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町々  作者: 賽藤点野
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22/29

染み出す町

 足を滑らせて落ちた場所は、空気の湿った洞窟だった。

 斜面に沿うように落ちたおかげか、軽い打撲と擦り傷程度で済んだようだ。しかし服はボロボロだし、もうすぐ日も暮れかけているということで、早くここを脱出しなければならない。

 頭上を見上げるが、先ほど居た場所までまっすぐ上ることは難しそうだ。手提げ鞄の中から懐中電灯を取り出す。落下の衝撃で壊れていなくてよかった。スイッチを入れ、明かりが洞窟の中を照らす。

 洞窟は奥の方まで続いている。少し考えるが、ここでは百年待ち続けても助けは来ない。私は身を引き締めて洞窟探検を開始した。


 湿度が高く、所々に水たまりのある洞窟だ。懐中電灯で照らす限り生き物の姿は見えないが、もっと深く観察すれば、暗闇を住処にする虫や甲殻類を見つけられるかもしれない。今はそのようなことを気に掛ける時ではないが、いざとなればそのような行動も視野に入れるべきだろう。いざとは、私が空腹に耐えきれなくなった時である。

 懐中電灯の明かりに何かがキラリと反射した。大きな水たまりでも見つけたのかと思ったが、明かりは壁面を差している。そこは今まで見てきた岩肌とは違って乳白色をしており、蠟燭(ろうそく)が溶けたような、ただれた形をしている。

 鍾乳石だ。地下水に溶け込んだ石灰などの物質が岩から染み出て、時間を掛けて作られるもの。明かりを動かすと、洞窟の奥まで氷柱のような鍾乳石があちこちに生えていることが分かる。ここは鍾乳洞になっているらしい。

 どれぐらい昔のことか、父親に連れられたどこかの観光地で、ライトアップされた鍾乳洞を見たことがある。あれは赤、青、緑、紫と、場所によって様々な色の明かりに照らされていたが、こうして完全な暗闇の中で懐中電灯にのみ照らされているのを見ると、当時見たものとはまた違った美しさ、そして恐ろしさを醸し出している。

 早々に洞窟を抜けた方がいいのだが、変わった形の鍾乳石を見つけると、つい足を止めてじっくり観察してしまう。自然が作り出した造形にも関わらず、私たちの身近な物品に似た形のものもあり、誰かがこの洞窟に潜り込んで石を掘って作ったのではないかとも考えてしまう。そら、あそこにある鍾乳石も椅子にそっくりだ。

 いや、待て。あれは違うぞ。何かおかしい。

 私は水たまりに足を取られないよう気をつけながら、その椅子そっくりのものに歩み寄った。

 事実、それは椅子であった。

 古めかしい木製の椅子で、赤色をした座面と背面の布地は、このような洞窟の中にあるにも関わらず乾いていて、座り心地が良さそうだ。本当についさっき、この場所に置かれたような椅子だ。

 ここに誰か居るのか? 私は前の町で手に入れた地図を広げ、懐中電灯で内容を確認する。確かにこの辺りには町があると記されている。しかし鍾乳洞や洞窟に築かれたというような注意書きはなく、耳を澄ましてみても、人が集まっているような音は聞こえない。

 目の前にある椅子の存在が、段々不気味に思えてくる。天然の鍾乳洞の中にポツンと存在する一つの人工物。私はもう少し椅子を観察してみることにした。

 見た目も手触りも、紛れもない木の椅子だ。それだけにここに存在する異様さが増していく。脚の部分を見ていた時、ふと気になるところが見つかった。

 椅子の足元がただれて、盛り上がったような形をしている。触れてみると、そこもやはり木製で、彫刻刀などで削ってそのような形にしたのだと考えられる。しかし、全体的な意匠に対して、この盛り上がった部分はどうも不自然だ。

 置いてある椅子はこれ一つだけなのだろうか。私は懐中電灯を動かして周囲を見回す。

 思いがけないものを見つけた。扉があったのだ。

 鍾乳石の垂れる岩壁にくっ付いた、木製の扉。その扉も椅子と同じように、下の部分が少しただれて盛り上がっているように見える。

 これは同じ製作者の作品なのか? だが何故、岩壁に扉が付いている? 私は扉に近づき、真鍮製だと思わしきドアノブを掴んでみた。

 ノブは容易く回り、扉は開かれた。

 扉の先を見た私は、思わず懐中電灯を落としてしまった。

 だが明かりが消えることはなかった。扉の先で、いつくもの電灯がきらめいていたからだ。

 扉の先には町があった。道が真っすぐ引かれ、家々が立ち並び、街灯と街路樹が均等に置かれた、ごく一般的な町が。

 私はもう一度地図を開いて場所を確認した。確かにこの辺りに町があることが記されている。しかし、まさか本当に洞窟の中に町があったとは。ひとまず夜になる前に洞窟を脱出する必要がなくなり、私はほっとした。

 懐中電灯を鞄に仕舞って、町の中に入っていく。道中に人の姿は見えないが、家の明かりは点いているので、皆おそらく室内に居るのだろう。

 さっきまでの鍾乳洞とは打って変わって、ここの空気はカラッとしていた。見た目に反して、性能の良い除湿機でも備えているのだろうか。町全体は左程広くなく、奥行き百メートルといったところだ。もう少しここらを観察しておきたいところだが、一旦今日泊まる場所を探してからの方がいいだろう。

 ホテルの看板を見つけ中に入る。古めかしいが、落ち着いた雰囲気の宿だ。フロントに人が居なかったため、「ごめんください」と呼びかける。しかし、いくら待っても物音一つ聞こえてこない。

 従業員が少ないのだろうか。一旦そこら辺の椅子にでも腰掛けようと、視線を横にやった。

 そこに置かれていたものを見て、私は息を飲んだ。

 それは、先ほど鍾乳洞の中で見つけた椅子とほとんど同じものだった。

 先ほどと違う点があるのだとしたら、その椅子全体がただれたように、床に小さく盛り上がった形になっていたからだ。

 私は椅子の先に目をやった。そこも同じだった。ホテルに備えつけられたテーブルや暖炉、壁に掛けられた絵画が皆ただれて、歪んだ形でそこに置かれていた。

 私は思わずホテルを飛び出して、その外観を改めて観察した。

 パッと見は普通の建物だが、よく見れば壁面の所々がただれており、さらに建物の下部は少し盛り上がっているように見える。

 ホテルだけではない。この町の中にある、どの家屋もこのような見た目をしている。街灯や、街路樹でさえ。

 私の中にある仮説が生まれた。私は時計を確認し、まだあまり遅い時間ではないと分かると、鞄からまた懐中電灯を取り出し、先ほどの扉の方まで戻って行った。


 三十分は洞窟を彷徨っただろうか。ようやく見つけた出口は非常に狭いものだったが、鞄を先に置き、身を捩ってなんとか脱出を果たした。

 外はすっかり暗くなり、星明りでなんとか辺りが見えるという感じだ。私は今まで歩いていた洞窟のあった方に振り向いた。正確には、「洞窟の上」の方を見た。

 そこには、多くの街灯に明るく照らされた町があった。

 外では多くの人々が歩き回り、その喧騒がこちらまで聞こえてきそうである。

 今見ている町こそ、地図に記された本当の町なのだ。

 洞窟の中にあった町は、あの町から出た「何か」が地中に溶け込み、洞窟内に染み出たものだった。

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