第一話
*第四章は暴力表現があります。苦手な方はご注意ください。
馬車に揺られながら、シフリーナは自身の手の甲に浮き出た魔法陣を顔の前にかざしては、まじまじと見つめる。
やたらと細かく記述があるのは、フェイクが多いのか、それとも工程が複雑なのかすぐには読み解けない。
要するに、この魔法陣でシフリーナの心臓を止めることができるらしい。同じものはウーシェダの額にも刻まれていた。
そして今、この馬車がいったいどこに向かっているのか、わからない。
今日はいつもの朝よりせわしなく時間が過ぎた。魔法塔に行くためだ。
ウーシェダが出仕するのはいつものことだけれど、今日はシフリーナも一緒に行く。
七賢人に婚約の挨拶をするため。というのは表向きのことで、本当はシフリーナの魔法陣を彼らにお披露目するためだ。
七賢人が魔法塔の上層部であることは、魔法学校に入学してすぐに習う。その授業を三回も受けたとはいえ、まさか本当に会うことになるなんて、あの頃は考えてみたこともなかった。
そんな彼らに、自分の考えた魔法陣を見せに行く。
ウーシェダにもオルセにも間違っていないと請け負ってもらったとはいえ、不安と期待がない交ぜで、昨夜はほとんど眠ることができなかったし、朝食もポタージュを少し口にするのが精一杯だった。
常ならばウーシェダは魔法塔には馬で向かうが、今日は塔から迎えの馬車が来るとのことで、シフリーナは何度となくバルコニーに出ては門のほうを見遣っていた。
やがて、二頭の栗毛の馬が引く馬車が邸の前までやってきた。
昼頃にやって来ると聞いていたから、それよりは幾分早い到着だ。
シフリーナはマーサが呼びに来るのも待つことなく、階下へと降りた。
エントランスではちょうど灰色のローブを纏った男とウーシェダとが話しているところだった。
「お迎えのお時間が早まりましたこと、大変申し訳ございません。エレオマ様からは準備が整い次第でいいとあわせて承っております」
「ああ、あの爺さんの言いそうなことだな」
頷くウーシェダの近くまで行くと、ローブの男はシフリーナを見て笑みを浮かべた。
「ご婚約者様でいらっしゃいますか。お噂通りお美しい方ですね。塔より参りましたサミサと申します」
恭しく頭を下げる男に、シフリーナも丁寧に膝を折って応じた。
「シフリーナ・アイトリアと申します。本日はお忙しい中お迎えに来てくださり、ありがとうございます」
「忙しい中もなにも、こいつはこれが仕事だぞ?」
「でも、普段のお仕事に加えてお迎えにきてくださるお仕事が増えてしまったわけですから……ありがとうございます」
もう一度お礼を言って微笑むと、男はそっと視線を逸らし「いえ」とだけ呟いた。
ダリアンとマーサに見送られて、馬車に乗り込んだ。
異変が起きたのは、門を出て少ししてからのことだった。
「やられた……」
ウーシェダがひどく深刻な顔で呟くと、御者の男に届くよう声を張り上げた。
「どこに連れて行くつもりだっ」
途端に馬車が加速した。
ガタゴトと揺れ、シフリーナは座面に幾度も尻を打ち付ける羽目となった。
「え、あの……、え」
目を白黒させるシフリーナの前でウーシェダが馬車の扉に手を掛ける。
「シェ、シェダ様、危ないですっ」
馬車は猛スピードで走っている。扉を開けて転がり落ちでもしたら、ただでは済まないだろう。
けれども、シフリーナの心配に反して、扉はびくともしない。狭い車内の中で、中腰になったウーシェダが蹴飛ばしても、開くことはない。
「あの、シェダ様? な、どうなさったんですか?」
事態を飲み込めないシフリーナも、ひどくよくないことが起きていることはわかった。
