家と町
木の生えていない広大な野原の真ん中に、一軒の家がポツンと立っているのが見えた。
ここは他の町から数百キロも離れた場所で、こんなところに家が一軒だけ存在しているのは実に不可解である。かつてここに町があり、人が離れて荒廃し、あの一軒だけが残された可能性も考えたが、周りに他の家の残骸らしきものはなく、遠目にはその家が廃墟のようにも見えない。むしろ屋根にも壁にも汚れひとつなく、新築のように美しい。
お近づきになるには少々不気味な建物だが、前述した通りここは周囲数百キロに町がなく、私はその数百キロ先の町からここまで歩き通しだったのだ。例によって休息を取るべく、その家に向かって歩き出した。
だが、その家まで距離は、私の想像を超えていた。数分歩けば辿り着けるだろうと高を括っていたが、玄関前まで来るのに三十分以上が掛かった。
そしてその訳は、今私の目の前に聳える巨大な家が証明してくれる。
高さ百メートルはあるだろうか。正方形に近い形をしているため横幅も奥行きも同じくらい。四方の壁には何十個もの窓があり、窓の並びから、五十階のフロアより構成されていることが分かる。これは家の形をした、巨大なビルのような建物だ。
正体が明らかになったのに、私はより一層この家に入るのを躊躇っている。このような建物にはどんな住人が暮らしているのだろう。そもそも人が住んでいるのだろうか。建物そのものが、幾つもの口を持つ巨大な生命体にすら見えてくる。
そんなことを思案していると、家の大きさに見合わない通常サイズの玄関の扉が、勢いよく開けられた。急なことだったので私は一瞬その場から逃げ出しそうになったが、中から出てきた「もの」を見て、足を留めた。
それは十歳にも満たないような少女だった。彼女は私を見ると一瞬驚いたような顔をしたが、やがて満面の笑顔になり、ドタドタと駆け寄って来た。
「お客さんだ! すっごく久しぶり!」
彼女は私の手を握って縦にブンブン振ってくる。子供とは思えない力だ。いや、子供らしい力なのか。私もこの歳の子と交流するのは幾久しくなかったため、状況と相まって困惑が隠せないでいる。
「【家】に遊びに来たんでしょう? わたしが案内してあげる!」
「い、【家】?」
震える私の言葉に、彼女は鼻を鳴らしながら堂々と返答した。
「ようこそ、我が家へ!」
驚いたことに、【家】の中は普通の家と変わらない内装だった。
ただしそれは装飾とか置いてある家具、雑貨等の形が、という意味であり、やはり家のスケールに見合った奇妙な点は目に付く。
まずは玄関。大きさは通常の家より少し広い程度だが、備え付けられた下駄箱が大きく、数も多い。昔通っていた学校の入口に置かれた下駄箱を思い出す。下駄箱の中には様々な靴が目一杯収められており、この靴の一つひとつがこの【家】に暮らす人々のものだと考えると、ここには数百人もの人が住んでいることになる。
そして玄関の正面に伸びる廊下。しっかりワックスがけのされたフローリングの床で、それがずっと奥まで、端が見えないところまで続いている。側面の壁には、値打のありそうな油絵と子供がクレヨンで描いた絵が同列に掛けられており、絵画ゾーンの先からはいくつもの扉が均等に並んでいる。扉の先に部屋があるのだろう。
「まずは『おじいちゃん』に挨拶しないとね!」
私を家に招いた少女、名前をソミという。彼女の言葉に「おじいちゃん?」と私がオウム返しに言う。
「この【家】の一番上に居るんだ! ここで一番えらいんだよ!」
一番上とは、外から見た階層的に五十階に居るということだろうか。今居る一階から、五十階まで上るということだろうか。
「……ソミちゃん、この【家】にエレベーターやエスカレーターなんかは……」
「エレベーター? お客さんの家にはあるの!? すごーい!」
つまりこの【家】には無いということだ。私の足は持つのだろうか。
ソミと話をしながら(彼女から一方的に話されている感じだが)廊下を歩いていると、近くの扉がキィ、と開いた。中から三十代くらいの男性が出てきて、我々を見て目を丸くする。
「ソミ? その人は?」
「シドおじさん! お客さんだよ!」
シドという男性は、私の顔を見て「へーぇ、珍しい」と手を顎に当てる。
