第1話「タネも仕掛けもございます」
【公演記録 No.001】
演目:消えるバーガー
会場:ぱんでむ・劇場区画 第七舞台
観客:12名
使用トリック:RealityTrick / VanishingAct
被害:なし
観客満足度:98%
本人の認識:手品
本物だったか:
__________
備考:
本人の認識には信頼性がありません。
ぱんでむには、劇場がある。
誰が作ったのかは、誰も知らない。
少なくとも建築記録には存在しない。
それでも毎週、決まった時間になると扉が現れる。
黒い両開きの扉。
金色の取っ手。
扉の上には、いつからかこんな看板が掛かっていた。
劇場
その下に、小さな文字。
本日の奇跡には保証がありません。
そして今夜。
舞台の上には一人の男が立っていた。
黒と茶を基調にした礼装。
シルクハット。
白い手袋。
片手にはステッキ。
観客席を見渡し、彼は恭しく頭を下げる。
「皆様、ご来場ありがとうございます」
スポットライトが彼だけを照らす。
「今夜、皆様にお届けいたしますのは、誰でも知っている古典的な奇術」
彼はステッキを軽く振った。
「消失です」
拍手。
「ただし」
ニヤリ。
「ぱんでむですからね」
もう一度ステッキを振る。
「消えるのは、物体だけとは限りません」
客席の一人が、
「怖っ」
と呟いた。
冥理は嬉しそうに笑った。
「ご安心ください」
帽子を脱ぐ。
「本日は人体消失はございません」
少し間。
「たぶん」
客席から笑い声。
「では!」
冥理が指を鳴らす。
舞台中央のテーブルに、一つのバーガーが現れた。
紙袋から取り出したばかりのように湯気が立っている。
黒いバンズ。
黒いソース。
黒いチーズ。
ぱんでむ特製。
ブラックバーガー。
冥理はそれを両手で持ち上げる。
「こちらをご覧ください」
客席に向ける。
「本日の主役です」
「バーガーが?」
「ええ」
真顔。
「私より人気がありますので」
笑い。
「……少々、複雑ですね」
冥理はバーガーをテーブルへ戻した。
「さて」
ポケットから赤い布を取り出す。
バーガーに被せる。
「タネも仕掛けもございません」
客席の後ろから声が飛ぶ。
「大嘘!」
冥理は即座に振り返った。
「失礼ですね!」
犯人は真意だった。
客席の隅。
腕を組み、虫眼鏡を片手にしている。
「タネも仕掛けもあります」
真意は断言した。
「少なくとも、その布には仕掛けがあるわ」
冥理は胸に手を当てる。
「おやおや。公演中のネタばらしは禁止ですよ、真意さん」
「あなたの手品を論破するのが私の日課なの」
「困ったお客様ですねえ」
「従業員よ」
「もっと困りました」
客席から笑いが起きる。
真意はため息をついた。
「今日こそ見破るわ」
「どうぞどうぞ」
冥理は楽しそうに笑った。
「では、始めましょう」
赤い布の端をつまむ。
「皆様」
一拍。
「三つ数えてください」
「いち」
「に」
「さん!」
布を取る。
バーガーは、
消えていた。
「おおおお!」
拍手。
冥理は深々と一礼した。
「ジャジャーン!」
客席から歓声。
真意だけが動かない。
「……ふうん」
冥理が眉を上げる。
「おや。驚いていただけませんか?」
「驚く必要がないもの」
真意は虫眼鏡を上げる。
「テーブルの下」
誰かが、
「え?」
と声を漏らした。
真意が指を向ける。
「そこにあるわ」
冥理が笑った。
「正解です」
テーブルの下から、バーガーが出てくる。
客席から拍手。
「なんだ、やっぱりそこか!」
「古典的ね」
真意は淡々と言った。
「布を被せた瞬間に、テーブルの下へ移動させた」
「素晴らしい」
冥理が拍手する。
「では次に参りましょう」
「まだあるの?」
「もちろんです」
冥理はバーガーを持ち上げる。
「今度は、こちら」
バーガーを左手へ。
右手には何もない。
「右手に何もありません」
開く。
何もない。
「左手にバーガーがあります」
開く。
何もない。
客席がざわめく。
「消えましたね」
冥理は平然としている。
「どこへ行ったのでしょう」
真意が即答した。
「袖」
冥理が止まった。
「……」
真意が笑う。
「そこにある」
冥理は袖を見る。
「……」
