磨かれる町
その町に行くのは今回が初めてではなかった。
先の町を探訪中、泊まったホテルのオーナーと親しくなり「別の町に居る友人に荷物を届けられるか」と頼み込まれた。その町には覚えがあり、ちょうど進行方向の途中にあったため、私は軽い気持ちでそれを引き受けた。
以前その町に来たのは五年前だったろうか。着いて早々財布をスられるわ、ホテル代をボられるわ、酔っ払いに絡まれて殴られそうになるわと、正直言ってろくな思い出がない。
しかし私は、どちらかと言うとその町が嫌いではなかった。治安が良いとは言い難いが、景観にも人の性格に昔の雰囲気が残っており、町独特の法というか、文化というか、しがらみのようなものが無く、上手くは言えないが、そこは数少ない「町としての町」なのだ。
電車に揺られること数時間。そろそろあの懐かしい町並みが見えてくる頃だ。私は自分の故郷に帰ってきたような心持ちで、窓の外に顔を向けた。
窓から見えたその町は、私の知るそれとまるで違っていた。
四角く武骨な形をしていた建築物は、いずれも角が削れたように丸くなり、壁面がピカピカと光を反射している。
建物だけではない。道も、標識も、街路樹や庭先の植木まで丸く削られ、その表面に光沢を持っている。
まるで、紙ヤスリによってなにもかもが研磨されたような、そんな光景だ。
乗る電車を間違えて別の町に来てしまったのかとも考えたが、町に立つ建物の配置には覚えがあり、周りの風景も記憶のものと大きな違いはなく、否応なしにここがかつて訪れた町だということを思い知らされる。
それ故余計に、かつて知る町に起こった劇的な変化に、私は戸惑うばかりだった。
電車から降りる。駅のホームも、改札口も、駅舎も、全てが丸くてピカピカしている。だが全てが見覚えもあり、まるで私の記憶そのものにヤスリを掛けられたような、そんな感覚に襲われる。
こんなことで届け物のミッションをこなせるのだろうかと不安に思いつつ、駅の外へ一歩踏み出した。
一切の抵抗もなく足が滑り、私は後ろ向きにすってんと転んでしまった。町の道はピカピカの光沢を放っているが、見た目以上にその表面からは摩擦が失われており、ここ歩くには湿った氷の上を進むくらいの難易度があるようだ。
幸い頭は打たなかったが、これでは立ち上がることもままならない。どうしたものかと考えていると、私の目の前に何か細い、光沢のあるものが差し出された。一瞬それはフォークのように見えたが、フォークにしては厚みがあり、先端が五本に枝分かれしている。
これは、手だ。
そうだと分かった瞬間、私は顔を上げた。そこには、全身が丸く削られ、光沢のある人が居た。まるで、ボウリングのピンから細長い手足が生えているような姿だった。
私は思わず逃げ出しそうになったが、氷の上をもがくように足も手もツルンツルン滑って、全身を地面に打ち付けるという無様な結果に終わった。そんな私を見て、ボウリングのピンが口を開いた。
「鈴橋さん落ち着いて! 僕です! ジョウリーです!」
彼が私の名を呼んだのも驚いたが、彼の名前には覚えがあった。彼の顔をもっとよく見ると、ボウリングのピンの輪郭を除けば、それはかつてよく知る顔であった。
「ジョウリー? 本当にキミか!」
「お久し振りです! 鈴橋さんはお変わりないようで」
ジョウリーは私の手を取って、私を慎重に立ち上がらせた。彼の手もツルツルしているが、何か特殊な掴み方があるのかもしれない。
「……キミは随分様変わりしたようだが」
「はは……まあ、とりあえず簡単に歩きながら説明しましょう」
ジョウリーは五年前にこの町を案内してくれたガイドだった。
財布をスられた私に金を貸してくれたり、警察を手配してくれたり、安全な場所を案内してくれたりと、彼には何かと世話になったものだ。
先程ジョウリーは「簡単に」と言ったが、その町のツルツルした道を歩くには難儀した。氷や雪の上を歩くように、真上から押し付けるような特殊な歩行をしなければならない。
町の中の景色もやはり見覚えがあるものの、その全てのものが研磨されていた。それは人工物に限らず、町を歩く住人たちは皆、ジョウリーのようなボウリングのピンみたいにツルツルした見た目になっている。
「……角無法?」
私の言葉にジョウリーが頷き、説明の続きを話した。
「つまり、トラブルのきっかけになる『角ばったもの』をすべて無くしてしまおうというわけです。凶器の刃物でも、建物の角でも、ザラザラした床や壁でも。
