燃やす町
一面が靄に覆われ、周囲の景色がよく見えない。
随分霧の深いところに来てしまったな、と思ったが、霧にしては肌にまとわり付くような水気はなく、さらに歩を進める毎に段々と息苦しくなっていく。
これは霧ではなく、煙だ。何かを燃やすことによって生じた煙。
そう理解したのと同時に、私の正面に大きな構造物が現れる。いくつかの四角い塊の集合体と、そこから天に向かって伸びる何本もの長い柱。柱の天辺から、周りを埋め尽くす煙が噴き出している。
四角い塊はレンガ造りの家々で、長い柱はその家から伸びる煙突であった。私が辿り着いたこの町では、どの家でも何かを燃やし、煙を空に吐き出している。
絶えずもうもうと噴き出す煙のせいで、今の天気が晴れなのか曇りなのか、昼なのか夕刻なのかも分からない。なんとなくその町の中に入るのに躊躇していると、煙の向こうから一つの人影が近づいて来るのが見えた。
影が煙を掻き分け、その正体が目の前に立つ。腰の曲がった老女のようで、顔の下半分を、昆虫の口にも似た形のマスクで覆っている。
「お客人、口を塞がないと肺を悪ぅしますよ」
そう言って彼女は、自分が着けるものと同じマスクを私に差し出した。私は戸惑いつつ、行為に甘えることにした。マスクを着けるといくらか呼吸が楽になった。マスクそのものが厚く呼吸がしづらい気もするが、煙と比べれば何倍もマシである。
マスクを着けた老女はカリゥと名乗った。カリゥは私を、町の入口近くの建物に案内した。そこでは数種類の冊子が棚に並べられていて、いずれも町にある建物に関して紹介がされている。ここは町の案内所で、カリゥはガイドをやっているとのことだ。
私は滞在中の案内をカリゥに任せることにした。了解したカリゥは、私に数十枚の紙束を手渡した。
「この町の紙幣です。余所の町の金や、共通通貨はここじゃぁ使えません」
大きさは普通の紙幣よりも小さめで、表面は少し光沢がある。印刷されている模様は簡素なもので、値段らしきものは書かれていない。
「ここでは紙幣を『何枚使ったか』で取引を行うんですよ。大抵の取引は一枚程度で済みますが、その代わり色んな場所で紙幣が入り用になります」
そう説明すると、カリゥは私から安いとは言えない額の共通通貨を徴収した。この町の紙幣一枚がいくらに該当するか気になったが、詮索は控えた。
カリゥに案内され、町の中を歩いて行く。どの家もレンガ造りで、往来は煙に満ちており、その中を私やカリゥと同じマスクを着けた人々が歩いている。暗く古い印象のある町だが、マスクを着けた人々の営みは、他の町と左程変わらないように見える。広場らしき場所で雑談している人々や、小さなマスクを着けて走り回る子供達も居る。
だが視線を上に向けると、そこには異様な光景が広がっている。どの家からも長い煙突が天に向かって聳え立ち、いずれも煙を吐き出して、空は真っ白で何も見えない。
家では何を燃やしているのかとカリゥに尋ねようとしたが、彼女が構わずツカツカと歩き続けるため、私は慌てて付いていくしかなかった。見た目に反して歩くスピードが速いようだ。
町の中央くらいまで来てようやくカリゥが立ち止まった。ホテルらしき建物の前である。先に宿泊場所へ案内してくれたらしい。町を色々回る前に、荷物を置いておいた方が都合が良いのだろう。
玄関の扉のノブに手を掛ける。しかし、鍵が掛かっているのかびくともしない。営業時間ではないのだろうか。すると、カリゥが私の横に立ち、玄関の横にあるポストのような小さい扉を開けた。
扉を開けた瞬間、赤い煌々とした光が目に映った。扉の奥では小さな炎が燃え上がっている。
「紙幣を」
そう言ってカリゥが私に手を伸ばす。私は困惑しつつ、先ほど貰った紙束から一枚を手渡す。
カリゥは紙幣を炎の中に放り込んだ。私があっという間に紙幣は燃え上がり、一筋の白い煙へと変わる。
そして「ガチャン」という音が聞こえたと思うと、ホテルの玄関扉がゆっくり開き始めた。
「これでホテルへの『支払い』は成されました」
そう言いながらカリゥはホテルの中へ入り、私に振り向く。
「この町では、紙幣を『燃やす』ことで支払いを果たすのですよ」
