第3話「見ている人がいるから、手品なんです」
【公演記録 No.003】
演目:存在しない箱
会場:ぱんでむ・劇場区画 第七舞台
観客:1名
使用トリック:RealityTrick
被害:なし
観客満足度:100%
本人の認識:手品
本物だったか:
__________
備考:
観客が視認している間、現象は正常に手品として成立した。
追記:
観客が視認していない瞬間については、記録がない。
「今日も見ているわ」
舞台袖で真意が言った。
「ありがとうございます!」
冥理は嬉しそうに帽子を脱いだ。
「本日も一名様限定公演へようこそ!」
「客じゃないわ」
「監査役様ですね」
「そう」
「では特等席へどうぞ」
「昨日と同じ席でいい」
「そこが一番よく見えるんですよ」
「だからそこにするの」
真意は昨日と同じ席に座った。
虫眼鏡を構える。
「今日は何をするの?」
冥理はステッキを肩に乗せた。
「簡単な手品です」
「信用できない」
「信用してください」
「無理」
「即答ですねえ」
冥理は笑った。
「では、今日はこちら」
指を鳴らす。
舞台中央に、
箱が一つ現れた。
黒い箱。
高さは一メートルほど。
装飾はない。
真意が眉をひそめる。
「いつ出したの?」
「今です」
「今?」
「はい」
「私は見ていた」
「ええ」
「なのに突然現れた」
「手品ですから」
真意は虫眼鏡を覗いた。
【物質】
【木製】
【黒塗装】
【舞台装置】
【重量:42kg】
「……普通の箱ね」
「普通ですとも」
「中身は?」
「空っぽです」
「確認するわ」
真意は立ち上がった。
箱へ近づく。
蓋を開ける。
中は空。
「本当に空ね」
「でしょう?」
「底は?」
「どうぞ」
底を叩く。
何もない。
側面。
何もない。
蓋。
何もない。
真意は箱を一周した。
「完全に空」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「では次へ」
冥理は箱の横に立った。
「この箱」
「ええ」
「今から消します」
真意は目を細めた。
「どうやって?」
「それを見破るのが真意さんのお仕事でしょう?」
「いい度胸ね」
「奇術師ですから」
冥理は両手を広げる。
「それでは」
ステッキを振る。
「ジャジャーン!」
箱が消えた。
真意は瞬きをしなかった。
「……」
箱がない。
床だけが残っている。
真意は虫眼鏡を覗く。
【床】
【木材】
【舞台】
【重量:180kg】
箱のタグがない。
「……消えた」
「はい」
「どこへ?」
「分かりません」
「またそれ?」
「はい」
真意は床を見る。
何もない。
天井。
何もない。
舞台袖。
何もない。
客席。
何もない。
「……」
真意はもう一度、虫眼鏡を覗いた。
すると。
床のタグの一番下に、
小さな文字が浮かんでいた。
【箱:観測外】
「……」
真意の目が細くなる。
「冥理」
「はい?」
「あなた、VanishingActを使った?」
「もちろん」
「対象を観測外へ消した?」
「その通りです」
「なら簡単ね」
真意は箱を探す。
「観測外にあるなら、位置情報を追えばいい」
「どうぞ」
真意は虫眼鏡を動かす。
空間。
舞台。
楽屋。
廊下。
倉庫。
厨房。
屋上。
地下。
何もない。
「……」
冥理は楽しそうに見ている。
「見つかりませんか?」
「まだよ」
真意はさらに深く覗く。
【観測外】
その文字の下に、
何かがある。
真意が焦点を合わせる。
一文字。
二文字。
三文字。
「……」
【観測者:真意】
真意の手が止まった。
「……何?」
冥理が首を傾げる。
「どうしました?」
「あなた」
「はい」
「箱のタグに、私の名前がある」
「おや」
「これはどういうこと?」
冥理は箱があった場所を見る。
「簡単ですよ」
「何が?」
「真意さんが見ているからです」
「……」
「箱は観測外にあります」
「ええ」
「でも、真意さんは見つけようとしている」
「当然でしょう」
「だから」
冥理は笑った。
「箱が、真意さんに合わせて存在しているんです」
「意味が分からない」
「私にも分かりません」
「……」
「でも、手品としては成立しています」
真意は眉をひそめた。
「あなたは今、何をしたの?」
「箱を消しました」
「それだけ?」
「それだけです」
「本当に?」
「はい」
真意は虫眼鏡を見る。
【観測者:真意】
その下に、
新しいタグが追加されていた。
【観測行為:箱を探している】
さらに下。
【対象:箱】
さらに下。
【状態:観測に応じて変化】
「……」
真意はゆっくり顔を上げた。
「冥理」
「はい?」
「これ、あなたの手品じゃない」
冥理は少し考えた。
「そうでしょうか?」
「あなたが操作しているタグがない」
「なるほど」
「因果の線もない」
「ふむふむ」
「あなたが何もしていない」
「……」
冥理は黙った。
真意が続ける。
「だからこれは――」
その瞬間。
冥理が指を鳴らした。
「ジャジャーン!」
箱が、
戻った。
真意の目の前。
「……」
箱がある。
真意は箱を見る。
【物質】
【木製】
【黒塗装】
【舞台装置】
【重量:42kg】
