第三話
魔法塔への出仕は久しぶりのことだ。
廊下の端に寄って頭を下げる魔法師たちに朝の挨拶を返しながら、彼らの視線になんとなく含みを感じたウーシェダは訝しみながら自分の執務室へと向かう。
魔法塔は、長老を筆頭に、七賢人を加えた八人で意思決定を行う。
組織は大きく分けて三つ。
魔法塔全体の管理や運営、魔法師の登録を担う統括院。
討伐や各国派遣、騎獣管理、魔法塔の警護など現場実務に直結する実務院。
そして、ウーシェダの所属でもある、魔法理論の検証や開発、研究、教育を行う理論院だ。
特級魔法師であるウーシェダは、その中でも個人執務室を与えられている数少ないひとりだった。
ひそひそとした声が時折耳に届く。婚約者などという言葉も聞こえてくるから、恐らくはウーシェダが婚約したこと、それが講師に赴いた先の生徒だったことなどが噂になっているのかもしれない。
その噂の相手であるシフリーナについては、今朝、マーサが私室に駆け込んでくる騒ぎがあった。
「ウーシェダ様っ! シフリーナ様が」
自室でのモーニングティーを飲んで今日の段取りを考えていたウーシェダは、ノックもそこそこに入ってきたマーサの様子に、思わず腰を浮かせた。
「シフルがどうかしたか?」
「魔力をお持ちでないならば、そのようにおっしゃっておいていただきませんと」
そうしてマーサは切々と話し始めた。
昨夜、シフリーナの様子を見に行ったマーサは、部屋の明かりが落とされており、随分早く寝たのだと思っていたのだという。
移動もあり疲れたのだろうと、声を掛けることもせずにそっとしておいたマーサの判断は、ウーシェダも頷けるところだ。
そうして今朝。
マーサはまずシフリーナの部屋が随分と冷えていることに驚いた。
ヴァンリンドゥはシフリーナの育ったイルクラン王国よりも北にある。つまりは、既に朝晩はやや冷えるから、部屋を多少は暖めて休むことが多い。
そして、その部屋を暖めるための設備は、魔力によって動く。
邸の魔力を要する設備はごく一般的なもので、使い方の説明をする必要すらない簡単なものだ。それでも使わなかったということはわからなかったのかもしれないと、説明をしなかったことを詫びたマーサは、そこで初めて魔力がないのだと本人の口から聞いて顔を青くした。
部屋の照明は魔力で付けたり消したりするものだし、風呂の設備も、魔力がなければ水しかでないからだ。
「水が出たから大丈夫ですよ? 夜も毛布があったから寒くなかったです」とケロリとした顔で言われたマーサは、こうしてウーシェダの部屋へと駆け込んでくるに至った。
しまった、と思った。
ウーシェダからすると、シフリーナの魔力がないことは既に当たり前で、必ず人と共有しなければならない情報だという認識がなかった。
そのうえ、邸の設備には馴染みすぎていて、魔力があるとかないとかを考えることもなく使用しており、それをシフリーナが使えないということに気づくことすらなかった。大失態である。
しかも、それを詫びると当のシフリーナは「夜の明かりだけあれば大丈夫です」などと、まったくもって大丈夫ではない返事を寄越すものだから、周囲の方がいたたまれなくなった。
ウーシェダは、今日はいったん邸の中の設備で見直すべきもののリストアップを指示して出てきた。
執務室の扉を開けると、半月前よりもやや痩せた気がするオルセが「お久しぶりですね、シェダ様」と補佐用机から顔をあげた。
「しかも随分とお早いご出仕で、今日もお休みかと大変心配しておりました」
貼り付けた笑顔で言うオルセの目には、うっすらと隈まである。相当負担を掛けたようだ。
「すまなかったな、オリ。この埋め合わせは必ずする」
「当然です。だいたい、貴方、昨日塔に可愛い婚約者を見せびらかしに来たそうじゃないですか。それなのに執務室に顔も出さずにお帰りになるし。今日もなかなかお見えにならないから、来る方来る方、よほど婚約者と離れたくないんだろうなって笑いつつも容赦なく決裁案件を置いていくんですよ!? どうなってるんですか、まったく」
見せびらかしに来たわけではないのだが、という反論も憚られる勢いに、ウーシェダはただただ苦笑を返すばかりだ。
実際オルセの机にも、ウーシェダの机にも、決裁を待つ書類は積み上がってはいるが、彼が居てくれたから、この程度で済んでいるに違いない。
オルセがウーシェダの下について仕事の補佐をするようになってから、五年が経つ。
