モザイク画の町
真っ平らな空間だった。足元の変化に気付かなければ、ただの地面として素通りするくらい、そこには何も無かった。少なくとも、三次元的には。
まず違和感は足裏から覚えた。何キロもずっと代わり映えの無い地面を歩いていた私の足の裏に、少しの凹凸を感じた。何を踏んだのだろうと下を見ると、そこには想像以上の光景が広がっていて、長旅の疲れで衰えた自分の観察力を憂えた。
私の足元から前方一キロ四方に渡り、色鮮やかで、緻密な地上絵が描かれていた。それは一つひとつが小さいタイルを並べて作られたモザイク画だった。
私は衝撃でしばらく立ち止まっていたが、やがて興奮した足取りでモザイク画の上を進んでいった。方々を歩き回ってモザイク画の全貌を確認したところ、これは全てが繋がった巨大な絵になっていることが分かった。描かれているのは家、門、塀、街路樹、標識などで、人間や動物の姿は一つも無い。
これは町を描いた巨大なモザイク画だ。いったいどの時代の人が、どういう意図をもって、町の絵など描こうと思ったのだろうか? 時の権力者の姿でも、神話性を表す動物でもなく、ただ人が暮らす町の住居の絵を。
そこまで考えたところで、私は自分が歩き通しでくたびれ、空腹を抱えていたことを思い出した。本来なら、町ではなく町のモザイク画を見つけたことは悲劇に他ならないのだが、モザイク画の出来の良さが一時その苦しみを忘れさせてくれていた。今の今までは。
私はモザイク画の上に座り込んだ。食べるものが無ければ、少しでも身体を休めて、次の町まで歩く体力を養うしかない。タイルの凹凸と冷たい感触を尻で感じ、私はため息を吐く。この描かれた町の中でくつろぎ、温かい食事を摂ることは出来ないものだろうか。
その時、尻をくすぐられるような感触がし、私は跳ぶように立ち上がった。
今まで自分が座っていた場所を見やる。そこにあるのは街路樹の絵だ。茶色く太い幹に、鮮やかな緑の葉が生い茂っている木。
その葉っぱは、風に吹かれるように揺れていた。
正確には、葉を形作る緑色のタイルが動いて、風で揺れるような動きを見せていたのだ。
変化が起きたのは私の尻の下の木だけではなかった。モザイク画の町を形成するタイルの一つひとつが、あちこちで動き始めていた。街路樹は枝葉を揺らし、水道の水は流れ、家の窓ガラスは陽光を反射する。そのどれもが、細かいタイルの動きによって表わされている。コマ撮りのアニメーションを、一キロ四方の巨大なスクリーンで映し出しているような光景だ。
そして、さらに大きな変化が起きた。タイルによって形成された家々の玄関の扉が一斉に開き、中から人間が出てきたのだ。勿論、それは本物の人ではなくタイルによって描かれたモザイク画の人だが、細かいタイルの移動によって、まるで生きているように町の中を歩き始めた。
彼らはお互い別の人と出会い、口をパクパクと動かしている。会話をしているのだろうか。人によっては、家の軒先にものを並べて商売をしたり、広場のようなところに人数を集めて、演説なり説教なりをしている者も居た。
それは、私が今まで訪れたところでも見てきた、町のごく日常的な風景だった。タイルの動きによって表わされるこの住人達は、三次元から俯瞰的に観察している私のことなどいざ知らず、このモザイク画の中で普通に暮らしているのだ。
そう考えると、先ほどまでは感じなかった別種の寂しさが、私の胸に浮かんできた。こんなに人が多い町の中に居るのに、私は誰にも見つかることは無い。姿を晒しているのに、決して誰にも気づかれないのだ。
虚しくなり、このまま蠢くタイルを踏んづけてここを後にしようと思ったが、ふと、道端のタイルに目が行った。それは地面や道路を構成しているタイルで、モザイク画の中でも静物であるため、この喧噪の中でも、まんじりともせずそこにあった。
あるアイデアが浮かんだ。私はしゃがみ込み、その動かないタイルに触れてみた。ポロリ、とタイルはあっさり地面から拾い上げることが出来た。モザイク画の動く今の時間帯だからなのか、元々接着が甘いのかは分からないが、私は地面からさらに十数個のタイルを拾って、足元にそのタイルを並べ始めた。
ただ闇雲に並べるのではなく、私はそのタイルで「自分のモザイク画」を描いた。「自分が描いたモザイク画」であり、「自分を描いたモザイク画」でもある。道路と地面から拾ったタイルは私の姿に並べられ、モザイク画の町の中に来訪した。
駄目で元々の試みだったが、程なくしてモザイク画の私は動き出し、他の住民達の集まるところまで歩いて行った。彼らは突然現れた血色の悪い人間に驚いた様子だったが、モザイク画の私が口を動かすと、次第に態度を軟化し、彼らの輪の中に私を迎えてくれた。
本物と違ってモザイク画の私はコミュニケーション能力が高いらしく、店らしいもので何かを購入したり、レストランらしいところで複数人の相席をもって食事をしたりしていた。その様子を見てると、何故か私の腹も膨れるような気分がした。
しばらくして、町の住人達がみんな家の中に入っていき、全ての家の扉が閉まり始めた。どうやら、モザイク画の中の一日が終わろうとしているらしい。私も随分ここに長居した気がする。
気分も晴れたことだし、そろそろここを立ち去るとしよう。私自身は何も食べていないはずなのに、また数キロを歩けるほど体力が回復した心持ちだ。
広いモザイク画の道路の上を進み、再び何もないただの地面の上に歩み出る。今度訪れる町が、あのモザイク画のように賑わっていれば良いなと思い、後ろを向いた。
旅人の姿をした小さなモザイク画が、私の後に付いて来ていた。




