってから、やってきたシフリーナに声をかけた。
「綺麗だな」
腕や胸元を繊細なレースで覆う薄紫のドレスは、普段のシフリーナよりもほんの少し大人びて見せる。
彼女を彩るそれを贈ったのが自分でないことはほんの少し悔しくもあるが、そこは飲み込んで笑みを向けた。
「綺麗ですよね。ニケ様にお借りしました。お嬢様のドレスだそうで」
「ドレスじゃなくて、君が、だよ」
「え……。え、と、あ、ありがとう、ございます?」
「なんで疑問形なんだ」
喉の奥で笑ったウーシェダの前で、ほんのり頬を染める様が可愛らしい。
抱き締めたくなる衝動を抑えながら、さりげなく腰を抱いてエスコートする。
先ほど彼女が座っていた、長テーブルの長辺、その一番奥の椅子を引いて座らせてやると「ウーシェダ様はこちらにどうぞ」と給仕を務める男に、シフリーナの向かいの席を促された。
居並ぶのは七賢人だ。それを差し置いて上座に座るのは少々気まずい。
シフリーナのために催された会食であることを思えば、婚約者である自分が彼女の近くに座るのは許されるだろう。なかばそう言い聞かせて腰を下ろした。
七賢人たちが黒いローブを纏う中で、淡い色のドレスを纏う彼女は、そこだけ花が咲いたようだ。
「シェダ様が来るなんて知りませんでした。昼に教えてくれたらよかったのに」
今日も、シフリーナと共に昼食を摂った。
話題はもっぱら彼女が今集中して取り組んでいる魔法陣についてだ。
例のペーパーナイフの魔法陣を更に改良すべく、本を読み、様子を見に来る七賢人たちにアドバイスを貰っては手を加えつづけているらしい。
ウーシェダがいなくても、彼女は研究を重ねることができる。しかも、協力するのは魔法塔の上層部だ。これほど心強いことはないだろう。
この上なく喜ばしいことなのに、そこに関わるのが自分でないことに、ウーシェダは悔しさを覚えていた。
魔法塔では、ウーシェダについて「婚約者を誰にも会わせたくなくて行動を制限しているらしい」「他の男と口を聞くのも嫌がるそうだ。どれほど狭量な男なんだ」と新たな噂が飛び交っている。
どちらも制限しているのは魔法塔であってウーシェダではないのだが、いっそ本当にそうしてしまいたいとも思うから、狭量なのはその通りだろう。
そんなウーシェダの元に今夜の会食の招待が届いたのは、シフリーナが執務室を出て行ってすぐのことだった。
「呼ばれたのがそもそも今日、君が帰った後だったんだ」
「そうだったんですね。今日は二回も一緒に食事ができますね」
にこにことした顔でそう言うシフリーナに、特に他意はないだろう。わかっているのに、口角が上がりそうになる。
ふと、微笑ましいものでも見るような七賢人たちの眼差しを感じて、ウーシェダは軽く咳払いをした。
「長老様がお見えです」
入口から声が掛かり、観音開きのドアが開く。すぐに一同が起立して頭を垂れる。
彼の姿を見るのは久方ぶりだ。
今長老を務めるのは、学校卒業を待たずに魔法塔に招かれ、十年も経たずに七賢人に名を連ねた異例の男だ。長老や七賢人は、早く就くから尊敬を集めるというものではないが、それでも異例の速さで上り詰めたことには違いがない。
「お待たせ~、みんな揃ってるね」
軽やかな声に被せるように「メルさん?」とシフリーナの声が響いた。
すかさず七賢人たちの視線がシフリーナに集まった。
それはそうだろう。彼と多少は気安く話す七賢人の中にも、「メルさん」などと呼ぶ者はひとりもいない。
それなのに当の本人──メルカトルは「シフリーナ、朝ぶりだね」と彼女にひらひらと手を振ると、テーブルの一番奥まで進んで腰を下ろした。
