第二話
*第四章は暴力表現があります。苦手な方はご注意ください。
異変を感じたのは、馬車が邸の門を出て少し経った頃のことだった。
魔法塔へ向かうなら、右へと進むはずの道を、馬車はまっすぐに進んだ。
迎えに来たのは魔法塔の魔法師だ。それでも、ローブの色からまだ見習いなのもわかっていたので、道を間違えたのかもしれないと考え、すぐに魔法で先導の小鳥を飛ばしてやろうと考えた。
ところが、なんの手応えも感じない。
物心ついてすぐに魔法が発現したウーシェダにとって、こんなことは初めてだった。
すかさずいくつかの魔法を試してはみたが、ほんの小さな魔法すらも振るうことができない。
車窓の風景は、魔法塔からは遠ざかるばかりだ。
扉さえ開けられれば、シフリーナだけでも逃がすことができるかもしれない。
走る馬車から落ちれば無傷とはいかないが、どこに連れ去られるかも、何をされるかもわからない現状では、茂みに放り込めれば致命傷は避けられる。
しかし、それも叶わぬままに、彼女に最悪の魔法陣が刻まれた。
権限を付与された者が起動すれば、その魔法陣を刻まれた者の心臓は動きを止める。
重犯罪を犯した魔法師を、拘束するための魔法陣だ。
魔法を封じる魔法陣と並び、魔法塔である程度の権限を持つ者か、直接の担当者くらいしか目にすることもできないものだから、本来ならシフリーナが一生目にすることもなかったはずのものだ。
それを今、彼女が興味深そうに見つめているのを目にして、ウーシェダは複雑な気持ちになる。
今日はようやく彼女の魔法陣を七賢人に見せて、今後の彼女の道筋へと繋げていくはずの日だった。
昨夜から落ち着きなかったシフリーナが、今朝も随分早く起き出してきて、持って行く魔法陣を厳選していた。
その彼女に、今、犯罪者の印が刻まれている。
誰が何を仕組んだのかは知らないが、絶対に許せるものではない。
ふつふつと怒りを募らせるウーシェダを乗せた馬車が再び止まる頃には、日が傾き始めていた。
「シフリーナ嬢。どうぞこちらへ」
馬車の扉が開くと、芝居がかった声音が響いた。
軽く肩を跳ねさせたシフリーナが「はい」と答え、男の手を借りて馬車を降りた。
長身の男もまた、灰色のローブを纏っている。先ほどいなかった男だ。
犯人は全部で何人いるのか。
そう考える目の前で、シフリーナが手渡された物に、ウーシェダは軽く目を瞠った。
「これをあなたの婚約者につけていただけますか?」
「これって……首輪、ですか?」
「ええ」
「……痛くないですか?」
シフリーナが尋ねると、男はクッと笑いを漏らした。
「痛くはないですよ」
「死んじゃったりしませんか?」
「ええ、もちろん。そんなに簡単に死なせるつもりはありませんから」
「……わかりました」
やめろ、とは言えない。どの道、選択肢はない。
けれど、その首輪がどういったものかをよく知るウーシェダは、これはいよいよまずいと思う。
二本足で立ち上がることができなくなり、四つ足の動物のように這うことしかできなくなる、逃走防止の拘束具だ。
こんなものまで用意ができたということは、男たちが犯罪者に対処する班に配されているか、よほどの黒幕がいるかのいずれかだろう。
震える手でシフリーナがウーシェダに首輪をつけようとすると、彼女の背後から身を乗り出してきた男は「髪が邪魔ですね」と三つ編みにした白銀の髪を無造作に掴み、手にした短剣で断ち切った。
「懐かしい姿になりましたね」
目を眇めた男が呟く。
懐かしい。いつの話だ。わからない。
震える指先でシフリーナがウーシェダに首をつける。途端にウーシェダは椅子から滑り落ち、四つん這いになる羽目になる。
「え? え? 何が……」
「ご苦労様です、シフリーナ嬢。では、これを持って」
シフリーナに、紐の端を持たせた男は、紐の反対端の金具をウーシェダの首輪にカチリと止める。