さっきまで存在しなかった。
「……今のは?」
冥理は得意げに笑った。
「手品です!」
「あなたが戻した?」
「もちろん!」
「どうやって?」
「企業秘密です!」
「……」
真意は箱を開けた。
空っぽ。
さっきと同じ。
「……」
冥理を見る。
「……何よ、これ」
「素敵でしょう?」
「説明して」
「手品です」
「それじゃ分からない」
「分からないから手品なんですよ」
「違う」
真意は箱を指差した。
「さっき消えた箱と、今の箱は別物よ」
冥理が瞬きをする。
「え?」
「タグが違う」
「……」
「さっきの箱には『観測者:真意』が付いていた」
「ほう」
「今の箱にはない」
冥理は箱を見る。
「……本当ですね」
その瞬間だけ。
冥理の笑顔が消えた。
ほんの一瞬。
「……」
真意は見逃さなかった。
「気づいた?」
冥理は笑顔に戻る。
「何にです?」
「今、あなたが驚いた」
「奇術師も驚くことくらいありますよ」
「何が起きたのか、あなたも分かってない」
「……」
冥理は箱の蓋を閉じた。
「では」
「話を逸らさないで」
「次の手品を」
「冥理」
「はい?」
「あなた自身が、今の現象を説明できないんでしょう?」
冥理はしばらく真意を見た。
そして、
「……」
小さく笑った。
「それなら」
「何?」
「もっと面白くなってきましたね!」
「……」
「ジャジャーン!」
冥理がステッキを振る。
舞台中央に、
もう一つ箱が現れた。
「ちょっと!」
「二つ目の箱です!」
「増やすな!」
「では!」
三つ。
四つ。
五つ。
十個。
二十個。
舞台が箱で埋まっていく。
「冥理!」
「ジャジャーン!」
さらに増える。
「やめなさい!」
「まだまだ!」
「舞台が埋まる!」
「奇術ですから!」
「ただの物量じゃない!」
「それも奇術です!」
真意は頭を抱えた。
「……もう!」
虫眼鏡を構える。
「タネも仕掛けもあります!」
冥理が固まった。
「むー!」
「一つずつ消すわよ」
「えっ」
「まずこれ」
真意が一つ目の箱を見る。
タグを読む。
原因。
構造。
配置。
因果。
「はい」
箱が消える。
二つ目。
「はい」
消える。
三つ目。
「はい」
消える。
冥理が焦る。
「ちょっと待ってください!」
「何?」
「私の手品を!」
「論破するのが私の仕事でしょう?」
「そうですけど!」
「だったら――」
真意が最後の箱を見る。
「全部、戻す」
「……!」
真意の虫眼鏡が光る。
最後の箱が、
消えた。
舞台には何もない。
冥理が呆然とする。
「……」
真意が言った。
「終わりね」
「……」
「どうしたの?」
冥理は舞台を見た。
「……一つだけ」
「何?」
「箱が、戻ってきてません」
「え?」
真意が振り返る。
舞台中央。
確かに何もない。
「……」
冥理は笑った。
「私の手品なら、全部戻るはずなんですけどね」
「……」
「一つだけ」
彼は舞台の外を見る。
「どこかへ行っちゃいました」
その夜。
真意は探偵事務所に戻った。
机の上に、今日の記録を置く。
【公演記録 No.003】
演目:存在しない箱
真意はペンを取る。
「本物だったか」
そこまで書く。
止まる。
「……」
書けない。
代わりに、
「手品」
と書こうとする。
ペン先が止まる。
その瞬間。
紙の上に、
見覚えのない文字が浮かんだ。
«あなたが見ている限り、これは手品です。»
真意の手が止まる。
「……誰?」
返事はない。
彼女は虫眼鏡を紙に向けた。
タグを読む。
【文字】
【インク】
【記録】
【観測者:真意】
そして、
一番下。
【発生原因:不明】
真意は黙った。
同じ頃。
冥理の楽屋裏。
冥理は一人で箱を探していた。
「おかしいですねえ」
一つ。
二つ。
三つ。
ない。
「私が消した箱なのに」
さらに探す。
「どこへ行ったんでしょう?」
そして、
鏡の前で立ち止まる。
鏡には冥理が映っている。
当然だ。
冥理は笑う。
鏡の中の冥理も笑う。
「……」
冥理は右手を上げる。
鏡の中も上げる。
左手。
同じ。
帽子。
同じ。
冥理は小さく笑った。
「完璧ですね」
そして、
鏡から目を逸らした。
その瞬間。
鏡の中だけ、
冥理が消えた。
冥理本人は気づかない。
鏡の中に、
誰もいない。
数秒後。
冥理がもう一度鏡を見る。
そこには、
いつも通りの自分がいる。
「……?」
冥理は首を傾げた。
「今、何か――」
言葉が止まる。
鏡の端。
誰もいないはずの場所に、
小さな黒い箱が映っている。
冥理は振り返る。
何もない。
もう一度鏡を見る。
箱は、
まだある。
冥理は笑った。
「……なるほど」
彼は鏡に近づく。
そして箱を見つめる。
「明日の演目は、これにしましょう」
鏡の中の冥理が、
ほんの少し遅れて笑った。
【公演記録 No.003・追記】
«箱は一つ、戻ってこなかった。»
«冥理はまだ、それを探している。»
«しかし、箱を探している冥理を見ている者がいる。»
«その観測者は、真意ではない。»
記録はそこで途切れている。
最後のページの隅に、
小さな文字が一つだけあった。
«本物だったか:»
その後には、
まだ何も書かれていない。




