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3/11

第3話「見ている人がいるから、手品なんです」


【公演記録 No.003】


演目:存在しない箱

会場:ぱんでむ・劇場区画 第七舞台

観客:1名

使用トリック:RealityTrick

被害:なし

観客満足度:100%


本人の認識:手品


本物だったか:


__________


備考:


観客が視認している間、現象は正常に手品として成立した。


追記:


観客が視認していない瞬間については、記録がない。




「今日も見ているわ」


舞台袖で真意が言った。


「ありがとうございます!」


冥理は嬉しそうに帽子を脱いだ。


「本日も一名様限定公演へようこそ!」


「客じゃないわ」


「監査役様ですね」


「そう」


「では特等席へどうぞ」


「昨日と同じ席でいい」


「そこが一番よく見えるんですよ」


「だからそこにするの」


真意は昨日と同じ席に座った。


虫眼鏡を構える。


「今日は何をするの?」


冥理はステッキを肩に乗せた。


「簡単な手品です」


「信用できない」


「信用してください」


「無理」


「即答ですねえ」


冥理は笑った。


「では、今日はこちら」


指を鳴らす。


舞台中央に、


箱が一つ現れた。


黒い箱。


高さは一メートルほど。


装飾はない。


真意が眉をひそめる。


「いつ出したの?」


「今です」


「今?」


「はい」


「私は見ていた」


「ええ」


「なのに突然現れた」


「手品ですから」


真意は虫眼鏡を覗いた。


【物質】


【木製】


【黒塗装】


【舞台装置】


【重量:42kg】


「……普通の箱ね」


「普通ですとも」


「中身は?」


「空っぽです」


「確認するわ」


真意は立ち上がった。


箱へ近づく。


蓋を開ける。


中は空。


「本当に空ね」


「でしょう?」


「底は?」


「どうぞ」


底を叩く。


何もない。


側面。


何もない。


蓋。


何もない。


真意は箱を一周した。


「完全に空」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


「では次へ」


冥理は箱の横に立った。


「この箱」


「ええ」


「今から消します」


真意は目を細めた。


「どうやって?」


「それを見破るのが真意さんのお仕事でしょう?」


「いい度胸ね」


「奇術師ですから」


冥理は両手を広げる。


「それでは」


ステッキを振る。


「ジャジャーン!」


箱が消えた。


真意は瞬きをしなかった。


「……」


箱がない。


床だけが残っている。


真意は虫眼鏡を覗く。


【床】


【木材】


【舞台】


【重量:180kg】


箱のタグがない。


「……消えた」


「はい」


「どこへ?」


「分かりません」


「またそれ?」


「はい」


真意は床を見る。


何もない。


天井。


何もない。


舞台袖。


何もない。


客席。


何もない。


「……」


真意はもう一度、虫眼鏡を覗いた。


すると。


床のタグの一番下に、


小さな文字が浮かんでいた。


【箱:観測外】


「……」


真意の目が細くなる。


「冥理」


「はい?」


「あなた、VanishingActを使った?」


「もちろん」


「対象を観測外へ消した?」


「その通りです」


「なら簡単ね」


真意は箱を探す。


「観測外にあるなら、位置情報を追えばいい」


「どうぞ」


真意は虫眼鏡を動かす。


空間。


舞台。


楽屋。


廊下。


倉庫。


厨房。


屋上。


地下。


何もない。


「……」


冥理は楽しそうに見ている。


「見つかりませんか?」


「まだよ」


真意はさらに深く覗く。


【観測外】


その文字の下に、


何かがある。


真意が焦点を合わせる。


一文字。


二文字。


三文字。


「……」


【観測者:真意】


真意の手が止まった。


「……何?」


冥理が首を傾げる。


「どうしました?」


「あなた」


「はい」


「箱のタグに、私の名前がある」


「おや」


「これはどういうこと?」


冥理は箱があった場所を見る。


「簡単ですよ」


「何が?」


「真意さんが見ているからです」


「……」


「箱は観測外にあります」


「ええ」


「でも、真意さんは見つけようとしている」


「当然でしょう」


「だから」


冥理は笑った。


「箱が、真意さんに合わせて存在しているんです」


「意味が分からない」


「私にも分かりません」


「……」


「でも、手品としては成立しています」


真意は眉をひそめた。


「あなたは今、何をしたの?」


「箱を消しました」


「それだけ?」


「それだけです」


「本当に?」


「はい」


真意は虫眼鏡を見る。


【観測者:真意】


その下に、


新しいタグが追加されていた。


【観測行為:箱を探している】


さらに下。


【対象:箱】


さらに下。


【状態:観測に応じて変化】


「……」


真意はゆっくり顔を上げた。


「冥理」


「はい?」


「これ、あなたの手品じゃない」


冥理は少し考えた。


「そうでしょうか?」


「あなたが操作しているタグがない」


「なるほど」


「因果の線もない」


「ふむふむ」


「あなたが何もしていない」


「……」


冥理は黙った。


真意が続ける。


「だからこれは――」


その瞬間。


冥理が指を鳴らした。


「ジャジャーン!」


箱が、


戻った。


真意の目の前。


「……」


箱がある。


真意は箱を見る。


【物質】


【木製】


【黒塗装】


【舞台装置】


【重量:42kg】


さっきまで存在しなかった。