男が強く紐を引くと、ウーシェダはそのまま馬車の外へと転げ落ちた。
「シェダ様!」
「大丈夫だから」
「さあ、シフリーナ嬢。その犬をこちらに連れてきてください」
男の声はどこまでも軽快だ。この状況が楽しくて仕方ないのだろう。
シフリーナは男に付いていきながらも、不安そうにこちらを幾度も振り返る。
森の中だ。どの国の森かまではわからないが、ヴァンリンドゥの国境からはそこそこ離れ、それでいて未だ人の気配もない森が広がる場所。
頭の中でいくつかの国を思い描く。
先ほど剣で刺された腕の痛みが思考の邪魔をする。痛みを堪えて四つん這いで進むと、木々が開けた小さな原っぱへと出た。
中央には青く光る魔法陣。十中八九、罪人の魔法を封じるための魔法陣だ。
おそらくはあの馬車の底にも、同じものが描かれていたはずだ。
大きめのテントがふたつと、それよりは小振りのテントがひとつ。小振りのテントの前まで来ると、男はウーシェダの尻を強く蹴った。テントの中へとつんのめって転がったウーシェダが振り返ると、泣き出しそうな顔のシフリーナがこちらを見下ろしていた。
「犬なぞ野ざらしで置いておきたいところですが、女性をそうするわけにもいきませんからね」
そう言った男は、テントの中に入ってくると、シフリーナから紐を奪い取り、テントの端の杭へと結びつけ、魔法で固定した。
そうしておまけのようにウーシェダの腹を蹴り上げると、テントを出て行った。
「シェダ様」
シフリーナがすぐ近くに跪く。触れていいものかと迷うように、手を彷徨わせている。その甲に刻まれた魔法陣に、変化はない。
ウーシェダは浅い呼吸を幾度かくり返して痛みを逃がしてから、長く息を吐いた。
「シフル。俺の予想通りなら、事態はもうひっくり返せる状態じゃない。君は、自分が生き延びることだけを考えて欲しい」
目を見開いたシフリーナは、何かを言いかけて、そのまま口を噤んだ。
「おそらくあいつらは、俺だけが目的だ。俺を気が済むまで嬲ってから、殺すんだと思う」
「そん、な……」
「あの外にあった魔法陣。あれは外周に結界があって、消したり書き換えることができない。おそらくは、あの魔法陣を中心にして、もうひとつ森の中にも結界がある。どちらの壁も権限を持つ者しか超えられない」
そもそもあの魔法陣は、犯罪者にのみ使われる想定のものだ。
犯罪者から確実に魔力を奪い、逃げ出すことも、外部から助けることも封じるものだ。
そのうえ、ウーシェダは既にケガを負い、立って走ることも封じられている。
どう考えても、打開できる状況ではなかった。
唯一の希望は魔法塔からの救援だが、ここまで周到に準備している犯人たちが、それを考慮していないはずがない。
男たちがシフリーナを害そうとはしていないことが、せめてもの救いといえた。
シフリーナの目からほとりと涙が落ちた。
「すまなかったな、シフル。君はおそらく巻き込まれただけだ」
地べたに転がったまま涙をぬぐってやる。温かな涙は、拭ってもぬぐっても溢れて落ちる。
「希望的観測ではあるが、あいつらは君は傷つけないだろう。帰ったらオルセを頼るといい。あいつなら、君のこれからを助けてくれる」
「……んで、なんでそんなこと、言うんですか」
「最善策が取れない時は、次善策を準備するものだ」
ウーシェダがそう言うと、シフリーナは魔法陣の描かれた手の甲で、グイと自身の涙を拭った。
「魔法が、使えないからですか?」
「……こうも魔法を完全に封じられては手も足もでない」
情けないことだがな、と笑うと、シフリーナは少し考えてから口を開いた。
「シェダ様。魔法が使えないのは、私にとってはいつものことです」
シフリーナの声は、まだ涙に濡れて僅かに震えていた。濡れた眦を細めて、微笑む。
「だから、最善策を目指そうと思います」