全員が事態を飲み込めない顔で立ち尽くしているのを気にも留めず「座りなよ」とメルカトルが促す。
「みんなもうお互い知った顔でしょ? 固い挨拶は飛ばそ。僕、お腹すいちゃった」
「二百歳……」
シフリーナが呟くと、メルカトルが吹き出した。
「そうそう、二百歳……ふはっ、ごめんね。もちろん嘘だよ」
「メルさんが、長老?」
「うん。掃除担当兼、ね」
片目を閉じて笑うメルカトルを前に、どうしたものかという目で縋られても、ウーシェダも事態が飲み込めない。
少なくともシフリーナは、彼が長老だとは知らないままに気安く呼んでいたことだけは理解できた。
「会ったことがあったのか?」
ウーシェダが尋ねると、シフリーナは困惑した顔で頷いた。
「はい、毎朝図書館で」
「そうそう。毎朝ふたりっきりで会ってたんだよねえ」
「はい、まあそうですね」
なんだそれは、と僅かに苛立つウーシェダの隣で「朝図書館って、メルカトル様。貴方会議に遅刻してきたのは、その寄り道が原因ですか!?」と声が上がった。エレオマだ。
礼節を重んじる彼からすれば、許しがたい行いではあるだろう。
「えー、でもさ、今、この塔での優先事項を考えたら、どっちが大切かって話じゃない?」
「それはまあ、そうでしょうが」
「それに、朝一番に出会うなら、やっぱり可愛い女の子の方がいいなって」
そう言って笑うメルカトルのグラスから順に、ワインが注がれていく。
「メルカトル様。恐れ入りますが、彼女は酒が飲めません。他のものに変えていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、そうなんだ。ならシフリーナには何か違うものを用意してあげて」
すぐにシフリーナの前には果実水が配された。
ホッとした顔でこちらを見るシフリーナに、ウーシェダは小さく頷きを返した。
乾杯の後、スープから始まった会食は和やかに進んだ。
皆が前菜、メインと進む中で、シフリーナだけはスープの後にサンドイッチが供されている。
本人はさして気に留めているようにも見えないが、違うものを食べるのはウーシェダの方が居心地が悪い。
「そういえば、シフリーナ。聞いたよ? 君、朝図書館に来た後は、ずーっと書庫に籠もってるんだって?」
「はい! 皆さんが様子を見に来てくれて質問にも答えてくださるので、すごく助かってます」
「本も魔法理論ばかり読んでるよね。魔法以外だと何が好きなの?」
メルカトルに問われて、シフリーナは考え込んだ。
「何かあるでしょ? ドレスとか、宝石とか、お菓子とか。刺繍をするのが好きとか、絵を描くのが好きとか……」
難しい顔で考え込む彼女に、メルカトルがいくつも例を挙げていく。
「植物……ですかねぇ」
「お花とか?」
メルカトルが指を弾くと、部屋の中にはパステルカラーの小花がはらはらと降る。
途端に明るい顔でそれらを見つめたシフリーナが「綺麗ですね!」と声をあげた。
「お花ももちろん好きですけど、そういうのではなくて。えーと、薬草とか?」
「ほほぉ、シフリーナ嬢は薬草にも造詣が……ならば魔法薬学などにもご興味が?」
ティナックが眼鏡を押し上げながら言うと、シフリーナは苦笑して首を振った。
「魔法薬学は、調合で魔力が必要なので……。でも薬草とか、食べられる草を見分けるのは、割と得意です!」
「食べられる草?」
薬草ならばいざ知らず、食用の草を見分ける能力を必要とすることはあまりない。
困惑を浮かべたメルカトルは「はい、学校の森でよく採取してました」というシフリーナの回答を受けて、ますますわからない、という顔をした。
「なんで?」
「……? もちろん、食べるためですよ?」