「……今のは?」


冥理は得意げに笑った。


「手品です!」


「あなたが戻した?」


「もちろん!」


「どうやって?」


「企業秘密です!」


「……」


真意は箱を開けた。


空っぽ。


さっきと同じ。


「……」


冥理を見る。


「……何よ、これ」


「素敵でしょう?」


「説明して」


「手品です」


「それじゃ分からない」


「分からないから手品なんですよ」


「違う」


真意は箱を指差した。


「さっき消えた箱と、今の箱は別物よ」


冥理が瞬きをする。


「え?」


「タグが違う」


「……」


「さっきの箱には『観測者:真意』が付いていた」


「ほう」


「今の箱にはない」


冥理は箱を見る。


「……本当ですね」


その瞬間だけ。


冥理の笑顔が消えた。


ほんの一瞬。


「……」


真意は見逃さなかった。


「気づいた?」


冥理は笑顔に戻る。


「何にです?」


「今、あなたが驚いた」


「奇術師も驚くことくらいありますよ」


「何が起きたのか、あなたも分かってない」


「……」


冥理は箱の蓋を閉じた。


「では」


「話を逸らさないで」


「次の手品を」


「冥理」


「はい?」


「あなた自身が、今の現象を説明できないんでしょう?」


冥理はしばらく真意を見た。


そして、


「……」


小さく笑った。


「それなら」


「何?」


「もっと面白くなってきましたね!」


「……」


「ジャジャーン!」


冥理がステッキを振る。


舞台中央に、


もう一つ箱が現れた。


「ちょっと!」


「二つ目の箱です!」


「増やすな!」


「では!」


三つ。


四つ。


五つ。


十個。


二十個。


舞台が箱で埋まっていく。


「冥理!」


「ジャジャーン!」


さらに増える。


「やめなさい!」


「まだまだ!」


「舞台が埋まる!」


「奇術ですから!」


「ただの物量じゃない!」


「それも奇術です!」


真意は頭を抱えた。


「……もう!」


虫眼鏡を構える。


「タネも仕掛けもあります!」


冥理が固まった。


「むー!」


「一つずつ消すわよ」


「えっ」


「まずこれ」


真意が一つ目の箱を見る。


タグを読む。


原因。


構造。


配置。


因果。


「はい」


箱が消える。


二つ目。


「はい」


消える。


三つ目。


「はい」


消える。


冥理が焦る。


「ちょっと待ってください!」


「何?」


「私の手品を!」


「論破するのが私の仕事でしょう?」


「そうですけど!」


「だったら――」


真意が最後の箱を見る。


「全部、戻す」


「……!」


真意の虫眼鏡が光る。


最後の箱が、


消えた。


舞台には何もない。


冥理が呆然とする。


「……」


真意が言った。


「終わりね」


「……」


「どうしたの?」


冥理は舞台を見た。


「……一つだけ」


「何?」


「箱が、戻ってきてません」


「え?」


真意が振り返る。


舞台中央。


確かに何もない。


「……」


冥理は笑った。


「私の手品なら、全部戻るはずなんですけどね」


「……」


「一つだけ」


彼は舞台の外を見る。


「どこかへ行っちゃいました」




その夜。


真意は探偵事務所に戻った。


机の上に、今日の記録を置く。


【公演記録 No.003】


演目:存在しない箱


真意はペンを取る。


「本物だったか」


そこまで書く。


止まる。


「……」


書けない。


代わりに、


「手品」


と書こうとする。


ペン先が止まる。


その瞬間。


紙の上に、


見覚えのない文字が浮かんだ。


«あなたが見ている限り、これは手品です。»


真意の手が止まる。


「……誰?」


返事はない。


彼女は虫眼鏡を紙に向けた。


タグを読む。


【文字】


【インク】


【記録】


【観測者:真意】


そして、


一番下。


【発生原因:不明】


真意は黙った。




同じ頃。


冥理の楽屋裏。


冥理は一人で箱を探していた。


「おかしいですねえ」


一つ。


二つ。


三つ。


ない。


「私が消した箱なのに」


さらに探す。


「どこへ行ったんでしょう?」


そして、


鏡の前で立ち止まる。


鏡には冥理が映っている。


当然だ。


冥理は笑う。


鏡の中の冥理も笑う。


「……」


冥理は右手を上げる。


鏡の中も上げる。


左手。


同じ。


帽子。


同じ。


冥理は小さく笑った。


「完璧ですね」


そして、


鏡から目を逸らした。


その瞬間。


鏡の中だけ、


冥理が消えた。


冥理本人は気づかない。


鏡の中に、


誰もいない。


数秒後。


冥理がもう一度鏡を見る。


そこには、


いつも通りの自分がいる。


「……?」


冥理は首を傾げた。


「今、何か――」


言葉が止まる。


鏡の端。


誰もいないはずの場所に、


小さな黒い箱が映っている。


冥理は振り返る。


何もない。


もう一度鏡を見る。


箱は、


まだある。


冥理は笑った。


「……なるほど」


彼は鏡に近づく。


そして箱を見つめる。


「明日の演目は、これにしましょう」


鏡の中の冥理が、


ほんの少し遅れて笑った。




【公演記録 No.003・追記】


«箱は一つ、戻ってこなかった。»


«冥理はまだ、それを探している。»


«しかし、箱を探している冥理を見ている者がいる。»


«その観測者は、真意ではない。»


記録はそこで途切れている。


最後のページの隅に、


小さな文字が一つだけあった。


«本物だったか:»


その後には、


まだ何も書かれていない。

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