第2話「見ていてください」
【公演記録 No.002】
演目:見ている間に消えるもの
会場:ぱんでむ・劇場区画 第七舞台
観客:1名
使用トリック:RealityTrick
被害:なし
観客満足度:測定不能
本人の認識:手品
本物だったか:
__________
備考:
今回は観客が一人しかいないため、誤認の可能性は低い。
追記:
それでも記録上、三秒間の空白が存在する。
「というわけで」
舞台袖。
冥理は腕を組んでいた。
「本日は特別公演です!」
拍手。
……は、ない。
観客は一人。
真意だけだった。
「拍手くらいしてくれてもいいじゃないですか」
「嫌よ」
「即答!」
真意は舞台中央の椅子に座っている。
右手には虫眼鏡。
左手にはノート。
その顔は完全に、
今日は絶対に騙されない。
という顔だった。
「昨日の件」
真意が言った。
「説明してもらうわ」
「昨日?」
「ブラックバーガー」
冥理が少し考える。
「……ああ」
「あれ、本当にあなたが仕込んだの?」
「もちろんです」
「どこに?」
「企業秘密です」
「つまり分からないのね」
「違います」
冥理は胸を張った。
「分かっています」
「なら言いなさい」
「企業秘密です」
「同じじゃない」
冥理は楽しそうに笑った。
「真意さん」
「何?」
「今日は、もっと簡単な手品にしましょう」
冥理が指を鳴らす。
舞台中央に、
白いコップが一つ現れた。
「これを見ていてください」
「見ているわ」
「目を逸らさないでください」
「分かったわ」
「瞬きも禁止です」
「それは無理」
「では片目だけで」
「嫌」
「厳しいお客様ですねえ」
冥理は笑いながらコップを持ち上げた。
「このコップ」
空っぽ。
「中には何もありません」
真意が虫眼鏡を向ける。
「確かに空ね」
「では」
冥理はコップをテーブルに置いた。
「私が今から、あなたの目の前で何かを入れます」
「どうぞ」
冥理は両手を広げる。
右手。
何もない。
左手。
何もない。
袖。
何もない。
帽子。
何もない。
「どこにもありません」
「ええ」
「それでは」
冥理はコップを指差した。
「ジャジャーン!」
コップの中に、
一枚のトランプが入っていた。
真意は即座に立ち上がった。
「……」
コップを見る。
冥理を見る。
もう一度コップを見る。
「いつ入れたの?」
「さあ?」
「あなた、ずっと私の正面にいたわよね」
「いました」
「両手も見えていた」
「もちろん」
「袖にも何もない」
「ええ」
「帽子にも」
「はい」
真意は眉をひそめる。
「……じゃあ、どこから?」
冥理はニッコリ笑った。
「手品です」
「それは説明になっていないわ」
「手品ですから」
「タネは?」
「ございます」
「仕掛けは?」
「ございます」
「どこ?」
「企業秘密です」
真意の眉間に皺が寄った。
「……」
「……」
「……」
冥理が耐えきれず笑う。
「ふふっ」
「笑わないで」
「いやあ、真意さんが真剣なので」
「当然でしょう」
真意は席へ戻った。
「もう一度」
「おや?」
「今度は私が監視する」
「今も監視していたでしょう?」
「今度は違う」
真意が虫眼鏡を掲げる。
「MetadataVisionを使うわ」
冥理が目を輝かせた。
「おお!」
「現実に付与されているタグを見る」
「それは楽しみですね」
「あなたが何をしたのか、全部分かる」
「では」
冥理は舞台中央へ歩く。
「ご覧に入れましょう」
二回目。
三回目。
四回目。
五回目。
全部同じだった。
空のコップ。
冥理の両手。
袖。
帽子。
そして、
「ジャジャーン!」
トランプ。
毎回、真意は見ていた。
それでも、
どこから出したのか分からない。
「……」
「どうです?」
「……」
「真意さん?」
「黙って」
真意は虫眼鏡を覗き込んだ。
世界のタグが見える。
コップ。
【物質】
【透明】
【舞台小道具】
【冥理所有物】
トランプ。
【紙】
【演出用】
【54枚組】
冥理。
【冥理】
【出演者】
【外商クルー】
【奇術師】
【観測対象】
「……」
そこまでは普通だった。
真意はさらに深く覗く。
タグの奥。
因果。
結果。
原因。
「……おかしい」
冥理が笑う。
「何がでしょう?」
「トランプが出現した原因がない」
「それは困りましたね」
「困っているようには見えないけど」
「奇術師ですから」
