偽装だった婚約を、本物にしたいと思います。②
魔法塔の中でも、七賢人や長老のいるエリアは通常許された者しか入れない。
その廊下、赤褐色の重厚な扉の前で立ち止まったウーシェダは、付いてきたシフリーナを振り返った。
唇を引き結び、緊張しています、という言葉が張り付いているような顔だ。
「いつも通りで大丈夫だ」
囁くと「それは、難しいです」と眉を下げたシフリーナの頭をひと撫でしたウーシェダは重い扉を押し開けた。
「お、来たな」
最初に反応したのは、アグリだった。
大机の縁に寄りかかるようにして腰掛けた男は、魔法師というよりも騎士や剣士といった風情だ。
七賢人にのみ許された黒いローブを纏い「攫われて、お姫様に助けられたって? 特級魔法師の名が泣くな」とさも楽しそうに琥珀色の瞳を細めて立ち上がった。
「その後ろにいるのが、噂の婚約者殿か」
ウーシェダの背後を覗き込むようにして体を傾けたアグリに「はいっ」とシフリーナの上擦った返事が響いた。
今日は七人は揃わないと事前に聞いてはいたが、彼女がここまで緊張するならば、かえってよかったかもしれないとひっそり思う。
「シ、シフリーナ・アイトリアと申すま、申します。よろしくお願いします」
ぎくしゃくとした動きでウーシェダの隣まで歩み出てきたシフリーナは、それでも綺麗に膝を折って令嬢らしい挨拶をした。
「アグリ・フェルネスだ。ようこそ魔法塔へ。といっても来るのは二度目だったか? 入国した日に、わざわざ塔に婚約者を見せびらかしにきたと聞いてるぞ」
豪快に笑うアグリに「竜を返しに寄っただけですよ」と返す。
「ああ、そうそう、竜を返しに寄っただけ、な」
含みのある言い方をして、まだくつくつと笑う。
「アグリ。シフリーナ嬢に失礼ですよ」
窘めながら椅子から腰を上げた女性は「ニケ・セヴェラです。もうお加減はよろしいの?」とシフリーナに問いかけた。
「はい。お陰様で」
シフリーナが答えると、ふっくらとした顔に笑みを浮かべてニケが頷く。
「どうぞ、おかけになって」
アグリとニケが座る向かいに、ふたり並んで腰を下ろす。
ウーシェダがシフリーナと共に無事に邸に帰ってから、二週間が過ぎた。
魔法塔からは体調が整い次第すぐにでも報告に来るようにとの通達があったが、今日まで先延ばしにしてきた。
あの現場で気絶するように眠ってしまったシフリーナが熱を出したからなのはもちろん、事件が深く彼女の心に傷跡を残したからだ。
熱が下がるまでは目が覚める度に今が現実なのかを確認し、ウーシェダの無事を確かめたがった。ようやく熱が下がっても本人の気力ほどには食欲が戻らず、寝る時に部屋の照明を落とすのも不安そうだった。
一週間を過ぎる頃にはそれも随分落ち着いたものの、今日まで引き延ばしたのは、ウーシェダの方が、事情を聴取されることで彼女の味わった痛みを蒸し返してしまうのを恐れたからだ。
今朝、魔法塔に向かうにも、迎えの馬車を断り、敢えて竜を召喚した。
こんな近距離で竜を喚ぶなど普通はしないが、ほんの僅かな移動時間でもシフリーナが楽しそうに笑っていたので選択は正しかったのだろう。
「では、始めましょうか」
ニケの穏やかな声音に反し、空気がすっと引き締まるのを感じる。
シフリーナも背筋を伸ばして、小さく頷いた。
「まずは、魔法塔七賢人として、シフリーナ嬢をこのような事件に巻き込んでしまったこと、深くお詫びいたします。大変申し訳ございませんでした」
「申し訳なかった」
ニケとアグリとに頭を下げられて、シフリーナは「あ、いえ、私は……その、どう考えても大変だったのはシェダ様のほうで……」と顔の前で手を振る。
「それはもちろん……ただ、今回は加害者も、そして被害者であるウーシェダ・ファートも塔の魔法師でした。その魔法師同士の事件に、魔力も持たない貴女を巻き込んでしまったのは私どもの責任です。重ねてお詫び申し上げます」
「……シェダ様も私も無事に帰って来られたので。だから、大丈夫、です」
七賢人に頭を下げられ、困ったようにこちらを見つめてくるシフリーナに「ニケ様、これ以上はかえって彼女も恐縮してしまいます」と助け船を出した。
「なら、俺から報告しよう。まず、ウーシェダの拘束した加害者だが、三人とも魔法師見習いだった。……十年目のな」
彼らのローブは灰色だった。魔法師見習いの色ではあったが、本当にそうだったのか、と少なからず驚く。
入塔が許された魔法師でも、無期限に従事できるのは中級魔法師以上だ。魔法師以下は、十年以内に中級へ昇格できなければ、塔での従事を終えることとなる。
バレない自信があったのか、それとも覚悟の上で決行したのかは知らないが、シフリーナまで巻き込んだあの行いは身分に関わらず許せるものではない。