真意を見る。
「……」
観客を見る。
そして、
「正解!」
袖からバーガーを取り出した。
爆笑。
「なんでよ!」
真意が初めて声を荒げた。
「あなた、今のは普通に私の袖へ投げたでしょう!」
「奇術とは、観客の注意を誘導する芸術です」
「投げただけじゃない!」
「それも立派な演出です」
「屁理屈よ!」
「奇術師にとっては誉め言葉です」
冥理は楽しそうだった。
舞台の上で、何一つ困っていない。
彼にとっては、
見破られることも、
見破られないことも、
どちらもショーの一部らしい。
そして最後の演目。
冥理はバーガーをテーブルの中央へ置いた。
「では」
客席が静かになる。
「本日最後の消失です」
赤い布。
今度は何も言わずに被せる。
真意が目を細める。
冥理が、
「皆様」
と言った。
「今度は、どこに消えると思いますか?」
客席から、
「テーブルの下!」
「袖!」
「帽子!」
好き勝手な声が飛ぶ。
冥理は笑った。
「正解は――」
指を鳴らす。
照明が消えた。
一秒。
二秒。
三秒。
照明が戻る。
バーガーは、
消えていた。
観客が歓声を上げる。
冥理は帽子を脱いだ。
「ありがとうございました」
拍手。
真意は立ち上がらない。
虫眼鏡を構える。
「……」
舞台を見る。
テーブル。
床。
袖。
帽子。
客席。
異常なし。
「……?」
冥理が近づいてくる。
「いかがでした?」
「まだ終わってない」
「おや?」
真意は舞台を見回した。
「どこにもない」
「そうでしょうとも」
「あなた、どこへやったの?」
「さあ」
「さあ?」
「私にも分かりません」
真意が止まる。
冥理は笑っている。
いつもの笑顔。
「……冗談?」
「もちろん」
冥理は胸を張った。
「タネも仕掛けもございます」
「なら言ってみなさい」
「企業秘密です」
「……」
「そんな顔をしないでください」
冥理は肩をすくめた。
「次回までのお楽しみ、ということで」
公演終了。
観客が帰る。
照明が落ちる。
舞台裏。
冥理は一人で片付けをしていた。
テーブルを畳む。
椅子を片付ける。
赤い布をたたむ。
シルクハットを棚へ置く。
「さて」
彼は小さく呟いた。
「バーガーはどこへ行ったんでしょうね」
当然、冥理は知っている。
……はずだった。
袖の中にはない。
テーブルの下にもない。
舞台装置の内部にもない。
消失扉の向こうにもない。
冥理は少しだけ首を傾げた。
「おかしいですねえ」
彼は笑った。
「私、何か忘れましたか?」
その時。
舞台中央から、
コトン
と音がした。
冥理が振り返る。
誰もいない。
さっきまで何もなかったテーブルの上。
そこに、
一つのブラックバーガーが置かれていた。
「……」
冥理は近づく。
バーガーを見る。
触る。
温かい。
出来立てだった。
冥理は周囲を見回した。
「……どなたです?」
返事はない。
彼はバーガーを持ち上げる。
裏返す。
何もない。
包装紙を見る。
何もない。
匂いを嗅ぐ。
いつものブラックバーガー。
冥理はしばらく考えた。
そして、
「なるほど」
と笑った。
「私の演出ですね」
そう言って、
バーガーを舞台袖へ持っていく。
照明を消す。
劇場が暗闇に沈む。
翌朝。
誰もいない劇場。
昨日の公演記録が一枚、机の上に置かれていた。
誰が書いたのかは、
まだ誰も知らない。
その記録には、
こう書かれていた。
【公演記録 No.001】
演目:消えるバーガー
会場:ぱんでむ・劇場区画 第七舞台
観客:12名
使用トリック:RealityTrick / VanishingAct
被害:なし
観客満足度:98%
本人の認識:手品
本物だったか:
__________
備考:
本人の認識には信頼性がありません。
そして、その下。
昨日は存在しなかったはずの一行が、
黒いインクで書き加えられていた。
«バーガーは、冥理が見ていない間に舞台へ戻った。»
さらにその下。
もう一行。
«冥理は、それを見ていない。»
記録はそこで終わっている。
劇場には、
誰もいない。
……はずだった。
舞台中央。
昨日と同じ場所に、
ブラックバーガーが一つ。
置かれている。
まだ温かい。