真意はもう一度見る。
原因がない。
正確には、
原因を示すタグだけが空欄になっている。
「……」
真意は顔を上げた。
「冥理」
「はい?」
「今のは何?」
「手品です」
「本当に?」
「ええ」
即答だった。
真意は黙った。
そして、
「分かったわ」
立ち上がる。
「今日はあなたをずっと見ている」
「ずっと?」
「舞台を降りても」
「まあ」
冥理は嬉しそうに笑った。
「ストーカー宣言ですか?」
「監査よ」
「似たようなものでは?」
「違う」
「そうですか」
冥理は帽子を被る。
「では、ご自由に」
それから一時間。
冥理は楽屋へ戻った。
真意もついてきた。
冥理が水を飲む。
真意が見る。
冥理が椅子に座る。
真意が見る。
冥理が靴を脱ぐ。
真意が見る。
冥理が帽子を棚に置く。
真意が見る。
「……」
「……」
「真意さん」
「何?」
「ずっと見られていると、なんだか照れますね」
「黙って」
「はい」
冥理は笑う。
しばらく何も起こらなかった。
やがて、
冥理が立ち上がる。
「お茶でも淹れましょうか」
「いらない」
「では私だけ」
「勝手にして」
冥理は部屋の奥へ歩く。
その瞬間。
真意の視界に、
一瞬だけ、
白いノイズが走った。
「……?」
一秒。
本当に一秒にも満たない。
冥理が消えた。
真意は目を見開いた。
「……冥理?」
返事がない。
部屋を見る。
誰もいない。
ドアは閉まっている。
窓も閉まっている。
「……」
真意は立ち上がった。
「冥理?」
次の瞬間。
「はーい」
背後から声。
「!?」
振り返る。
冥理がいた。
手には二つのカップ。
「お茶ですよ」
「……」
「どうしました?」
真意は冥理を睨む。
「今」
「はい」
「あなた、消えた?」
冥理が首を傾げる。
「私が?」
「ええ」
「どこから?」
「……」
真意は言葉を失った。
冥理は笑っている。
「私、ずっとここにいましたよ?」
「……嘘」
「本当です」
「私は見ていた」
「でしょうね」
「だから分かる」
真意は虫眼鏡を構えた。
「あなたは一瞬、観測から消えた」
冥理は、
「へえ」
と楽しそうに言った。
「それは面白いですね」
「面白いじゃない」
「では」
冥理はカップを差し出した。
「証拠は?」
「……」
真意は止まった。
証拠。
ない。
映像。
ない。
記録。
ない。
自分の記憶だけ。
「……私が見ていた」
「はい」
「それが証拠よ」
「なるほど」
冥理は少し考えた。
「では、私が見ていなかったことを証明するには?」
「……」
「どうします?」
真意は答えられなかった。
冥理は笑う。
「面白い問題ですね」
「あなた……」
「はい?」
「本当に、何もしていないの?」
冥理は少しだけ考えた。
そして、
いつものように言った。
「もちろんです」
「手品でしょう?」
「ええ」
「なら、何をしたの?」
「……」
冥理が止まる。
ほんの一瞬。
その表情から笑みが消えた。
「……分かりません」
真意が目を細める。
「今、何て?」
冥理は笑顔に戻った。
「手品です」
「質問に答えて」
「手品ですよ」
「冥理」
「……」
二人の間に沈黙が落ちた。
やがて冥理は、
「今日はここまでにしましょう」
と帽子を取った。
「また明日」
「待って」
「はい?」
「明日も見るわ」
冥理は嬉しそうに笑った。
「どうぞ」
その夜。
誰もいない劇場。
舞台中央。
一枚のトランプが置かれている。
昨日のものとは違う。
表には、
ジョーカー。
裏には、
何も書かれていない。
ただし、
そのカードの横には、
いつの間にか一枚の紙が置かれていた。
【公演記録 No.002】
演目:見ている間に消えるもの
観客:1名
使用トリック:RealityTrick
被害:なし
本人の認識:手品
本物だったか:
__________
その下に、
昨日と同じ筆跡で追記がある。
«真意は、冥理を見ていた。»
一行空いている。
さらに下。
«冥理も、それを知っていた。»
もう一行。
«それでも三秒間、記録が存在しない。»
そして最後に。
昨日まで存在しなかった一文。
«三秒間、冥理を見ていたのは誰だったのか。»
劇場の照明が、
誰にも触れられていないのに、
一つだけ点いた。
舞台には誰もいない。
なのに、
客席から拍手が一度だけ聞こえた。
パチン。
そして消えた。




