死骸に生きる町
そこは寒く、乾いていた。
黄土色の大地がいつまでも続き、あちこちに不規則な形の石が転がっている。木も生えていなければ草も生えてなく、歩く獣や飛ぶ虫の姿もない、ただ凍り付いた大地の上に、乾いた大気がのしかかっている。
石と石の間に、何か茶色っぽい塊が落ちていることに気付いた。近寄ってみると、それは何かしらの生物の死骸であった。肉と皮の付いた状態で腐ってもいないが、その身の変色具合からもう何ヶ月も、何年も昔に死んだものだと予測される。ここには死骸を分解する微生物すら存在しない。ここで息絶えたものはミイラ状になり、いつまでも残り続ける。
「誰かが連れて来た犬かな……あるいは大トカゲか」
独り言を発した口から白い息が煙のように立ち昇る。この動物を連れ込んだ者の死体も近くに転がっているだろうかと辺りを見るが、犠牲者は彼一人のようである。飼い主は無事にここを抜けられたのか、それとも彼だけがここに迷い込んだのか、私は想像を膨らませながら目の前の亡骸に手を合わせた。
彼と同じ運命に辿り着くのに、あと何日かかるだろう。私は殊の外冷静にそんなことを考えた。物事を深く考えるにはここは寒すぎて、寂しすぎる。
死骸から目を逸らして前方に目をやると、さっきまでは見えなかった小山大のものが幻のように佇んでいた。立ち止まっている内に太陽がすこし動いて視界が広けたか。私はまたしても深く考えずに、その小山に向かって歩き出した。
近付く内に小山の正体が見えてきた。あれは、死骸だ。
あまりにも巨大な生物の死骸。もしもあれが生きてきて、この大地をのしのしと歩いていれば一目散に逃げ出すところだが、死骸だと分かると不思議と恐怖心は無い。
私は、何故あれが死骸だと断定できるのだろう。向こうまではまだ距離があり、肌の色から判断するにはあまりにも不確かだ。なのに、何故?
そうだ、骨が見えるからだ。死骸の下半分以上の肉が無くなり、骨が見えている。骨が剝き出しになって生きているものはそう多くいるまい。あの大きさなら猶更のこと……。
微生物もいないこの空間で、何故死骸の肉が無くなっている?
そう考えた瞬間、死骸の身体に沿うような形でオレンジの光が灯った。私の口と鼻から白い煙が噴き出した。
人が居る!
私は全力でその場から駆け出した。後には、小さな生物の死骸だけが残された。
近くで見た死骸は想像よりも巨大だった。海に生息する最大のクジラの何倍もの大きさだ。そして遠目に見た通り、死骸の下半分は肉が全くといって無くなり、体格に見合った太い骨が露出している。
その骨の側面に沿うように「小屋」が何軒も立てられている。周囲の岩石をくっ付けて作ったような粗末なものだ。小屋の中に人が居ないか呼び掛けるが、返事はない。目の前には剥き出しの骨格と石造りの小屋のみが広がっている。
これは人が居た痕跡だ。もうここには誰も居ないのか。しかし私がさっき見たオレンジ色の光は、松明などの火による明かりのはず。
その時、目の前に何かが落ちてきた。私は一瞬たじろいだが、よく見ればそれは麻を編んで作ったような粗末なロープであった。
「おあがり」
頭上からしわがれた声が聞こえた。見上げてみると、随分と高いところにも石の小屋があり、そこから誰かがこちらを覗き込んでいる。私はロープを伝って、ゆっくりと上がっていった。
ロープを登った先も剝き出しの骨、それに沿うように建てられた石造りの小屋の空間が広がっていたが、骨にはわずかに肉が残っている部分があり、さらに窪みになっているところに土が敷き詰められ、そこから植物が伸びている。このような環境で自然に草花が咲くとは考えらず、乱雑ながらこれは誰かが作った畑なのだと思われる。
