透ける町
ひどい猛暑だった。
特にこの辺りは日照時間が長く、一日の三分の二は昼間といった有り様で、僅かな夜の時間に屋外で休んでも、熱が冷めきる前に次の朝が始まってしまう。それに夜だって涼しくはないのだ。
町だ。早く町を見つけなければ干物になってしまう。前の町を出てからもう十日は経った。いい加減、小屋の一つでもお目にかかれば良いのだが。
脱いだ上着を肩に掛けながらヘロヘロ歩いていると、遠くの方でキラリと、何かが光って見えた。直感で理解した。あれはガラスに陽光が反射したものだ。つまり窓があり、家があるということだ!
半ば強引な仮説を立てながら、私は急ぎ足で光が見えた場所へ向かった。最悪見たものが窓ガラスでなくとも、沢か湖の可能性もあるため、ちょっとした休憩は出来るだろうという保険も立てながら。
結果として、私が見たものはガラスに相違なく、そこには家もあったし、家々が立ち並ぶ、待ち望んでいた町の姿もあった。
だが町の様相は、私が予想したものと大きく掛け離れていた。
その町は、壁も、屋根も、あらゆる建物の全てが、ガラスのように透けていたのだ。
いや、建物だけではない。建物の中の家具や電化製品、棚に置かれた雑貨や観葉植物にいたるまで、あらゆるものが透けて見える。外の塀や電柱もそうだ。道路も透き通り、水道管や下水道管等が下を通っているのさえ見える。
私は目眩を覚えた。この光景は、暑さによって生じた蜃気楼だろうか? あるいは広大な芸術作品か? 人工的な冷房で涼もうという目的も忘れ、私は町の入り口で呆然と立ち尽くした。
その時、一番近くの建物の扉が開き、中から一人の若い女性が出てきた。私はそれを見て仰天した。何故なら、彼女がその家から出てくる前に、室内に彼女の姿は見えていなかったからだ。
だがその理由もすぐに明らかになった。彼女は、その人の姿は、町のあらゆるものと同じように透けていたのだから。家の壁の透過率と、彼女の透過率が同じだった為に、透明な背景に透明な彼女が溶け込んでいたのだ。
「旅人さんですか?」
優しい笑みを浮かべながら彼女は話し掛けてきた。その笑顔の後ろの景色がわずかに透けて見える。彼女は自分を「ツムリ」と名乗った。それが名か姓かは分からないが、ひとまず私も名乗り返した。
「今日は暑いでしょう。私の家で良ければ、休んで行きませんか?」
謎は深まるばかりであったが、心身共に疲れた私に断る理由は無かった。
外から既に確認していたことだが、ツムリの家は特におかしな点はないごく普通の内装をしていた。すべてが透けて見えるという点以外では。
部屋と部屋を仕切る壁も、二階を隔てる天井すらも透けているため、リビングでソファーに座りながら、家の中のすべての部屋の様子を確認できてしまう。キッチンでお茶を用意してくれているツムリの姿も、その横の冷蔵庫の中身すらも丸見えだ。そもそも外界を隔てるための壁が透けて家の中が見えてしまうのだから、これではプライバシーも何もないではないか。
だが、先程外からツムリの姿を確認できなかったように、家の中から外を歩く人の姿は一人も確認できず、さらに内装が丸分かりである隣家の中にも、人の姿は認められない。ツムリだけではなく、この町の住人は皆透明で、建物の中に溶け込む見た目をしているのだろう。そうやってギリギリ個の生活を保っている。なんとも不思議な町だ。
「あなたはどちらから来られたのですか?」
そう言ってツムリが透けたテーブルの上に、透けたマグカップを置いた。カップの中には透けた紅茶が満たされている。それは普通か。私は一口紅茶を啜り「東の方からです」と答えた。
「あ、いや、方角じゃなく……ご出身地は?」
「ありません」苦笑しながら二口目を啜る。「ここからずっと東方から、もう何年も旅を続けています。家も無いし、家族もいないんです」
「……そう、ですか」
そう言ってツムリは自分のカップを口にした。
「では、私と一緒ですね」
ツムリのその返答は予想外のもので、私は目を丸くした。
「この町の方ではないのですか?」
「この町の者ですよ。なったのは五年前ですが」
「五年……しかし、その……」
「この透明な身体のことですか」
考えていることを見透かされ私はドキッとした。ツムリは特に怒った様子もなく、柔らかく微笑みながら話を続ける。
「私も五年前は、あなたと同じように透けていない、普通の身体をしていました。しかしこの町で暮らして時間が経つ内に、段々と身体が透けてきたのです」
「段々と……」
私は草むらに生息する昆虫を思い出した。これらの虫は、緑色の新鮮な草が生えているところでは緑の体色をしていて、草が枯れて地面がむき出しになっているところでは茶色の体色をしている。鳥などの天敵から身を隠すため、その場所で暮らしていく内に身体が風景に溶け込むように順応するのだ。ツムリの透明な身体も、この透明な町に順応した結果なのだろうか。
「この町に昔から住む人ほど、透過率は高くなります」
ツムリが窓の方に顔を向けた。私もそちらに視線を移す。
窓の外、家の前の通りには誰も見えない。足音さえも聞こえない。
だがそれは、私の目に見えていないだけで、今この瞬間も何十人からなる透明な人々が、家の前を横切っているのだろうか。あるいは、窓の外に張り付いて、こちらの様子を伺っているのだろうか。
ツムリには、それらの一切が見えているのだろうか。
「限界まで透明になった人は、どうなるのですか?」
「……この町に暮らす人達は、誰もがここで生まれ育った者ではありません」
それが私の質問に対する答えなのか、ツムリはまたカップを口にし、机に置いた。
「みんな、どこからか旅をしてきて、最終的にここに辿り着いた人達。全員帰る故郷は無く、家族も居ない、一人ぼっちの人達。……いずれ一人でこの世界から消えていく人達」
彼女の透き通った瞳が、私を捉えた。
「……鈴橋さん、あなたも」
彼女の透き通った声が、私の名を呼んだ。
「この町で……私と過ごしませんか」
私は、透けた町の透けた道路を歩いている。
ある程度の時間が過ぎ、先程までの猛暑も少しは落ち着いたような気がする。
目が慣れてきたのか、それとも私もいくらか「順応」したのか、通りを歩く住人の姿を幾人か認めるようになった。透明なマンションのベランダで、透明な布団を干している透明な住人の姿も見える。持っている布団叩きも見事に透明で、少し笑ってしまった。
この町の人々は皆、「静かな」表情をしている。
それは他人を迎える優しさや温かみとは違う、ただ、この場所で時間が「過ぎる」ことを受け入れて生きる、ある種の孤独を抱えた顔である。
この町で時を過ごす程、身体は透けていく。
全ての時間を過ごした時、その人はどこへ行くのだろう。
私はツムリの提案を辞退した。それも「今はやめときます」というなんとも不透明な理由だ。「今はですか」とツムリは静かに笑い、無理に引き留めることもなかった。
私はただ先へ先へと旅を続ける者だ。再びこの地に戻ってくることがあるかは分からないが、たとえその時が来たとしても、ツムリの顔を見ることは二度とないだろう。きっと彼女は、それまでに時を過ごし切ってしまうのだから。
私はこの静かな町を後にした。町に入る時よりも、見た目には分からないくらい透けた身体を動かして。