そんなシフリーナの問いかけに動きを止めたウーシェダは、どかりと向かいに座り直すと長く息を吐いた。
「魔法を封じられている」
「……え?」
魔法を封じる。そんなことができるんだろうか。いったいどんな魔法だろう。
少なくともこの馬車にはそれらしいものが見当たらない。
「本当ですか?」
先ほどまでの行動は、常の彼らしくない。なにより、ウーシェダがそんな嘘をつくわけがないとわかっていながらも、シフリーナはつい確認してしまう。
真剣な顔で顎をひく彼の答えに、背筋がすっと冷たくなる。
少し走って、馬車はゆっくりと止まった。
ウーシェダが、シフリーナを庇うように半身を扉の方に向ける。
扉が開くと、剣を持った男が切っ先を向けてこちらに立っていた。御者を務めていたのとは違う男だ。
「……何が目的だ」
ウーシェダが低く尋ねると、男は鼻で笑った。
「おいおい、ちゃんと敬語で話せよ。とりあえず婚約者様、お手をどうぞ。ウーシェダ、わかってると思うが、何かすれば婚約者の命はないからな」
シフリーナが腰を浮かせ掛けると、ウーシェダの腕がそれを制する。
その腕を男はなんの躊躇いもなく剣で突き刺した。
呻いて苦痛に顔を歪ませるウーシェダを目にしたシフリーナは、「やめ、おっ、降ります! 私降りますから!」と転がるように馬車を降りる。
「婚約者は物わかりがいいねぇ。手を出せ」
「はい」
掌を上にして両手を差しだすと、男はシフリーナの右手を取り、銀色のコインを握らせて「名前を名乗れ」と命じた。
「駄目だっ、シフルっ」
「黙って見てろ」
剣の切っ先が再びウーシェダに向く。小さく息を呑んだシフリーナは急いで「シフリーナ・アイトリアです」と名乗った。
途端にコインが熱を帯びる。一瞬鋭い痛みが走り、慌てて掌を開くとコインは消え、代わりに手の甲に魔法陣が浮き出ていた。
初めて見るものだ。
その手をグイと取ってウーシェダに見せた男は「わかったら、抵抗はするな」と短く告げる。
御者の男──サミサもやってきて、同じコインをウーシェダの額に当てると、同じようにコインが消え、その額にはシフリーナの手の甲にあるのと同じ魔法陣が顕れていた。
「この後、俺たちが許可をするまでは大人しくしていろ。守れなければ……わかっているな?」
相変わらず事態は飲み込めないままのシフリーナを再び乗せて、馬車は滑らかに走り出す。
とりあえず今できることは、彼の腕の止血だろう。
彼の袖をべったりと赤く染めた血に、吐き気がこみ上げてくる。それを堪えて、シフリーナはハンカチでウーシェダの傷口を押さえるようにして縛った。そのハンカチにも、すぐに血が滲んでくる。
触れてもいないのに車窓の板がぱたりと落ちて外部への視界が閉ざされたのを見て、ウーシェダに視線を向ける。
ウーシェダは苦く笑って首を振った。彼の魔法ではないらしい。
彼の額には脂汗が滲む。剣で刺されたのだからかなりの痛みだろう。
ここには薬も薬草もない。こんなに血が出て、死んでしまわないだろうか。
膝の上に置いた掌でぎゅうとスカートを掴むと、そっと掌が乗せられた。
「その魔法陣は、君の命に直結している。本来なら犯罪者に使う魔法陣だ」
車輪の音に紛れそうなほどに小さな声で、教えてくれる。
「今俺が魔法を封じられているのも、恐らく同じく犯罪魔法師に用いるものだ。こんな準備をしてきている以上、狙いはほぼ間違いなく俺だ」
「そんな……」
「犯人たちに逆らうな。愛想良く振る舞っていればいい。わかったな?」
シフリーナが頷くのを確認して、掌がゆっくりと離れていく。
その熱が離れていく感触が心許なくて、シフリーナはぐっと息を止めてから、細く息を吐き出した。




