側溝の町
久々の「普通な」町だった。
変わり種のない建築物に、変わり種のない人々が暮らし、変わり種のない往来を歩いている。ここ最近気を張ってばかりだった私は、久々に一息つくことができた。
「普通」とは、私の認識に基づいた上でのことで、故郷から離れた遥か遠方のこの土地で、私の知るところの「普通」に出会えたことは、奇跡のような僥倖だ。この機会を無駄にせず、今の内に旅の物資を補充しておきたい。
ただ一点、町を歩いていて気になるところがある。それは「側溝」の数が妙に多いということだ。
排水を目的とした側溝は、普通は道路脇に配置されているものだが、ここではその他にも、建物の足元に、公園を囲うように、道を十時に割るように配置されていて、町を歩いていれば嫌でも目に入る位置に側溝がある。町並みが普通な分、側溝の存在は目立って、異様にさえ思える。
水害の多い町なのかとも考えたが、近くに海や河川の類いは無く、雨の多い土地だという噂も聞いたことがない。飲食料品店の店員に側溝について尋ねたら、「さあ、分かりません」と素っ気なく返されてしまった。さもありなん。普通の人は道端の側溝などわざわざ気にしないものだ。
まあ、ここは私の故郷でもないのだ。一点くらい私の知らない「普通」があっても仕方ない。側溝のことは一旦頭から除外して、必要な仕事に集中しよう。
方々の店を回っていたら、すっかり日が暮れてしまっていた。
この町の商人は存外ケチで、中々値引き交渉に応じてくれないのには難儀した。そこは私の知る「普通」に準じてくれなくてもいいだろうに。
おかげで物資は潤沢となったが、財布の中身はすっかり軽くなってしまっている。今日泊まる宿代が無くなる前に、ホテルを見つけなくてはならない。幸い、道中で目ぼしい場所はいくつか見つけているので、それを順に辿っていけばいいだけの話ではある。
「……ん?」
ふと、私は道路の真ん中に佇んでいる男性を見つけた。街灯に晒された身体が、暗がりの中で黒いシルエットを浮かべている。片手に何か箱のようなものを持ち、顔は影になっていて表情は分からない。
男性は少し俯き気味で、まんじりともせず立ち続けている。このまま道路にいたら自動車などが通って危険だろうに。
「あの……大丈夫ですか?」
私は男性に声を掛けた。どこか具合が悪くて動けないのではないかと考えたが、向こうから返事はない。
私は男性に近付き、肩を引いてみた。
男性が何の抵抗もなく、マネキン人形のように道路にゴロンと倒れ込んだ。手に持った箱が、音を立てて道路に転がった。
私はギョッとした。男性が倒れたことも勿論だが、街灯に晒されたその顔を見た時、全身に鳥肌が立った。
男性は笑顔だった。笑顔のまま表情が動かず、瞬きすらしなかった。
その時、何か重いものが動く音が聞こえた。
音のした方を見ると、近くにある側溝の重い石蓋が、ゴリゴリと音を立てて開き始めた。
そして開いた隙間から「触手」が出てきた。
薄い青緑色の、暗闇の中でうっすらと明かりを放つ触手。
私が悲鳴を上げる前に、触手がシュルシュルとこちらに伸びていき、先ほど倒れた男性の身体に巻き付いた。
そして男性の身体を、倒れる前の場所に移動し、身体を立たせた。
触手は道路に転がった箱も拾い、それを男性の手に持たせる。よく見ると、それはプレゼントボックスであった。
私が一連の出来事を見て愕然としているのも束の間、触手はあちこちにその身を伸ばし、石や木の枝を拾ったと思うと、さほど離れてもいない所に置き直したり、街路樹の葉っぱを撫でて形を整えるような動きをしている。
それはまるで、子供が散らかった玩具を、決められた元の位置に片付けている姿を彷彿とさせた。
不意に、周囲からゴリゴリゴリと重い何かが動く音と、様々な重さの物品を動かす音が聞こえた。
私はすぐに理解した。それは町中の側溝の石蓋が開き、中から出てきた触手が、町の中に散らばる「もの」をあるべき位置に戻している音だと。
気が付いた時には私は駆け出していた。今日泊まる宿のことなど考えていなかった。とにかく、この町という名の、触手たちの遊び場から抜け出したかった。
私はその晩の内に、何事もなく町を脱出することができた。途中何度も側溝の横を走ったが、触手たちは外から来た新しい玩具のには興味を示さなかったらしい。
触手そのものや、玩具のような町とその住人たちも不気味な存在だった。
しかし、側溝に潜むあの触手たちが、私の持つ「普通」と同じ感覚を有していたことが、私には何よりも恐ろしく思えた。