「これから『家長』のところに行くんでしょう? ……ああ、家長ってのはその子の言ってる『おじいちゃん』のことです。大変ですよ~、随分上の階ですからねぇ」
苦笑しながら話すシドだったが、不意に「あ、ちょっと待って」と思い出したように言い、自分が今出てきた部屋に入って、私を手招きした。
部屋の中に入って私は驚いた。そこは明確に、通常の家とは違った空間をしていた。部屋の広さは普通の一人用の部屋という感じだが、室内のあちこちにプラスチック製のケースや棚が置かれており、その中には野菜や果物が並べられていた。ここはまるで……。
「私は家族に野菜を売っているんですよ」
そう言いながらシドがリンゴや梨に似た果物を私に手渡してきた。「売っている?」と私がまたオウム返しに言うと、ソミが不思議そうな顔をした。
「そうだよ? 服を売ってるミレーおばさんも居るし、わたしのパパはオモチャを売ってるよ? お客さんの家では誰も売ってないの?」
返事に窮している私に、シドは「まあ上って行けば分かります」と微笑み掌を差し出した。私は黙ってその上に硬貨を置いた。
【家】の中にある部屋は、いずれも何かしらの商店や公共施設の役割を担っているようだ。
食料品を売っている部屋、書物を売っている部屋、電化製品を売っている部屋などもあった。診療所や薬局も存在する。いずれの部屋の住人にもソミは「おじさん」「おばさん」「お姉ちゃん」「お兄ちゃん」と呼び、相手もソミのことを明るく迎えた。彼らは皆家族、親族の関係にあるのだろうか? 言われてみれば顔が似ている人が居るようでもあり、かけ離れている人が居るようでもある。シドは上に向かえば分かると言っていたが、今は頭がこんがらがりそうだ。
フロアとフロアは(恐れていた通り)階段で繋がっている。これだけ広大で人も大勢暮らしているが、階段はフロアの一か所にしか設置しておらず、その大きさも通常の家のものとほとんど変わらない。住民たちが移動する際に大渋滞を起こさないか心配になるが、先ほど入ったマッサージ店の住民曰く、そのフロアに暮らしている人は滅多に他のフロアには移動しないらしい。最上階に居る『家長』とやらも、ずっとそこに居続けてくれるのだろうか。
各フロアには十字状に廊下が伸びている。ちょうどフロアを四分割する形だ。そしてその廊下が交差するところには、そのフロアにある店や施設の場所を示す標識が立てられている。室内に交差点と標識が存在するのだ。これで信号と横断歩道でもあればフローリング製の道路のように見えなくもないが、幸い自動車はおろか、自転車を乗り回している住人も見かけることはなかった。
ソミが標識を見上げ、「こっちこっち!」と私の手を引いていく。今は三十階を少し過ぎたくらいで、家長の部屋はまだまだ上だ。どうやらこのフロアで私を案内したい場所があるらしい。
着いてみて驚いた。その部屋は屋根が上層二階分まで屋根が吹き抜けになっていて、上層の部屋と廊下には柵が巡らされており、そこから住人たちが部屋を見下ろせる形になっている。そして部屋の中央には、複数の箱を積み上げた塔が立っており、その内のいくつかはブラウン管テレビだ。テレビはゲーム機と繋げられているようで、部屋の床、上層の廊下に置かれたゲーム機に、小さな子供たちが群がって遊んでいるようだ。
「ここはオモチャ屋さんだよ!」ソミが笑いながら言った。「パパのお店!」
確かに、部屋に置かれた棚には他のオモチャらしきものも売られているようだが、殆どのスペースをテレビの塔とゲーム機、ゲームソフトが埋めているようで、オモチャ屋というよりもゲーム屋と言った方が正しい。陳列される商品の変化は、外の町と【家】の中で変わらないんだなと、少し可笑しいような、寂しいような気持がした。
ふと、目を離した隙にソミの姿が消えていた。他の子供たちに混じってゲームをしているのかと思ったが、部屋の奥で中年の男性と話している姿を見つけた。彼がソミの父親だろうか。なんだか、ソミのことを説教しているように見える。勝手に外に出るなとか、知らない大人に話し掛けるなとか、そんな定型の文句が聞こえてくる。
私は音を立てないように、ゆっくりと部屋から抜け出た。最上階までの残り十数階は、一人で進んでいかなければならないらしい。
歩くこと数十分、私はついに最上階のフロアへと辿り着いた。