上級魔法師であるこの男は、女性には少し軽いところもあるが、仕事については至って真面目で、今となっては信頼できる腹心の部下だ。
オルセには、シフリーナのことをある程度話しておく必要があるが、まずは早急に仕事を片さなくてはならない。
ウーシェダは自分の席に着くと、すぐに溜まった仕事に取り掛かった。
ようやく今日中に終わらせるべき仕事に目処が立つ頃には、夕陽も沈みかけていた。
「可愛い婚約者の元に急いでお帰りにならなくていいんですか?」
仕事に終わりが見えたことで、軽口を叩く余裕が戻ったらしい顔の部下に、ウーシェダはゆるゆると息を吐いた。
執務中、決裁を仰ぎに来る者も、何かにつけ婚約について口にした。
単に祝いの言葉を言うだけの者もいれば、昨日姿を見たらしく「可愛い方でしたね」などと言う者もいた。気安い面々には「邸に籠もって当分出てこないのかと思った」と笑われ、早く正式に紹介しろと席を設ける催促までされた。
一応は祝い事のためウーシェダも邪険にはできないものの、その度に仕事の手を止める羽目になり、オルセの味わった煩わしさをはからずもウーシェダも体感することとなった。
「オリ。少しこの後、話がしたい。時間は大丈夫か?」
「ええ。……なんですか、本当に邸に籠もりたい相談じゃないでしょうね?」
ウーシェダが部屋に防音魔法を掛けると、オルセの顔つきはすぐに真剣なものに変わった。
「話すより見せた方が早いと思う。椅子をこちらにもってきて、まずこれを見てくれ」
ウーシェダは、シフリーナが書き溜めていた紙の中から抜き出してきた一枚をオルセに差しだした。
ウーシェダの机の近くに椅子を移動させたオルセは、紙を受け取ると、すぐに眉間に皺を寄せて、ぶつぶつと何事か呟く。やがて、「これは……シェダ様が?」と赤銅色の目を眇めた。
「俺じゃない。魔法学校を落第して、一年生三回目の生徒が描いたものだ」
「揶揄ってます?」
「しかも、魔力なしだ」
「いやいやいや、前提からおかしいじゃないですか。魔力ナシがなんで魔法学校に……」
「そして、それは俺の婚約者だ。偽装だが」
「はぁぁぁ!?」
オルセの裏返った声が響き、防音魔法を厳重に掛けておいて良かった、とウーシェダは思った。
「誰の何が偽装ですって?」
「俺の婚約が、だ。そうでないと彼女をここまで連れて来られなかった」
「……本当に揶揄ってませんか?」
頷いたウーシェダが「しかもほぼ独学だ」と付け足すと、オルセは絶句して、再び魔法陣に視線を落とした。
「それは恐らく入学前、二、三年以上前に描いたものだ。今のものはもっと凄いぞ。普通なら魔法陣が五つは必要なものを、ひとつの魔法陣で組み上げている。起動したが、とんでもなかった」
魔力の消費もとんでもなかったがな、と苦笑すると、オルセはじっとこちらを見つめてくる。
「本当に、魔力がない方なんですか?」
「それは魔法塔には伝わっていないのか?」
「伝わってはいるんですが、魔法学校の生徒に手を出した、という噂の方が優勢で、ならば魔力がないわけがないだろう、と」
この先シフリーナの道を開いてやる時、ないものをあると言ってしまえば必ず支障がでる。ならば始めから魔力はないという事実は、正しく知られておくべきだろう。
「アイトリア家を知っているか?」
「今回講師で行かれたイルクラン王国の魔法名家ですよね?」
「彼女はそこの令嬢だ。魔力の発現を諦められなかった親が、学校にねじこんだらしい」
ありそうな話ですね、と頷いたオルセは「それで結局発現しなかったわけですね」と続けた。
「そうだ。今の魔法塔に魔力なしを迎える制度がない」
「それで偽装婚約ですか? しかもそれを聞いてしまった私も共犯じゃないですか。なにしてくれちゃってるんですか」
「だが、埋もれさせてしまうのは惜しいだろう?」
ニヤリと笑ったウーシェダに、オルセも仕方なさそうにため息を落とした。
「それで、貴方、私に何をさせたいんですか」
「噂を逆手に取りたい。『婚約者から離れたくないあまり、出仕もしたくないらしい』とな」
「は? 貴方また休むつもりですか?」
「最低限は来るが、可能な限り邸の方に仕事を持ってきてくれないか? それと、彼女が魔力なしなことも、それとなく広めてくれ」
「埋め合わせしてくれるどころか、仕事が増えてるんですが?」
そうは言いつつも、オルセは「とりあえず私もその婚約者様に会ってお話を伺いたいのですが」と愉しそうに目を細めた。
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