紙幣を燃やすことで取引を成立させるという話は、どうやら本当のことのようだ。
ホテルで荷物を置いた後、町中で食料品や本を購入した際、店員は私から紙幣を受け取ると、どこからともなく取り出したライターで紙幣を焼き、笑顔で商品を手渡してきた。
紙幣は様々な場所で必要になった。何かしらの建物に入る際は、入口脇の焼却炉で紙幣を燃やさなければ鍵が開かず、町中の特定の道や橋を渡る時は、自分で焼いた紙幣を上に掲げ、通行料を支払ったことを示してからそこを通過する。
日常的に多くの紙幣を燃やすため、この町では毎日何枚もの紙幣を刷る必要があり、造幣局は町中にあるどの建物よりも大きく、住人の五割以上がここに勤めている。硬貨は製造しておらず、中にある機械はどれも紙幣を作るためのものだ。製造工程を見学すると、紙幣には機械用の油を染み込ませていることが分かった。そのため光沢があり、火にくべるとあっという間に燃えるのである。
「そこいらの家で燃やしているものも紙幣なのですか?」
ホテルへの帰り道、先ほど聞けなかったことをカリゥに尋ねると、彼女は首を振った。
「あれらが燃やしてるのはほとんどがゴミですよ。生活で出たゴミを、その日の内に燃やしてしまうんです」
町を覆う煙にゴミを燃やしたものが混じっていると知り眉をひそめたが、マスクの性能のおかげか悪臭等は感じない。
「燃やすということは『開錠』なんですよ」
カリゥが唐突にそんなことを言った。
彼女は私の顔を覗き込み「ホテルや家の扉を開けるって意味じゃぁないですよ」と微笑む。
「ものを燃やすと煙が上がる。煙はあちこちに広く、細く拡がり、扉の鍵穴に入り込む。そして鍵を開き、私達は扉の先の新しい部屋に進む」
カリゥは唱えるように、歌うようにそのようなことを口にした。呆然とする私の顔を見て、「親からの受け売りです」と肩をすくめる。
「今じゃこの言葉自体知っている者も少のぅなりました。あたしだって言葉の真偽は分かりません。でも、親よりもさらに昔はちゃんとした意味があったのでしょぅ。その時の意味ある行動が、今の町の変わった習慣として残っとるんです」
その後ホテル前でカリゥと別れ、私は客室のベッドで横になった。彼女と最後に交わした会話が気になったが、煙に包まれた町の夜は静かで、私は久しぶりにぐっすりと眠れた。
翌朝。私はホテルの玄関前で身体を伸ばしながら、カリゥが来るのを待っていた。
昨日の時点で町のほとんどの場所を巡ったが、もう少しあの老女と話をしてみたくなった。
「……鈴橋さん、ですね?」
随分久しぶりに名前を呼ばれ、私はほぼ反射的に声のした方を向いた。
背筋の整った若い男性がそこに立っていた。彼は私を一瞥すると頭を下げ、「案内所の者です」と言った。
「カリゥが来れなくなったため、代役として参りました。本日は、私がガイドを引き受けさせていただきます」
カリゥが来れない? 何故? 私が質問を投げかけると、彼は少し間を開け、神妙な顔付きで返答した。
「カリゥは、亡くなりました」
葬儀は広場で行われた。
カリゥに家族はおらず、案内所の従業員たちが喪主を務めている。
広場には多くの人が詰めかけていて、皆黙って葬儀の行方を見守っている。
「慕われていたのですね」
若いガイドの男性にそう耳打ちすると、彼は「それもありますが」と一度言葉を切る。まだ仕事に慣れていないようで、話し方はたどたどしい。
「皆、葬儀そのものに興味があり、誰かが火葬されると決まった時は、必ず何人かが集まります。火葬を見ることに意味があるのです」
カリゥの亡骸を収めた棺桶は広場の中央に置かれ、大衆が見守る中、葬儀屋の老人が燃える松明を掲げ、その火を棺桶に引火させる。
棺桶は一瞬で燃え上がり、炎と煙が空に向かって高く伸びる。
その煙は不思議なことに、周りに充満する他の煙とは混じらず、むしろそれらを押しのけて空に昇っていく。
煙を中心に一瞬だけ靄が晴れ、その隙間から久方ぶりに見る青空が覗いた。
燃やすということは『開錠』。
彼女の煙はどんな扉を開き、私をどのような部屋に案内したのだろうか。