「所属は全員が実務院拘束管理局。動機は、まあ妬みだな。ひとりはお前の同期だ」
「同期……」
同期と言っても魔法塔には各国から魔法師が集まるため、その数は多く、面識のない者がほとんどだ。
ましてや、ウーシェダは魔法師見習いからではなく、上級魔法師からの開始だったため、同じ学校を卒業した者や、業務上関わりがなければ全員など把握できるはずもない。
「学校を出てすぐに上級になった魔法師が、トントン拍子で特級にあがり、婚約者を得てマイペースに出仕するのが許されるのはおかしい、というのが奴らの言い分だ」
隣のシフリーナが表情を曇らせるのに気づいたウーシェダは、すかさず「別に君のせいじゃない」と声を掛けた。
「段取りを踏んで、許可に基づいてのことだ」
「そうね。ただ、貴方にも反省すべきところはあったんじゃないかと思っていたのよ。報告書を読むまではね。まあそれはまた後で。アグリ、続けて?」
「各種拘束具の持ち出しについては、その管理体制と合わせて洗い出し中。近く審理会が開かれる。恐らくは、魔法師資格剥奪だけじゃ済まないだろうな」
魔法師資格が剥奪されれば、公的に魔法師を名乗ることが出来なくなるだけでなく、有償で魔法を振るえば罰則の対象となる。
つまりは、魔法師を生業にはできなくなる。
それすら生温いと考えるウーシェダの隣で「剥奪……」とシフリーナが呟いた。
「同情しているのかしら?」
「いえ、それは全然。ただ、サミサ様の魔法は、とても綺麗でした」
犯人に様など付けるな、と思うウーシェダの向かいでニケがフフと笑いを漏らす。
「貴女にとって、魔法と、それを振るう者の人間性は別物なのね」
「申し訳ありません」
身を縮こませたシフリーナが謝罪すると、ニケは「報告書にあった以上に魔法好きなお嬢さんね」と微笑んだ。
「では、そろそろ本題に入りましょう。シフリーナさん、これから今回の事件に使われた魔法陣を提示します。もしもご気分が悪くなったら、遠慮なくおっしゃってね?」
「はい」
シフリーナの返事を待って、アグリが机いっぱいの大きな紙を広げる。
描かれているのは魔力無効化の魔法陣、そして、シフリーナの考案した魔法陣だ。
隣で小さく息を呑む気配がして、彼女の膝に置かれた手の上に掌を重ねる。冷たい指先に熱を分けるように軽く握ってやると、こちらを見たシフリーナは「ありがとうございます。大丈夫です」と細い声で言った。
「シフリーナさん、大丈夫そうかしら?」
「はい」
「では、最初にこちらの魔法陣について説明してくださる?」
彼女の考案した魔法陣を指したニケに、シフリーナは「はい」と頷いた。
あの日、ウーシェダの懐に忍ばされていた魔法陣だ。
相手の魔力を受けて、違う事象を起こす。いつかの夜、彼女がペーパーナイフに刻んでいた魔法陣の派生版だった。
先ほどまでの緊張など忘れたように、徐々に活き活きとしだすシフリーナの横顔に、ウーシェダの口角も思わず上がる。
「なるほどな。だが、なぜ二段構えにしたんだ? 光るだけで充分じゃないか?」
「元はそうだったんです。でも、その隙に逃げようとしたら、シェダ様がすぐに窓を閉めてしまったから逃げられなくなって」
「は?」
「なんですって?」
七賢人ふたりの、咎めるような視線がウーシェダに向けられる。
「多分に誤解もありそうですが、概ね事実です。学校で夜の図書館に忍びこんだ彼女を窘めようとして、少し反省を促そうと……」
「魔法陣が作動したということは、魔法を使ったということじゃないの。魔力のないお嬢さんになんてことを」
「あの……それは別にもういいんです。続きを説明してもいいですか?」
今度はシフリーナが助け船を出す。
納得はいかない顔ながら、当事者であるシフリーナがそう言えば、七賢人たちもそれ以上は口を開かない。
「光るだけでは足りないかなと。それで、視線もいったん逸らせるように、魔力の発現場所から一定距離離れた場所で音が鳴るように改良しました。ここが、その記述です」
彼女が説明を終えると、いくつかの質問の後、いよいよ魔力無効化の魔法陣へと話が移る。
「あの、これについては、私は三パターンの魔法陣を描いたんです。一番最後に成功したものだけ描けばいいでしょうか?」
おずおずと差しだされた申し出に、ニケとアグリが顔を見合わせる。
すぐに同じ紙が、もう二枚用意された。
シフリーナは無言でペンを走らせる。七賢人もまた、口を挟むことなく彼女の手元を注視し続けた。
やがて、一通り描き終えた彼女がペンを置き、ゆるゆると息を吐いた。
「休憩しなくて大丈夫かしら?」
「私は、大丈夫ですが……皆様はいかがですか?」