二年くらい前になりますか。この町は不正行為や犯罪行為が横行し、駐在している警察官でも手に負えなくなったんです。そこで町の有力者たちで意見を集め、トラブルの元になるものを少しづつ廃していくことになりました」
ジョウリーが手を挙げると、表面が鏡のようにピカピカの車のような乗り物が音もなくやって来て、目の前で止まった。私たちはそれに乗り込み、ジョウリーが運転手に目的地を告げる。
「最初は凶器を回収する程度でしたが……人は有る物で無い物を補うものです」動き出した車の中でジョウリーが続ける。「刃物が無ければと、犯罪者たちは角材で殴りつけたり、建物の角に身体をぶつけたりして、暴力行為に及びました。なら建物で怪我をしないように角を削り、表面をツルツルにすると、今度は己の拳や爪を攻撃手段にしました。となると……」
「人の身体も研磨するようになった、と」
ジョウリーが満足そうに頷いた。車が音もなく交差点を曲がる。地面との摩擦が少ないせいか、結構な速度が出ている。
「身体までツルツルになってしまえば、最早攻撃手段は無くなります。僕たちは『角無法』を施行し、町の人全員の身体をツルツルにしました。おかげでここ数年、ここでは犯罪行為らしいことは何も起きておりません」
「だが…………」
そこまで言って、私は次に出る言葉を飲み込んだ。
彼らは法を厳しくすることでこの町の安寧を果たした。彼らがそれを望んだのだから、今更余所者の私が口を出すことなど何も無い。
この町はそういうしがらみが無いから好きだった、なんて言葉は、私の自分勝手な感傷過ぎないのだ。
車がまた音もなく止まり、ジョウリーが扉を開ける。目的地に着いたようだ。
「僕は仕事があるため戻らなくてなりませんが……一人で大丈夫ですか?」
「ああ。今回も色々ありがとう」
私が車から降りるとジョウリーが窓越しに微笑み、そのまま車は走り去って行った。
私は目の前の建物を見上げる。大きな球体が三つ縦積みになった、まるで団子のような形のマンションだ。
エレベーターに乗り込み二階へと向かう。この特殊な歩き方にも慣れたとはいえ、さすがに階段を上る度胸はない。
二階のある部屋へ。丸い形の玄関の横のチャイムを押す。
「お上がり、鍵は開いてるよ」
中から返事があり、私は躊躇いながらもドアノブを掴む。何の抵抗もなく回り、私は部屋の中に入った。
「お邪魔します。……随分無用心ですが」
「一人暮らしの老人の家を襲う手合いはもう居ないさ、この町には」
コツ、コツと杖をつく音が聴こえると、部屋の奥から高齢の女性が歩いてきた。
私はその姿を見て目を丸くしてしまった。
彼女の姿は普通そのもので、ジョウリーたちのようにツルツルはしてなかったからだ。
「……なんてことを考えてるだろう?」
女性にそう言われ、私はウッと息を飲み込んだ。女性はカカカと笑って、近くの椅子に腰掛けた。
「安全な施術だか手術だか知らんがね、怪我も病気もしてないのに、身体を弄る気は起きんよ私は。他の連中がやる分には口を出さんがね」
女性がスッと手を前に出す。私は一瞬固まったが、ハッとして鞄の中から小包を取り出し、女性に手渡した。
「どう思った?」
女性がそんなことを言ったもので、私は「は?」と気の抜けた返事をしてしまった。
「あんた『町長』とは顔見知りなんだろう? 五年前と今とで、あいつはどう変わっていた?」
「…………まず、五年前は町長ではなくガイドでしたが」
女性の質問の意図は分からなかったが、私は率直な気持ちを話すことにした。
「それ以外は……特に変わりありません。喋り方も性格も、昔のまんまでした」
「そうだろうさ。身体をツルツルにしたところで、人はそう変わらない」
女性が小包の封を解いていく。
「私たちが変わったのだとしたら、そのタイミングは角無法を『認可した時』さ。安全のために身体を削ることを認めた奴らが、犯罪をしようと思うか? 身体を磨く必要なんかない。法が出来た事実が、私たちの精神がピカピカに磨かれた結果なのさ」
女性の言葉は真に迫っているようであり、ただの屁理屈のようにも思えた。ただ一つ分かるのは、もうこの町が私の知る町に戻ることはないだろう、ということだ。
ため息を吐く私を他所に、小包を開けた女性が苦い顔をした。
「……他所の町に越した馬鹿も、少しは変わって欲しいもんだ」
そう言って女性は小包を壁に投げつけた。
落下した小包の中から、ピカピカに光る指輪が転がり出た。