周囲を観察する私の肩に、誰かの手が優しく触れた。振り向くと、そこには腰の曲がった壮年の男性がいた。さっき頭上から声を掛けてきたのは、おそらく彼だろう。
「『下』まで迎えに行けずすまないね。ここには二十人くらいしか住んでないし、ほとんどが老人なものでね」
そう言う男性に「いえいえ」と私は頭を下げる。突然の来訪を拒まれてはいないようで、ひとまず安心した。
男性はバナと名乗った。お腹が空いてるだろうとバナは私を手招きし、太い骨(おそらくこの動物の背骨に当たる)の上を歩き出した。バナの歩く速度は遅く、しばらく目的地には着かないだろうと思った私は、彼に色々聞いてみることにした。
「ここの方々は、随分前からこの死骸の中で暮らしているのですか?」
骨に沿って並ぶ小屋の中で、バナと同年配くらいの住人たちが何かを加工したり、編み物をしている姿が見える。彼らは私に気付くとお辞儀をしたり、手を振ったりしてくれる。
「そうだね。あたしの爺さんの爺さんの、さらに爺さん頃には、もうここに移住してきたんじゃないかね」
歩き続けながら、バナが「下」の方を指さす。
「あんたがさっきまでいたところは、その頃の家が並んでいた場所だ。それから十年か二十年後にはもうちょっと上の方に移って、さらに十年後上に、また上にとなって、今はここに居を構えてる」
落ちないように気をつけながら下を観察すると、沿ったように倒れる死骸のその骨格の曲線に沿って、小屋が下から順に積み上がるように建てられている。下のものほど小屋は粗末で所々が崩れ、上のものは比較的綺麗なものが多い。
「なぜご住居をどんどん上に移させているのですか?」
「骨から肉が取れなくなるからさ」
バナが今度は前方に指を差す。そこでは五人ほどの住人たちが骨に集まり、ナイフのようなものでそこから何かを削ぎ落している。
「あたしらは、この死骸から削り取った肉しか食っとらん」バナが説明する。「この土地で食えるものは、この死骸に余った肉と皮だけさ。下から順に家を建て、そこから取れる肉を削いで食し、肉が無くなり骨だけになれば、また肉の取れるところまで家を上げる。ずっとその繰り返しさ」
私はここまで来るまでの道のりを思い出す。寒く、乾いた土地。歩く獣や飛ぶ虫も居なければ、大地から生える植物も、それらを分解する微生物すら生存しない土地。そこに迷い込んだ動物の死骸は、この土地における唯一の有機物となり、別の迷い込んだものの生きる糧となる。
「ちなみに、あの畑は?」
「あれは繊維を取るためのものさ。今あたしが来ている服も、物を保管する袋も、さっきあんたを引き上げたロープもあの草を編んで作ってる。畑の土は肉を腐らせて作ってるから、まあ、これも肉を食らっているようなもんかね」
バナが近くの小屋の中へ入っていった。ここが彼の家なのだろう。他の家と変わらない石造りの小さな小屋だ。
中では火が焚かれていて、外よりも暖かい。ただ少し獣くさい臭いが鼻を突く。
「火は肉から取れる脂を燃やしてる」
そう言いながらバナが鍋のような器を取り出し、それを火の上の台座に載せる。懐から干した肉のようなものを三枚取り出し、鍋に放り込む。獣くさい臭いが、さらに部屋に充満する。
「あたしらの生活はこの死骸で成り立っている」バナの顔が火に赤く照らされる。「死骸の肉がある限りあたしらの生活は続く。肉をすべて削ぎ切れば、あたしらは死骸と運命を共にする。それはここに町を作った時から、決められたことさ」
バナが鍋から器に肉をよそう。脂が溶けて汁のようになったものを、私に差し出す。
「……いいのですか」
「これも決められたことさ」
そう言って微笑むバナの顔を見ながら、私は器の中身を口に入れる。
溶けた脂と肉の塊が胃の中に納まることで、私もこの大きな死骸の一部になったような心地がした。




