第二話
シフリーナがマーサに案内された部屋は、アイトリア家の自身の部屋よりも広く明るかった。大きめの机と本棚、ベッドとドレッサー。壁にあったドアの向こうはウォークインクローゼットだ。
部屋に入って正面には大きなガラス戸があり、その向こうはバルコニーになっている。
ガラス戸に近づくと、遠目に魔法塔が見えた。
憧れに終わると思っていたあの場所に、ほんの先ほどまで身を置いていた。その高揚感に、シフリーナの口角が無意識にあがる。
魔法師の国──ヴァンリンドゥ。自分のような魔力なしには一生縁がないと思っていた地に、今立っている。すべてはウーシェダのお陰だ。
偽装だ、と彼は言った。婚約者がこの国に居られるのは二年が上限だということを、シフリーナは知っている。
少なくとも二年間は、ここで好きなだけ魔法に触れられる。
二年間で、一生分学ぼう。
魔法塔を見遣りながら、シフリーナはひっそりと決意した。
「シフリーナ様のお好みがわからず、いったんはこのように整えましたが、ご希望があればなんなりとおっしゃってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
軽いノックの音がして、開け放ったままにしていたドアに視線をやるとウーシェダが立っていた。
マーサが辞すと、ウーシェダはすぐにシフリーナがアイトリア家で預けた紙の束を机に置いてくれた。
「疲れてないか?」
「大丈夫です」
軽く頷いたウーシェダは、室内を見渡す。
「カーテンやカーペットなんかの色はどうする?」
今はオフホワイトやクリーム色で纏められている。そのままでいいような気もするけれど、好みを言えば魔法が見られるかも知れない。
そんなシフリーナの心情を見透かすように、小さく笑ったウーシェダが空中に指を滑らすと、淡いピンクを基調とした部屋に変わった。
「わぁ……」
何度見ても、それが魔法だとわかっていても、やっぱり不思議な光景だ。
魔法陣ならばその記号や繋がりが作用して、そこに力を注ぎ込むことで狙った作用が得られるというのはなんとなくわかる。けれど、魔法師が魔法陣もなしにふるう魔法は、いったい何がどうなって結果が得られるんだろう。
「すごいです」
「何色がいい?」
ピンクも好きだけれど、淡いピンクの部屋は子どもっぽい気がする。
少し考えたシフリーナは「蒼で」と答えた。
「シェダ様の瞳の色はとても綺麗です。蒼がいいです」
ウーシェダは軽く目を瞠ると、笑み含んだ声で「わかった」と答えて再び指を滑らせた。
途端にカーテンや寝具の色が、蒼に少しだけ白を溶かした色へと塗り変えられた。
「さすがに俺の蒼では部屋が寒々しくなりそうだ。このくらいでどうだ?」
「素敵です! ありがとうございます。バルコニーに出てもいいですか?」
「シフル。君が何かをする時に、いちいち許可を取る必要はない。この邸の中で君が入ってはいけない場所はないし、危険がない限りは好きに過ごしていい。まあ外に出る時だけは、当分は誰かと一緒にしてくれ。この国は、魔力があることを前提としている国だからな」
「わかりました」
許可を取らなくても大抵の場所に入っていいのは少しだけ学校に似ている、と考えながら、シフリーナはバルコニーへと降り立った。
手すりの傍に立って魔法塔を見遣り、そっと下を見下ろす。
飛び降りるとしたら、さすがに高そうだ。
「高いですね」
「……? まあ、二階だからな」
「いざという時、逃げるのが難しそうです」
眉を下げて言うと、ウーシェダは苦笑を浮かべて「なるほど」と呟いた。
「おいで」
促されて室内に戻ると、ウーシェダはウォークインクローゼットがあるのとは反対側の壁の前に立ち、その壁に掌を置いた。すぐにマホガニー色をしたドアが現れる。
ウーシェダが開けて見せてくれたので覗いてみると、隣は書斎になっていた。
「ここは俺の書斎だ。ちなみにその向こうが俺の私室になっている」
「こちら側から逃げればいいんですね」
納得して頷くと、ウーシェダが眉を下げて笑った。
「シフル。自分で言うのもなんだが、俺は特級魔法師だ」
「そうですね」
「その俺の邸に悪さをしようとやってくる命知らずは、そうはいない。だから、君がこの邸で過ごす限り、窓を開けて避難路を確保する必要はないし、そういう心配も不要だ」
「それは……すごいですね」
二年間魔法が学び放題で、その上、追いかけまわされる心配もない。魔力がなくても怒られない。夢のような生活だ。
「とりあえず、君がここで生活するのに足りないものを揃えよう。思いつくものがあれば言ってくれ」
「はい。紙をたくさん、それとペンとインク。あと、書庫が見たいです!」
そう言うと、ウーシェダは苦笑して「……マーサに手伝わせるか」と呟き、シフリーナの頭を撫でた。
階下に降りて食卓につくと、既に料理のいい匂いが立ちこめていた。
運ばれてきたのはサンドイッチとポタージュだ。
ファート邸で並んだのと同じく、小さなたくさんのサンドイッチは、肉が挟まれたボリューミーなものや、野菜がたっぷりのものや、果物とクリームのサンドイッチなど様々だ。
食卓の傍には、モンテ夫妻が控えている。
アイトリア家やファート家と違い、この邸にいる使用人はこの夫婦だけだそうだ。確かに、魔法が使えれば家事などを大人数で分担する必要もない。
人の目の少なさがほんの少し気安い。
ウーシェダの向かいに座ったシフリーナは、ポタージュをスプーンで口に運ぶ。
「おいしいです」
そう言うと、ダリアンが「それはよろしゅうございました」と顔を綻ばせた。
サンドイッチにも手を伸ばす。
具材の入っていない薄茶のクリームは、昨夜と今朝食べたものと同じに見えた。
口に入れると、やはり、ファート家で出されたのと同じミルクジャムだ。ほんのり甘くて、鼻に抜けるミルクの香りが優しい。
「これもおいしいです」
ダリアンに顔を向けると、微笑んで頷いたダリアンは「だそうですよ。持ってきた甲斐がありましたね」とウーシェダに言った。
持ってきた、とは?
不思議に思ってウーシェダに視線をやると、彼は軽く睨むようにダリアンを見てから息を吐いた。
「あちらの家で、君が気に入っていたようだったからな。少し分けて貰ってきたんだ」
「ありがとうございます」
「俺たちは、君が何が好きで何が嫌いなのか、まだあまりわからない。だから遠慮なく教えてほしい」
何が好きで何が嫌いか。
ウーシェダといると、なにかにつけてそれを訊かれる。
ドレスの型。ドレスの色。食の好み。部屋の調度の色。
シフリーナは、自分が魔法が大好きだということは自覚している。けれど、それ以外については、あまり考えたことはなかった。その必要がなかったからだ。
自分の好みなど、改めて訊かれるとよくわからないけれど、そうやって訊いてもらえることは、なんだか嬉しい。
だからシフリーナも「私もシェダ様やダリアンさんやマーサさんの好みが知りたいと思います」と答えた。
「ありがとうございます。シフリーナ様。ただ、私やダリアンに敬称は不要です。どうぞ、マーサと呼んでくださいね」
「はい、マーサさ……マーサ」
シフリーナは、出されたサンドイッチは食べきれなかったけれど、なんだか体中が温かなもので満たされているような気がした。