「シフリーナ嬢が問題なければ、このまま聞かせてもらおう」
アグリがそう言うと、シフリーナは頷いて説明を始めた。
「最初は、この魔法陣がどう作用してふたつの壁が出てきて、どうして結界の中の全員でなくシェダ様だけが魔法を使えなくなっているのかわからなかったんです。ただ、魔法が使えないなら、それを抑え込んでいるのかなって。だから、反転させてあげればそれが無効化されるんじゃないかなと……」
「……この魔法陣を見たことが?」
「いえ。あの時が初めてです」
だよな、とアグリが頷く。
「次に、抑え込むのではなくて、吸い上げていると仮定しました。その力を利用して、結界の壁を作っているんじゃないかなと。あ、その前に、この魔法陣は術者が交代することを想定していることに気づいて」
あの状況で、しかもあの短時間で、ここまで読み解き、考察を組み立てていたのを目の当たりにして、ウーシェダは舌を巻くばかりだ。
七賢人のふたりも、初めこそ興味深そうに耳を傾けていたが、徐々に険しい顔になっていく。
「二つ目も駄目で、それで気づいたんです。私の魔法陣は、魔力の消費量が多すぎるってシェダ様に言われたことがあって。それで、そもそも、この魔法陣を消せばいいんじゃないかなって」
「それが、この三つ目か?」
「はい。私はこの魔法陣をどうにか反転させないとシェダ様に魔力を戻せないって思い込んでて。でも、起動を終えれば魔法陣は勝手に消えてくれるんだから、継続しようとする力を完結に導いてしまえばいいだけでした。だから、力の循環を外に逃がして、光の雨が降れば綺麗かもって」
シフリーナが一通り説明を終えると、誰も口を開けなかった。
『完結に導いてしまえばいいだけ』
彼女は事もなくそう言ったが、それがどれほど高度なことか。
完璧に組まれた魔法陣を、外円に加筆するだけでまったく違う作用へと変えてしまう。それは途方もない理論だ。
ウーシェダは改めて三つの魔法陣を見比べて、ふと二つ目の魔法陣の循環に目を留めた。
そっと窺えば、七賢人たちは時折目配せしあっては、それぞれの魔法陣を見つめている。
ウーシェダは、なんとなく嫌な予感がした。
恐らく、彼らが想定していた以上にシフリーナの理論は高度だった。そして今、ウーシェダが気づいたこれを口にすれば、ますますそこに拍車をかける。
ほんの一瞬黙っていようかと迷い、それでも、とウーシェダは口を開いた。
これも紛れもなく彼女の功績だからだ。
「シフル。その二つ目の魔法陣だが、おそらく間違ってはいない」
「え?」
「俺なら、……ここにいるお二方ももちろん、術者があいつらでなければ、二つ目で問題は解決していた」
指摘すると「ああ、やっぱり効率化が足りなかったんですねぇ」とシフリーナもまじまじと魔法陣を眺めた。
「随分優秀なのを見つけてきたな……」
アグリが感嘆したように呟いた。
優秀なのはその通りだ。けれど、シフリーナの凄いところは、ひとつの事象にもずっと向き合い、何通りもの案を出し続けることができることだ。
しかも、彼女は魔力がない。その正しさを証明する術がない。それなのに、ここまでの理論を身につけた。それこそが、誰にも負けないシフリーナの凄さだ。
「うちの『お姫様』は、単に優秀なだけでなく、努力家なんですよ」
「なんでお前が得意げなんだよ」
「それは……」
思わず言い淀む。
シフリーナはウーシェダの婚約者だ。表向きは。
偽装でしかない今の関係を正しく呼ぶ言葉を、今のウーシェダは持ち合わせていなかった。
シフリーナはどうだろうか。
婚約は彼女にとって魔法の傍にあるための手段だった。そのためだけの婚約だ。
シフリーナにとって、ウーシェダはせいぜい共同研究者といったところか。
けれど、ウーシェダが、それでは足りなくなっていた。
彼女がこの魔法陣を描き上げたあの日、地面に倒れ込むのを見た瞬間、自身の心臓を握りつぶされた気がした。
邸で目を覚ました彼女が、真っ先に自分を探すのも、痛くはないかと問う声も、どうしようもなく愛しいと思った。
手放せない。そして、同時に思う。同じくらいシフリーナにも想って欲しい。自分を選んで欲しい、と。
今は到底そこまでの想いはないだろう。そんな彼女を、これからどう口説き落とそうか。
そんなことを考えながら「……婚約者ですから。当然です」と口にした。
「正直、驚いています。こんな方法でこの魔法陣を無効化するなんて……しかもそれが本当に可能だなんて、誰も考えたことがなかったもの」
そう言ったニケは深く息を吐くと、シフリーナに「ごめんなさいね」と向き直った。
「シフリーナさん。貴女を、魔法塔から帰してあげることができなくなりました」