あっけらかんと答えるシフリーナに、ウーシェダを除く全員が、え? と動きを止めた。
ウーシェダとて、あんな状況でも、それを聞かされた時には驚いた。
お陰で命を繋いだけれど、放置していい話でもない。
「ウーシェダ。君のあの報告書に書かれていた学校食堂の改革案、これに関連してたりする?」
ウーシェダは、休暇時、帰省しない寮生を対象とした食事管理の必要性に関する提案書をあげていた。七賢人へとあげたそれは、既にメルカトルの知るところらしい。
メルカトルの問いに首肯すると、彼は自身の顎をひと撫でして「そっか」と呟いた。
「じゃあ、ティナック。この件は教育連携局であたってくれるかな」
「畏まりました」
シフリーナには間に合わなかったけれど、これで帰省のできない学生の負担を幾分にも減らせる方向に向かうに違いない。
その後も、和やかに会話は続く。
わずか数日で七賢人たちに受け入れられ、安心して話す彼女の姿に安堵しつつも、ウーシェダはこのままシフリーナを返してもらえないのではと不安にもなっていた。
「メルカトル様。彼女はいつ頃帰していただけるのでしょうか?」
デザートのソルベを口に運んだメルカトルは、そのままスプーンを弄びながら口を開いた。
「んー、そもそもさぁ、帰す必要、ある? シフリーナはここでの生活を楽しんでいるように見えるけど」
「彼女は、私の婚約者です。帰してほしいと望むのは当然では?」
彼女がここでの生活を楽しんでいるのは、ウーシェダとてわかっていた。
シフリーナから魔法を取りあげたいわけではない。魔法塔への道は開いてやるつもりだったし、今の状況は求めた結果に限りなく近い。
それでも、彼女を自分の傍に置きたいと願うなら、使えるのは『婚約者』という肩書きしかない。
「婚約者、ねえ。……これは仮の話だけどさ。婚約が、彼女をヴァンリンドゥに連れて来るためだけのものだったとして」
ひやりとしつつもウーシェダは涼しい顔を崩さない。けれど、シフリーナはそうもいかず、ぴくりと肩を震わせてぎこちなく視線を彷徨わせる。そんな様をメルカトルが見逃すはずもない。口角をあげた彼は、言葉を続けた。
「今なら、シフリーナを魔法塔が正式に招いたことにできるよ。他国からの視察とか、特別留学とかさ。それだけの能力が彼女にはある」
「魔力がないのに、ですか?」
シフリーナが軽く目を瞠って尋ねると、メルカトルがゆったりと笑って頷いた。
「潤沢に魔法師がいる国ばかりじゃないしね。まあこちらも、そう気軽には引き受けない。でも、シフリーナ。君にはそれだけの価値がある」
確かに、過去そういう例があったと耳にしたことはある。
魔法師学校の開設や運営のために、他国の担当者を一時的に魔法塔に滞在させたのだという。
けれど、それは本当に異例中の異例だし、一時的な措置だ。
ウーシェダがシフリーナに与えたかったのは、一時凌ぎではなく、確固たるものだ。
ならば偽装の婚約が確固たるものかと言えば、それとてその先の何かを得られなければ二年という期限付きのものでしかない。
「だいたいさあ、どうしても婚約って方法を取りたいなら、ウーシェダじゃなくてもよくない? どう? シフリーナ」
「いいかげんになさい。なんですか、若い二人に長老ともあろう者が」
ニケが窘めると「仮の話、だよ。もちろん冗談」とメルカトルが笑い、それまで張り詰めていた空気が緩んだ。
「でもさ、ウーシェダに万が一のことがあったら、シフリーナの理論は日の目を見ないまま消えていた可能性がある。手の内に置きたいというならば、もう少しやるべきことがあるんじゃない?」
声だけは軽やかに、けれど、少しも笑っていない目で言ったメルカトルは、残りのソルベを掬い上げた。