それなりの賑わいを見せていた他のフロアと比べ、最上階は随分寂しく思えた。
それもそのはず。最上階は部屋を割る廊下が存在せず、一つの広大な部屋しか存在しないからだ。
そして部屋の中央、他の部屋の廊下の交差点、標識があった場所に位置するところに椅子が置かれ、そこに一人の老人が腰かけていた。
彼との距離は随分あったが、私は一度頭を下げ、ゆっくりと彼の元へ歩み寄る。私が近づいても彼に反応はなく、目の鼻の先まで来たところで私は立ち止まり、もう一度頭を下げた。
「ラファードです」
老人が口を開いた。老いた見た目に反しよく通る声で、私の顔をジッと見つめると、ニカッと朗らかに笑った。その笑顔が、ソミのものとよく似ているように見えた。
「この町は、随分変わっていたでしょう?」
ラファードのその言葉に私は一瞬硬直したが、やはり、とも思った。
ものを売り買いし、道を整備して案内を立て、自分の住居から大きな移動は行わない。それは家族間で行われるものではなく、町中で行われる営みに近いものだ。
「ここが【家】ということを、特に強要しているわけではないのですね」
「貴方は外から来られた方ですからね。隠すことはありません。【家】の者に強要をしているわけでもありませんが……」
そう言って口髭を弄るラファードの姿も、家長というより行政官を髣髴とするものだ。私は彼に質問を重ねてみることにした。
「なぜこの町を、【家】として運用されているのですか?」
ラファードはフッと微笑み、椅子からゆっくりと腰を上げる。
「貴方は、この世界の情勢について考えたことはおありですか?」
質問に質問を返されたかと思ったが、「深く考えたことはあまりないでしょう」とラファードが言葉を繋げる。
「一個人が一人で考え込むには、この世界は広く難しく、いつまで経っても答えなど見つかりませんからね。大抵の人間が考えられるのは自分一人のことか、もう少し広くて家族のこと、友人のことくらいです」
ラファードは話しながら部屋の中を歩く。この広いフロアには彼が座っていた椅子以外ほとんどものが無いが、普段どのような暮らしをしているのだろうか。
「それは行政でも同じことです。どれだけ道を整備し、建物を建て、インフラを充実させても、一人ひとりの人間のトラブルを全て解決することはできません。町を一人の小さな人間の掌で包むことは難しい」
「……だから、【家】にした」
私が呟くとラファードは足を止め、こちらに笑顔を向けた。
「個人差はあれど、多くの人々は家族が大切でしょう。自分にはあまり関係のないトラブルでも、家族が困っているのであれば進んで助けに行くのが心情というものです。だから私はこの町を【家】にした。全員が同じ【家】に住み、家族になれば、私一人では抱えられない問題も、他の家族が協力して解決に向けて動いてくれる。そう思ったのです」
ラファードが私に歩み寄り、再び椅子の前に立つ。
「実際ここ数十年、家族は皆協力的で、この【家】をしっかり支えてくれました。全員が全員自分たちを家族と思っているわけではないでしょうが、ひとまず大きなトラブルが長引いたことはありません」
一階で出会ったシドのことを思い出す。彼は色々訳を知っているようだったが、ソミには本当の親戚のように接していた。彼のような住人がここには多く居るのだろうか。
「……しかしね、外の方。私は楽をするためにこの町を【家】に変えましたが」ラファードはドカッと椅子に座る。「立場が家長に変わったところで、責任の重さはあまり薄れませんよ。ほぼ毎日、家族が些細なことで喧嘩したり、悲しんだりしないように祈る毎日です。最近思うのですよ、家も町も規模が違うだけで……本質的には変わらないのだと」
「……ですね。違いない」
その時、階下から誰かが駆け上がってくる音が聞こえた。ドタドタドタと、聞いたことのある足音だ。
「それでも、彼女との触れ合いは日々の癒しです」
ラファードが言った。
「良ければもうしばらく、この【家】の家族でいてください。彼女も喜びます」
私は返事をするでもなく、彼に向かって微笑み返した。
階段を駆け上がって来たものは、遠くから私に何かしらの文句を言っているようだったが、やがてすぐに笑顔を作り、こちらに向かって走り出した。




